それから数日。
 ヴィクターにくっついて毎日出勤する中で、私もだんだんと第三騎士団のお仕事について詳しくなってきた。

 第三騎士団は、魔獣の討伐依頼がない日はおおむね平和。
 団長であるヴィクターは執務室で書類仕事に精を出し、団員さんたちは訓練やら王都近辺の見回りやらに当たるらしい。

 どうやらヴィクターはじっと座っているのが苦手なようで、書類仕事が続くと悪人顔に磨きがかかってくる。そんな時はいつもカイルさんの出番で、今日もちょうどいい頃合いに執務室に顔を出してくれた。

「こっちの書類はオレがやっておくよ。ヴィクターは団員たちをしごいてきたら?」

「……ああ」

 むっつりと頷き、立ち上がる。
 不機嫌そうに見えて、その顔はせいせいしたように明るくなっていた。最近ではだいぶわかるようになってきたんだよ。

「ぱえっ」

 てっ、と両手を上げると、ヴィクターはすぐに私を肩に載せてくれた。私は彼の首をよじ登り、うつ伏せになって頭にしがみつく。

「ごゆっくり~」

 カイルさんに見送られ、外にある訓練場へ。
 数日続いた雨は今朝になってようやく止んだものの、地面はまだぬかるんでいた。それでも団員さんたちは怯むことなく、走り込みやら素振りやらに没頭している。

 ヴィクターが訓練場に足を踏み入れた途端、辺りにピリッとした緊張感が漂った。

「お疲れ様です、ヴィクター団長ッ!」

『お疲れ様ですッ!!』

 みんなで一斉に唱和する。うんうん、今日も体育会系だねー。

 ヴィクターの頭に座り直して感心していると、すぐさま騎士が一人駆け寄ってきた。その手には、ロッテンマイヤーさん作とは別の木箱ベッドが抱えられている。

「どうぞ、シーナ先輩!」

「ぱぇあ~」

 鷹揚に頷き、ヴィクターの頭から木箱の中に移動する。
 中のクッションはロッテンマイヤーさんの作ったものより硬い手応えで、座りやすい。日中はこちらの巣箱をソファとして愛用していた。

「背もたれ用のクッションも追加してみたんす! オレの手作りだから、縫い目ガタガタっすけど……」

 てれっと笑うのは、先日狼型魔獣の襲来を知らせてくれた見習い騎士くんだ。名前はリックくんといって、まだ十五になったばかりだそう。

 本人は謙遜するけれど、なかなかに器用な子なのだ。
 座り心地を確かめて、私はしっぽを振りつつ「ありがとう」の意を込めてお辞儀する。

 それを見た他の騎士たちも、わらわらと私に群がってきた。

「シーナちゃん、自分からも差し入れです。川で拾った綺麗な石」
「シーナたん、今日も可愛いでちゅね~」
「シーナ殿、喉が渇いてはおりませぬか? りんご握り潰しましょうか?」
「シーナ様、どうぞもふらせてくださいまし」

「――えぇいやかましいっ! 訓練に戻れっ!!」

 ヴィクターの雷が墜ちて、わっと蜘蛛の子を散らすようにみんな逃げていく。
 唯一残ったリックくんが、私の木箱を抱き締めたまま震え出したので、私は慌てて彼に向かって手を伸ばす。

「ぱぇぱぁ、ぱぅえ~」

(ヴィクター、別に本気で怒ってないから)

 その証拠に、私が死にかけていない。
 最近のヴィクターは怒った振りをしていても、その実機嫌が良かったりするのだ。だったら笑えば周囲の緊張も解けるだろうに、相変わらず面倒くさい男だよね。

「ぷうぅ」

 やれやれと肩をすくめると、リックくんもつられたようにクスリと笑った。

「大丈夫だよ、って言ってくれてるのかなぁ。聖獣さまって優しいんすね。ううん、シーナ先輩が優しいのかな?」

「ぱえぱえ」

 そうそう。
 おどけてしっぽを振ってみせる。

 私が聖獣だということが団員全員にバレるまで、結局一日もかからなかった。早すぎ。
 けれどそれで壁ができることもなく、言いふらされることもなく。私は毎日平和にここで過ごさせてもらっている。


 ――バシンッ


 不意に、何かを打つような重い音が聞こえた。木箱の中から振り向くと、木剣を手にしたヴィクターが団員に稽古をつけてあげているのが見えた。

「……すっげえなぁ」

 リックくんがぽつりと呟いた。その目は羨望に輝いている。

「オレも、早く一人前の騎士になりたいっす。……うちは貧乏だし、オレは長男なんだから。しっかり稼いで親に仕送りしなきゃいけないんす」

「……ぱぅ」

 ……でも、リックくんはまだ子供でしょう?

 まだまだあどけない顔つきのリックくんが、命の危険のある戦闘職につくなんて。日本とは違う世界だと頭ではわかっていても、私は暗澹(あんたん)たる気持ちになってしまう。

 そもそもこの第三騎士団は、第一・第二騎士団とは違い、ほとんどが平民で構成されているらしい。
 犯罪捜査専門の第二騎士団は、上層部は貴族で固められ、平民出身の騎士はいるものの富裕層の出ばかり。王族を警護する第一騎士団にいたっては、騎士全員が貴族なのだそうだ。

(そう考えると、不思議だよね……)

 王子であるヴィクターが、第三騎士団の団長をしていること。
 城で暮らしていないことといい、この国のヴィクターに対する扱いが透けて見える気がする。それもこれも全部、あの緋色の瞳のせいなのだろうか。

(迷信に囚われて、かぁ……。嫌な感じ)

 ぷっとむくれ、稽古に汗を流すヴィクターを見守る。不機嫌そうな顔をしているくせに、その姿は至極楽しそうに見えた。

 稽古場の上に広がる空には雲ひとつない。
 数日降り続いた雨が嘘のように、美しく晴れ渡っている。……うん。この分なら、きっと。

(今夜は、月が見えるよね……)

 急に心臓がどきどきしてきて、慌てて目を閉じる。
 決意を胸に、きゅっと手を握り締めて武者震いする私であった。