「シーナ、お前は留守番だ」
「ぱ、ぱえぇっ!」
大剣を手にしたヴィクターから冷たく告げられ、私は激しく首を横に振った。
わかってる。私がついて行っても足手まといにしかならない……どころか、魔獣への恐怖でまた死にかける可能性だってあることは。
この世界で最初に遭遇した熊モドキの姿を思い出し、すうっと背筋が冷えていく。
(……だけど)
これからずっとヴィクターの側にいるつもりなら、彼が普段どんな仕事をしているのか知っておきたい。どれだけ危険な日々を送っているのか、理解しておかなければならないと思うのだ。
(私だけ、安穏と隠れてはいられない!)
無意識に逃げ出しそうになる足に力を入れて、ぐぎぎと踏ん張る。挑むようにヴィクターを睨みつければ、彼は苦々しくため息をついた。
「……押し問答をしている時間は無い。キース!」
私の頭越しに叫び、キースさんが「はい」と冷静に返事をする。
「シーナが来るのなら、どうせお前も供をするつもりだろう」
「無論。シーナ・ルー様のことはわたしにお任せください。命に替えてもお守りすると誓いましょう」
静かながら、揺るぎのない声音で宣言した。
圧倒されて固まる私を引っつかみ、ヴィクターは荒々しく歩き出す。カイルさんもすかさず後に続いた。
「――行くぞ!」
◇
騎士団の本部らしき建物から出たヴィクターたちは、準備されていた馬にひらりと跨った。騎士であるカイルさんだけでなく、キースさんも当然の顔をして、見事に馬を駆って並走する。
ヴィクターの胸ポケットに入れられてしまった私は、必死に背伸びをして顔だけ出した。雨はさっきよりは弱くなっていたものの、それでもしとしとと私たちを濡らしていく。
体が激しく震えるのは、恐怖のせいなのか寒さのせいなのか。自分でもわからないけれど、逃げるつもりなんてさらさらなかった。
舗装された石畳の道路を疾走し、街の入口らしき大きな門をくぐって外に出る。
「――いたっ!!」
カイルさんが鋭く叫んだ。
はっとして前方を見ると、警備兵らしき男たちの後ろ姿が見えた。皆武器を構えてはいるものの、明らかに及び腰になっている。
「キース、シーナを!」
「ぱぅええっ!?」
突然ヴィクターに体をつかまれ、ぽーんと後方に放られる。しかしその狙いは正確で、私は無事にキースさんの手で受け止められた。
「ぱ、ぱぺ。ぱぺぺっぺぇ」
「シーナ・ルー様、お気を確かに! ヴィクター殿下は後でしっかりお説教しておきますのでっ」
ガタガタ震える私を、キースさんが一生懸命に撫でてくれる。ああああの男、後で絶対一発殴る……!
鼻息荒く決意する私をよそに、ヴィクターと、後ろに続くカイルさんも剣を抜き放つ。馬の速度がぐんっと早くなり、流れに乗るようにしてヴィクターが無造作に大剣を振った。
『グギャッ!』
「……っ!」
金属音が混じったような不快な悲鳴が聞こえ、私は思わず耳を押さえる。
恐る恐る前方を確認すると、真っ黒な狼らしき獣が幾頭も集まっていた。今ヴィクターにやられた狼は街道に倒れていたが、ざっと見た限り残り五頭はいる。
狼たちは怒りのうなり声を発すると、姿勢を低くして攻撃態勢に移った。
「ぱぇぱぁー!」
(ヴィクター!)
カイルさんは後方支援要員なのか、動かない。
ヴィクターだけが臆することなく前に出る。
凄まじいスピードで飛び出した狼が、ぐわっと大きく口を開いた。みしみしと口角が裂け、顔のほとんどが鋭い牙の生えた口だけになる。
(ひ……っ)
恐怖に喉がひりつく。
キースさんが私を抱く手に力を込めた。
「――はッ!」
短く気合いを発し、ヴィクターが動いた。
熊モドキを倒したときと同じように、狼の首が一刀両断されて宙を飛ぶ。
(な、なんて怪力……!)
続く狼たちも難なく打ち倒していく。
恐ろしくてたまらないのに、ヴィクターの洗練された動きから目が離せない。おかしいな、ホラー映画もスプラッタ映画も苦手だったはずなのに……。
現実感が薄くなり、私はぼんやりとヴィクターの姿を目で追った。冷たい雨に打たれ、体の芯がしびれていく。
ヴィクターも、寒くないかな。ううん、きっと大丈夫だよね。だってヴィクターは、あんなにも……。
あんなにも?
「……ぱえっ?」
不意に、私は目を見開いた。
ぱちぱちと瞬きして、息を詰めて目を凝らす。
「シーナ・ルー様?」
キースさんが怪訝そうに私を見下ろしたが、私は彼に答える余裕はなかった。ヴィクターの体から、真っ赤な炎が立ち昇っているのが見えたから。
(え、え? どうして? 燃えてるわけじゃない、よね?)
……だってあれは、本物の炎じゃない。
真っ赤に光って揺らめいて、けれど服は燃えていないし、後ろの風景が薄く透けて見えている。瞬きすら忘れて幻想的な光景に見入った。
(あっ……!)
よく見たら、あの狼の魔獣も炎をまとってる。ヴィクターみたいに綺麗な赤じゃなくて、禍々しく赤黒い炎。
せわしなく首をひねって見渡せば、地に倒れた狼には何も見えなかった。これって一体どういうこと?
茫然と固まっていると、突然キースさんが悲鳴を上げた。
「カイル!」
(え!?)
はっとして意識をこの場に戻す。
ヴィクターの大剣をすり抜けた狼が、鋭い牙を剥き出しにカイルさんに襲いかかった。
「ぱ、ぱえぇっ!」
大剣を手にしたヴィクターから冷たく告げられ、私は激しく首を横に振った。
わかってる。私がついて行っても足手まといにしかならない……どころか、魔獣への恐怖でまた死にかける可能性だってあることは。
この世界で最初に遭遇した熊モドキの姿を思い出し、すうっと背筋が冷えていく。
(……だけど)
これからずっとヴィクターの側にいるつもりなら、彼が普段どんな仕事をしているのか知っておきたい。どれだけ危険な日々を送っているのか、理解しておかなければならないと思うのだ。
(私だけ、安穏と隠れてはいられない!)
無意識に逃げ出しそうになる足に力を入れて、ぐぎぎと踏ん張る。挑むようにヴィクターを睨みつければ、彼は苦々しくため息をついた。
「……押し問答をしている時間は無い。キース!」
私の頭越しに叫び、キースさんが「はい」と冷静に返事をする。
「シーナが来るのなら、どうせお前も供をするつもりだろう」
「無論。シーナ・ルー様のことはわたしにお任せください。命に替えてもお守りすると誓いましょう」
静かながら、揺るぎのない声音で宣言した。
圧倒されて固まる私を引っつかみ、ヴィクターは荒々しく歩き出す。カイルさんもすかさず後に続いた。
「――行くぞ!」
◇
騎士団の本部らしき建物から出たヴィクターたちは、準備されていた馬にひらりと跨った。騎士であるカイルさんだけでなく、キースさんも当然の顔をして、見事に馬を駆って並走する。
ヴィクターの胸ポケットに入れられてしまった私は、必死に背伸びをして顔だけ出した。雨はさっきよりは弱くなっていたものの、それでもしとしとと私たちを濡らしていく。
体が激しく震えるのは、恐怖のせいなのか寒さのせいなのか。自分でもわからないけれど、逃げるつもりなんてさらさらなかった。
舗装された石畳の道路を疾走し、街の入口らしき大きな門をくぐって外に出る。
「――いたっ!!」
カイルさんが鋭く叫んだ。
はっとして前方を見ると、警備兵らしき男たちの後ろ姿が見えた。皆武器を構えてはいるものの、明らかに及び腰になっている。
「キース、シーナを!」
「ぱぅええっ!?」
突然ヴィクターに体をつかまれ、ぽーんと後方に放られる。しかしその狙いは正確で、私は無事にキースさんの手で受け止められた。
「ぱ、ぱぺ。ぱぺぺっぺぇ」
「シーナ・ルー様、お気を確かに! ヴィクター殿下は後でしっかりお説教しておきますのでっ」
ガタガタ震える私を、キースさんが一生懸命に撫でてくれる。ああああの男、後で絶対一発殴る……!
鼻息荒く決意する私をよそに、ヴィクターと、後ろに続くカイルさんも剣を抜き放つ。馬の速度がぐんっと早くなり、流れに乗るようにしてヴィクターが無造作に大剣を振った。
『グギャッ!』
「……っ!」
金属音が混じったような不快な悲鳴が聞こえ、私は思わず耳を押さえる。
恐る恐る前方を確認すると、真っ黒な狼らしき獣が幾頭も集まっていた。今ヴィクターにやられた狼は街道に倒れていたが、ざっと見た限り残り五頭はいる。
狼たちは怒りのうなり声を発すると、姿勢を低くして攻撃態勢に移った。
「ぱぇぱぁー!」
(ヴィクター!)
カイルさんは後方支援要員なのか、動かない。
ヴィクターだけが臆することなく前に出る。
凄まじいスピードで飛び出した狼が、ぐわっと大きく口を開いた。みしみしと口角が裂け、顔のほとんどが鋭い牙の生えた口だけになる。
(ひ……っ)
恐怖に喉がひりつく。
キースさんが私を抱く手に力を込めた。
「――はッ!」
短く気合いを発し、ヴィクターが動いた。
熊モドキを倒したときと同じように、狼の首が一刀両断されて宙を飛ぶ。
(な、なんて怪力……!)
続く狼たちも難なく打ち倒していく。
恐ろしくてたまらないのに、ヴィクターの洗練された動きから目が離せない。おかしいな、ホラー映画もスプラッタ映画も苦手だったはずなのに……。
現実感が薄くなり、私はぼんやりとヴィクターの姿を目で追った。冷たい雨に打たれ、体の芯がしびれていく。
ヴィクターも、寒くないかな。ううん、きっと大丈夫だよね。だってヴィクターは、あんなにも……。
あんなにも?
「……ぱえっ?」
不意に、私は目を見開いた。
ぱちぱちと瞬きして、息を詰めて目を凝らす。
「シーナ・ルー様?」
キースさんが怪訝そうに私を見下ろしたが、私は彼に答える余裕はなかった。ヴィクターの体から、真っ赤な炎が立ち昇っているのが見えたから。
(え、え? どうして? 燃えてるわけじゃない、よね?)
……だってあれは、本物の炎じゃない。
真っ赤に光って揺らめいて、けれど服は燃えていないし、後ろの風景が薄く透けて見えている。瞬きすら忘れて幻想的な光景に見入った。
(あっ……!)
よく見たら、あの狼の魔獣も炎をまとってる。ヴィクターみたいに綺麗な赤じゃなくて、禍々しく赤黒い炎。
せわしなく首をひねって見渡せば、地に倒れた狼には何も見えなかった。これって一体どういうこと?
茫然と固まっていると、突然キースさんが悲鳴を上げた。
「カイル!」
(え!?)
はっとして意識をこの場に戻す。
ヴィクターの大剣をすり抜けた狼が、鋭い牙を剥き出しにカイルさんに襲いかかった。