朝食を終えた私は、食堂でそわそわしてヴィクターを待っていた。

 シーナちゃんには化粧も着替えも必要ない。それでも多少は身ぎれいにしたくて、私は懸命にもふもふと毛並みを整える。
 ロッテンマイヤーさんが察してくれたらしく、懐から取り出した櫛で私の毛並みを撫でつけてくれた。

「ぱぇあ〜」

(ありがとうございます!)

 ほのぼの顔を見合わせていると、シーナ、と背後から名を呼ばれた。喜び勇んで振り返る。

「ぱぇぱ、ぁっ……?」

 へ?

 私は思わず目を丸くした。
 まじまじと、上から下までヴィクターを観察する。

 なぜなら、今日は休日だというのに、これから街にお出掛けするというのに、食べ歩きとかして汚れちゃうかもしれないのに!

 ……ヴィクターが、いつもと同じく騎士服を着用していたからだ。

 戸惑う私を見て、ロッテンマイヤーさんがハンカチでそっと目頭を押さえる。

「ああ、シーナ様。実は旦那様は、ちょっとした外出で着るような小洒落た私服はお持ちでないのでございます。礼服と騎士服を除いては、後は寝間着と訓練着しか残りません」

「ぱぅえぇっ?」

「……必要性がなかったからな。今後はまあ、改める」

 ヴィクターがバツが悪そうに視線を逸らした。

 え、ええ〜……。必要性って言われても、カイルさんやキースさんって友達はちゃんといるでしょうに。一緒に遊んだりはしなかったのかな、ヴィクターってばどんだけインドア派なの。

 呆れ果てる私を、ヴィクターはつんとつつく。

「今日のところはこれで我慢しろ。俺と知られて王都の民が騒ぐかもしれんが、威圧して適当に黙らせればよかろう」

「…………」

 発想がバイオレンス。

(うぅん……。騒ぐってやっぱ、アレのせいなのかな)

 ヴィクターの、緋色の瞳。
 聖堂の意地悪神官長の時みたく、王都の人々もヴィクターを見て嫌な顔をするのかもしれない。そしてそれを騎士服と怖い顔で黙らせる、と。そしてますますヴィクターが恐れられる、と。

(それって、めちゃくちゃ悪循環じゃない?)

 私は思わず渋い顔をしてしまう。

 ヴィクターが嫌われるのも、疫病神みたいに遠巻きにされるのも、どちらもその光景を想像しただけで胸が悪くなる。
 口をへの字に曲げる私を見て、ヴィクターが眉根を寄せた。

「……わかった。出掛けるのはまた後日にしよう。まずは目立たん服を作らせてから――」

「まあ、旦那様。そんな必要はございませんわ」

 ロッテンマイヤーさんがせかせかと口を挟んだ。

「どうぞ、わたくしの愚息の服をお召しになってくださいまし。あの愚息はお屋敷の一室を我がものとし、図々しくも私物を大量に持ち込んでおりますでしょう。きっとちょうどいい服が見つかるはずですわ」

「ぱえぇ~!」

 おお、それはいい考え!
 カイルさんならセンス良さそうだし、ヴィクターと身長もそう変わらないしね。

 そうしなよ、とヴィクターをぽふぽふ叩くと、ヴィクターはため息をついた。あっ、あからさまに面倒くさそう。

(うんうん。今着替えたばっかりなのに?って、うんざりする気持ちはわかるけどね)

「ぱぇぱぁ、ぽぇぃ~っ」

 ぽふっぽふっ、とその場でジャンプして応援する。ヴィクターが喉からグッと変な声を立て、それから慌てたみたいに空咳した。

「……まあ、いいだろう。シーナ、少し待――」

「失礼いたします! 旦那様、騎士団の伝令がいらしておりますっ」

 緊迫感に満ちた叫び声に、私たちは弾かれたように振り返る。
 食堂の入口には使用人さん、そして後ろからは第三騎士団の騎士見習い、リックくんがよろけるようにして駆け込んできた。その顔面は蒼白で、私はびっくりして固まってしまう。

「ぱぇ? ぷうぅ?」

(リックくん? どうしたの?)

 不穏な気配に、私は怖々と声を上げる。
 そばかすの浮いた顔をごしごしこすると、リックくんは泣き出しそうにヴィクターを見上げた。

「団長……っ。ベルガ村が、いきなり魔獣の大群に襲われたらしいんす。ふ、副団長が、今すぐ団長に知らせてこいって」

「なんだと?」

 ヴィクターの顔がみるみる険しくなって、私はビクリと肩を揺らす。はっとしたヴィクターが、震える私を大きな手で包み込んでくれた。
 視界が暗く閉ざされても、リックくんの涙声が耳に届いてくる。

「村人たちは、今のとこ無事みたいです。た、たぶん、オレの家族も。でも、魔獣に囲まれて村から出られないって。ベルガの自警団が命からがら村を脱出して、王都に知らせに来てくれたんすけど。みんな、怪我がひどくって……!」

 そこまでが我慢の限界だったのだろう、リックくんがわっと泣き出した。私まで胸が苦しくなって、ヴィクターの手を叩いて外に出してもらう。

 リックくんに駆け寄って、一生懸命に彼に向かって背伸びした。

「ぱうぅ。ぱぇぱぁ、ぽえぇ〜」

(泣かないで。大丈夫、きっとヴィクターが助けてくれるから)

 ベルガ村とやらは、どうやらリックくんの故郷らしい。
 リックくんは以前、家族に仕送りをするために騎士になったと言っていた。離ればなれの家族が危険な目に合っていると知り、生きた心地もしないだろう。

「ぱぇぱぁ! ぽぇ、ぽぇあ〜っ!」

(ヴィクター! 私たち、急いで村に向かわなきゃ!)

 振り返れば、ヴィクターが苦しげに顔を歪める。
 何か言いたげに私を見たが、私だって引く気は微塵もない。ややあって、ヴィクターは迷いを振り切るように大きく頷いた。

 眼差しをきつくして、大粒の涙をこぼすリックくんをどやしつける。

「リック、今すぐ本部に戻って出発の準備をするようカイルに伝えろ! 泣いている暇などない、まず動け!」

「はっ、はいっ!」

 途端にリックくんがピンと背筋を伸ばした。
 その目は真っ赤だったが、健気にも涙をぬぐって一目散に駆け出していく。

 ヴィクターは口早にロッテンマイヤーさんに指示を出すと、テーブルの私を鋭く見下ろした。

「シーナ。もしもお前が、付いてくると言うのなら――」

「ぱえっ! ぽぇ、ぽえぇ〜!」

(当っ然! 付いていかない選択肢なんて、あり得ませんから!?)

 激しくジャンプして訴えると、ヴィクターはふっと目を細めた。
 差し伸べられた手のひらに、私は迷いなく足を載せる。すぐに顔の高さまで持ち上げられた。

「ぱえっ?」

「俺を信用しろ。――必ず、お前を護り抜くと約束する」

「……っ。ぱ、ぱぅ、ぅ」

 抑えた低い声で囁かれ、なぜだかぶわっと一気に毛並みが逆立つ。顔を隠して、必死で何度も頷いた。

「よし。では行ってくる」

「ご武運を、旦那様。シーナ様もどうぞお気を付けて……!」

 気遣わしげなロッテンマイヤーさんの声に見送られ、私たちもリックくんを追うように屋敷を出発した。