……
……ん
……ちゃん
「――シーナちゃんっ!!」
「ぱぇ?」
今にも泣き出しそうな声が耳元で聞こえ、私はのろのろと目を開けた。
途端に、私を覗き込んでいた誰かがハッと息を呑む。
「シーナちゃん!」
震える手が、小さな聖獣に戻ってしまった私の体をそっとすくい上げる。その冷えきった体温に驚いて、私は慌てて寝ぼけ眼を見開いた。
「ぽえぇ?」
(え、カイルさん?)
息遣いを感じるほどすぐ近くにあるのは、苦しげに歪んだカイルさんの顔。
一体どうしたのかと、私は懸命に短い手を伸ばす。
「ぱえ、ぱぇあ、ぱぅ?」
「……っ。よかった。死んじゃったかと思ったよっ」
もふもふな毛並みに額を当てて、カイルさんが心底安堵したように息を吐いた。その尋常じゃない様子に、私はおろおろと周囲を見回す。
「ゔおお~っ! ジ、ジーナ・ドゥーざまぁっ。よぐぞ、よぐぞご無事どぅえ~っ!」
「…………」
変態神官キースさんが滂沱の涙を流していた。……いや、だから一体何があったよ?
てか一刀両断男は? とすがるように彼の姿を探せば、柱にもたれてじっとこちらを注視しているのに気がついた。
細められた緋色の瞳はいつも通り切れ味鋭く、何の感情も映し出してはいない。慌てふためくカイルさんとキースさんとは雲泥の差だ。
「……ぱえ」
私はカイルさんの手からするりと抜け出し、床に向かってジャンプする。一刀両断男に駆け寄ろうとする私を、カイルさんがすかさず引き止めた。
「シーナちゃんっ。駄目だよ、君はヴィクターの側にはっ」
「ぽえっ!」
私ははっきりと首を横に振る。
明確に示された拒絶に、カイルさんが驚愕したように凍りついた。
その隙に、私は一刀両断男を目指して短い足で走り出す。
ルーナさんの言う通り、呪いを解く鍵が彼にあるというのなら、私は決して聖堂に残るわけにはいかないのだ。
一刀両断男は動かなかった。
近づく私を無表情に見下ろし、足元に来たところで冷たく吐き捨てる。
「――死にたいのか」
「ぱええっ!」
震えそうになる体を叱咤して、私は精いっぱい男を睨みつける。
死にたいわけ、ないじゃない。
せっかく助かった命だもん。大事にしたい、生き続けたい。
けど、だけどね。
「ぱぇあ、ぽえ、ぽえぇっ!」
(人間に戻ることだって諦めたくないの! だからお願い、私をあなたの側に置いてよ!!)
ヴィクター!!
「ぱぇぱぁー!!」
初めて彼の名を呼んだ(いや『ぱぇぱぁー』になっちゃったけど)私を見て、ヴィクターはかすかに眉をひそめた。苦々しげにため息をついて、ふいと踵を返してしまう。
「ぱぇぱぁっ」
「キース。こいつを捕まえろ。いつまでもこんな毛玉に構っているほど俺は暇じゃない」
冷え冷えとした声に毛並みが逆立った。
けれど、聞き入れるつもりなんてさらさらない。「シーナ・ルー様っ」と伸びてきた手を華麗に避けて、だしだしと踏みつける。
「くうぅっ、なんとも素敵な肉球感ッ!!」
もだえる変態に追加の一蹴りを入れて、私はヴィクターの足に飛びついた。
「……っ。離れろっ」
(イヤ! 絶対に放さない!)
目をぎゅっとつぶって、死にものぐるいでズボンにしがみつく。ヴィクターの殺気が膨れあがるのを感じ、意志とは無関係に体がガタガタと震え出した。
それでも、私は力をゆるめない。
だってここで別れたら、ヴィクターはきっともう二度と私に会いにこない。そんなのごめんだ。絶対絶対、放してなんかやるもんか。
「……ヴィクター。もう、諦めなよ」
不意に、疲れたような声が割って入った。
はっとして振り向くと、青ざめたカイルさんがこちらに歩み寄ってくるところだった。
「カイル……?」
「もうわかってるだろ、ヴィクター。シーナちゃんはお前を必要としてる」
(そう、そうなのっ)
カイルさん、ナイスアシスト!
うんうんうんっと赤べこのように頷く私に、カイルさんは悲しげな微笑を向ける。
「この聖堂はシーナちゃんにとって恐ろしい場所なんだ。だってそうだろ? ここに置いていくって言った途端、死んだみたいに気絶したんだから」
(へ?)
「そ、そんな馬鹿なっ。言葉に気をつけなさい、カイル! 我らが月の聖堂は、シーナ・ルー様の主たる月の女神ルーナ様をお祀りする、この国で最も神聖な場でありっ」
わめくキースさんを一顧だにせず、カイルさんが私の側にひざまずいた。
うるんだ瞳で、じっと私を見つめる。
「隠さなくていいよ。そうなんだよね? シーナちゃん」
「……ぱ、ぱぇあっ!!」
私は大慌てで頷いた。
ヴィクターの射抜くような視線を感じつつ、ぱえぱえと何度も大きく返事をする。
(ありがと、カイルさん……!)
私、別に聖堂が怖いわけじゃないんだけど。
ここにいたら死ぬわけでもないんだけど。
――その勘違い、全力で乗っからせていただきますっ!!
カイルさんがキッとヴィクターを見上げた。
「そうと決まれば、ヴィクターはシーナちゃんのために生き方を変える努力をするべきだ。いいか? 毎日朗らかに、明るく楽しく気分良く暮らすんだよ。口より先に手が出る悪癖は封印して、人から何かしてもらったら『ありがとう』、そんでもってその目つきの悪さもどうにかしないとな。つまりは、今日からお前が目指すべきは真人間だ!」
(……ん?)
首をひねる私の横で、キースさんがはたと手を打った。
「そっ、それはいいっ! あ、いやコホン。……恐れながら、ヴィクター殿下」
美しい銀髪をさらりと揺らし、真面目くさった表情で頭を下げる。
「先程は取り乱してしまい申し訳ございませんでした。いや、我ながら勘違いも甚だしかったです。シーナ・ルー様が殿下を望まれるというのなら、それを手助けするのが神官たるわたしの役目でしたのに」
「……おい」
「シーナ・ルー様のお世話、しかとお頼み申し上げます。もしシーナ・ルー様に害が及ぶようなことがあれば……、わかっておられますよね?」
にやりと黒い笑みを浮かべた。
ヴィクターの額に青筋が立つ。
「……貴様ら」
ゆらりと殺気がほとばしり、大剣の柄に手を掛けた。ひえぇっ!
「ぱぺっ、ぱぺぺぺぺ」
「……っ」
震え出した私を見て、ヴィクターがすぐさま手を放す。「ほら見ろ」と言わんばかりのカイルさんたちを睨みつけ、ヴィクターは重くため息をついた。
「……ならばせめて、カイルの元へ」
「ぱぅえ」
やだ。
ぶんぶんぶん。
「……俺の家には置いてやるから、お前の世話は使用人に」
いーや。
ぶんぶんぶん。
「クッ」
ヴィクターが低くうなる。
わくわくと彼の返事を待つ私たちを睨みつけ、そして――……
「……シーナ」
とっても、ものすごく、心の底から嫌そうに私に手を差し伸べた。
私はピンッと長いお耳を立てて、いそいそとその手に向かってジャンプする。着地した途端、荒っぽく手が持ち上げられた。ぎゃっ。
「……ふん」
尻もちをついた私を、緋色の瞳が鋭く射抜く。
上目遣いに見つめれば、ふわふわな額を指で弾かれた。
「シーナ」
「ぱぇぱぁっ」
うん、これからよろしくっ!
小動物の扱いはおいおい覚えていこうね!
ヴィクターの肩に載った私に、カイルさんがいたずらっぽく片目をつぶる。キースさんも肩を震わせ、噴き出しそうなのをこらえていた。
(なーんか、体よく利用されちゃった気がしないでもないけど)
……ま、いっか!
ふっさりしっぽを二人に振って、ヴィクターの頭によじ登る。うむ、絶景かな絶景かな。
「ぱえ、ぱえぇ~ぃっ!」
――こうして、私の綱渡りな異世界死にかけライフが幕を開けたのである。まる。
……ん
……ちゃん
「――シーナちゃんっ!!」
「ぱぇ?」
今にも泣き出しそうな声が耳元で聞こえ、私はのろのろと目を開けた。
途端に、私を覗き込んでいた誰かがハッと息を呑む。
「シーナちゃん!」
震える手が、小さな聖獣に戻ってしまった私の体をそっとすくい上げる。その冷えきった体温に驚いて、私は慌てて寝ぼけ眼を見開いた。
「ぽえぇ?」
(え、カイルさん?)
息遣いを感じるほどすぐ近くにあるのは、苦しげに歪んだカイルさんの顔。
一体どうしたのかと、私は懸命に短い手を伸ばす。
「ぱえ、ぱぇあ、ぱぅ?」
「……っ。よかった。死んじゃったかと思ったよっ」
もふもふな毛並みに額を当てて、カイルさんが心底安堵したように息を吐いた。その尋常じゃない様子に、私はおろおろと周囲を見回す。
「ゔおお~っ! ジ、ジーナ・ドゥーざまぁっ。よぐぞ、よぐぞご無事どぅえ~っ!」
「…………」
変態神官キースさんが滂沱の涙を流していた。……いや、だから一体何があったよ?
てか一刀両断男は? とすがるように彼の姿を探せば、柱にもたれてじっとこちらを注視しているのに気がついた。
細められた緋色の瞳はいつも通り切れ味鋭く、何の感情も映し出してはいない。慌てふためくカイルさんとキースさんとは雲泥の差だ。
「……ぱえ」
私はカイルさんの手からするりと抜け出し、床に向かってジャンプする。一刀両断男に駆け寄ろうとする私を、カイルさんがすかさず引き止めた。
「シーナちゃんっ。駄目だよ、君はヴィクターの側にはっ」
「ぽえっ!」
私ははっきりと首を横に振る。
明確に示された拒絶に、カイルさんが驚愕したように凍りついた。
その隙に、私は一刀両断男を目指して短い足で走り出す。
ルーナさんの言う通り、呪いを解く鍵が彼にあるというのなら、私は決して聖堂に残るわけにはいかないのだ。
一刀両断男は動かなかった。
近づく私を無表情に見下ろし、足元に来たところで冷たく吐き捨てる。
「――死にたいのか」
「ぱええっ!」
震えそうになる体を叱咤して、私は精いっぱい男を睨みつける。
死にたいわけ、ないじゃない。
せっかく助かった命だもん。大事にしたい、生き続けたい。
けど、だけどね。
「ぱぇあ、ぽえ、ぽえぇっ!」
(人間に戻ることだって諦めたくないの! だからお願い、私をあなたの側に置いてよ!!)
ヴィクター!!
「ぱぇぱぁー!!」
初めて彼の名を呼んだ(いや『ぱぇぱぁー』になっちゃったけど)私を見て、ヴィクターはかすかに眉をひそめた。苦々しげにため息をついて、ふいと踵を返してしまう。
「ぱぇぱぁっ」
「キース。こいつを捕まえろ。いつまでもこんな毛玉に構っているほど俺は暇じゃない」
冷え冷えとした声に毛並みが逆立った。
けれど、聞き入れるつもりなんてさらさらない。「シーナ・ルー様っ」と伸びてきた手を華麗に避けて、だしだしと踏みつける。
「くうぅっ、なんとも素敵な肉球感ッ!!」
もだえる変態に追加の一蹴りを入れて、私はヴィクターの足に飛びついた。
「……っ。離れろっ」
(イヤ! 絶対に放さない!)
目をぎゅっとつぶって、死にものぐるいでズボンにしがみつく。ヴィクターの殺気が膨れあがるのを感じ、意志とは無関係に体がガタガタと震え出した。
それでも、私は力をゆるめない。
だってここで別れたら、ヴィクターはきっともう二度と私に会いにこない。そんなのごめんだ。絶対絶対、放してなんかやるもんか。
「……ヴィクター。もう、諦めなよ」
不意に、疲れたような声が割って入った。
はっとして振り向くと、青ざめたカイルさんがこちらに歩み寄ってくるところだった。
「カイル……?」
「もうわかってるだろ、ヴィクター。シーナちゃんはお前を必要としてる」
(そう、そうなのっ)
カイルさん、ナイスアシスト!
うんうんうんっと赤べこのように頷く私に、カイルさんは悲しげな微笑を向ける。
「この聖堂はシーナちゃんにとって恐ろしい場所なんだ。だってそうだろ? ここに置いていくって言った途端、死んだみたいに気絶したんだから」
(へ?)
「そ、そんな馬鹿なっ。言葉に気をつけなさい、カイル! 我らが月の聖堂は、シーナ・ルー様の主たる月の女神ルーナ様をお祀りする、この国で最も神聖な場でありっ」
わめくキースさんを一顧だにせず、カイルさんが私の側にひざまずいた。
うるんだ瞳で、じっと私を見つめる。
「隠さなくていいよ。そうなんだよね? シーナちゃん」
「……ぱ、ぱぇあっ!!」
私は大慌てで頷いた。
ヴィクターの射抜くような視線を感じつつ、ぱえぱえと何度も大きく返事をする。
(ありがと、カイルさん……!)
私、別に聖堂が怖いわけじゃないんだけど。
ここにいたら死ぬわけでもないんだけど。
――その勘違い、全力で乗っからせていただきますっ!!
カイルさんがキッとヴィクターを見上げた。
「そうと決まれば、ヴィクターはシーナちゃんのために生き方を変える努力をするべきだ。いいか? 毎日朗らかに、明るく楽しく気分良く暮らすんだよ。口より先に手が出る悪癖は封印して、人から何かしてもらったら『ありがとう』、そんでもってその目つきの悪さもどうにかしないとな。つまりは、今日からお前が目指すべきは真人間だ!」
(……ん?)
首をひねる私の横で、キースさんがはたと手を打った。
「そっ、それはいいっ! あ、いやコホン。……恐れながら、ヴィクター殿下」
美しい銀髪をさらりと揺らし、真面目くさった表情で頭を下げる。
「先程は取り乱してしまい申し訳ございませんでした。いや、我ながら勘違いも甚だしかったです。シーナ・ルー様が殿下を望まれるというのなら、それを手助けするのが神官たるわたしの役目でしたのに」
「……おい」
「シーナ・ルー様のお世話、しかとお頼み申し上げます。もしシーナ・ルー様に害が及ぶようなことがあれば……、わかっておられますよね?」
にやりと黒い笑みを浮かべた。
ヴィクターの額に青筋が立つ。
「……貴様ら」
ゆらりと殺気がほとばしり、大剣の柄に手を掛けた。ひえぇっ!
「ぱぺっ、ぱぺぺぺぺ」
「……っ」
震え出した私を見て、ヴィクターがすぐさま手を放す。「ほら見ろ」と言わんばかりのカイルさんたちを睨みつけ、ヴィクターは重くため息をついた。
「……ならばせめて、カイルの元へ」
「ぱぅえ」
やだ。
ぶんぶんぶん。
「……俺の家には置いてやるから、お前の世話は使用人に」
いーや。
ぶんぶんぶん。
「クッ」
ヴィクターが低くうなる。
わくわくと彼の返事を待つ私たちを睨みつけ、そして――……
「……シーナ」
とっても、ものすごく、心の底から嫌そうに私に手を差し伸べた。
私はピンッと長いお耳を立てて、いそいそとその手に向かってジャンプする。着地した途端、荒っぽく手が持ち上げられた。ぎゃっ。
「……ふん」
尻もちをついた私を、緋色の瞳が鋭く射抜く。
上目遣いに見つめれば、ふわふわな額を指で弾かれた。
「シーナ」
「ぱぇぱぁっ」
うん、これからよろしくっ!
小動物の扱いはおいおい覚えていこうね!
ヴィクターの肩に載った私に、カイルさんがいたずらっぽく片目をつぶる。キースさんも肩を震わせ、噴き出しそうなのをこらえていた。
(なーんか、体よく利用されちゃった気がしないでもないけど)
……ま、いっか!
ふっさりしっぽを二人に振って、ヴィクターの頭によじ登る。うむ、絶景かな絶景かな。
「ぱえ、ぱえぇ~ぃっ!」
――こうして、私の綱渡りな異世界死にかけライフが幕を開けたのである。まる。