「――本当ずっるいよなぁ。オレだってこの目で見たかったよ」

「しつこいぞ、カイル。いい加減諦めろ」

(ん……?)

 うんざりしたようなヴィクターの声が聞こえ、私はのろのろと目を開ける。
 見覚えのない天井に、ぼんやりしたまま首をひねった。おかしいな、私ってば今の今まで天上世界にいたはずなのに……?

「ぷぇ、ぁ……」

 むにゃむにゃと呟き、もがきながら重い体を起こす。ヴィクターがはっとして私を見下ろした。

「シーナ!」

 すぐさま大きな手で、包み込むように抱き上げられる。

 条件反射で、すり、と温かな手に頬ずりした。ヴィクターの体温が心地良すぎて、体から力が抜けていく。
 またも自然と目が閉じた。ぐう。

「おい。さすがに寝すぎだろうっ」

「まあまあヴィクター、ここはありがたく寝顔を鑑賞してようよ。見なよ、この安心しきった顔。シーナちゃんってば可愛いよなぁ」

 あ、恐縮です。

 照れくさくって、一気に目が冴えてくる。
 ヴィクターの手の上に座り込み、しっぽを振ってカイルさんに愛嬌を振りまいた。

 ……ま、ちゃんとわかってますけどね?
 可愛いのはあくまで、小さくってもふもふ真っ白なシーナちゃん。そしてホントの私は薄い顔の至極平凡な日本人……ええ、もちろんわかっていますとも。

 涙をぬぐう真似をしていたら、なぜか怖い顔をしたヴィクターから額をつつかれた。

「シーナ。今後はカイルの前で寝るな」

 なぜに。

 きょとんとする私をよそに、カイルさんがお腹を抱えて笑い出す。

「ヴィクター、嫉妬深すぎだろ!」

「やかましい」

 むっつりと吐き捨て、私の顎の下をくすぐった。うぅん、ヴィクターもなかなか腕を上げてきたね!

 上機嫌に喉を鳴らし、伸び上がるようにして周囲を見回した。

(ん? どこ、ここ?)

 大きな窓のある明るい部屋。ヴィクターの屋敷でも、第三騎士団本部の執務室でもない。
 木のテーブルも椅子も戸棚も、家具はどれも粗末なものの、室内はこざっぱりと片付いていた。
 私が不思議そうな顔をするのを見て、ヴィクターが肩をすくめる。

「ベルガ村の村長の家だ。今は一通りの後始末が終わって、そろそろ王都に戻ろうとしていたところだが」

「そうそう、聞いてよシーナちゃん! ほら、オレは偵察隊として別で動いてたろ? そしたら道中で突然、でっかいミミズの大群に襲われちゃって」

 ヴィクターを押しのけ、カイルさんが明るく割り込んできた。って、えええ?

(偵察隊の方にもミミズが出たの? みんな怪我しなかった?)

「ぱうぅ、ぱぇあっ?」

 必死に背伸びする私を見て、カイルさんがくすぐったそうに笑う。
 腰をかがめ、目を細めて私を覗き込んだ。

「大丈夫、全員無事だよ。なかなか苦戦はしたんだけどね、ミミズたちが突然苦しみ出したかと思ったら、体がぼろぼろ崩れて自滅してしまったんだ」

「俺の倒した親玉と連動していたのだろう」

 そうあっさりと片づけたヴィクターを、カイルさんが横目で()めつける。

「倒せたのはシーナちゃんの奇跡(キセキ)のお陰だろ?……ああ本当に、オレだってこの目で見たかったー! 聖獣シーナちゃんの炎の奇跡(キセキ)、どんだけ綺麗で神秘的だったんだろ!」

「ふん。残念だったな」

 ヴィクターがすげなく切り捨てた。が、その表情にはどことなく優越感が漂っている。
 途端にカイルさんが半眼になり、私はおかしくなって噴き出してしまう。

(なんだかんだ、二人って仲良しだよね)

 しっぽを抱き締めて笑いをこらえていると、不意に扉がノックされた。ヴィクターがすぐさま踵を返す。

「シーナ。お前はカイルとここで待っていろ。部外者にはなるべく聖獣(お前)の事を知られたくない」

「だね。それじゃあヴィクター、村長以下村人さんたちの対応よろしくね~」

 オレはシーナちゃんと仲良くお留守番してるからさ、とカイルさんがにこやかに私を抱き上げた。
 ヴィクターの顔から余裕が抜け落ち、般若の形相になる。憤然と口を開きかけたが、グッとこらえて荒っぽく部屋から出ていってしまった。

「ふふん。散々自慢された仕返しだよ」

 カイルさんが得意気に胸を張る。
 ええ、ヴィクターが自慢とかする? カイルさんの勘違いじゃなくて?

 釈然としないで首をひねる私に、カイルさんは内緒話をするみたいに声を落とした。

「……シーナちゃん。ヴィクターを、部下たちを助けてくれて、本当にありがとね」

 穏やかに告げたかと思うと、カイルさんは一転してギラギラと目を光らせる。口の端を上げ、はっきりとした冷笑を浮かべた。

「君の起こした奇跡(キセキ)の話は、王都に戻ったらキースにも教えてやるからね。きっとすぐに聖堂の神官たちにも伝わるはずだよ。ふふっ、あいつら一体どんな顔をするだろうね? 災厄だ魔王の化身だと忌み嫌っていたヴィクターが、聖獣の、ひいては月の女神の加護を得たと知ったらさ」

 ふふふふふ、と低く含み笑いする。

 ……わ、わぁお。カイルさんにしては見たこともないぐらい悪人顔ぉ。
 カイルさんもよっぽど、意地悪神官長さんたちを腹に据えかねてたんだろうな。

 楽しげな彼を眺めつつ、私は耳を垂らして考え込んだ。

(聖獣の加護、かぁ……)

 もしかして、私が魔法を使えばヴィクターの助けになれる?
 魔獣から彼を護るだけじゃなくって、偏見とかいわれなき差別から。

 キラキラしい『奇跡(キセキ)』を派手に見せつけることによって、ヴィクターは災厄の種なんかじゃないって、聖獣(わたし)にとって護るべき大切なひとなんだって証明する。そうすれば聖堂の人々の悪意なんて、空の彼方まで吹っ飛ばせるかもしれない。

(――ようし、そういうことなら!)

 私は「ぽえっ」と一声鳴いて、勇ましく短い手を振り上げる。

(やってやろうじゃない! 魔素集めも、奇跡(キセキ)に見せかけた魔法も、それから『月の巫女』のお役目も!)

 全部全部、完璧にこなしてみせる。良い方向に変えてみせるから。

 二人で一緒に前に進んでいこうね、ヴィクター!