ぴちょん。
(あったかい……)
ふわふわ、と体が浮いているような心地がする。
顎の下をくすぐられ、気持ちよさに鼻を鳴らした。まだはっきりとしない意識のまま、優しい指にうっとり身をゆだねる。
(う~、もっとぉ……)
ねだるように体をこすりつければ、「……っ」と息を呑む声が聞こえた気がした。なになに、ずうずうしいってか?
ぷっと頬をふくらませ、しっかりとくっついていた目を開く。唇を真一文字に引き結んだ、怖い顔の男がいた。
(うっぎゃーーーーっ!!?)
こ、こいつは熊モドキ一刀両断男っ!!
一難去ってまた一難ーーーー!?
ヒッと体を離すと、水がばしゃんと跳ねた。
どうやら私はお風呂……ではなく、お湯が張られた桶の中にいるようだ。脱出しようとするのに、手足がつるつる滑って出られない!
(こ、殺さないでぇっ)
うるうると目をうるませれば、男は低くうなって私を睨み据えた。血走った目が吊り上がり、ただでさえ怖い顔がますます怖くなる。ヒィィッ!
「ぽ、ぽええぇ~」
(お、お肉はたいして取れないと思うんですっ)
「ぱぇっぱえぇ~」
(九割は毛でできてるっていうかぁっ)
「ぱぇ、ぱぅえ~?」
(あ、でも出汁くらいなら出るかもしれませんけどね?)
いや駄目じゃん。
食べてもらう方向に自己アピールしてどうする私。
はっ。てかもしや、ここは桶ではなく鍋の中とか? なんてこと、料理はすでに始まっていたのね!?
ぱぺぺぺぺと高速で震えていると、押し殺したようなため息が聞こえた。大きな手が伸びてきて、私をお湯からすくい上げる。
「ぴぇっ?」
身をすくませた瞬間、やわらかなタオルに包み込まれた。
そのままわしわしと荒っぽく体をぬぐわれる。
(……んん? もしや、洗ってくれた、の?)
熊モドキの血を浴びたはずの私の体からは、石けんの良い香りが立ち昇ってくる。ほっと安堵して、強ばっていた体から力を抜いた。
タオルのお陰で怖い顔が見えなくなって、ようやく心臓の鼓動が落ち着いてくる。よかった、熊モドキに襲われた時もそうだったけど、尋常じゃないくらいバクバクいってたんだ。
目を閉じて体を拭き終わるのを待つ。あ、長いお耳の後ろもしっかり拭いといてね。うんうんそこそこぉ~。
(……にしても、この体って一体何なんだろ?)
ふんわりしたタオルの中、今さらな疑問に首を傾げる。
山から滑落した私は、気がつけば知らない森の中にいた。そしてなんと、人間じゃなくなっていた。
(体毛は真っ白……。そして耳が長め、とくれば、うさぎなのかと思うけど)
でも、うさぎにしては小さすぎる気がする。
森をさまよううちに見つけた泉で、自分の姿を映して確認してみたけれど、体長はハムスターに近いかも?
たんぽぽの綿毛みたいにやわらかな体、短くてちまっとした手足。へにゃりと垂れた長耳に、ふさふさのしっぽ。そして大きくてまんまるな黒い瞳。
我ながらめちゃくちゃ可愛かったけど、もちろん問題はそこじゃない。
(人が動物になるだなんて、そんなファンタジーなことってある? て、いうかそもそも)
この状況こそが、とってもファンタジーなのかもしれない。
一瞬で違う場所に来てしまったこと、姿が変わってしまったこと。
そしてそして、あの熊モドキ! 角の生えた熊なんて、少なくとも日本にいるはずがない。
それに――
(一刀両断男だって、冷静に考えれば銃刀法違反でしょ? それに、あの緋色の瞳!)
まるでルビーみたいに綺麗だったけど、たとえテレビの中だって、あんな色を持つ人に出会ったことはなかった。
むううと考え込んでいると、不意にタオルが取り払われた。足元が揺れ、ぽてんと転げてしまう。短足すぎてバランス取りにくっ。
仰向けのままじたばた暴れる私を、またしても大きな手がすくってくれた。
「…………ぱぅ」
強烈な威圧感に、男の手の上で腹ばいになり、必死で頭を抱え込む。降参、降参でございます~。
きっと今、あの鋭い瞳で見下されている。想像しただけで、なぜだかあっという間に背筋が凍えていった。
体が小刻みに震え出し、きつく歯を食いしばる。なんか……、息が、苦し……。
「ヴィクター?」
突然、明るい声が降ってきた。
呪縛が解け、私ははっと顔を上げる。
一刀両断男も声の聞こえた方を向いていて、私はようやく男の鋭い視線から解放された。すっかり冷えきってしまった体に、みるみる血が通い出す。
恐る恐る観察した男の横顔は、さも不機嫌そうにしかめられていた。
「……勝手に入るな。カイル」
吐き捨てるようにして叱責する。
初めて聞いた男の声は低く落ち着いていて、私は目をしばたたかせた。大きな手の上、慎重に体を起こして男の視線を追う。
どうやらここは部屋の中のようで、入口のドアにもたれるようにして茶髪の男が立っていた。
さらさらした髪質にすっきりとした顔立ちの、いかにもチャラそうな男。……って、いくらなんでもそれは偏見が過ぎるか。
とにかく、重苦しい空気をまとった一刀両断男とは真逆の、気安い雰囲気のモテそうなイケメンだ。
己に向けられた怒りは全く意に介さず、彼はからかうように肩をすくめた。
「そう怒るなって。あのお前が動物を拾ってきたって、部下たちが大騒ぎしてたもんだから。そりゃあ気になって見にくるでしょ」
飄々と告げるなり、こちらに歩み寄ってくる。
その服装は一刀両断男と全く同じで、金の縁取りの軍服みたいにかっちりとした服。そして腰には細身の剣を佩いている。
そこまで素早く見て取ったところで、私の視界がさっと暗くなった。
(あったかい……)
ふわふわ、と体が浮いているような心地がする。
顎の下をくすぐられ、気持ちよさに鼻を鳴らした。まだはっきりとしない意識のまま、優しい指にうっとり身をゆだねる。
(う~、もっとぉ……)
ねだるように体をこすりつければ、「……っ」と息を呑む声が聞こえた気がした。なになに、ずうずうしいってか?
ぷっと頬をふくらませ、しっかりとくっついていた目を開く。唇を真一文字に引き結んだ、怖い顔の男がいた。
(うっぎゃーーーーっ!!?)
こ、こいつは熊モドキ一刀両断男っ!!
一難去ってまた一難ーーーー!?
ヒッと体を離すと、水がばしゃんと跳ねた。
どうやら私はお風呂……ではなく、お湯が張られた桶の中にいるようだ。脱出しようとするのに、手足がつるつる滑って出られない!
(こ、殺さないでぇっ)
うるうると目をうるませれば、男は低くうなって私を睨み据えた。血走った目が吊り上がり、ただでさえ怖い顔がますます怖くなる。ヒィィッ!
「ぽ、ぽええぇ~」
(お、お肉はたいして取れないと思うんですっ)
「ぱぇっぱえぇ~」
(九割は毛でできてるっていうかぁっ)
「ぱぇ、ぱぅえ~?」
(あ、でも出汁くらいなら出るかもしれませんけどね?)
いや駄目じゃん。
食べてもらう方向に自己アピールしてどうする私。
はっ。てかもしや、ここは桶ではなく鍋の中とか? なんてこと、料理はすでに始まっていたのね!?
ぱぺぺぺぺと高速で震えていると、押し殺したようなため息が聞こえた。大きな手が伸びてきて、私をお湯からすくい上げる。
「ぴぇっ?」
身をすくませた瞬間、やわらかなタオルに包み込まれた。
そのままわしわしと荒っぽく体をぬぐわれる。
(……んん? もしや、洗ってくれた、の?)
熊モドキの血を浴びたはずの私の体からは、石けんの良い香りが立ち昇ってくる。ほっと安堵して、強ばっていた体から力を抜いた。
タオルのお陰で怖い顔が見えなくなって、ようやく心臓の鼓動が落ち着いてくる。よかった、熊モドキに襲われた時もそうだったけど、尋常じゃないくらいバクバクいってたんだ。
目を閉じて体を拭き終わるのを待つ。あ、長いお耳の後ろもしっかり拭いといてね。うんうんそこそこぉ~。
(……にしても、この体って一体何なんだろ?)
ふんわりしたタオルの中、今さらな疑問に首を傾げる。
山から滑落した私は、気がつけば知らない森の中にいた。そしてなんと、人間じゃなくなっていた。
(体毛は真っ白……。そして耳が長め、とくれば、うさぎなのかと思うけど)
でも、うさぎにしては小さすぎる気がする。
森をさまよううちに見つけた泉で、自分の姿を映して確認してみたけれど、体長はハムスターに近いかも?
たんぽぽの綿毛みたいにやわらかな体、短くてちまっとした手足。へにゃりと垂れた長耳に、ふさふさのしっぽ。そして大きくてまんまるな黒い瞳。
我ながらめちゃくちゃ可愛かったけど、もちろん問題はそこじゃない。
(人が動物になるだなんて、そんなファンタジーなことってある? て、いうかそもそも)
この状況こそが、とってもファンタジーなのかもしれない。
一瞬で違う場所に来てしまったこと、姿が変わってしまったこと。
そしてそして、あの熊モドキ! 角の生えた熊なんて、少なくとも日本にいるはずがない。
それに――
(一刀両断男だって、冷静に考えれば銃刀法違反でしょ? それに、あの緋色の瞳!)
まるでルビーみたいに綺麗だったけど、たとえテレビの中だって、あんな色を持つ人に出会ったことはなかった。
むううと考え込んでいると、不意にタオルが取り払われた。足元が揺れ、ぽてんと転げてしまう。短足すぎてバランス取りにくっ。
仰向けのままじたばた暴れる私を、またしても大きな手がすくってくれた。
「…………ぱぅ」
強烈な威圧感に、男の手の上で腹ばいになり、必死で頭を抱え込む。降参、降参でございます~。
きっと今、あの鋭い瞳で見下されている。想像しただけで、なぜだかあっという間に背筋が凍えていった。
体が小刻みに震え出し、きつく歯を食いしばる。なんか……、息が、苦し……。
「ヴィクター?」
突然、明るい声が降ってきた。
呪縛が解け、私ははっと顔を上げる。
一刀両断男も声の聞こえた方を向いていて、私はようやく男の鋭い視線から解放された。すっかり冷えきってしまった体に、みるみる血が通い出す。
恐る恐る観察した男の横顔は、さも不機嫌そうにしかめられていた。
「……勝手に入るな。カイル」
吐き捨てるようにして叱責する。
初めて聞いた男の声は低く落ち着いていて、私は目をしばたたかせた。大きな手の上、慎重に体を起こして男の視線を追う。
どうやらここは部屋の中のようで、入口のドアにもたれるようにして茶髪の男が立っていた。
さらさらした髪質にすっきりとした顔立ちの、いかにもチャラそうな男。……って、いくらなんでもそれは偏見が過ぎるか。
とにかく、重苦しい空気をまとった一刀両断男とは真逆の、気安い雰囲気のモテそうなイケメンだ。
己に向けられた怒りは全く意に介さず、彼はからかうように肩をすくめた。
「そう怒るなって。あのお前が動物を拾ってきたって、部下たちが大騒ぎしてたもんだから。そりゃあ気になって見にくるでしょ」
飄々と告げるなり、こちらに歩み寄ってくる。
その服装は一刀両断男と全く同じで、金の縁取りの軍服みたいにかっちりとした服。そして腰には細身の剣を佩いている。
そこまで素早く見て取ったところで、私の視界がさっと暗くなった。