(カイルさんっ!)
声の限り叫んだつもりだったのに、喉は引きつったような音を立てるだけ。届かない手を、必死になってカイルさんに伸ばした。
狼の牙がカイルさんに迫る。
それまで微動だにしなかったカイルさんが、すっと姿勢を低くした。目にも止まらぬ速さで腰の剣を抜き放つ。
『ギイィッ!?』
「――残念。ここは絶対に通さないよ」
笑みを含んだ声が、風に乗ってここまで響く。
対峙する狼の片目がつぶれていた。ぐる、と一声うなると、狼は怯むことなく再びカイルさんに飛びかかっていく。
カイルさんは剣を構えたまま動かなかった。ヴィクターの大剣と比べたら、頼りなく感じてしまうほど細身の剣。
けれど、その狙いは信じられないほど正確だった。狼の軌道を読み取り、カイルさんは必要最低限の動きで攻撃を避ける。そしてその首に剣を振り下ろした。
『グ、ギ……ッ』
狼の首元から鮮血が噴き出した。
何歩かよろけてたたらを踏み、どうと横倒しに倒れる。ビクビクと痙攣し、やがて完全に動きを止めてしまった。
「ぱ、ぱぇっ……」
「片付いたか」
いつの間にか、ヴィクターがカイルさんのすぐ側に立っていた。その後ろには、狼魔獣の屍が点々と転がっている。
二人は小さく頷き合うと、剣の血をはらって鞘に納めた。息を止めて見入る私を、不意に振り返ったヴィクターの視線が鋭く貫く。
「……っ」
「ああッ! ヴィクター殿下ァッ!?」
キースさんが大声を上げた。
ずんずんと歩み寄ってきたヴィクターが、問答無用でキースさんの手から私を取り上げたからだ。
私は目を丸くしてヴィクターを見上げる。
「ぱぇぱぁ?」
「……ふん」
私のおでこを軽く指で弾くと、ヴィクターはまた私を胸ポケットにしまい込んでしまった。
あまりにびっくりしたせいで、私は文句も言わず大人しくポケットの中に収まった。そっと耳を寄せると、服越しにヴィクターの鼓動が感じられる。
(生きてる……)
ほっとして、体から力が抜けていった。
ぱうぅと含み笑いする私をよそに、キースさんがぎゃんぎゃんわめいている。
「いくらなんでもお迎えが早すぎやしませんかヴィクター殿下ァッ!? しかもあなた、雨と戦闘で汚れているではありませんか! 先に手を洗って身を清めるのが、シーナ・ルー様に対する最低限の礼儀」
「返り血は浴びていない。雨に濡れているのはお前も一緒だ」
にべもなく吐き捨て、ヴィクターはさっさと歩き出す。カイルさんがぷっと噴き出した。
「他の男に預けるのが、そんなに嫌?」
「…………」
ずん、と空気が重くなる。ひえぇっ、ヴィクターめちゃ怒っ……!
うっかり意識が遠のきかけて、慌てふためいたカイルさんが「ごめんヴィクター今のなしっ! どうどう、どうどう!」となだめてくれた。頼むよカイルさん……。
(……にしても)
ヴィクターってば、私を他の誰かに預けるの嫌なんだ。
飼い主、じゃなくて保護者としての自覚が出てきたってことかな? すっごい進歩!
嬉しくなってポケットから顔を出す。速攻で頭を押さえつけられた。くっ、前言撤回。やっぱ少しも変わってないっ!
「ごめんね、シーナちゃん」
鼻から上だけ出してむくれる私を、カイルさんが優しく撫でてくれる。べし、とヴィクターがその手を叩き落とした。んん?
首をひねっていたらヴィクターから怖い顔で睨まれ、私は慌ててポケットの中に逆戻りする。
「……帰るぞ」
「はいはい、了解いたしました団長様。……それでは、事後処理はよろしくお願いします」
カイルさんの声の後に、「は、ははっ! お手数おかけいたしましたぁ!」と震え声が聞こえてくる。先に戦ってた警備兵さんかなー。
(……結局、ヴィクターとカイルさんの二人だけで倒しちゃったってことか)
魔獣退治専門、第三騎士団。
その役割は、私が想像していたよりもずっと重いのかもしれない。
ともあれ、みんなが無事で本当によかった!
「ぱぅぇ~っ!」
(お疲れ様っ!)
元気よく鳴いて労をねぎらうと、ポケットの上からそっと押さえつけられた。
その大きな手がヴィクターのものだと、どうしてだか私にはわかってしまう。温かいような、恥ずかしいような不思議な気持ちがあふれ、むず痒くて叫びだしたくなる。
――このときの私は、浮かれるあまりすっかり失念してしまっていた。
ヴィクターや魔獣から噴き出すように揺らめいていた、赤と黒の不可思議な炎の存在を。
声の限り叫んだつもりだったのに、喉は引きつったような音を立てるだけ。届かない手を、必死になってカイルさんに伸ばした。
狼の牙がカイルさんに迫る。
それまで微動だにしなかったカイルさんが、すっと姿勢を低くした。目にも止まらぬ速さで腰の剣を抜き放つ。
『ギイィッ!?』
「――残念。ここは絶対に通さないよ」
笑みを含んだ声が、風に乗ってここまで響く。
対峙する狼の片目がつぶれていた。ぐる、と一声うなると、狼は怯むことなく再びカイルさんに飛びかかっていく。
カイルさんは剣を構えたまま動かなかった。ヴィクターの大剣と比べたら、頼りなく感じてしまうほど細身の剣。
けれど、その狙いは信じられないほど正確だった。狼の軌道を読み取り、カイルさんは必要最低限の動きで攻撃を避ける。そしてその首に剣を振り下ろした。
『グ、ギ……ッ』
狼の首元から鮮血が噴き出した。
何歩かよろけてたたらを踏み、どうと横倒しに倒れる。ビクビクと痙攣し、やがて完全に動きを止めてしまった。
「ぱ、ぱぇっ……」
「片付いたか」
いつの間にか、ヴィクターがカイルさんのすぐ側に立っていた。その後ろには、狼魔獣の屍が点々と転がっている。
二人は小さく頷き合うと、剣の血をはらって鞘に納めた。息を止めて見入る私を、不意に振り返ったヴィクターの視線が鋭く貫く。
「……っ」
「ああッ! ヴィクター殿下ァッ!?」
キースさんが大声を上げた。
ずんずんと歩み寄ってきたヴィクターが、問答無用でキースさんの手から私を取り上げたからだ。
私は目を丸くしてヴィクターを見上げる。
「ぱぇぱぁ?」
「……ふん」
私のおでこを軽く指で弾くと、ヴィクターはまた私を胸ポケットにしまい込んでしまった。
あまりにびっくりしたせいで、私は文句も言わず大人しくポケットの中に収まった。そっと耳を寄せると、服越しにヴィクターの鼓動が感じられる。
(生きてる……)
ほっとして、体から力が抜けていった。
ぱうぅと含み笑いする私をよそに、キースさんがぎゃんぎゃんわめいている。
「いくらなんでもお迎えが早すぎやしませんかヴィクター殿下ァッ!? しかもあなた、雨と戦闘で汚れているではありませんか! 先に手を洗って身を清めるのが、シーナ・ルー様に対する最低限の礼儀」
「返り血は浴びていない。雨に濡れているのはお前も一緒だ」
にべもなく吐き捨て、ヴィクターはさっさと歩き出す。カイルさんがぷっと噴き出した。
「他の男に預けるのが、そんなに嫌?」
「…………」
ずん、と空気が重くなる。ひえぇっ、ヴィクターめちゃ怒っ……!
うっかり意識が遠のきかけて、慌てふためいたカイルさんが「ごめんヴィクター今のなしっ! どうどう、どうどう!」となだめてくれた。頼むよカイルさん……。
(……にしても)
ヴィクターってば、私を他の誰かに預けるの嫌なんだ。
飼い主、じゃなくて保護者としての自覚が出てきたってことかな? すっごい進歩!
嬉しくなってポケットから顔を出す。速攻で頭を押さえつけられた。くっ、前言撤回。やっぱ少しも変わってないっ!
「ごめんね、シーナちゃん」
鼻から上だけ出してむくれる私を、カイルさんが優しく撫でてくれる。べし、とヴィクターがその手を叩き落とした。んん?
首をひねっていたらヴィクターから怖い顔で睨まれ、私は慌ててポケットの中に逆戻りする。
「……帰るぞ」
「はいはい、了解いたしました団長様。……それでは、事後処理はよろしくお願いします」
カイルさんの声の後に、「は、ははっ! お手数おかけいたしましたぁ!」と震え声が聞こえてくる。先に戦ってた警備兵さんかなー。
(……結局、ヴィクターとカイルさんの二人だけで倒しちゃったってことか)
魔獣退治専門、第三騎士団。
その役割は、私が想像していたよりもずっと重いのかもしれない。
ともあれ、みんなが無事で本当によかった!
「ぱぅぇ~っ!」
(お疲れ様っ!)
元気よく鳴いて労をねぎらうと、ポケットの上からそっと押さえつけられた。
その大きな手がヴィクターのものだと、どうしてだか私にはわかってしまう。温かいような、恥ずかしいような不思議な気持ちがあふれ、むず痒くて叫びだしたくなる。
――このときの私は、浮かれるあまりすっかり失念してしまっていた。
ヴィクターや魔獣から噴き出すように揺らめいていた、赤と黒の不可思議な炎の存在を。