「――それで、キース神官様が文献をひっくり返して調べ直してくださいましたわ。そうしましたら、二千年前にシーナ・ルー様が降臨されました際、人間の食事に大層興味を持たれたとの記録が見つかりまして」

「…………」

「甘い果物や菓子を喜んで召し上がられたそうですの。積極的な食物摂取は必要なくとも、嗜好品として人間の食事を気に入られたようですわね」

「…………」

「結論といたしましては、シーナ様御自らが食べられると判断なさった物ならば、お与えしても構わないであろうと。コック長が張り切ってご準備した朝食も昼食も、シーナ様は残さず完食されましたわ。ええ、それはもう喜んでいただけて」

 鼻高々で説明するロッテンマイヤーさん(仮)に、ヴィクターが低くうなった。

「……そして今、俺の席で夕食を食らっているわけか」

 日がとっぷり暮れてから帰ってきた彼は、即座に私のいる食堂へとやって来た。一日お留守番を頑張った私は、食堂の入口で仁王立ちする彼に、「お帰り~」と愛想よくしっぽを振る。

「ぱうう、ぷう、んぷ」

「口の中に物を入れたまましゃべるな!」

 怖い顔で叱りつけられ、ぴゃっと小さく縮こまる。
 マナー違反すみません……。今は人間じゃないからって油断してたわ。これは完全に私が悪い。

 高速で咀嚼して飲み込み、荒っぽく椅子に座ったヴィクターに礼儀正しくお辞儀する。

「ぱぇぱぁ、ぱぅえ~」

(ヴィクター、お帰り!)

「ぱえ、ぽぇあ~、ぽえ、ぽえっ」

(今日はお屋敷の中を案内してもらったの。お城じゃなかったのはちょっと残念だけど、私みたいな庶民にはもったいないぐらい素敵なおうちだね!)

 ……そう、ここはお城ではなかったのだ。
 最初にこのお屋敷から聖堂に行ったときは、私はヴィクターのポケットにいたから気づけなかったのだが。

「ぱぅえ、ぽぇあ、ぱう?」

(さては職場から近いからここに住んでるんでしょう?)

「ぱぅえっぱぁ!」

(職住近接って最高だよね!)

「一つもわからんっ」

 ありゃ、ごめん。
 身振り手振りで表現したつもりなんだけどなー。

 仕方なく口をつぐんで、コック長さんの用意してくれた新鮮サラダを平らげるのに専念する。ドレッシングは酸味が効いているし、上に散らされた粉チーズとチキンが嬉しい。カリカリクルトンも最高だー。

 テーブルの上で舌鼓を打つ私(椅子に座ったら届かないから仕方ない)を横目に、ヴィクターもむっつりと食事を開始する。

 うわぁ。ヴィクターのお皿のローストビーフ、絶妙なレア加減で美味しそう。あ、付け合わせは真っ白なマッシュポテトですか? 生クリームを混ぜてなめらかにしてあるんだね。

「ぱえ、ぱえ」

「…………」

 袖にそっと控えめにお手々を置くが、ヴィクターはかたくなにこちらを見ようとしない。が、私も諦めずに一生懸命背伸びする。

「ぱぇぱぁー、ぱえ」

「ぱえ」

「ぱえ」

 くれ。

「……っ」

 ヴィクターはちょっとだけ肩を震わせて、それはそれは長いため息をついた。ジロリと私を睨みつけ、無言でローストビーフをナイフで切り分ける。

 一口サイズのそれを口元に持ってきてくれたので、私は遠慮なくご相伴にあずかった。こ、これは……! 噛む必要がないほどやわらかいっ!

「ぱぅえ~、ぱうー?」

 すみません、ついでにマッシュポテトもよろしいですか?

 期待を込めて見上げれば、ヴィクターはまたも無言でスプーンを手にした。一匙すくい取り、私の口元へ。ぱく。

「ぽぇ、ぽぇああ~!」

 うぅん、最高ですシェフ!
 お裾分けありがとね、ヴィクター!

 ぽえぽえ弾んでお礼を伝える私に、ヴィクターはまたちょっぴり肩を震わせた。大丈夫? 喉、詰まらせた?

「……それで、この毛玉は何も問題は起こさなかったか」

 心配でぽえぽえ鳴く私から目を逸らし、ヴィクターが背後のロッテンマイヤーさん(仮)に問い掛ける。ロッテンマイヤーさん(仮)は堅苦しく首肯した。

「シーナ様は聡明な聖獣様でございます。ええ、もちろん何の問題もございませんでしたとも」

 給仕さんが空になったサラダの皿を下げ、私の前にいちごのタルトを置いてくれる。表面のいちごがつやつやして宝石みたいー。

「ぱぇぱぁ、ぽええ?」

(ヴィクター、一口いる?)

「いらん」

 こちらを見もせずに拒絶し、ヴィクターは手早く残りの料理を片付けていく。私もせっせとタルトにかぶりついた。

「明日以降もこの毛玉の監視を頼む。何かあればすぐに騎士団本部に使いを寄越せ。ロッテンマイヤー」

「ぷうっ」

 喉にグッとタルトを詰まらせ、私は激しくむせ込んだ。ロ、ロッテンマイヤー!? あなたロッテンマイヤーっていうのね!?

 体を折って苦しむ私に、ロッテンマイヤーさん(本当)が慌てて水を差し出してくれる。私は小さな器に注がれた水を一気に飲み干し、ぺこりと彼女に頭を下げた。

「ええ。承知いたしました、旦那様」

 私が人心地ついたのを確認してから、ロッテンマイヤーさんが一礼して元の位置に戻る。

 改めて甘酸っぱいタルトに集中しながらも、私はこっそりため息をついた。今の命令を聞くに、どうやらヴィクターは今後も私を置いていく気満々のようだ。

 ……が、そうは問屋が卸さない。

(騎士服のポケットに忍び込んでやろうっと。ヴィクターに張り付いてれば、そのうち聖堂に行けるチャンスもあるかもしれないし)

 なるべく早くもう一度聖堂に行って、ルーナさんと話さなければ。
 呪いの解き方を聞く前に別れてしまったし、彼女は気になることも言っていた。緋の王子……ヴィクターの特異性がうんたらかんたら、とか。

 考え込む私をよそに、ヴィクターはさっさと食事を終えて立ち上がった。おっと、危ない。

「ぱえっ」

 ナプキンでしっかり手と口を拭いてから、私はヴィクターの腕に飛びついた。腕をつたって不器用に肩に登り、離れるものかと体全体でしがみつく。

「…………」

「まああ。シーナ様は本当に旦那様のことがお好きなのでございますね」

 なぜかそっと涙をぬぐうロッテンマイヤーさん。

 ヴィクターは怒ったみたいに顔をしかめたが、口に出しては何も言わず食堂を後にする。振り向くと、ロッテンマイヤーさんが深々とお辞儀して見送ってくれていた。

「お休みなさいませ、旦那様。シーナ様」

「…………」

「ぱえっ!」

(お休みなさい、ロッテンマイヤーさん!)

 返事をしない保護者に代わり、礼儀正しくしっぽを振る私であった。