昨夜と同じく、まずはヴィクターのベッドの上に移動する。
 座り込む私をじっと眺め、ヴィクターは唇を真一文字に引き結んだ。振り切るように私から顔を背け、大股で扉の方へと去っていく。

「……俺は屋敷から出ておく。シーナを頼んだ」

 振り向かないまま低い声で告げられ、即座にカイルさんとキースさんが頷いた。

「ああ。任せて、ヴィクター」

「なるべくシーナ・ルー様のお体に負担をかけたくありません。会合は長くとも一時間以内で切り上げますので、ヴィクター殿下もそのぐらいを目処にお戻りくださいませ」

 ヴィクターは小さく首肯すると、足早に部屋から出ていった。
 こわばるその背中を見送って、私は申し訳なさに胸が締めつけられる。

(ヴィクター……)

「ほらほら、シーナちゃん。そんなに耳を垂らして落ち込まないで。大丈夫、きっと解決策はどこかにあるはずだよ」

「そうですね。それを見つけるためにも、まずはできることから始めましょう」

 二人から口々に慰められ、私は力なくしっぽを振り返した。

 ヴィクターが屋敷から離れられる程度に時間を置いてから、今夜もまた呪いを解くため頭の中で強く念じる。
 途端に体中がやわらかな光に包まれて、手足がぐんと伸びていく感覚がした。

 溺れる者が藁をつかむみたいに、シーツをきつく握り締める。

「ふ、ぁ……っ。お待たせ、しました。カイルさん、キースさん……っ」

 目尻に浮かんだ涙をぬぐい、二人に笑いかけた。
 カイルさんとキースさんが、なぜか今日もまた顔を赤くする。耳まで赤く染めたキースさんが、私の肩にふわりと毛布を掛けてくれた。

「ひ、冷えるといけませんからね。息苦しくはありませんか、シーナ・ルー様?」

 早口で尋ねられ、私は小さく首を傾げる。
 胸に手を置き呼吸に集中するけれど、今のところこれといって異変はなさそうだ。

「大丈夫、みたいです」

 しっかりと体を起こし、ベッドの上から二人に深々と頭を下げた。

「改めて、私を助けてくれて本当にありがとうございました。カイルさん、キースさん。……えぇと、それから」

 よかったら、ヴィクターにも「ありがとう」って伝えてもらえると嬉しいです……。

 消え入るような声でそう付け足すと、二人は頬をゆるめた。照れくさくなって、私は視線を泳がせる。

「そ、その。今のところは問題はないんですけど、この世界には魔素が満ちているらしくって。ヴィクターが近くにいなくても、私、そう長くは人間でいられないんです」

「魔素……。シーナ・ルー様。実は我らは、魔素という言葉すら知らなかったのですよ」

 神妙な顔で告白するキースさんに、私も真剣に頷いた。

「はい、私も後からルーナさんにそう聞いて。魔素のこと、本当はしゃべっちゃいけなかったみたいなんです。だから申し訳ないんですけど、このことは……」

「うん、了解。シーナちゃんとオレとキース、それからヴィクターの四人だけの間にとどめておこう」

 打てば響くようにしてカイルさんが請け合ってくれる。ほっとして私は体から力を抜いた。

「さて、時間がありません。――早速聞き取りを開始してもよろしいですか?」

 書きつけるための帳面とペンを手に、キースさんがずいっと顔を近づける。いや近。

「キース。人間シーナちゃんに接近するのはオレが許さないよ?」

 満面の笑みを浮かべたカイルさんが、キースさんの首根っこをつかんで引きずっていった。
 ドンと背中を押してヴィクターの机に強制的に座らせ、自身はベッドから離れたソファに腰掛ける。

「さ、シーナちゃんも楽な姿勢を取って。きつくなったら話の途中でもすぐに言ってね? 続きはまた日を改めればいいんだから」

「カイルさん……。は、はいっ」

 お言葉に甘えて足を崩し、手をうろうろと泳がせた。しっぽはないから代わりに、と。枕を抱き締めてベッドに横座り。
 これで準備が整い、私は深呼吸してこれまでのことを語り出す。

 元の世界で死にかけたこと、ルーナさんが私を助けてくれたこと。
 もう二度と元の世界には戻れず、この世界で生きていかなければならないこと。
 魔素への耐性がゼロで、呪いによってシーナちゃんへと姿が変わってしまったこと。
 呪いを解くためには、魔素への耐性をつける必要があること――……

 息が長く続かないので、なるべく要点だけをまとめて説明していく。二人は私を気遣いながら、黙って耳を傾けてくれた。
 ようやく私が口をつぐんだところで、キースさんがペンを置いて厳しい顔を上げる。

「ありがとうございます、シーナ・ルー様。これでおおよそのところは理解できたかと思います。……さて、それでは今後の方針をまとめていきましょう」

 机から離れ、コツコツと神経質そうに額を叩いた。

「まず、魔素への耐性を身につけるために何をすべきなのか? 我らにこれに関しての知識はなく、さしあたっては月の女神ルーナ様のおっしゃる通りに動くべきでしょう。――つまり、魔素が自在に見えるよう訓練をするのです」

「は、はいっ」

 姿勢を正して返事をすると、ソファのカイルさんが低くうなり声を上げた。

「でもさ、キース。訓練って言ったって、一体どうやって? いくら見た目はシーナ・ルーでも、彼女は本当は人間なんだよ?」

「そうですね……。シーナ・ルー様。先程、前に一度だけ魔素が見えたとおっしゃいましたね? それはどのような状況下でですか? もし同じ状況を繰り返し再現できるなら、訓練にはうってつけかと存じますが」

「あ、それは……っ」

 キースさんの問いかけに、私は言葉を濁してうつむいた。

 同じ状況を再現。
 ……それは正直、嫌だと思った。

 私が一度だけ魔素を目にしたのは、ヴィクターが狼型魔獣と戦った時のこと。あかあかと燃える炎がはっきりと見えた。

 けれど私はヴィクターに、私のために魔獣と戦ってほしいだなんて口が裂けても言いたくない。危険な目になんて合ってほしくない。

 魔獣を倒すのがヴィクターの仕事だと頭ではわかっていても、私にはどうしても飲み込むことができなかった。