「――めでたし、めでたし」
キースさんがおごそかに締めくくる。
絵本が静かに閉じられるのを、私は黙って目で追った。しっぽを抱いたまま考え込んでいると、じっと私を見つめる視線に気がついた。
慌ててしっぽを手放し、ぽふぽふ盛大に拍手する。
……が、内心ではどこか釈然としない思いを抱いていた。
私の様子に気づいたのか、キースさんが思いっきり苦笑する。
「お気に召しませんでしたか? 無理もないかもしれませんね。客観的に見ますと、賢王ヴァレリーは魔獣たちを利用するだけ利用して、あっさり切り捨てたようにも受け取れるのですから」
う、うーん。
まあ確かに、それもあるんだけど。
(……そもそも、王さまは魔獣たちの思惑を見抜けなかったのかな?)
見抜けずに味方にしてしまったのなら、王さまってばちょっと迂闊すぎる。人の上に立つ者として、簡単に騙されるのはどうかと思う。
それとも、見抜いた上で利用したのだろうか。国を救うという悲願を果たし、用済みになった魔獣たちは速やかに始末した、と。
もしそうだとしたら、ヴァレリー王とやらは合理主義者というか冷徹というか、魔獣よりよっぽど悪辣な気が……ってのは、言いすぎかなぁ。
「これは子供向けに書かれたものですから、伝説をわかりやすく簡略化してあります。とはいえ、魔獣が人間に化けて賢王ヴァレリーを助けたのも、その後賢王ヴァレリーを裏切り返り討ちにあったのも、すべて伝説の通りなのですよ」
「ぱえぇ〜」
(そうなんだ……)
難しい顔をする私を、キースさんは目を細めて観察する。
ややあってすっと身をかがめると、私に顔を寄せてきた。内緒話をするみたいに声をひそめる。
「……シーナ・ルー様。実はわたしはこう見えて、神職とは程遠い商家の出なのですよ。国内で五指に入るほど裕福な、ね」
えっ、そうなの!?
突然のカミングアウトに驚いて、ぐぐっと身を乗り出してしまう。なんと、キースさんってばお金持ちのお坊ちゃまだったんだぁ……!
「幼い頃のわたしは、寝食を忘れて机にかじりつき、ひたすら書に没頭するような変わった子供でした。余り物の三男坊でしたから、両親からは比較的自由にさせてもらえまして。日曜学校で当時の神官長さまから目をかけていただき、それで神学校への入学を決めたわけです」
懐かしそうに目をすがめる。
そうかぁ、キースさんって子供の頃から勉強大好きだったんだね。外で遊んでばかりで、母親から「宿題は終わったの!?」と毎日怒られていた私とは雲泥の差だ。
「自慢ではありませんが、わたしは飛び抜けて優秀で勤勉でしたからね。神学校を卒業し、十六という異例の若さで神官に抜擢されました」
周囲のやっかみもなんのその。
キースさんはすいすいと器用に聖堂の人間関係を渡っていったという。
そうして聖堂で過ごすうち、ある日彼はこんな会話を耳にした。
――腐っても王族の端くれでありながら、礼拝に顔を出そうともしないとはけしからん
――不浄の己を恥じ、身の程をわきまえているのでしょう
――だが、月の女神様への畏敬の念が足りぬのは許されざることだ
「……それが噂の、魔王と同じ緋の瞳を持つという末の王子の話だと、いつとはなしにわたしも悟りました。厭わしいのならば放っておけば良いものを、神官達は思い出したように陰口を叩くのです。きっと本当に王子が来たら来たで、『聖堂が穢れる』と文句を言うくせにね」
完全に笑みを消し、キースさんが淡々と語る。
私はごくんと唾を飲み、耳を垂らしてうつむいた。本当にヴィクターはずっと、心無い差別に苦しめられてきたんだ……。
胸が締めつけられ、息苦しくなってくる。
きつく目をつぶった瞬間、キースさんがバンッと音を立てて机を叩いた。ひゃっ!?
「そう、ですからわたしは決意したのです!『そうだ、末の王子に会いに行こう!』とねっ!」
……はい?
ぴょこんと飛び上がり、私は目を丸くした。ん、今なんて?
キースさんが熱っぽくこぶしを振り上げる。
「その為人を知りもせず、王子を不浄と判断することなどわたしにはできません! それに、純粋に緋色の瞳が見てみたかった! 魔王に関する書物は、絵本も含めて子供の頃から散々読んでおりましたからね。ふふふ、今思えば好奇心の方が勝っていた気がします」
「…………」
「末の王子はわたしより二つ年下で、王城の外の屋敷で暮らされていました。王族が住むとは思えぬほど小さな屋敷でしたが、使用人に恵まれたのか綺麗に手入れされていましたね。わたしは事前の了承も得ず、真正面から突撃することにしました」
だって断られるに決まってますし、と澄まして告げる。
ともかくキースさんはある朝、ヴィクターの屋敷の門を叩いたのだという。
――頼もうっ!
――月の聖堂より参りました、キース・ウェルドと申します!
――ヴィクター殿下に勝負を申し込みたい!
「ぱえぇっ!?」
(なんでっ!?)
キースさんが偉そうに腕組みしてそっくり返る。
「戦略です。こう言えば、気性が荒く剣術の稽古に明け暮れているという王子のこと。のこのこと顔を見せてくれるに違いないと思いまして」
キースさんの狙い通り、ヴィクターはのこのこと現れた。
燃えるような緋色の瞳を爛々と光らせ、憤怒の表情を浮かべて。
――そして、その手に少年に扱えるとは思えないほどの大剣をたずさえて。
キースさんがおごそかに締めくくる。
絵本が静かに閉じられるのを、私は黙って目で追った。しっぽを抱いたまま考え込んでいると、じっと私を見つめる視線に気がついた。
慌ててしっぽを手放し、ぽふぽふ盛大に拍手する。
……が、内心ではどこか釈然としない思いを抱いていた。
私の様子に気づいたのか、キースさんが思いっきり苦笑する。
「お気に召しませんでしたか? 無理もないかもしれませんね。客観的に見ますと、賢王ヴァレリーは魔獣たちを利用するだけ利用して、あっさり切り捨てたようにも受け取れるのですから」
う、うーん。
まあ確かに、それもあるんだけど。
(……そもそも、王さまは魔獣たちの思惑を見抜けなかったのかな?)
見抜けずに味方にしてしまったのなら、王さまってばちょっと迂闊すぎる。人の上に立つ者として、簡単に騙されるのはどうかと思う。
それとも、見抜いた上で利用したのだろうか。国を救うという悲願を果たし、用済みになった魔獣たちは速やかに始末した、と。
もしそうだとしたら、ヴァレリー王とやらは合理主義者というか冷徹というか、魔獣よりよっぽど悪辣な気が……ってのは、言いすぎかなぁ。
「これは子供向けに書かれたものですから、伝説をわかりやすく簡略化してあります。とはいえ、魔獣が人間に化けて賢王ヴァレリーを助けたのも、その後賢王ヴァレリーを裏切り返り討ちにあったのも、すべて伝説の通りなのですよ」
「ぱえぇ〜」
(そうなんだ……)
難しい顔をする私を、キースさんは目を細めて観察する。
ややあってすっと身をかがめると、私に顔を寄せてきた。内緒話をするみたいに声をひそめる。
「……シーナ・ルー様。実はわたしはこう見えて、神職とは程遠い商家の出なのですよ。国内で五指に入るほど裕福な、ね」
えっ、そうなの!?
突然のカミングアウトに驚いて、ぐぐっと身を乗り出してしまう。なんと、キースさんってばお金持ちのお坊ちゃまだったんだぁ……!
「幼い頃のわたしは、寝食を忘れて机にかじりつき、ひたすら書に没頭するような変わった子供でした。余り物の三男坊でしたから、両親からは比較的自由にさせてもらえまして。日曜学校で当時の神官長さまから目をかけていただき、それで神学校への入学を決めたわけです」
懐かしそうに目をすがめる。
そうかぁ、キースさんって子供の頃から勉強大好きだったんだね。外で遊んでばかりで、母親から「宿題は終わったの!?」と毎日怒られていた私とは雲泥の差だ。
「自慢ではありませんが、わたしは飛び抜けて優秀で勤勉でしたからね。神学校を卒業し、十六という異例の若さで神官に抜擢されました」
周囲のやっかみもなんのその。
キースさんはすいすいと器用に聖堂の人間関係を渡っていったという。
そうして聖堂で過ごすうち、ある日彼はこんな会話を耳にした。
――腐っても王族の端くれでありながら、礼拝に顔を出そうともしないとはけしからん
――不浄の己を恥じ、身の程をわきまえているのでしょう
――だが、月の女神様への畏敬の念が足りぬのは許されざることだ
「……それが噂の、魔王と同じ緋の瞳を持つという末の王子の話だと、いつとはなしにわたしも悟りました。厭わしいのならば放っておけば良いものを、神官達は思い出したように陰口を叩くのです。きっと本当に王子が来たら来たで、『聖堂が穢れる』と文句を言うくせにね」
完全に笑みを消し、キースさんが淡々と語る。
私はごくんと唾を飲み、耳を垂らしてうつむいた。本当にヴィクターはずっと、心無い差別に苦しめられてきたんだ……。
胸が締めつけられ、息苦しくなってくる。
きつく目をつぶった瞬間、キースさんがバンッと音を立てて机を叩いた。ひゃっ!?
「そう、ですからわたしは決意したのです!『そうだ、末の王子に会いに行こう!』とねっ!」
……はい?
ぴょこんと飛び上がり、私は目を丸くした。ん、今なんて?
キースさんが熱っぽくこぶしを振り上げる。
「その為人を知りもせず、王子を不浄と判断することなどわたしにはできません! それに、純粋に緋色の瞳が見てみたかった! 魔王に関する書物は、絵本も含めて子供の頃から散々読んでおりましたからね。ふふふ、今思えば好奇心の方が勝っていた気がします」
「…………」
「末の王子はわたしより二つ年下で、王城の外の屋敷で暮らされていました。王族が住むとは思えぬほど小さな屋敷でしたが、使用人に恵まれたのか綺麗に手入れされていましたね。わたしは事前の了承も得ず、真正面から突撃することにしました」
だって断られるに決まってますし、と澄まして告げる。
ともかくキースさんはある朝、ヴィクターの屋敷の門を叩いたのだという。
――頼もうっ!
――月の聖堂より参りました、キース・ウェルドと申します!
――ヴィクター殿下に勝負を申し込みたい!
「ぱえぇっ!?」
(なんでっ!?)
キースさんが偉そうに腕組みしてそっくり返る。
「戦略です。こう言えば、気性が荒く剣術の稽古に明け暮れているという王子のこと。のこのこと顔を見せてくれるに違いないと思いまして」
キースさんの狙い通り、ヴィクターはのこのこと現れた。
燃えるような緋色の瞳を爛々と光らせ、憤怒の表情を浮かべて。
――そして、その手に少年に扱えるとは思えないほどの大剣をたずさえて。