――むかしむかし、王国は危機をむかえておりました。

 王国を支配するのは、かんしゃく持ちで、自分勝手でわがままな王さま。そして贅沢ざんまいで、意地のわるい王妃さま。

 王さまの家来は、いつもびくびくと怯えておりました。
 王さまの気にいらないことをすれば、首をはねられ、ころされてしまいます。だからみんな、いつだって王さまの顔色をうかがってばかり。

 平民もおなじように苦しんでいました。だって、どれだけ一生けんめい働いても、王さまがすべて奪っていくのですから!

「ああ、毎日つらいなぁ」
「せっかくみのった果実なのに、ぜんぶ王さまに取られてしまったわ」

 国民はなげき悲しみます。
 けれど、希望はありました。

「みんな、どうかぼくに任せてくれないか」
「ああ、王子さま!」

 かしこく美しい、王国の王子さま。
 悪逆非道な王さまと王妃さまには似ても似つかない、姿だけでなく心もきれいな青年でした。

「父上。ぼくは民のために尽くします」
「なにを、ばかなことを!」

 怒った王さまは、王子さまをお城から追いだしてしまいます。
 あわれ王子さまは、魔獣の住みつくという恐ろしい『帰らずの森』に、ひとりきりで置きざりにされてしまうのです。


 ◇


(……『帰らずの森』!)

 知っている地名が出てきて、私は思わずピンッと耳を立ててしまう。

 帰らずの森、それは私がこの世界で初めて降り立った場所。熊モドキに襲われて死にかけて、ヴィクターと出会った場所でもある。

「ぱぇぇ……」

 小さくため息をつく間にも、キースさんの読み聞かせは続いていく。
 めくられたページには、とぼとぼと悲しそうに歩く王子さまの姿が描かれていた。そして背景には、おどろおどろしい暗い森。

 森の中を三日三晩飲まず食わずでさまよった王子さまは、とうとう倒れてしまう。気を失った彼を助けたのは、なんと人語を話す魔獣の群れだったという――……


 ◇


「ま、まさか、魔獣がひとの言葉をしゃべるなんて」
「美しい王子さま。わたしたちが、あなたを助けてあげましょう」

 するどい牙をもつ魔獣。
 みどりの肌の、でっぷりと肥えふとった大きな魔獣。
 枯れ枝のように細い手足をぎちぎちならす魔獣。
 見た目のちがう彼らは、みな一様にうなり声をあげました。

 するとどうでしょう。
 恐ろしい姿をした魔獣たちが、あっというまに人間へと変わってしまったではありませんか。ほんものの人間とくらべても、まったくそんしょくありません。

 それでも、すこしだけ化けそこねたのでしょうか。
 まんなかの魔獣だけは、あきらかにひととは違っていました。燃えるみたいにまっかな髪、そして何より異質なのはその目でした。
 なんと、見たこともないほどこい緋の色をしていたのです。

 王子さまは息をのんでおどろきました。
 それでも、彼は決意するのです。魔獣のちからをかりてでも、王さまと王妃さまをたおし、民をすくってみせるのだ、と!


 ◇


「――魔獣の力はとてつもないものでした。彼らは王子さまの命令によく従い、王さまと王妃さまを捕らえました。国民はみな快哉を叫び、王子さまは祝福され新たな王となったのです」


 ◇


 魔獣たちは、役目をおえても森へはかえりませんでした。
 王子さま、いいえ、新王さまにつかえることを望んだのです。

 けれど、かしこい王さまは気づいていました。

「緋の魔獣よ。おまえはぼくを見るとき、まるで舌なめずりするような顔をしているよ」
「これは、新王よ。そなたはわが献身を、うたがうつもりなのか?」

 まわりの魔獣も、舌なめずり。
 そうです。魔獣たちがつかえるは、王さまではなく緋の魔獣。緋の魔獣こそが彼らの王だったのです。

「おお、緋の魔王よ。もはやここは、おまえたちのいるべき場所ではない。森へ帰るがよい!」

 けれど、魔獣たちはしたがいませんでした。
 それどころか本性をあらわして、王さまに襲いかかってくるではありませんか!

 たいせつな仲間だった魔獣たちに剣をむけるのは、王さまにとって身を引きさかれるようにつらいことでした。
 けれど、彼にはまもるべき民がいるのです。だからこそ彼はひっしで戦いました。

「ええい、口惜しい! あとほんのすこしで、きさまになりかわり、ひとの世を支配できたというのに!」

 悪心を見ぬかれた緋の魔王は、歯ぎしりしながらほろんでいきました。
 手下の魔獣たちも、みな王さまの手でたおされました。

 王国に、ようやく平和がもどったのです。

「ばんざい! ばんざい!」
「国王ヴァレリーに、月の女神さまの祝福を!」

 歓喜の声がみちあふれます。

 こののち、ヴァレリー王はながい治世をしきます。
 その政策は国をゆたかにし、国民はみなしあわせになりました。
 ヴァレリー王が永遠のねむりについた後も、その栄光は、末ながく語りつがれていくのでした。

 めでたし、めでたし。