体に温かな何かが流れ込んでくる。
温泉に浸かっているみたいに心地よくって、まどろんでいる時のようにしあわせで。味で例えるなら、ほんのり甘い、って感じ。
(気持ちいい〜……)
ヴィクターの膝の上、大きな手で包みこまれている。すりすりと毛並みをこすりつけ、うっとり目をつぶった。
魔素の流れ、これまで感じたことのない不思議な感覚に身をゆだねる。
きっと私は今、ヴィクターの魔素を吸収している。
まるで水滴が落ちるようにゆっくりとしたスピードだけど、確かな実感。シーナちゃんの本能で自然に悟っていた。
しっぽを抱き締めて丸くなる私の上から、ため息混じりの声が降ってくる。
「シーナちゃん、可愛い……。めちゃくちゃ安心しきってるね」
「くうぅッ、妬ましい羨ましい代わってほしい代わってくださいませヴィクター殿下ァッ!!」
「断る」
思わず噴き出しそうになるのをこらえ、私は魔素の流れに集中する。ぽとん、ぽとん。少しずつ、けれど確実に、シーナちゃんの小さな器が満たされていく。
(満たされたら……、終わりなのかな?)
……それはちょっと、残念かも。
この心地よさを手放したくない。いつまでだって、ひっついていたい。
「……それでヴィクター、どうするんだよ。シーナちゃんを聖堂に連れて行くのか?」
心配そうなカイルさんのひそめた声に、長いお耳がぴくっと反応する。身じろぎしかけた私を、ヴィクターがなだめるように撫でてくれた。
「月の女神の真意を知るためにも、一度は行く必要があるだろう。が、無論シーナを聖堂に引き渡すつもりはない」
ガタッと音が響き渡る。
薄目を開ければ、キースさんが勢いよくソファから立ち上がっていた。その顔は嬉しげに輝いている。
「もちろんですとも、ヴィクター殿下! そうと決まれば早速、今からわたしと共に聖堂へっ」
「断る。すぐに行ってやるつもりもない。聖堂の神官共が図に乗るだけだからな」
せいぜい引き延ばして焦らしてやるさ、とヴィクターが薄く笑う。
おかしさに体が震えてしまって、私は寝るのを諦めて体を起こした。「そんなぁ」と眉を下げるキースさんに、ヴィクターの膝に座り直してうんうんと頷いてみせる。
「ぱうぅ、ぽぇあ〜」
(全面同意、意地悪神官長さんはしばらくお預けにしましょ)
キースさんがしょんぼりと肩を落とした。
「ゔゔ、承知いたしました。シーナ・ルー様がそうおっしゃるのでしたら……」
「いや何ておっしゃってんの?」
カイルさんがキースさんを肘で突いてからかった。まあフィーリングですよ、フィーリング。
「さっ、そうと決まれば仕事に戻ろう。書類はまだまだ山積みだから、シーナちゃんはヴィクターの膝でくつろいでてね。訓練に逃げないよう重石になっといて」
「くっ」
「キースはもう帰ったら? でかい図体で居座られると邪魔だから」
「酷いっ!」
さあさあ、とカイルさんが二人を急かす。
キースさんは名残惜しそうに振り返りつつ、執務室から出ていった。大丈夫かな。シーナちゃんを連れずに一人で帰って、意地悪神官長に怒られないといいんだけどな。
心配する私を、ヴィクターが指で軽く弾く。
「案ずるな。奴らが望むと望まざるとにかかわらず、交渉の窓口になれるのはキースしかいないんだ」
「そうそう。聖堂とヴィクターは犬猿の仲なんだから」
口を揃える二人に、安堵して体から力を抜いた。
それからはカリカリと羽根ペンの走る音だけが部屋に響き、私はぼんやりとヴィクターを見上げる。
集中して目を凝らせば、魔素の炎が確かに揺れているのが見えた。
けれどさっきのように嬉しげに躍ってはおらず、ヴィクターの体の表面を静かになぶるだけ。……これって、もしかして。
(ヴィクターの感情に、影響されてるのかな?)
だとしたら、一番魔素がはっきりと見えるのは、ヴィクターが魔獣と対峙している時だから……つまり、えぇと。
(ヴィクターが、集中してる時?)
いや、違う。
だって今だって集中しているはずだ。多分。集中してなかったらカイルさんに怒られるはずだしね、うん。
じいっとヴィクターを観察していたら、視線に気づいたのかヴィクターが不意に私を見下ろした。緋色の瞳が優しく細められ、ふわりと炎が波打つ。
(わ……っ)
恥ずかしくなって顔を隠した。
……そっか。
きっとヴィクターが嬉しかったり機嫌が良かったりすると、魔素がふわふわ跳ねるんだ。それじゃあ反対に、めらめらと激しく立ち昇って燃えるのは……怒っている時、もしくは殺気立っている時なのかも。
魔素の炎はまだ楽しげに揺れている。
私はぎゅっとヴィクターにしがみつき、目をつぶった。うん、やっぱりほんのり甘い気がする。
(怒ってる時の魔素も、同じ味がするのかな?)
それとも苦かったり、辛かったりするんだろうか。
そうだとしたら、私は今のこの魔素が一番好き。嬉しくて優しくて、しあわせを感じられるから。
紙をめくる音がする。
衣擦れの音がする。
ヴィクターの息遣いを感じながら、誘われるように眠りに落ちた。
温泉に浸かっているみたいに心地よくって、まどろんでいる時のようにしあわせで。味で例えるなら、ほんのり甘い、って感じ。
(気持ちいい〜……)
ヴィクターの膝の上、大きな手で包みこまれている。すりすりと毛並みをこすりつけ、うっとり目をつぶった。
魔素の流れ、これまで感じたことのない不思議な感覚に身をゆだねる。
きっと私は今、ヴィクターの魔素を吸収している。
まるで水滴が落ちるようにゆっくりとしたスピードだけど、確かな実感。シーナちゃんの本能で自然に悟っていた。
しっぽを抱き締めて丸くなる私の上から、ため息混じりの声が降ってくる。
「シーナちゃん、可愛い……。めちゃくちゃ安心しきってるね」
「くうぅッ、妬ましい羨ましい代わってほしい代わってくださいませヴィクター殿下ァッ!!」
「断る」
思わず噴き出しそうになるのをこらえ、私は魔素の流れに集中する。ぽとん、ぽとん。少しずつ、けれど確実に、シーナちゃんの小さな器が満たされていく。
(満たされたら……、終わりなのかな?)
……それはちょっと、残念かも。
この心地よさを手放したくない。いつまでだって、ひっついていたい。
「……それでヴィクター、どうするんだよ。シーナちゃんを聖堂に連れて行くのか?」
心配そうなカイルさんのひそめた声に、長いお耳がぴくっと反応する。身じろぎしかけた私を、ヴィクターがなだめるように撫でてくれた。
「月の女神の真意を知るためにも、一度は行く必要があるだろう。が、無論シーナを聖堂に引き渡すつもりはない」
ガタッと音が響き渡る。
薄目を開ければ、キースさんが勢いよくソファから立ち上がっていた。その顔は嬉しげに輝いている。
「もちろんですとも、ヴィクター殿下! そうと決まれば早速、今からわたしと共に聖堂へっ」
「断る。すぐに行ってやるつもりもない。聖堂の神官共が図に乗るだけだからな」
せいぜい引き延ばして焦らしてやるさ、とヴィクターが薄く笑う。
おかしさに体が震えてしまって、私は寝るのを諦めて体を起こした。「そんなぁ」と眉を下げるキースさんに、ヴィクターの膝に座り直してうんうんと頷いてみせる。
「ぱうぅ、ぽぇあ〜」
(全面同意、意地悪神官長さんはしばらくお預けにしましょ)
キースさんがしょんぼりと肩を落とした。
「ゔゔ、承知いたしました。シーナ・ルー様がそうおっしゃるのでしたら……」
「いや何ておっしゃってんの?」
カイルさんがキースさんを肘で突いてからかった。まあフィーリングですよ、フィーリング。
「さっ、そうと決まれば仕事に戻ろう。書類はまだまだ山積みだから、シーナちゃんはヴィクターの膝でくつろいでてね。訓練に逃げないよう重石になっといて」
「くっ」
「キースはもう帰ったら? でかい図体で居座られると邪魔だから」
「酷いっ!」
さあさあ、とカイルさんが二人を急かす。
キースさんは名残惜しそうに振り返りつつ、執務室から出ていった。大丈夫かな。シーナちゃんを連れずに一人で帰って、意地悪神官長に怒られないといいんだけどな。
心配する私を、ヴィクターが指で軽く弾く。
「案ずるな。奴らが望むと望まざるとにかかわらず、交渉の窓口になれるのはキースしかいないんだ」
「そうそう。聖堂とヴィクターは犬猿の仲なんだから」
口を揃える二人に、安堵して体から力を抜いた。
それからはカリカリと羽根ペンの走る音だけが部屋に響き、私はぼんやりとヴィクターを見上げる。
集中して目を凝らせば、魔素の炎が確かに揺れているのが見えた。
けれどさっきのように嬉しげに躍ってはおらず、ヴィクターの体の表面を静かになぶるだけ。……これって、もしかして。
(ヴィクターの感情に、影響されてるのかな?)
だとしたら、一番魔素がはっきりと見えるのは、ヴィクターが魔獣と対峙している時だから……つまり、えぇと。
(ヴィクターが、集中してる時?)
いや、違う。
だって今だって集中しているはずだ。多分。集中してなかったらカイルさんに怒られるはずだしね、うん。
じいっとヴィクターを観察していたら、視線に気づいたのかヴィクターが不意に私を見下ろした。緋色の瞳が優しく細められ、ふわりと炎が波打つ。
(わ……っ)
恥ずかしくなって顔を隠した。
……そっか。
きっとヴィクターが嬉しかったり機嫌が良かったりすると、魔素がふわふわ跳ねるんだ。それじゃあ反対に、めらめらと激しく立ち昇って燃えるのは……怒っている時、もしくは殺気立っている時なのかも。
魔素の炎はまだ楽しげに揺れている。
私はぎゅっとヴィクターにしがみつき、目をつぶった。うん、やっぱりほんのり甘い気がする。
(怒ってる時の魔素も、同じ味がするのかな?)
それとも苦かったり、辛かったりするんだろうか。
そうだとしたら、私は今のこの魔素が一番好き。嬉しくて優しくて、しあわせを感じられるから。
紙をめくる音がする。
衣擦れの音がする。
ヴィクターの息遣いを感じながら、誘われるように眠りに落ちた。