「ヴィクター殿下! シーナ・ルー様をどこに連れて行かれるおつもりかっ」
「お待ちください、神官長様。これはシーナ・ルー様ご自身のご意志なのですよ」
血相を変えた意地悪神官長さんを、キースさんが冷静になだめてくれる。その隙に私たちは聖堂の入口へと急いだ。
外に出ると、空気がキンと冷たくなっていた。どうやら思いのほか長居してしまったようで、空はすっかり茜色に染まっている。
「もう日暮れだね。シーナちゃんもいることだし、今日は本部に戻らず直帰しようか。ヴィクター」
カイルさんの提案に、ヴィクターが不機嫌そうに首肯する。危うくずり落ちそうになり、私は慌ててヴィクターの髪につかまった。
(……そういえば)
忘れかけていたけど、ヴィクターってば実は王子様だったよね。
と、いうことはつまり――お城に住んでいる?
(必然的に私もお城で暮らすことになるわけだよね。うぅん、楽しみ~!)
某ネズミさんの国のお城はとっても素敵だった。
見晴らしのいいヴィクターの頭上で、私はぱたぱたとしっぽを振りまくる。
「く、くく……っ。駄目だ、何度見ても笑えるっ」
「しッ、カイル! ヴィクター殿下に聞こえたらどうするのです! あのかたがアホみたいに心狭く、なおかつ粗悪品の糸のごとくキレやすいのをあなたもよく知っているでしょうっ」
「…………」
追いついてきたキースさんが、わざわざ大声で余計なことを言う。
ドス黒い殺気が振りまかれ、ふうっと私の意識が遠くなった。
「ぱ、ぱぺぇ~……」
「シーナちゃんっ!?」
カイルさんの慌てた声を最後に、何もわからなくなってしまった。
◇
ふわふわ、ふかふか。
(うう、しあわせ~)
体がやわらかな布に包まれている。
ころころ転がって頬ずりすれば、さらりとした感触が心地いい。小さな手でぎゅうと強く布を握り、深々と息を吸い込んだ。
「ぱあぁ……」
「おおっ! お目覚めですかシーナ・ルー様っ!」
(……ん?)
目を開けると、嬉しげに頬を染めたキースさんの顔が目の前にあった。近。
鼻先をもふっと押しやって、体を起こす。「シーナちゃんっ」とカイルさんも駆け寄ってきた。
「ぱぇあ?」
「おはよう。って言っても、まだ夜だけど。朝までゆっくり寝てていいんだよ?」
え、もう夜になってたの?
きょとんと周りを見回すと、どうやら知らない部屋の中にいるようだ。……いや、どこか見覚えがあるような……?
(……あ)
私はぽふっと手を打った。
そうだそうだ、ここは最初にヴィクターが私を保護してくれた部屋だ。そうして私が今寝かされているのは、大人がゆうに二、三人は寝られそうなほど広いベッドの上。
(や、どう考えてもシーナちゃんには大きすぎるでしょ)
苦笑してヴィクターの姿を探すけれど、部屋の中に彼の姿はない。
不安にかられて、ベッドから飛び降りて床を駆け回る。
「ぱぇぱぁー?」
「ヴィクターならすぐ戻るよ。シーナちゃんがよく眠ってたからさ、今のうちに騎士団の本部に顔を出してくるって」
そっと私の体をすくい取り、カイルさんが優しく私の頭を撫でてくれる。気持ちよさに目を細め、それでもやっぱり心細さは消えなくて、私はしゅんとしっぽを垂らす。
「シーナちゃん……。本当にヴィクターが好きなんだね。あんな目つきも口も態度も悪い男に、そんなに懐いてくれて感謝しかないよ」
「ヴィクター殿下もシーナ・ルー様に感化され、多少は丸くなられるとよろしいのですがね。いつ噴火するかハラハラする活火山から、休火山程度には進化してほしいものです」
カイルさんとキースさんがうんうんと頷き合った。友達から散々な言われようだよね、ヴィクター。
あきれる私を見て、カイルさんが苦笑する。
「ごめんね、シーナちゃん。……でもさ、ヴィクターがあんな性格になっちゃったのは、しょうがない理由があるんだよ」
理由?
そういえばヴィクターのあの緋色の瞳は、こちらの世界では縁起が悪いのだと言っていたっけ。確か……古の魔王と同じ、とかなんとか。
考え込む私を見て、カイルさんがおどけたように肩をすくめた。
「たかが瞳の色だけで、忌み子だ魔王の化身だって罵倒され続ければ、そりゃあ性格が歪みもするよね。しかも生まれた時からずっとだよ」
「周囲の人間に敵意剥き出しなのは、自然の防衛反応なのかもしれませんね。ですからどうぞ、シーナ・ルー様。傷つき凍えているヴィクター殿下のお心を、そのもふもふ温かな毛並みで癒やして差し上げてくださいませ」
キースさんもいたずらっぽく付け足した。
軽い口調に反して、二人の目は至極真剣だった。私は少しばかり圧倒されて、曖昧に頷くだけで精いっぱいだ。
(……というか、口が悪いだの火山だの言いたい放題言ってる割に)
カイルさんもキースさんも、ヴィクターのことを心から心配しているのだ。
なんだかくすぐったくて、しっぽをふさふさと上下させてしまう。
「――勝手な事を」
不意に絶対零度な声が降ってきて、私はビクリと体をすくませた。
けれどカイルさんとキースさんは気づいていたのか、「お帰り~」「お疲れ様です」と入ってきたヴィクターを気楽に出迎える。
「シーナちゃんなら今起きたところだよ」
カイルさんが手のひらに載せた私を差し出した。
けれど、ヴィクターは完全に無視して通り過ぎてしまう。荒っぽくソファに腰掛け、ジロリとこちらを睨みつけた。
「カイル、キース。お前達はいつまで居座るつもりだ」
「仕方ないだろ、シーナちゃんを一人にさせられないんだから。今夜はもう遅いし、オレも客室に泊まらせてもらおうかな。キースはどうする?」
「泊まりたいのは山々ですが、聖堂の神官が無断外泊をするわけには参りません。お泊まり会は後日改めて開催願います」
「するか!」
ぽんぽんと応酬し合う。……なんか疎外感。
ちょっとだけいじけた気持ちになって、私はカイルさんの手を叩いて下に降ろしてもらった。
床を走ってヴィクターの足によじ登り、ぽえぽえ息切れしながら膝にたどり着く。膝の上でもぞもぞ動いてベストポジションを確認し、ふああ~、と大あくびをひとつ。
「……おい。シーナ」
「ぽぇあ~」
(だってまだ寝足りないし。それに、片時も離れるなってルーナさんに言われてるんだから)
ゆうゆうと丸くなって目を閉じる。
嫌そうにうなるヴィクターに、カイルさんとキースさんが噴き出した。
「お待ちください、神官長様。これはシーナ・ルー様ご自身のご意志なのですよ」
血相を変えた意地悪神官長さんを、キースさんが冷静になだめてくれる。その隙に私たちは聖堂の入口へと急いだ。
外に出ると、空気がキンと冷たくなっていた。どうやら思いのほか長居してしまったようで、空はすっかり茜色に染まっている。
「もう日暮れだね。シーナちゃんもいることだし、今日は本部に戻らず直帰しようか。ヴィクター」
カイルさんの提案に、ヴィクターが不機嫌そうに首肯する。危うくずり落ちそうになり、私は慌ててヴィクターの髪につかまった。
(……そういえば)
忘れかけていたけど、ヴィクターってば実は王子様だったよね。
と、いうことはつまり――お城に住んでいる?
(必然的に私もお城で暮らすことになるわけだよね。うぅん、楽しみ~!)
某ネズミさんの国のお城はとっても素敵だった。
見晴らしのいいヴィクターの頭上で、私はぱたぱたとしっぽを振りまくる。
「く、くく……っ。駄目だ、何度見ても笑えるっ」
「しッ、カイル! ヴィクター殿下に聞こえたらどうするのです! あのかたがアホみたいに心狭く、なおかつ粗悪品の糸のごとくキレやすいのをあなたもよく知っているでしょうっ」
「…………」
追いついてきたキースさんが、わざわざ大声で余計なことを言う。
ドス黒い殺気が振りまかれ、ふうっと私の意識が遠くなった。
「ぱ、ぱぺぇ~……」
「シーナちゃんっ!?」
カイルさんの慌てた声を最後に、何もわからなくなってしまった。
◇
ふわふわ、ふかふか。
(うう、しあわせ~)
体がやわらかな布に包まれている。
ころころ転がって頬ずりすれば、さらりとした感触が心地いい。小さな手でぎゅうと強く布を握り、深々と息を吸い込んだ。
「ぱあぁ……」
「おおっ! お目覚めですかシーナ・ルー様っ!」
(……ん?)
目を開けると、嬉しげに頬を染めたキースさんの顔が目の前にあった。近。
鼻先をもふっと押しやって、体を起こす。「シーナちゃんっ」とカイルさんも駆け寄ってきた。
「ぱぇあ?」
「おはよう。って言っても、まだ夜だけど。朝までゆっくり寝てていいんだよ?」
え、もう夜になってたの?
きょとんと周りを見回すと、どうやら知らない部屋の中にいるようだ。……いや、どこか見覚えがあるような……?
(……あ)
私はぽふっと手を打った。
そうだそうだ、ここは最初にヴィクターが私を保護してくれた部屋だ。そうして私が今寝かされているのは、大人がゆうに二、三人は寝られそうなほど広いベッドの上。
(や、どう考えてもシーナちゃんには大きすぎるでしょ)
苦笑してヴィクターの姿を探すけれど、部屋の中に彼の姿はない。
不安にかられて、ベッドから飛び降りて床を駆け回る。
「ぱぇぱぁー?」
「ヴィクターならすぐ戻るよ。シーナちゃんがよく眠ってたからさ、今のうちに騎士団の本部に顔を出してくるって」
そっと私の体をすくい取り、カイルさんが優しく私の頭を撫でてくれる。気持ちよさに目を細め、それでもやっぱり心細さは消えなくて、私はしゅんとしっぽを垂らす。
「シーナちゃん……。本当にヴィクターが好きなんだね。あんな目つきも口も態度も悪い男に、そんなに懐いてくれて感謝しかないよ」
「ヴィクター殿下もシーナ・ルー様に感化され、多少は丸くなられるとよろしいのですがね。いつ噴火するかハラハラする活火山から、休火山程度には進化してほしいものです」
カイルさんとキースさんがうんうんと頷き合った。友達から散々な言われようだよね、ヴィクター。
あきれる私を見て、カイルさんが苦笑する。
「ごめんね、シーナちゃん。……でもさ、ヴィクターがあんな性格になっちゃったのは、しょうがない理由があるんだよ」
理由?
そういえばヴィクターのあの緋色の瞳は、こちらの世界では縁起が悪いのだと言っていたっけ。確か……古の魔王と同じ、とかなんとか。
考え込む私を見て、カイルさんがおどけたように肩をすくめた。
「たかが瞳の色だけで、忌み子だ魔王の化身だって罵倒され続ければ、そりゃあ性格が歪みもするよね。しかも生まれた時からずっとだよ」
「周囲の人間に敵意剥き出しなのは、自然の防衛反応なのかもしれませんね。ですからどうぞ、シーナ・ルー様。傷つき凍えているヴィクター殿下のお心を、そのもふもふ温かな毛並みで癒やして差し上げてくださいませ」
キースさんもいたずらっぽく付け足した。
軽い口調に反して、二人の目は至極真剣だった。私は少しばかり圧倒されて、曖昧に頷くだけで精いっぱいだ。
(……というか、口が悪いだの火山だの言いたい放題言ってる割に)
カイルさんもキースさんも、ヴィクターのことを心から心配しているのだ。
なんだかくすぐったくて、しっぽをふさふさと上下させてしまう。
「――勝手な事を」
不意に絶対零度な声が降ってきて、私はビクリと体をすくませた。
けれどカイルさんとキースさんは気づいていたのか、「お帰り~」「お疲れ様です」と入ってきたヴィクターを気楽に出迎える。
「シーナちゃんなら今起きたところだよ」
カイルさんが手のひらに載せた私を差し出した。
けれど、ヴィクターは完全に無視して通り過ぎてしまう。荒っぽくソファに腰掛け、ジロリとこちらを睨みつけた。
「カイル、キース。お前達はいつまで居座るつもりだ」
「仕方ないだろ、シーナちゃんを一人にさせられないんだから。今夜はもう遅いし、オレも客室に泊まらせてもらおうかな。キースはどうする?」
「泊まりたいのは山々ですが、聖堂の神官が無断外泊をするわけには参りません。お泊まり会は後日改めて開催願います」
「するか!」
ぽんぽんと応酬し合う。……なんか疎外感。
ちょっとだけいじけた気持ちになって、私はカイルさんの手を叩いて下に降ろしてもらった。
床を走ってヴィクターの足によじ登り、ぽえぽえ息切れしながら膝にたどり着く。膝の上でもぞもぞ動いてベストポジションを確認し、ふああ~、と大あくびをひとつ。
「……おい。シーナ」
「ぽぇあ~」
(だってまだ寝足りないし。それに、片時も離れるなってルーナさんに言われてるんだから)
ゆうゆうと丸くなって目を閉じる。
嫌そうにうなるヴィクターに、カイルさんとキースさんが噴き出した。