王政は、衰退の一途を辿っていくと思われたが、第三王女の母親であり、当時の王妃は隣国ロードリアス王国の元王女であった。王妃並びに王家には大国ロードリアスの後ろ盾があったため、貴族家では謀反を起こす計画なども出ることはなく、決定に黙って従うほかなかった。今やそれらの話は禁忌事項で、口に出すのも憚られる。

 その出来事が原因で、当時王国の議会では、《学院》と《女学院》の創設の提案が為された。この提案は、表向き〈性別の特性に合わせた教育〉〈専門性知識の習得〉など、学園にはない科を設けるために都合の良い理由が挙げられた。本来の目的は、〈異性間トラブルの回避〉であることは貴族であれば誰しもが理解していることだった。

 議会では、その提案が何度も協議され、国王はそれを渋々ながらも認めた。それにより、学院と女学院の創設が決定され、カルディニア王国の爵位継承制度にも変化が生じることとなった。

《王立学園》王族と王侯貴族、貴族家(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵)の嫡男、嫡男ではなく爵位継承予定の者、養子となり爵位を継承するものが所属。
学科は貴族科
《王国学院》貴族家の二男、三男、庶子、庶長子、庶民が所属。
学科は騎士科・執事科
《王国女学院》貴族家の息女、庶子、庶民が所属。
学科は淑女科・侍女科

 王国女学院の淑女科に関しては言えば、王立学園時の淑女科がそのまま引き継がれる形となった。

 王国学院と王国女学院は、どちらも庶民に門戸を開いている。しかし、多少なりとも学費が掛かるため、必然的に入学を希望した富裕層の庶民が入学することとなる。

 こうしてカルディニア王国の教育環境は劇的な変化を遂げた。

 決定された当初は、問題点が上がり捗々しくなかったが、それも年数を重ねるごとに落ち着いていった。