「――だから、誤魔化すなと言っておるのだっ!!」

 暗闇から抜けた瞬間、大音声がとどろいた。……な、なに?

 くっついたみたいになった目を無理やり開き、よろめきながら体を起こす。どうやらここは、最後にいたのと同じ祭壇の間。
 私は長椅子に横たわっていたようで、傍らにはヴィクターの姿もキースさんの姿もなかった。

(ヴィクター?)

 彼の名を呼ぼうと口を開きかけたが、それより早く「まあまあ」と涼やかな声が聞こえてきた。

「どうぞ怒りをお鎮めください、神官長様。シーナ・ルー様は確かにヴィクター殿下を必要とされていますし、ヴィクター殿下もまた献身的にシーナ・ルー様を支えていらっしゃいます。……実際、今朝などは手ずから甲斐甲斐しくご朝食を」

「やかましい。余計な事は言うな、キース」

 怒気をはらんだ声が聞こえ、体から力が抜けていく。よかった、ヴィクターもキースさんもいてくれたんだ。

 安堵のあまり再び長椅子に伸びて、長いお耳だけをすうっと立てる。

(……余計な人も、いるみたいだけどね)

 キースさんから「神官長」と呼ばれていた怒鳴り声の主。
 態度が悪く、なおかつ無駄に偉そうな聖堂のボス。今度ルーナさんに会ったら告げ口しちゃうんだからね。

(どうしよっかな、疲れちゃったしもう帰りたいんだけどな)

 厄介事はごめんだった。大人しく寝たふりを続けて、この場が収まるのを待つべきか。

 ほふく前進して長椅子の端にたどり着けば、ようやくヴィクターの後ろ姿が見えた。その前方にはキースさんも。

「えぇい、だがシーナ・ルー様はこうして再び聖堂を訪ねてくださった! 誠心誠意お頼みすればきっと、今後は聖堂で暮らしていただけるに違いない! それをキース神官、貴様という奴はっ。盗人のようにこそこそと侵入したばかりか、不浄の者まで招き入れっ」

「――おや。少々お言葉が過ぎるようですね、神官長様」

 キースさんが神官長の暴言をさえぎった。
 その声は常にないほど冷たくて、ぞっとして一気に総毛立つ。息を詰めて硬直する私をよそに、ヴィクターは至極つまらなそうに鼻を鳴らした。

「構わん。正直は聖堂の神官共の美徳なのだろう。むしろ聖堂の長として、相応しい振る舞いと言える」

「く……っ」

 恐る恐る首を伸ばせば、悔しげに唇を噛む神官長が見えた。あ、やば。目が合っちゃった。

 神官長の顔がみるみる輝き出す。

「お、おおシーナ・ルー様っ。どうぞ我らに、貴方様にお仕えする栄誉をお与えくだ」

「ぺぇ」

 ヤです。

 ヴィクターを真似て、ふんっと鼻を鳴らしてみる。すん、ぐらいの小さな音しか立たなくて、ヴィクターが鼻で笑った。うるさいよ。

 むくれたまま両手を上げると、ヴィクターはすぐに私をすくい上げてくれる。頭によじ登り、ふんぞり返って神官長を見下ろした。

「ぱぅえ~」

(悔い改めよ~)

「は、ははあっ!!」

 神官長が平伏する。え、うそ。伝わった?

 喜ぶ私を指で軽く弾き、ヴィクターがさっさと踵を返した。キースさんが慌てて私たちを見送ってくれる。

「お気を付けてお帰りください、シーナ・ルー様。また今晩、屋敷まで参上しますので」

「ぱえっ」

 そうだね、今夜も天気が良ければ人間に戻りたい。
 なるべく早く、魔素のことも口止めしないといけないからね。

 こくこくと頷く私を見て、キースさんが頬をゆるめた。

「勤めの合間を縫って、文献をお調べしておきましょう。そう、『魔素』に関して――」

「ぱっ、ぱえっぽぉぉぉぉぉーーーっ!!!」

 とっさにヴィクターの頭上から、決死の大ジャンプをかます。「は!?」と驚愕したヴィクターが、床に落ちるスレスレで私をキャッチしてくれた。

「おいシーナ! お前は突然何をっ」

「ぱぇ、ぱぇああ、ぽええーーーっ!!」

(魔素のことは言っちゃ駄目ーーー!!)

 高速で頭を横に振り、両手を合わせてキースさんを拝み倒す。
 驚いたように目を見開いたキースさんは、幸いにもすぐに察してくれたようだ。瞳に理解の色が浮かぶ。

 こほんと空咳をして、無理やり口元に笑みを形づくった。

「ええ、文献をお探ししておきますとも。そう、ま……ま、まま、ま、魔王、に関してねっ!!」

「は? 魔王?……キース神官、突然何を」

 床に這いつくばったまま、神官長が怪訝そうに眉をひそめる。
 キースさんは神官長に手を差し伸べると、やすやすと彼を助け起こした。

「えー……、そう。実はシーナ・ルー様は、(いにしえ)の魔王にそれはそれは興味をお持ちなのですよ。……ほら、なにせ大好きなヴィクター殿下と、お揃いの瞳の色をされていますからねぇ?」

「ぐぅっ」

 ギリィッと歯を食いしばる神官長に、キースさんは訳知り顔で何度も頷く。

「しかし、困りましたね。聖堂の文献では、シーナ・ルー様には少々お固すぎるかと。むしろ子供向けの絵本の方がよろしいかもしれません。……おお、これは大変だ! そうと決まれば今すぐ(あがな)ってこなければ! というわけで外出許可をいただけますか、神官長様?」

 流れるように早口でまくし立てた。おお、素晴らしき話そらしの術! キースさんってば本気で頼りになるぅー!

 目をきらきらさせて彼を見つめていると、さっと視界が暗くなった。どうやらヴィクターの手で目隠しされてしまったもよう。

(開けて開けて~っ)

「よろしいですね? さあさあよろしいですね?」

「む……、ま、まあ仕方あるまい。シーナ・ルー様の願いとあらば……」

「ありがとうございます! では早速参りましょうヴィクター殿下ッ!!」

 弾んだ声が近づいてくる。
 だーかーらー、開けてってばヴィクター! キースさんにお礼を伝えないとっ。

 側で足音がピタリと止まった。キースさんが戸惑ったように声をひそめる。

「……何を拗ねているのです、ヴィクター殿下」

「……別に」

 ヴィクターがむっつりと答えた。

 結局聖堂を出て馬車に戻るまで、私はずっと目隠しされっぱなし。
 景色も見えず、窮屈な思いをする羽目になるのだった。なぜに。