目の前でやわらかく微笑むのは、白のドレスをまとった美しい女性(ひと)。波打つ金の髪は足首まで届くほど長く、微風にふんわりと揺れている。

(この人が、月の女神さま……?)

「挨拶が遅くなってごめんなさいね? 勝手がわからない世界でしょうに、わざわざ聖堂まで会いに来てくれてありがとう。シーナ」

 鈴を鳴らすような軽やかな声。すごく耳に心地いい。

 瞳も髪と同じ金色で、オレンジが混ざったような鮮やかな色。
 彼女のこの世ならぬ美しさに、私はぽうっとなって見とれてしまう。

 彼女は彼女で、興味深そうに私を観察していた。つ、と手を伸ばし、私の髪を優しく撫でる。

「髪の色、変わっちゃったみたいね? わたくしのかけた呪いの影響なのかしら。もったいないわ、せっかく夜みたいに綺麗な黒色だったのに」

「えっ」

 私は慌てて己の髪をつまんだ。
 肩につくぐらいのストレートの髪は、就職してから染めるのをやめてしまった。けれど今はなぜか色素が抜け落ちたように、金に近い茶色に変わってしまっている。

 ……て、いうか。

(今、めちゃくちゃ物騒な単語が出てこなかった?)

 呪い、とかなんとか。

 引きつりながら彼女を見上げれば(彼女は私より頭ひとつ分は背が高かった)、彼女はほわんと微笑んだ。

「ああ、えぇとね。シーナがシーナ・ルーになっちゃったのは、わたくしが呪いをかけたからなのよ」

「…………」

 えええええっ!?

「ちょっ、それってどういうことですか!? なんで神様が平々凡々な一般人に呪いなんかっ。しかも私ってば別の世界の人間なんですけど!?」

 混乱のあまり、相手は神様だというのに荒々しく詰め寄ってしまう。
 けれど彼女は怒るでもなく、上品に首を傾げるだけ。足元でぱえぱえ鳴くシーナちゃんを抱き上げ、もふもふと嬉しげに頬ずりした。いや聞いて!?

「答えてください、月の女神さま!」

「ルーナよ」

「ルーナさまっ」

「嫌だぁ。さま、だなんてよそよそしいわ」

 あぁもう話が進まないっ!

 うっかり脱力しそうになり、そのお陰か少しだけ心が落ち着いてくる。深呼吸を繰り返し、引きつりながらも何とか愛想笑いを浮かべた。

「……あの、申し訳ありません。よろしければ教えていただきたいのですが」

「無理に敬語を使う必要もなくってよ。シーナはこの世界の人間じゃないのだもの。わたくしに対する信仰心なんて、これっぽっちも持ち合わせてはいないでしょう?」

 いたずらっぽくウインクした。

「……っ」

 駄目だ、私ってば思いっきり翻弄されちゃってる。

 でも、それも当然かもしれない。だって私はまだ社会経験も浅い小娘で、相手は異世界のとはいえ神様なのだ。

 となればここは正々堂々、小細工なしでいくべきだ。
 開き直って、真正面から彼女を睨み据える。

「それじゃあルーナさん、どうか教えてください。どうして、私に呪いをかけたの? 私がこの世界に来てしまったのも、あなたの呪いのせいなの?」

「順序が逆だわ」

 ルーナさんはおっとりと微笑んだ。

「逆……?」

「ええ。まず、わたくしはあなたをこちらの世界に転移させた。それから呪いをかけて姿を変えさせた。それが、どうしてなのかって言うと――」

「ぱえ~」

「まあ、待ってちょうだい。うふふふふ」

 ルーナさんの手から脱出したシーナちゃんが、ぱえぱえと走り出す。それを追ってルーナさんも駆け出した。っておぉいっ!

「待ってルーナさーん!」

「うふふ、捕まえてごらんなさ~い」

「ぱぱぱぱぁ~」

「ぱぇっぽぽぉ~」

 他のシーナちゃんたちも続々参加してきて、ものすごくカオスな状況になってしまった。なんでやねん。


 ◇


「では、話を戻しましょうか」

「そもそも脱線したのはルーナさんだからねっ?」

 跳ね回るシーナちゃんたちを眺めつつ、私とルーナさんはみずみずしい芝生の上に並んで座る。ルーナさんの白いドレスの裾と金の髪が広がって、まるで一幅の絵画のように美しい。

(……そう、黙ってさえいれば)

 私はクッと涙をぬぐう真似をする。

 少し会話をしただけでよくわかった。
 間違いない。ルーナさんはとんでもない天然人間……ではなく、天然神様なのだ。きっと彼女の頭の中には、もっふりと隙間なくシーナちゃんが詰まっているに違いない!

「まあ、うふふ。それってとっても暖かそうだわ」

「人の心を読まないで!?」

 私はがっくりとうなだれる。
 や、「無礼者!」だなんて怒られないだけマシかもしんないけどさぁ。

 ガンガンと痛む額を揉んで、改めて彼女に向き直る。

「それで、ルーナさん。『呪い』についてなんですけど」

「ああ、それはね……。うぅん、どこから説明すればわかりやすいかしら」

 彼女はぱちぱちと瞬きすると、小さく首を傾げた。考えをまとめるように虚空を眺め、ややあってゆっくりと口を開く。

「……わたくしはね、実は月の女神なの」

 もちろん存じておりますとも。

「だから月のある世界ならば、どこへだって道を繋げられるわ。それで、あなたの世界にお邪魔したのよ。シーナ」

「ええっ!?」

 この天然女神さまが、一体何をしに日本に来たというのか。

 もの問いたげな視線を感じ取ったのか、はたまたもう一度私の心を読んだのか。
 私が尋ねるより先に、ルーナさんはにっこりと微笑んだ。

「もちろん物見遊山が目的じゃないわ。いかに神とはいえ、道を繋げるのはそれなりに大変だし、相応の魔力だって消費するのだから。わたくしはね、シーナ。――『月の巫女』に相応しい人間を見つけるために行ったのよ」