(……凄い子だな、この子は)
 答えながら、あやめは感心していた。
 大柄な男子三人組があやめに怯える現実を目の当たりにし、二十人もの不良を返り討ちにしたというとんでもない逸話を聞いたのに、平気な顔で笑いかけてくる。
 初対面の男子は、まずほとんどの人間があやめに怯える。

 噂を知っている者は言わずもがな。
 噂を知らない者も、女性にしては高めの身長、怒ったようなつり目を見て大なり小なり緊張する。
 ところがこの美少年は、ごく自然体であやめに接している。
 こんな反応は初めてだった。

「ぼくは姫野尚《ひめのなお》っていいます。駒池の一年一組です」
(ああ、この子が)
 あやめの斜め前の席、居眠りの常習犯である姫野美春(みはる)の弟。
 駒池の『三大イケメン』のうちの一人、その愛嬌と無邪気な笑顔から『子犬王子』などと呼ばれている美少年。
 実際に目で見て納得した。この美貌なら耳目を集めて当然だ。

 彼の姉の美春は駒池の『三大美少女』のうちの一人。
 姉弟共に人並外れて美しいということは、彼らの両親のどちらか――あるいは両方ともが相当な美人なのだろう。

「私は湖城あやめだ。所属は二年五組」
「あやめさん、ですか。苗字しか知りませんでしたが、素敵な名前ですね。いずれ菖蒲《あやめ》か杜若《かきつばた》……うん、先輩にぴったりです」
 納得したように頷く尚。

「どういう意味だ?」
 ことわざの意味を知らず、あやめは首を傾げた。
 尚はあやめの無学を馬鹿にすることもなく、親切に教えてくれた。

「どちらも甲乙つけ難いほど美しい、っていうことです。それに、あやめの花言葉は情熱。名は体を表すと言いますが、あやめのように凛と美しく、正義感に溢れ、情に厚い先輩にはぴったりな名前だと思います」
 詩でも諳んじるように、彼はそう言った。

(……美しい? 美しいと言ったか? 誰を? ……私を?)
 聞き間違いかと思ったが、尚はあやめを見て微笑んでいる。
 冗談です、と前言撤回する様子もない。
 つまり、真剣だ。
 大真面目に、あやめが美しいと――彼はそう言っている。

「………………!!!」
 ぼふっ!!!
 あやめの顔は大噴火を起こした。
 心臓は急激に心拍数を跳ね上げ、身体の芯が抜けたかのように腑抜けてしまいそうになる。
 夢と現の狭間にいるかのような酩酊感。
 ぽぽぽぽぽん、とあやめの周囲に連続して大輪の花が咲く。
 天使が頭上でラッパを吹きならしているのは、花と同様に幻覚なのだろうか?

(え、ど、どうすればいいんだ? 何か。何か言わねば!)
 ぐるぐると思考が回る。
 悪漢の投げ飛ばし方や拳の握り方なら知っているが、こういうときにどんな反応をすればいいのかは、全く知らない。
 青春を武道に捧げてきたせいで、自分が一般的な女子像から酷くずれていることを痛感する。

(何を馬鹿なと冗談にしてごまかす……のは、失礼だよな? お礼を言うべきなんだろう? そうだ、お礼だ、それで合ってるよな? 何もおかしくはないよな?)
「いや、そ、そ、それは――あの、どうも……」
 この対応が正解であることを祈りながら、あやめはぎくしゃくした動きで頭を下げた。
 すると、ますます尚は笑みを深めた。
 どうやら正解だったらしい、と、胸をなでおろしていると。

「いえ、本当のことですから」
「…………!」
 さらりと言われて、あやめの頬はますます赤くなった。
 頭のてっぺんが湯気を噴き上げている。
 165センチもない華奢な美少年と、171センチのあやめ。

 ――少女漫画のような恋なんてありえない。男勝りの自分には似合わない。

 それはわかっている。
 彼はただ素直な感想を口にしただけで、他意がないこともよくわかっている。
 でも、これは確かに少女漫画のような出来事だと――自分がまるでヒロインになったかのようだと、あやめは思った。