「ぷああ~っ!」

 翌朝。
 天気は快晴、目覚めもすっきり。
 私はベッドの上で大きく伸びをして、跳ねるようにして起き上がる。太陽の光を浴びたお陰で、気持ちまで明るくなっていく。

(ヴィクターの、言う通りだったな……)

 夜中に思い悩んだってろくな事にならない。
 しっかり睡眠を取って、体を休めて。基本的な事なんだろうけど、本当にまずはそこからなのだ。

 隣では寝起きの悪いヴィクターが、眼光だけで人を殺せそうな凶悪な顔つきで目をこすっていた。まあ平常運転……かな?
 ちらっと彼を見上げ、目が合う前に大急ぎでうつむく。だってなんだか、ちょっぴり気恥ずかしい。

 昨夜のことを思い出し、もじもじとしっぽをいじくった。どうしよう、昨日の今日で彼に何て言えばいいんだろ。普通に『おはよう』? それとも『昨日はごめんね』?

(いやどうせシーナちゃん語だから、ぱえとか、ぽえにしかならないんだけどね……)

 それでも、ヴィクターは時々妙に鋭いから。
 もしかして、わかってもらえるかもしれないし……?

 頭が沸騰しそうなほど思い悩んでから、ようやく私は心を決める。
 恐る恐る顔を上げると、ヴィクターがじっと私を見下ろしていた。体中が一気に熱くなる。

「……ぱ、ぱえっ」

 てっ、と片手を上げて挨拶する。

「ぱ、ぱぇあ。ぽぇ、ぽえぇっ」

(き、昨日はそのねっ。嬉しかったっていうか、びっくりしたっていうか)

 だってあなたが、すごく優しかったから。
 涙が出そうなぐらい心が震えて、だから、つまり……その、ね?

「ぱっ、ぱぇっぱぁいっ!!」

(あっ、ありがとうっ!!)

 お腹の底から叫んで、ぜいぜい息をつく。
 上目遣いにヴィクターを窺えば、彼は「ああ」と静かに首肯した。

(わ、わかってくれた!?)

 耳としっぽをピンッと立てる私を、ヴィクターは両手で包み込むようにして抱き上げる。え、優しさ継続中!? だっていつもは、片手でぞんざいな扱いだったのに!

 ベッドから降りて歩き出し、ヴィクターはドアの前に私を置いてけぼりにした。……ん?

「着替えるから後ろを向いていろ」

 はい?

 きょとんと首をひねると、ヴィクターも怪訝そうな顔をした。

「腹が減って今にも息絶えそうだ。速やかに朝食を用意しろ。……と、言ったんじゃないのか」

「…………」

 伝わらねぇ。
 しかもヴィクターの中で、私はどんだけ食い意地の張った女なのか。

 脱力して崩れ落ちる私に、ヴィクターは「違ったか?」と眉をひそめる。や、もうそれでいいです……。

 へろへろと手を振って、回れ右。
 ヴィクターはすぐに身支度を整えて、再びひょいと私を抱っこする。

「そういえばロッテンマイヤーが、今朝の朝食はパンケーキにすると言っていた」

「ぽえぇ~!」

 やった!

 このおうちのパンケーキふわっふわなんだよね。途端に気分が上向いて、左右にしっぽを振りまくる。
 それを見たヴィクターは、「やはりな」とひとり納得して頷いていた。


 ◇


(ああ。ごはんが、美味しい……っ)

 蜂蜜のたっぷりかかったパンケーキをほおばって、私はその甘さに酔いしれた。熱でとろけたバターも最高。これぞマリアージュ……!

 問題はまだまだ山積みなのに、私の心はこのパンケーキ並みにふわふわだった。元気にごはんが食べられるって幸せだ。
 しみじみ噛み締めていると、突然ヴィクターが私の目の前にプチトマトを突きつけた。あ、野菜も食べろとな? やれやれ。

 仕方なく受け取って、トマトに歯を立てる。ぶしゅっとトマト果汁が目を直撃した。ぐああっ!

「ぱぅええ~っ!」

「……何をやっているんだ、お前は」

 ヴィクターが呆れ顔で私の目をぬぐってくれる。トマトを回収し、次はスプーンを私の口元へ。ああ、ポタージュね?

 ふうふう冷ましながら慎重にすする。
 スプーンが空になるたびヴィクターが無言で給仕(給餌?)してきて、じんわり体が温まってきた。

「ぷうぅ」

(ね、パンケーキも食べたいんだけど)

 ちらっとお皿を振り返ると、今度はフォークにパンケーキを一切れ刺して差し出してくれる。うん、おいしー。

 無心に咀嚼する私の頭上から、ギリィッという歯ぎしりの音が聞こえてきた。

「きいぃっ、何のおつもりですかヴィクター殿下ァッ!! まるで我々に見せつけるかのようにイチャイチャとぉーっ!」

「まあまあ、キース。きっと人間シーナちゃんがあまりに華奢だったから、保護者としてたくさん食べさせなきゃって使命感に駆られてるんだよ。……な、ヴィクター?」

 からかうように尋ねられ、ヴィクターは途端に不機嫌な顔になる。

「……別に。とっとと食わせれば、出勤前に聖堂に寄れるだろうと考えただけだ」

「ああ! じゃあオレも付き合」

「いらん。多少は遅刻するはずだから、お前は先に仕事をしてろ」

 にべもなく吐き捨てると、カイルさんはがっかりしたようだった。
 聞こえよがしにため息をつき、パンを小さくちぎって真っ赤なジャムを塗りたくる。それをついと私の口元に持ってきた。

「はい、シーナちゃん。あ~ん」

 あ~ん。

 条件反射のように口を開ければ、ふわりと体が浮いた。ヴィクターが私を持ち上げたのだ。

「時間だ。出るぞ」

 平坦な声で告げるなり、そのまま食堂を後にする。ああっ、パンケーキがまだお皿に残ってるってば!?
 キースさんも大慌てで、残りの料理を口に詰め込んだ。目を白黒させながら、水で一気に流し込む。

「ごふッ、お待ちくださいヴィクター殿下! シーナ・ルー様に頼まれたのはわたしですよ! わたしが聖堂にお連れして……あっ、だから待てと言っているでしょうがあぁっ!」

「い、行ってらっしゃい……っ」

 うつむいて肩を震わせながら、カイルさんが手だけをひらひらと振って見送ってくれた。