<幕間> ウィリアム・オーウェル曰く


 ウィリアム・オーウェルが、ルシアス・ブラストラーデと初めて会ったのは、初夏に公爵邸で行われたちょっとした茶会の席だったと記憶している。
 確か互いに九つかそこらで、ブラストラーデ侯爵が連れてきた天使のように麗しい令息は、母親を亡くしたばかりという悲運も相まって注目を集め、貴婦人たちが彼を眺め見ては口々にため息をこぼしていた。
 ウィリアムの母、オーウェル公爵夫人もまた彼を憐れんで、寂しそうな彼と一緒に遊んで元気づけて差し上げなさいと言った。おまえはそういうのだけが取り柄なのだからと。

 ルシアスは、切れ長の美しい青灰色の瞳をした少年で、母親たちはすっかり騙されていたようだったが、ウィリアムに向けられた彼のその目は少しも悲しんでなどいなかった。
 母親が死のうが、野ウサギが目の前で首を刎ねられようが、きっと彼は何とも思わない。
 どこか厭世的で、大人たちのおべっかばかりのくだらないやりとりを冷えきった聡い眼で見透かしている。
 同じ年だというのに妙に達観したところを感じる彼に、ウィリアムは興味を持ったが、同時にその目つきが少し怖くて、どうにも近寄りがたかった。

 次に会った時、ルシアスには二つ年下の妹ができていた。
 同じく茶会の席、新しいブラストラーデ夫人を紹介する場だったと思う。子供ながらにブラストラーデ夫人の美しさには見惚れたが、不思議と好ましさを感じることはなかった。
 この茶会でウィリアムの目を惹いたのは、ルシアスにできた妹のほうだった。
 星をちりばめた夜空のような髪に紫水晶の瞳をした妹は明るくて、ウィリアムがそこはかとなく恐れを抱いていたルシアス相手に、無視されようが睨まれようが、めげず果敢に突撃していく娘だった。
 それはいっそ懸命なほどで、いったいどうしてとウィリアムは首を傾げた。
 こぼれ聞く大人同士の話によれば、侯爵夫妻は何らかの利害が一致して再婚したのだ。
 いずれこの妹も家門のつながりを強くするための駒として、早々どこかに差し出されるのだろうから、兄と無理に仲良くする必要もないだろうに。

 特にルシアスのような気難しそうな兄なんて。

 何度か会ううち、ウィリアムの目には、手を変え品を変えルシアスにまとわりつく彼女が、おかしな努力をしているように映った。まるで年相応の子供に見えるよう、時にわざと子供っぽく振る舞うときがある。
 真実子供であるウィリアムの弟妹とは違う。
 気さくな彼女は彼らともすぐに打ち解けたが、ウィリアムさえ手を焼く本物の子供の破天荒な行動に泡を食って振り回され、ふたりの後を保護者のようについて回ってはいろいろと世話を焼いてくれた。

 変な子──とウィリアムはソフィア・ブラストラーデを認識し、そして彼女を目の端で追うルシアスが、時折そうっと誰にも見つからないように静かにやわらかく笑うのを見て、彼を怖いと思わなくなった。

 ウィリアムはルシアスが気に入った。
 思い切って話してみれば面白いし、何より頭が切れる。彼の妹を見習ってしつこく付きまとった結果、ルシアスはウィリアムのことを諦めて受け入れてくれた。

 ルシアスはウィリアムを公爵家の落ちこぼれた次男として見ず、対等な相手として接してくれるから楽だった。
 くだらないことは、ただ「くだらん」と一蹴してくれるのが爽快で、かと言ってウィリアムが興味を持ったことは否定しない。
 父であるブラストラーデ侯と似て実利を重んじ、冷酷で容赦なく、不要な相手を蔑んだ目で切り捨てることもあって、ルシアスは貴族の子女が通う高等学校に上がっても友人と呼べる者は少なく、ウィリアムはこれ幸いと常に彼と共にいた。

 銀の髪に青灰の瞳、玲瓏たる見目でありながら微笑むことさえほとんどしない彼を、憧れを抱きつつもなかなか近寄ることのできない令嬢たちが「氷の貴公子」などと噂するのがウィリアムは面白くてならなかった。
 なぜなら、その氷の貴公子が、身の内に滾る焔のような情熱を抱え、嫉妬深く密かに抱え込む相手がいることを、彼女たちは知らないのだ。ついでに、対する自分は何をせずとも朗らかで明るいだけで勝手に「陽光の貴公子」となるから得である。

 ルシアスが義妹であるソフィアを、妹と思っていないことはすぐに気が付いた。
 あれは好きな女(・・・・)を見る目だ。
 しかも相当な独占欲を抱いて。

 ソフィアは年を追うごとに美しくなっていった。
 美しくて愛らしくて、そして年齢以上に聡いところがあり、ウィリアム自身も、彼女の侯爵令嬢らしからぬ明るい笑顔を垣間見ると、心が揺れることを抑えきれない。この彼女がそばにいて何くれとなく心を砕いてくれるのならば、ルシアスが熱を持つのも無理からぬこと。

 ある時、普段よりずいぶんと機嫌よく見えたルシアスに何があったか尋ね、その答えが『ソフィアの縁談を潰したから』というものであったと知ったとき、ウィリアムはこの男はなんと面白い奴なのだろうと思った。潰れたから、ではなく、潰した。しかも二度目だという。
 次回からウィリアムは喜んで協力させてもらった。

 ルシアスがどうなっていくのか知りたくて、彼について騎士団に入り、明確な意思を持って次々に功績を上げる彼の支援をした。
 何の目的もなく、のらくらと生きる自分とは違い、有能なる次期侯爵殿には叶えたい望みがあった。
 それがたったひとりの義妹を手に入れることだなど、誰が考えつくだろう。

「──やあルシアス、麗しき義妹殿との離れでの生活にはもう慣れたかい? おはようからおやすみまで共に暮らすというのは、なんとも言えない趣があるよね」

 実にいかがわしい、とウィリアムは訳知り顔で頷くと容赦なく腹をどつかれた。
 十八の年を迎え、父親の要請あって、ルシアスは騎士団を惜しまれながら退団し、次期侯爵として本格的に執務を引き継ぐことになった。入団するときの条件だったらしい。これもきっとルシアスの計画のうちのひとつなのだろうが、そこに関与できないというのは少し寂しい。
 何かにつけては呼び出したり呼んでなくとも顔を出すウィリアムを前に、ルシアスはもはや通い慣れた公爵邸の一室で、何とも難しい顔をした。

「なんだろうねその顔は」
「……望んだとおりの暮らしだが、日々、刺激が多すぎることに戸惑っている顔だ」

 ウィリアムは途端噴き出しそうになる己を懸命に堪えた。

「昨夜、夜着をまとったソフィとチェスをして、目のやり場に困って負けた」
「君ってチェス負けることあるんだ」
「初めて負けた……盤上を覗き込むときに、胸元がちらついて集中できなかった」
「ちょっと男子ぃ」
「はあ?」
「何でもないよ。その気持ちはわかる。いいよね」
「よくないだろう。そばにいるとすぐ触れたくなる。どうしてあんなに愛らしいんだ。髪に触れて、抱きしめたくてたまらない。この先……俺は、どう耐えれば」
「僕も耐えられないくらいおもしろいよ」
「なんだと」
「いや、大変だねと言ったんだ」
「おまえに話したのが間違いだった」
「何言ってるんだい、僕以外に話す相手なんていないだろうに。──提案なのだけどね、いっそ耐えなければいいのじゃないかな」

 普段頭が恐ろしく回るというのに、どうしてかこういうところが初心なのが堪らない。
 ウィリアム・オーウェルは、ルシアス・ブラストラーデを大変気に入っている。

「触れる口実を作ればいいのさ。女性が苦手だとでも言って、触れ合う練習台になってもらうというのはどうだろう」
「練習台?」
「そう。実際ルシアスはレディたちから触れると、とーっても嫌そうな顔をするから嘘でもないだろう。ソフィは優しい子だからね、きっと協力してくれるよ。触り放題」

 ウィリアムは大変適当なことを言った。
 上手くことが運んでふたりが接近するのも面白いし、上手くいかずにルシアスが懊悩するのも悪くない。
いずれにせよ、ウィリアムは、完璧な友人の完璧でないこの恋路が気になって気になって、応援したくて仕方がなかった。