「え? 魔素のことは口外するなって?」

 カイルさんがすっとんきょうな声を上げる。

 騎士団本部、ヴィクターの執務室。
 キースさんからプレゼントされた絵本の山に座り込み、私は重々しく頷いた。

「馬車の中で確認させていただいたのですがね、これもどうやら月の女神ルーナ様のご意思のようなのです。そうですね、シーナ・ルー様?」

「ぱえっ」

 頼もしく補足してくれるキースさんに、短い手を振って元気よく応じる。ちなみに不機嫌大爆発ヴィクターは、本部に到着するなり訓練に行ってしまった。

(付いていきたかったけど、カイルさんにも魔素のことをお願いしとかなきゃだしね……)

 ヴィクターってば本当、何をいきなり怒っていたんだか。キレポイントが謎すぎる。

 しっぽを抱き締めていじけていると、突然体がふわっと浮いた。カイルさんが私を抱き上げたのだ。
 なんだかうわの空な様子で私を膝に載せ、カイルさんは「そうかぁ……」と低くうなる。

「なるべく早く、魔素について知りたかったんだけどなぁ。人に聞くのは駄目ってことか」

「おや、カイル。どうやらあなたも知識欲に目覚めたようですね?」

 目を輝かせるキースさんに、カイルさんは「全然」とあっさり首を振る。指先で私の毛並みをくすぐり、複雑そうな笑みを浮かべた。

「ヴィクターと人間シーナちゃんの間に立ちふさがる障害を、取り除く手伝いをしたかったんだよ。だってどう考えても可哀想だろ? 魔素のせいでお互い近寄れないんじゃあ、二人は会話どころか、手を繋ぐことすらできないじゃないか」

「ぷぅっ」

 私は思いっきり噴いてしまう。

(べ、べべべ別に私っ、ヴィクターと手を繋ぎたいだなんて、これぽっちも思ってませんけど!?)

 焦ってわたわたと手を振り回せば、カイルさんとキースさんが顔を見合わせた。にやり、と二人同時に悪い顔になる。

「ふぅむ、なるほどなるほど。シーナ・ルー様はヴィクター殿下とは全くもって触れ合いたくない、と。むしろ触れてくれるな、とおっしゃっているようにお見受けしますねぇ」

「ふぅん、へえぇ。そうなのかぁ~。それを聞いたら、ヴィクターもさぞかし悲しがるだろうなぁ~」

「……っ」

 私はびっくりして固まった。
 いやそんな、全然触れたくないとまでは言ってないし! 触るなとかも思ってないしっ!

(だって……)

 ヴィクターに抱き締められて眠った夜。
 どん底まで落ち込んでいたはずなのに、心がぽかぽか温かくなったのだ。なんかこう、しっぽが勝手に揺れる程度には……嬉しかった、っていうか?

「ぱ、ぱうぅ」

 へにゃりと耳を垂らし、顔を隠してうずくまる。意地悪な男性陣二人の、明るい笑い声が降ってきた。


 ◇


 しばらく待ってもヴィクターが戻ってこないので、私とカイルさんは訓練場に向かうことにした。
 ちなみにキースさんは聖堂へと帰っていった。アリバイ作りのため本当に買った絵本は、後日ゆっくり読み聞かせてくれるらしい。ちょっと楽しみ。

 カイルさんは特に急ぐ様子もなく、のんびりした足取りで廊下を進んでいく。彼の手の中でくつろいでいると、カイルさんは小さく含み笑いした。

「ああ、楽しかったなぁ。ヴィクターがいないお陰で、久しぶりにシーナちゃんの毛並みを思う存分堪能できたよ」

「……ぱぇ?」

 いや、別にヴィクターがいたって撫でればいいじゃん?

 カイルさんは動物の扱いが丁寧だし、どこが心地いいかのツボも心得ている。だからいつでも大歓迎。
 シーナちゃんの時には私の感覚も人間時と変わっているらしく、異性から撫でられることに羞恥心はない。よって、どんどん好きにもふるがよい。

 伸び上がるようにして彼を見上げ、そんな感じのことをぱえぱえ訴えた。カイルさんが苦笑する。

「何を言ってるか、大体わかる気がするけど。それは駄目なんだよ、シーナちゃん。オレも最近知ったばっかだけど、ヴィクターって実はね……」

 声をひそめた瞬間、廊下の曲がり角でばったりヴィクターと行き合った。カイルさんの手の中の私を見て、ヴィクターはなぜかみるみる表情を険しくする。

「ぱぇぱぁ?」

 くく、とカイルさんが笑った。
 すばやくヴィクターの肩に私を移動させ、ひらひらと手を振る。

「じゃ、オレは先にお昼行ってくるね。ヴィクターは認可待ちの書類の決裁をよろしく」

「……ああ」

 嫌そうに首肯して、足早に執務室の方向へと歩き出した。ヴィクターの肩に爪を立てつつ、私は遠ざかるカイルさんを振り返る。

(ねえ、カイルさん。さっき言いかけたのって……?)

「あっ、そうそうシーナちゃん!」

 さっと身を翻すと、カイルさんは大きく叫んだ。

「ヴィクターって実はね、すっごいヤキモチ焼きなんだよ! だからあんまり、他の人間に撫でさせちゃ駄目だよ~!」

「な……っ!? おいカイル、貴様っ」

 ヴィクターが途端に目元を赤く染め上げた。
 私はびっくりして、ヴィクターとカイルさんを見比べる。カイルさんはさらに口角を吊り上げ、にやっと笑った。

「ヴィクターもね。隠してるけど、シーナちゃんって本当はヴィクターと触れ合うのが大好きみたいだよ? さっきそう指摘したら、耳を垂らして照れてたからね!」

「ぱぅええぇっ!!?」

 ちょっ、カイルさんんん!?
 何をいきなり話を捏造! いや事実無根……、ってわけでもないけれど!

(なんてこと言うの~~~っ!!)

 ヴィクターが驚いたように私を見る。
 どきっとして大慌てでうつむいた。……いや、これじゃあ認めたようなもの、か?

 大混乱しているうちに、カイルさんの姿はもう消えていた。ヴィクターが足早に歩き出す。

 結局執務室に戻るまで、ヴィクターも私も一言も口をきかないまま。気まずい沈黙に腹が立つやら、いたたまれないやら。

 もう、カイルさん!
 罰として、しばらくはシーナちゃんをもふるの禁止だからね!