「うん、それで大体は合ってるわ」
ルーナさんがふんぞり返って頷いた。
文句を言うだけ言ってすっきりしたのか、ルーナさんはいつも通りほわんとした笑みを浮かべる。花畑に横座りして、うながすみたいに隣を叩いた。
素直に私も座れば、シーナちゃん軍団が嬉しそうによじ登ってくる。
「ぱうぅ〜」
「ぽぇあ〜」
「はいはい、みんな今日もとっても可愛いよ。……で、ルーナさん」
シーナちゃんをくすぐりつつ、上目遣いに女神さまを見上げた。
「つまりは私、ちょっとだけでも魔素集めに成功したってことですよね? もしやご褒美に、文字が読めるようにしてもらえたり……?」
期待を込めて尋ねたのに、ルーナさんは「無理よぅ」とあっさりかぶりを振る。
「あなたの集めたなけなしの魔素、あなたをここに呼ぶのに使い切っちゃったもの。しかも往路分だけで復路分には足りないから、帰りはわたくしの魔力で送ってあげなくちゃ」
あらら。
それじゃあむしろ、借金をしてしまったわけだ。
「ごめんなさい」
しゅんと眉を下げると、ルーナさんは困ったように微笑んだ。
「わたくしね、正直驚いてるの。まさか異世界人であるあなたが、教えられもせずに魔法を使うだなんて、って。どうやらあなたはシーナ・ルーと人間、双方のいいとこ取りをしてしまったみたいね。……それはきっと、彼の望みには、反することになるのでしょうけど……」
曖昧に呟き、唇を噛んで考え込む。
私は黙ってそれを見守った。
ルーナさんの話は言葉足らずなことが多くて、この世界の人間じゃない私にはわかりにくい。いつもやきもきするのだけれど、今日は彼女を問い詰める気になれなかった。
(だって……)
ルーナさんの顔が、ひどく真剣だったから。
そっと目を逸らし、私はシーナちゃんを撫でるのに専念する。シーナちゃんはしあわせそうに喉を鳴らした。
やがて考えがまとまったのか、ルーナさんがようやく顔を上げた。
「あのね、シーナ」
私の頬をひんやりした手のひらで包み込む。
「緋の王子たちには、決して魔法のことを知られては駄目。あなたの手柄を横取りすることになってしまうけど、あの炎は月の女神の起こした奇跡なのだと伝えなさい」
「は、はい」
けれど嘘をつくまでもなく、ヴィクターは最初からあれが『奇跡』だと信じてた。
しどろもどろにそう伝えると、ルーナさんは微苦笑を浮かべる。
「緋の王子や彼のお仲間なら、そうかもね。でも聖堂の神官たちは疑うはずよ。なぜなら、奇跡には攻撃手段なんてものは存在しないから。奇跡にできるのは『護る』こと、そして『癒やす』ことだけ。神官たちはそれをよく知っているわ」
「護る……。そういえば、人里に魔獣が入れないのは『奇跡』のお陰なんだって、前にヴィクターが言ってました」
「ええ、そうよ。神官たちの祈りに応え、わたくしが魔法を行使する。それこそが『奇跡』の正体なのよ」
なんだ。じゃあやっぱり、奇跡と魔法は同じものなんだ。
……だけどどうして、わざわざ呼び名を変えてるんだろ?
私の疑問を感じ取ったのか、はたまた魔法で心を読んだのか。ルーナさんが一瞬だけ言葉を詰まらせた。
パッと私から手を放すと、逃げるように立ち上がった。
「……かつてはね、ごく少数の人間だけが魔法を使えていた時代があったわ」
背中を向けて、花畑をぶらぶらと歩き出す。
私も慌てて彼女の背中を追った。シーナちゃん軍団もぽてぽてと跳ねて付いてくる。
「今の世の人間はそれをすっかり忘れてる。魔法という概念は人々の記憶から、一切の痕跡すら残さずに消え去った。……けれどね、それでいいの。忘れたままでいるべきなのよ。人の使う魔法は攻撃的で、たやすく争いを生んでしまうから……」
風に流されるようにして、ルーナさんの声が頼りなく揺れる。
その背中がなぜか迷子の子どもみたいに見えて、私の胸がぎゅっと苦しくなった。ルーナさんは大きく息をつくと、ようやく足を止めて振り返る。
「だからね、シーナの使う奇跡は特別仕様なのだと、皆に信じ込ませなさい。大丈夫、それほど難しいことじゃないわ。月の聖獣の能力だとでも、次代の月の巫女の恩恵だとでも、いくらでも言いようはあるのだから」
「う。ど、努力します……」
あんまり自信はないけどね。
頭を抱え込む私を見て、ルーナさんはようやく頬をゆるめた。
「シーナ。緋の王子や彼の仲間を助けるために必要なら、これからも魔法を使って構わないわ。……でもね、どうか魔素集めもおろそかにしないでほしいの。それというのもね――」
ルーナさんがだんだんと低く声を落としていく。
シーナちゃん軍団が、まるで聞き耳を立てるみたいに一斉に背伸びした。なに? なになに?
「ぱぇ?」
「ぱぇぱぇ?」
興味津々の私たちに向かって、ルーナさんはそっと唇に人差し指を押し当てる。
「シーッ、ナイショよみんな。……実はね、わたくしの魔力量なんだけどね、もはや底辺を這っているの……。我ながらびっくりよ、前代未聞の枯渇っぷりよ。このままじゃあ魔素の浄化なんて、夢のまた夢なのよ」
「…………」
えええええっ!?
「ぱぅえ〜っ」
「ぽぇっぽぉ〜っ」
シーナちゃん軍団が大仰にのけ反ってみせる。いや君たち、ちゃんと事の重大性を理解できてる!?
愕然とする私をよそに、ルーナさんもまたのほほんとしていた。
「それがねぇ、ちょっぴり豪快に魔法を使いすぎちゃったみたいなのよねぇ。異世界に道を繋げたり、シーナを助けたり、シーナをこっちに連れてきたり、シーナを呪ったり、シーナが素っ裸にならないよう服を着せてあげたり」
「ほぼほぼ私が原因じゃないですかぁっ!?」
まずい。
このままでは私のせいで、この世界の魔素が浄化できなくなってしまう。えぇとでも、魔素が浄化できなくなると、何が起こるんだったっけ……!?
「魔素は増えすぎると、こちらの世界の人間にとっても良くないことが起こるのよ。……まあそれに関しては、すぐにどうこうっていうほど、切羽詰まってるわけじゃないけれど……」
ルーナさんが歯切れ悪く説明してくれる。
瞬きする私から視線を逸らし、わざとらしく咳払いした。
「と、とにかく。目先の問題としては、何よりも魔獣のことよ。魔素が増えると魔獣も増える、しかも凶暴化して活発化する。あらぁ大変。緋の王子も大忙しよねぇ」
「な……っ!?」
驚きのあまり、私は息が止まりそうになる。
ルーナさんの言葉がじわじわと浸透し、膝が激しく震え出した。
熊モドキに狼型魔獣、そしてあの恐ろしいミミズ魔獣の姿が脳裏に蘇る。
リックくんの故郷が襲われたことも、ヴィクターたち第三騎士団が危険な戦いに身を投じるのも……。もしかして全部、私が命を救ってもらったせいなの?
「そ、そんなのって……!」
「――大丈夫。落ち着きなさいな、シーナ」
不意に、冷えきった体を優しく包み込まれる。
ルーナさんがなだめるように私の背中を撫でてくれた。
「これは幾度も繰り返されてきた、この世の理の一つに過ぎないのよ。魔素が増え、魔獣が勢力を伸ばす。人間が淘汰されないよう、神たるわたくしが魔素を浄化する。……けれどね、神は人の側にばかり肩入れはできないの。魔獣も人も、等しくこの世界を生きる存在なのだから」
だから、通常でも魔素の浄化はぎりぎりまで行わない。
そして、完全に浄化してしまうこともない。
噛んで含めるように告げると、ルーナさんは私から体を離す。
「まだ時間は充分にあるわ。わたくしの魔力は時が経てば回復するし、あなたが魔素を集めればそれはもっと早まるの」
「……っ」
「緋の王子から魔素を吸収しなさい。そして同時に彼の魔素を魔力に変換して、あなたの魔法で緋の王子を護るのよ。できる?」
まっすぐな眼差しに、私はごくりと唾を呑む。
声もなく、ただ何度も頷いた。
ルーナさんがふっと顔をほころばせる。
「いーい、シーナ? 緋の王子の宿す魔素は規格外よ、破産を恐れる必要なんてないわ。だからここぞという場面ではためらいなく、徹底的に魔法の力を行使するのよ」
「ルーナさん……。さっきと言ってることが、全然違うんですけど」
思わずくすっと笑ってしまう。
(……うん。大丈夫……)
反省も後悔も、今はきっと意味がない。
私は私に、できることをするだけだ。
(絶対にヴィクターや、騎士団のみんなを守ってみせる……!)
心に決めて、きつくこぶしを握り締めるのだった。
ルーナさんがふんぞり返って頷いた。
文句を言うだけ言ってすっきりしたのか、ルーナさんはいつも通りほわんとした笑みを浮かべる。花畑に横座りして、うながすみたいに隣を叩いた。
素直に私も座れば、シーナちゃん軍団が嬉しそうによじ登ってくる。
「ぱうぅ〜」
「ぽぇあ〜」
「はいはい、みんな今日もとっても可愛いよ。……で、ルーナさん」
シーナちゃんをくすぐりつつ、上目遣いに女神さまを見上げた。
「つまりは私、ちょっとだけでも魔素集めに成功したってことですよね? もしやご褒美に、文字が読めるようにしてもらえたり……?」
期待を込めて尋ねたのに、ルーナさんは「無理よぅ」とあっさりかぶりを振る。
「あなたの集めたなけなしの魔素、あなたをここに呼ぶのに使い切っちゃったもの。しかも往路分だけで復路分には足りないから、帰りはわたくしの魔力で送ってあげなくちゃ」
あらら。
それじゃあむしろ、借金をしてしまったわけだ。
「ごめんなさい」
しゅんと眉を下げると、ルーナさんは困ったように微笑んだ。
「わたくしね、正直驚いてるの。まさか異世界人であるあなたが、教えられもせずに魔法を使うだなんて、って。どうやらあなたはシーナ・ルーと人間、双方のいいとこ取りをしてしまったみたいね。……それはきっと、彼の望みには、反することになるのでしょうけど……」
曖昧に呟き、唇を噛んで考え込む。
私は黙ってそれを見守った。
ルーナさんの話は言葉足らずなことが多くて、この世界の人間じゃない私にはわかりにくい。いつもやきもきするのだけれど、今日は彼女を問い詰める気になれなかった。
(だって……)
ルーナさんの顔が、ひどく真剣だったから。
そっと目を逸らし、私はシーナちゃんを撫でるのに専念する。シーナちゃんはしあわせそうに喉を鳴らした。
やがて考えがまとまったのか、ルーナさんがようやく顔を上げた。
「あのね、シーナ」
私の頬をひんやりした手のひらで包み込む。
「緋の王子たちには、決して魔法のことを知られては駄目。あなたの手柄を横取りすることになってしまうけど、あの炎は月の女神の起こした奇跡なのだと伝えなさい」
「は、はい」
けれど嘘をつくまでもなく、ヴィクターは最初からあれが『奇跡』だと信じてた。
しどろもどろにそう伝えると、ルーナさんは微苦笑を浮かべる。
「緋の王子や彼のお仲間なら、そうかもね。でも聖堂の神官たちは疑うはずよ。なぜなら、奇跡には攻撃手段なんてものは存在しないから。奇跡にできるのは『護る』こと、そして『癒やす』ことだけ。神官たちはそれをよく知っているわ」
「護る……。そういえば、人里に魔獣が入れないのは『奇跡』のお陰なんだって、前にヴィクターが言ってました」
「ええ、そうよ。神官たちの祈りに応え、わたくしが魔法を行使する。それこそが『奇跡』の正体なのよ」
なんだ。じゃあやっぱり、奇跡と魔法は同じものなんだ。
……だけどどうして、わざわざ呼び名を変えてるんだろ?
私の疑問を感じ取ったのか、はたまた魔法で心を読んだのか。ルーナさんが一瞬だけ言葉を詰まらせた。
パッと私から手を放すと、逃げるように立ち上がった。
「……かつてはね、ごく少数の人間だけが魔法を使えていた時代があったわ」
背中を向けて、花畑をぶらぶらと歩き出す。
私も慌てて彼女の背中を追った。シーナちゃん軍団もぽてぽてと跳ねて付いてくる。
「今の世の人間はそれをすっかり忘れてる。魔法という概念は人々の記憶から、一切の痕跡すら残さずに消え去った。……けれどね、それでいいの。忘れたままでいるべきなのよ。人の使う魔法は攻撃的で、たやすく争いを生んでしまうから……」
風に流されるようにして、ルーナさんの声が頼りなく揺れる。
その背中がなぜか迷子の子どもみたいに見えて、私の胸がぎゅっと苦しくなった。ルーナさんは大きく息をつくと、ようやく足を止めて振り返る。
「だからね、シーナの使う奇跡は特別仕様なのだと、皆に信じ込ませなさい。大丈夫、それほど難しいことじゃないわ。月の聖獣の能力だとでも、次代の月の巫女の恩恵だとでも、いくらでも言いようはあるのだから」
「う。ど、努力します……」
あんまり自信はないけどね。
頭を抱え込む私を見て、ルーナさんはようやく頬をゆるめた。
「シーナ。緋の王子や彼の仲間を助けるために必要なら、これからも魔法を使って構わないわ。……でもね、どうか魔素集めもおろそかにしないでほしいの。それというのもね――」
ルーナさんがだんだんと低く声を落としていく。
シーナちゃん軍団が、まるで聞き耳を立てるみたいに一斉に背伸びした。なに? なになに?
「ぱぇ?」
「ぱぇぱぇ?」
興味津々の私たちに向かって、ルーナさんはそっと唇に人差し指を押し当てる。
「シーッ、ナイショよみんな。……実はね、わたくしの魔力量なんだけどね、もはや底辺を這っているの……。我ながらびっくりよ、前代未聞の枯渇っぷりよ。このままじゃあ魔素の浄化なんて、夢のまた夢なのよ」
「…………」
えええええっ!?
「ぱぅえ〜っ」
「ぽぇっぽぉ〜っ」
シーナちゃん軍団が大仰にのけ反ってみせる。いや君たち、ちゃんと事の重大性を理解できてる!?
愕然とする私をよそに、ルーナさんもまたのほほんとしていた。
「それがねぇ、ちょっぴり豪快に魔法を使いすぎちゃったみたいなのよねぇ。異世界に道を繋げたり、シーナを助けたり、シーナをこっちに連れてきたり、シーナを呪ったり、シーナが素っ裸にならないよう服を着せてあげたり」
「ほぼほぼ私が原因じゃないですかぁっ!?」
まずい。
このままでは私のせいで、この世界の魔素が浄化できなくなってしまう。えぇとでも、魔素が浄化できなくなると、何が起こるんだったっけ……!?
「魔素は増えすぎると、こちらの世界の人間にとっても良くないことが起こるのよ。……まあそれに関しては、すぐにどうこうっていうほど、切羽詰まってるわけじゃないけれど……」
ルーナさんが歯切れ悪く説明してくれる。
瞬きする私から視線を逸らし、わざとらしく咳払いした。
「と、とにかく。目先の問題としては、何よりも魔獣のことよ。魔素が増えると魔獣も増える、しかも凶暴化して活発化する。あらぁ大変。緋の王子も大忙しよねぇ」
「な……っ!?」
驚きのあまり、私は息が止まりそうになる。
ルーナさんの言葉がじわじわと浸透し、膝が激しく震え出した。
熊モドキに狼型魔獣、そしてあの恐ろしいミミズ魔獣の姿が脳裏に蘇る。
リックくんの故郷が襲われたことも、ヴィクターたち第三騎士団が危険な戦いに身を投じるのも……。もしかして全部、私が命を救ってもらったせいなの?
「そ、そんなのって……!」
「――大丈夫。落ち着きなさいな、シーナ」
不意に、冷えきった体を優しく包み込まれる。
ルーナさんがなだめるように私の背中を撫でてくれた。
「これは幾度も繰り返されてきた、この世の理の一つに過ぎないのよ。魔素が増え、魔獣が勢力を伸ばす。人間が淘汰されないよう、神たるわたくしが魔素を浄化する。……けれどね、神は人の側にばかり肩入れはできないの。魔獣も人も、等しくこの世界を生きる存在なのだから」
だから、通常でも魔素の浄化はぎりぎりまで行わない。
そして、完全に浄化してしまうこともない。
噛んで含めるように告げると、ルーナさんは私から体を離す。
「まだ時間は充分にあるわ。わたくしの魔力は時が経てば回復するし、あなたが魔素を集めればそれはもっと早まるの」
「……っ」
「緋の王子から魔素を吸収しなさい。そして同時に彼の魔素を魔力に変換して、あなたの魔法で緋の王子を護るのよ。できる?」
まっすぐな眼差しに、私はごくりと唾を呑む。
声もなく、ただ何度も頷いた。
ルーナさんがふっと顔をほころばせる。
「いーい、シーナ? 緋の王子の宿す魔素は規格外よ、破産を恐れる必要なんてないわ。だからここぞという場面ではためらいなく、徹底的に魔法の力を行使するのよ」
「ルーナさん……。さっきと言ってることが、全然違うんですけど」
思わずくすっと笑ってしまう。
(……うん。大丈夫……)
反省も後悔も、今はきっと意味がない。
私は私に、できることをするだけだ。
(絶対にヴィクターや、騎士団のみんなを守ってみせる……!)
心に決めて、きつくこぶしを握り締めるのだった。