ここは、淑女科の二階の奥部屋にある生徒会室。
部屋に入り、正面奥のソファーに座っているのが、この生徒会の会長である公爵令嬢のエリザベス・ローレン、その右側のソファーに座るのが、副会長の伯爵令嬢エマ・シャロン、そして左側のソファーに座っているのが、書記兼会計の辺境伯令嬢レア・クレメントだ。
そして、エマはエリーの二番目の姉であり、エリザベスはシャロン姉妹の従姉である。
今日も、淑女科に在籍する三年生の三人が、話し合いという名の雑談中のようだ。この三人、異様なほどに仕事が早い。本来、生徒会は会長、副会長、書記、会計、庶務等、最低でも役職分の人数が必要なほど、活動の内容も多岐に渡ると思うのだが、その全てを三人で行っている。まあ、役職はついているが作業は三人の分担制のようだ。
教員からは「後進の育成のためにも後二名は後輩を入れるように」という話があったのだが、それさえもやんわり拒否。後輩たちには、別日を設けて引継ぎ指導を行っているようだ。もしや活動内容の中に知られたくない何かがあるのだろうか。
「リザ、王国学院との交流会はどうなってるんだ。日程を早めに決めてほしいんだが」
辺境伯令嬢のレアが、公爵令嬢のエリザベスに話しかけたこの令嬢、美しい顔つきに凛とした雰囲気からは想像ができないぐらい、男性口調の話し方が定着している。
「ごめんなさい。伝え忘れていたわ。交流会の件は保留になったの。今、学院長に相談中よ。まだ、決まるまでに時間が掛かりそうだわ。
エリザベスは、申し訳なさそうな顔でレアに謝った。
「そうか、わかった。詳細が決まり次第、教えてくれ」
頷き返すエリザベス。それを見ていたエマが、レアに話しかけた。
「急いでいるようだけど、何かあるの?」
「ああ、少し実家の様子が気になってな。近いうちに一度、帰りたいんだ」
「そう。でも、長期休みじゃないと難しいわよね」
辺境伯家までの長い道のりには、馬車移動が当たり前だと思っているエマは、レアに聞き返した。
「馬で帰るから短縮できる。大丈夫だ」
エマがレアに問いかけるも、なんてことないという体で答える。
「いや、そういう事じゃないんだけど……というより、何か心配事でもあるの?」
「……。妹からの手紙が……。気のせいなら良いんだが」
「そう……。それは一度帰省したほうが良いわね」
「ああ……」
そんな、エマとレアの様子を見ていたエリザベスが、二人のやり取りに呆れているようだ。
「本当に二人とも、妹には甘いわよね。少し過保護過ぎやしないかしら」
エリザベスの発言に、すぐさま反応するエマ。
「そういうリザもね。結局エリーの侍女話を受け容れてるし」
エマから責められてる様に感じて、言葉に詰まるエリザベス。
「……。まあそうね。私は兄弟がいないから分からないけれど、もし妹がいたらあんな感じなのかしら。小さい頃のエリーの様子を見ていたから、つい甘やかしてしまうのよね」
今度はエリザベスの言葉を聞いたエマは俯きながらため息をついた。
「私も姉も、もう少しあの子の気持ちを考えるべきだったと反省はしているわ。幼い頃から婚約者のいる姉は、婚約者や母と一緒の外出が多かったし、私は父の外交についていくことが多かった。今思えば、私がエリーと一緒に自宅に残れば良かったのだけど……。外国に行きたい私と、大きな声では言えないけれど……、ゆくゆくは爵位を私に譲りたいという父の思いが重なって……。全く配慮できていなかったのよ」
「まあ、幼かったあなたにそこまで求めるのも、酷な話しよね」
エリザベス自身も、後悔しているのかもしれない。迫力美人の外見からは分かりづらいが、人情身に溢れる人物のようだ。
「うちの妹も、エリーと同じだ。私と兄は王都に出てきているし、仕事漬けの父親に期待することはできない」
レアの言葉に頷くエマとエリザベス。
「そうよね、リリーちゃんも一人なのよね……。長期休みに帰省するのなら、私も辺境伯家に行こうかしら」
エリザベスの提案を、エマはすぐさま却下した。
「リザは、予定が詰まっているから無理よ。レアは……、早く帰省できるように予定を組み直すわ。でも、長期休みになってしまったらごめんなさい」
肩を落とすエリザベスと、エマに感謝するレア。
「いや、無理を言ってすまない。よろしく頼む」
「良いのよ。でも、レアは頻繁に帰れる訳ではないし、リリーちゃんにも近しい存在がいると良いのだけど。近くに心を許せるような人はいないのかしら。エリーには、祖母やルーちゃんがいたから、少しは違ったのよね」
「ルーちゃん……、とは?」
初めて聞く名前(愛称)なのだろう。レアはエマに聞き返した。
「エリーと同時期に転科した子爵令嬢よ。穏やかで優しくて、とても可愛い子なのよ。今思うと、幼いエリーはルーちゃんに癒されていたのかしら。母親同士のお茶会の時にしか会えなかったから、数か月に一度ぐらいだったと思うけど。それでも、『ルーちゃんに会うと幸せそうに笑うのよね』て母親がよく言っていたわ」
「そうか、侍女科にいるのか。機会があれば会ってみたいな」
レアの言葉に困惑顔のエマ。やってしまった、とでも思っているのだろうか。
「そうね、機会があれば……」
エマの返答を聞いて、今まで黙って話を聞いていたエリザベスが言葉を放った。
「あるじゃない、今度。その機会が」
したり顔で答えるエリザベスに、面倒そうに答えるエマ。
「駄目よ。お茶会の組み合わせに関しては、先生方も既に決めていらっしゃるわ。生徒の私たちが口を挟んで良い話ではないわ。それに、あの子たちのことはそっとしておいてあげて」
「お茶会か……楽しみだな」
淑女科の上級生と侍女科の下級生による授業を思い出したのか、レアがつぶやいた。
げんなりするエマに、楽しそうなエリザベスとレア。
ルイーズの知らぬところで、なにやら様々な事が動きだしているようだ。
昼休憩中、皆と別れたルイーズは、調理室に来ていた。目の前にある紅茶セットを前にして、紅茶の入れ方を復習している。この数週間で、お茶会の全体的な流れについては学び終えたものの、紅茶の入れ方にだけ、どうしても納得していないようだ。
「紅茶が飲みたいときには、お願いすればさっと出してくれるのよね。お願いするのは簡単だけど、手間暇かかっているのね。いつもありがとう、ローラ。美味しい紅茶が入れられるようになったら、ローラにも飲んでもらいたいわ」
ローラを思い出しているのだろう。ここにはいないローラに、お礼を伝えるルイーズ。
お湯を沸かし、ティーポットとティーカップに少量のお湯を入れ温めてからお湯を捨てる。ティーポットにティースプーン一杯の紅茶の葉を入れて、沸騰直後のお湯をティーポットに注いで蓋をしたら数分蒸す。そして、茶漉しを使って紅茶を注ぐ。茶葉の分量的に、一人分の紅茶を入れているのだろうか。教わった手順通りに進めているのだろう。まだ不慣れな手つきだが、順調にこなしているのではないだろうか。
そんな時、調理室のドアを開け、マノン先生が入ってきた。
「ルイーズさん、練習ですか」
「マノン先生……。はい、紅茶を淹れる練習をしていました。
宜しければ、今から新しいものを入れ直しますので、飲んで頂けますか?」
「はい。でも、入れ直さなくて結構ですよ。今淹れた、そちらの紅茶をいただきます」
ルイーズは、ソーサーの上にカップを乗せて、マノン先生の前に紅茶を差し出した。そのソーサーを左手に持ち、右手でティーカップのハンドルをつまみながら、口元に近づけ香りを確認する。紅茶を口に含んだマノン先生が、ルイーズを見ながら質問した。
「上手に淹れられていると思います。強いて言うならば、大きい茶葉を使った場合は、細かい茶葉を使った時より、蒸らし時間を少しだけ長く置いた方が良いですね。ルイーズさんは、他に気になる点はありますか?」
「いつも、我が家の侍女が淹れてくれた紅茶は、とても美味しいのです。教えていただいた通りに、茶葉も湯量も量ってから入れているのですが……」
「その侍女の方は、ルイーズさんの事をよく見ていらっしゃるのですね。主人の体調や好みが分からないと、出来ることではありません。さじ加減がとてもお上手な方なのでしょう。
今すぐに、その方と同じ水準に達するのは難しいです。今は基本をしっかりと身につけて、慣れることが大切ですよ」
「はい、ありがとうございました」
* * *
その日の夜、ルイーズはローラに紅茶の淹れ方について尋ねていた。
「紅茶って奥が深いのね」
「そうですね。でもマノン先生のおっしゃる通り、今は基本が第一ですよ。貴族家によっては、ティーポットや茶葉の種類も違いますからね。今はしっかり練習して、基本をマスターして紅茶を淹れることに慣れてくれば、仕える方の好みに合ったものをお出しできるようになると思います」
「確かにそうよね。今は練習あるのみね」
「お嬢様なら大丈夫ですよ。紅茶の淹れ方に限らず、何事も丁寧に対応されていますから。」
「いつもありがとう、ローラ。私はローラの淹れてくれた紅茶が一番好きよ」
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。今度はお嬢様の淹れた紅茶を飲ませてくださいね」
「もちろん、約束するわ」
淑女科上級生との合同授業まであと数日。ルイーズの復習は、毎日続くのだろう。
ついに迎えた、淑女科3年生と侍女科2年生の合同授業(お茶会)当日。この合同授業(お茶会)は、侍女科の技量向上を目的として催される。
侍女科の主な参加者は、2年生だが、就労先が決まっていない3年生の参加も認められている。淑女科の生徒たちは、お茶会終了後に侍女科の生徒に対して気づいたことや助言等を用紙に書く。教員は、淑女科の生徒から渡された用紙を元に、生徒に助言をする。
教員はもちろんその場にはいるが、生徒たちのやり取りを見聞きしても、口出しはしない。取っ組み合いの喧嘩などがあれば止めるだろうが、そのようなことが無ければ、静観するだけのようだ。ある意味、生徒にとっては試験よりも緊張する時間なのではないだろうか。
お茶会は、淑女科の生徒たちが良く利用するサロンで行われるようだ。侍女科の生徒たちが、前日からお茶会の会場となるサロンで、テーブルや椅子を設置して、会場を作り上げたようだ。テーブルの上には、今朝摘んだばかりの薄紅色の花がきれいに飾られている。
今は、侍女科の生徒たちが、教員のマノン先生から、段取りの説明を受けているようだ。何かしらの変更があったのか、ルイーズたちも真剣な表情だ。ルイーズの隣にいるエリーは、少しばかり表情が曇っているように見えるのだが。
話を聞き終えた生徒たちは、各自の持ち場へ戻り、の周囲の点検からテーブルセッティングを確認している。ルイーズとエリー、それからクレアと、ミアの四人は、同じグループのようで、協力し合い作業をしているようだ。
「ねえ、今の話だと……、私たちは高位貴族の方たちのテーブルに着くのよね。初めてのお茶会からそれはないわ~」
「グダグダ言ってないで、手を動かしなさい」
ミアが三人に話しかけるも、クレアからはお叱りを受けたようだ。とそのとき、エリーが四人に対して謝罪を口にした。
「皆、ごめんね。私たちが着くテーブルには、多分、私の姉がいるわ」
「エリーのお姉さん? それなら、そんなに緊張する必要ないかもしれないわね。身内がいれば、大目に見てくれそうよね。良かった~」
ミアの言葉に反応したクレアは、またミアを𠮟っているようだ。
「エマさんが? エリーを心配して来てくれるのかしら」
「何も聞いていないから分からないけど……」
ルイーズの言葉に答えるも、何やら浮かない顔をしているエリー。その時、マノン先生から、上級生が席に着くため、控室に移動をするように声が掛けられた。本来のお茶会通りに、準備を終えた侍女科の生徒たちは、控室で待機して、必要な時に補助の役目をこなすのだろう。
控室で待機しているルイーズ達にも、上級生の移動する音が聞こえてきたようだ。待機している侍女科の生徒の中にも、顔の強張っている者たちがちらほら見受けられる。否応なしにも緊張感が高まってきたようだ。それぐらい、このお茶会に期待している生徒も多いのだろう。これから、生涯にわたり仕える者との出会いがあるかもしれない。きっと、様々な感情が入り混じっているのだろう。
お茶会は、予定通りに開始された。学院内での催しのため、時間厳守がお約束である。
淑女科の生徒たちは、全員が制服を着用して、時間前から席についていたようだ。お茶会を楽しむというよりは、授業に対する意識が高いのだろう。
侍女科の生徒たちは、マノン先生から淑女科の装いについては聞いていなかったようだ。きっと、色とりどりな光景の中で、給仕をすると思っていたのだろう。彼女たちは何かを考えるような顔つきだったが、自分たちの着用している黒いメイド服と白いエプロン姿を確認すると、迷いがなくなったのか、速やかに動き始めた。
ルイーズたちの四人も、担当テーブルに着き、紅茶を給仕する。今回担当するのは、クレアのようだ。クレアが紅茶を出し終えた後、エリーにはそのまま残ってもらい、ルイーズとクレア、ミアの三人は控室に戻ったようだ。
ルイーズとミアが、茶葉とお菓子の確認をしていると、後ろからクレアが話しかけてきた。
「ねえ、私たちのテーブルなんだけど……、ティースタンドの下段を見て。サンドイッチが既にないわ。あの方、何だかすごい勢いで食べてるわよね」
「……あんなきれいな人が……。すごいわね。エッ、もしかしてこれって何かの罠?引っ掛け? ……かしら」
「本当ね。すごい勢いで食べてるわ。普通にお腹が空いているのかしら?私、軽食を補充してくるわ」
どうやらルイーズが、軽食の補助に向かうようだ。貴族令嬢があんなに食べるなんて、三人も想定外だろう。三人は急いで軽食を準備する。
スコーンとクロテッドクリーム、そしてサンドイッチ。それらをティーワゴンに乗せて運ぶようだ。ルイーズは、急ぎ足でテーブルに向かった。
テーブルに着くと、上級生に丁寧に声を掛けて、ティースタンドのお皿にサンドイッチとスコーンを補充する。
「ありがとう。もう少し頂くよ」
辺境伯令嬢のレアは、補充したばかりのサンドイッチを手に取りながら、ルイーズにお礼を伝えた。
「もしかして、君がルーちゃん?」
「はい。エマさんからは、そう呼ばれています。ルイーズと申します」
「そう。ルーちゃん、ありがとう。朝から剣の稽古をしていたから、お腹が空いてしまってな。助かったよ」
「剣……、ですか。あ、申し訳ございません……。喜んでいただけて良かったです。どうぞごゆっくり召し上がってください」
レアの言葉に躊躇ったのか、少したどたどしかったが、レアにも丁寧に接することができて良かったのではないだろうか。
しかし、その様子を心配そうに見守るエリー。ルイーズが補充を終えて、控室の方に向かって行くと、エリーはレアの横にいるエマをじっと見つめた。
エリーのもの言いたげな様子に気づくと、エマは声を出さずに『ごめん』と口を動かした。
その後、クレアとエリーが配置を交換して給仕をして、ルイーズとミアが補充を繰り返した。他の侍女科の生徒たちも、大きな失敗をすることはなく、無事に終えられたようだ。
こうして初めての合同授業(お茶会)は終了した。
エリザベスとレア、そしてエマの三人は、お茶会が終了した後に生徒会室へと戻って来た。三人はそれぞれの定位置であるソファーに腰を掛けて、何やら思案しているようだ。
落ち着いてきたころ、エマが口を開き話し出した。
「レア、先ずはあなたに言いたいことがあるわ。今日のお茶会は授業の一環だってこと、分かっているわよね。それなのに、あんなにもサンドイッチをバクバクと食べて! あそこには、食事をしに行っていたわけではないのよ。時と場所を考えて」
「まあ、そう怒ることもないじゃない。レアの行動によって、あの子たちの対応を見ることもできたのだし。ゲストの観察も、迅速な対応も出来ていたのではないかしら。エマ……、そう怒らないで……、眉間に皺が寄っているわよ」
エリザベスの言葉を聞いたエマは、急いで眉間の皺を確認しているようだ。
「でも、エマの言うことにも一理あるわよね。レア、私たちは淑女科の生徒なのよ。しかも、生徒会に属しているの。これでも、生徒の見本にならなければいけない存在なのよ。次回からは気をつけましょう、レア」
「ああ、わかった。すまなかった、次回からは気をつける」
反省するレアに、エマは頷き、エリザベスは「そうね、気をつけましょう」と言葉を続けた。これで、この話も終わりかと思われたその時、エマがハッとした表情でレアを見つめた。
「違うわ、そうじゃないのよ。言おうとしたことは別にあるの。レア、エリーとルーちゃんのことはそっとしておくようにお願いしたでしょ。リザもよ、お願いだから二人の事はそっとしておいてね」
「何だか、不自然ね。今日知り合ったのだから、どこかで会えば声を掛けることもあるだろうに。まあ……、良く分からないけれど、分かったわ」
「……分かった」
エマの言わんとしていることが、さっぱり分からないという顔の二人だったが、何か事情があるだろうことは察したのか、ここは引き下がったようだ。
エマは自分の言い分を聞き入れてくれた二人に、一先ず安心したようだ。