「ところで、この部屋に侍女はついてるかしら?」
エマはリアムに尋ねるが、首を傾げている。ルイーズが見かねて答えようとするも、倒れて寝込んでいたために思い出せないようだ。
「寝込んでいる間のことは分かりませんが、初日に部屋へ案内してくれた方しか、記憶にありません。その時も、あまり言葉は交わしませんでした。メイドのメアリーさんと制服が違うので、多分侍女だとは思いますが……」
「そう。私たちのところも、そんな感じよ。侍女の態度が余りにもよそよそしいから、レアに確認したの。そうしたら、以前からいた侍女が数名辞めて、新顔が増えていたらしいわ。おかしいわよね」
「エマちゃん、情報は大切だけど、他家のことを嗅ぎ回るのは良くないわ」
「エリー……何言ってるのよ。隣国に接しているこんな危険なところに、『ルイーズとリアム君を二人で行かせられない』って言ってたのはエリーでしょう。それに、人聞きが悪いわ。嗅ぎ回ってるのではなく、情報収集よ。こういうことは、遅れをとると命取りなんだから。リアム君も将来はブラン家の当主になるのだから、覚えておいてね」
「…………はい」
エマの勢いに付いて行くのがやっとのリアム。ルイーズはエマの話を聞いて、何かを考えているようだ。
「エマさん、私も気になったことがあるんです。他の侍女より、近くにいることが多かったメアリーさんは、本当にメイドなのでしょうか。話す言葉や所作も、お手本にしたいと思えるくらい綺麗でした」
「…………盲点だったわ……ねえ、私たちの母親って、昔から仲が良いのは知ってるでしょう? 実は、二人とも王妃様と親交があるのよ。女学院時代の先輩・後輩だったらしいわ。
だから、話しが筒抜けなのよね。お母様もレアのことを気にかけていたし……一瞬、隣国のスパイかと思ったけど……もしかして、王妃様がクレメント家に潜ませたのかもしれないわね」
「エマちゃん、後半の部分は憶測よね。誰が聞いているかわからないから、口にはしない方が良いわ」
「もう、エリーは心配性ね。でもまあ、確かにそうね。気をつけるわ。」
エリーに諭され、反省した様子のエマだが、尚も言葉を続けた。
「そうだわ。四人でリリーちゃんの部屋に行ってみない?ルーちゃんもその後が気になるだろうし、紹介もまだよね。それに、メアリーさんもいると思うわ」
「それはそうだけど、ルイーズと妹さんは、まだ人に会わずにゆっくりとした方が良いんじゃないかしら」
「ルーちゃんとリアム君はどう?」
「確かに気になりますし、ご迷惑でなければご一緒させてください」
「僕は姉上が良ければ」
こうして四人は、リリーの部屋へ行くことになったようだ。部屋を出て、廊下をしばらく歩くと、何やら賑やかな声が聞こえてきた。四人は廊下の窓から外を見ると、その声は、騎士団の練習場から聞こえてくるようだ。
「すごい人ね。練習風景はたまに見かけたけど、こんなに大勢いたかしら」
エマは、騎士の人数に驚いているようだ。エマの後ろから、その光景を見ていたエリーが、今まで見たこともない怖い顔つきになっている。隣で見ていたリアムが、そんなエリーに目を見張った。
「エリーさん、どうしたんですか? 何かありましたか?」
怒り心頭のエリーが、首を何度も同じ方向に動かし、リアムに何かを知らせているようだ。エリーの示す方向を見たリアムも、エリーと同じ顔つきになっている。
「…………許せません」
そんな二人のやり取りに気付いたエマが、二人と同じ場所を見てため息をついた。
「いつものことだと思うわ。彼は舞踏会に出ると、いつも囲まれているらしいから。もちろん、彼だけではないわよ。殿下やキースもね。姉さまが言っていたわ。」
当然と言わんばかりの様子で、エマは二人を見ている。
皆のやり取りに気付いたルイーズも、釣られてその光景を目にしたようだ。リオンに懐かしさと安心感、そして、ほのかな恋心を抱き始めていたのだろう。少し悲し気な表情を見せるルイーズ。
そんなルイーズを見た二人は、唇を噛み締め、練習場にいる人物を睨みつけた。こちらの二人が姉弟なのでは、と思うほどにそっくりな表情だ。
「ルイーズ行きましょう」「姉上行きますよ」
二人に連れられて歩き出すルイーズは、そんな二人に心配をかけまいと前を向いた。
レアの部屋に着くと、エマが静かにノックをした。ドアを開けて笑顔で迎えるレアは、四人に中へ入るように手招きをした。部屋の中には、レアの他にリリーとメアリーがいた。
「リリーは、話せるくらいに回復したんだ。だから、皆にも紹介したい。こっちに来てくれるか?」
頷く四人は、レアに連れられてベッドに行くと、リリーは横になったまま、目をキョロキョロとさせていた。
「リリー、エマは分かっているな。こちらは、エマの妹殿のエリー嬢だ。そして、こちらがルイーズ嬢と、弟のリアン殿だ」
「皆さん、初めまして。リリーです。よろしくお願いします」
三人は、リリーに挨拶を返した。
「リリー、こちらがリリーを助けてくれたルイーズ嬢だ」
「姉に話を聞きました。助けてくれて、ありがとうございます」
ルイーズは、万全ではない体調で必死にお礼を言うリリーに、胸が締め付けられる思いがした。
「お役に立てて良かったです。早く回復するように、またお部屋にお邪魔しても良いですか?」
「はい、待ってます」
ルイーズは、手を伸ばし断りを入れるとリリーの手をやさしく包んだ。お互いに見つめ合い、笑顔になる二人。このやり取りを見ていた四人も、ほっこりとした二人の空気感に癒されているようだ。
そんな時、エマが急に振り向きメアリーを見た。
「あ、そうだわ。メアリーさん、王妃様のお誕生日はいつだったかしら?」
突然、エマから声を掛けられたメアリーは、微動だにせずその場に立ったままエマを見ている。そんなメアリーの顔を見ていたエマは、にやりとした目つきで口角を上げた。
「…………エマ様、好奇心が旺盛なのは結構ですが、あちこちに首を突っ込むと、またお姉様に叱られますよ」
「姉様のことも知ってたか~……今のことは、内緒ね」
お互い笑顔で何事もなかったかのように振る舞う二人に、周りも何かに気づいたのだろうか。誰しも二人の会話に触れることはなかった。
リリーの部屋を後にした四人は、ブラン家に用意された部屋で夕食を共にしていた。夕食は、できるだけ皆で摂ろうとエマに誘われ、ルイーズとリアムは快諾したようだ。
食後は、甘味を欲しがる二人のために、簡易キッチンでマドレーヌを作るルイーズとエリー。
「この簡易キッチンすごいわね。石窯まであるなんて」
「本当ね。こんなに大きなお屋敷だから、石窯も何部屋かにあるのかしら。それに、部屋にキッチンがあると、お仕えする方に直ぐにお料理を提供できるから良いわよね」
屋敷や内装を見ると、侍女目線になるルイーズと、確かにと言わんばかりに頷くエリー。
ルイーズがマドレーヌの生地を混ぜ合わせていると、部屋のドアがノックされた。
顔を見合わせた二人は、生地と石窯を見る。
「私が行くわ。ルイーズ、石窯もお願いね」
「ありがとう。火は見ておくわ」
エリーは急ぎそこへに向かうと、ドアを開いた。
ドアの前には、リオンとキース、そしてクロードが立っていた。
何故この三人が部屋を訪れたのかはわからないが、対峙する敵を見るかのように、目の前に立つリオンを睨みつけるエリー。リオンはというと、訳が分からずに動揺しているようにも見える。
話し出さないエリーに、リオンが話を切り出した。
「四人に話があって来たんだ。他の三人はいるだろうか」
「はい、います。でも、ルイーズには会わせません!」
エリーの大きな声は、他の部屋にも届いたようだ。エマとリアムが部屋から出てきた。ルイーズのいるキッチンにも、その声は届いていたが、石窯の火を消して向かおうとしたために皆から出遅れたようだ。火をそのままにしてエリーのところに向かおうとした途中で、エマの声が聞こえて安心したルイーズは、エマに任せることにしたようだ。
「エリー、声が響いてるわよ」
「…………気持ちが抑えられなかったの」
心情を吐露するエリーに、エマが軽い溜息を吐いた。
「エリーが、ルーちゃんを大切に思う気持ちは分かるわ。でも、エリーのそんな行動は望んでいないと思うわよ。
それに、ルーちゃんは強いわよ。好奇心も旺盛だし、切り替えも早い。自ら答えも探して、前に進んでる。周りは、本当に助けを必要としている時だけ、手を貸してあげれば良いと思うのよね。
社交界に出れば、姑息な手を使ってくる女性だって多いのよ。あんな光景を見たからって、一喜一憂していたら身が持たないわ。
まあ、そんな手にまんまと引っ掛かって、大事な人を失う男性も女性も多いらしいけど。その時は、自分の馬鹿さ加減を反省して、次に行くしかないわよね」
「それでも、リオンさんの言葉を聞いて嬉しかったのに……」
「確かに……僕もがっかりしました」
「まあね~」
エマの言葉の一つ一つが気になるリオンは、眉間に皺を寄せて話を聞いている。
「その話は自分のことだろうか」
自身の名前が出てきたことで、ようやく気づいたようだ。
そんな会話を背中越しで聞いていたルイーズは、ドアから離れて作業場所に戻っていった。
「私は、何を言おうとしたんだろう」
エマの言葉を聞いて、冷静になったルイーズは、軋むような胸の痛みを落ちつかせることができたようだ。自身の気持ちや、今すべきことは何か、様々なことを心に問いかけながらも、目の前の作業に集中するルイーズ。
ドアの隙間から入ってくる声も、ルイーズには聞こえていないようだ。
一方で、ドアの前で繰り広げられていた言い合いも決着がついたようだ。エリーがキッチンに入ってくると、何事もなかったかのように、ルイーズの側に歩み寄った。
「任せちゃってごめんなさい。私も手伝うわ」
「……エリー、ありがとう」
「…………うん」
ルイーズにお礼を言われると、少しだけ涙ぐむエリー。そんなエリーを見つめながら、ルイーズは何かを思い出しているようだ。
「そうだわ……エリーは…いつも、言い返してくれていたわ。優しくて、熱いところがあって……なんで、忘れていたのかしら……」
顔を上げ、目を見開いてルイーズの表情を伺うエリーは、その直後、顔をくしゃくしゃにさせて泣き出した。涙腺が決壊したようだ。その様子を見たルイーズもまた、顔をくしゃくしゃにして、笑うように泣いた。
しきりに泣いたエリーの涙も止んだ頃、エリーが何かを思い出したような表情で、ルイーズの顔を見た。
「忘れてたわ。さっき、リオンさんとキースさん、あとクロードさんが部屋に来たの。手が空いたら、隣の部屋に来るようにって言っていたわ」
「そう。それなら、折角だからマドレーヌを持っていきましょうか」
「…………そうね、さっき睨んじゃったし」
「フフッ……じゃあ、用意しましょう」
二人は急いで、お茶の用意を始めたようだ。
ルイーズとエリーが皆の待つ部屋に入ると、良い香りに釣られたエマが、二人のところに飛んできた。
「わあ~ 良いにおい。焼きたてね、お茶をしながら話しましょう」
テーブルに全員分のお茶とマドレーヌを置くと、ルイーズとエリーもソファーに腰掛けた。
「姉上、エリーさん……泣いていたんですか?二人とも目が赤いですよ」
「リアム君、心配かけてごめんね……さっき、ルイーズが昔の記憶を少しだけど思い出したみたいで……嬉しくて」
「本当ですか⁉ 姉上、エリーさん良かったですね」
「うん」「ありがとう」
「二人とも良かったわね! 後でゆっくり話を聞かせてね」
エマに向けて笑顔で頷く二人を、リオンがもの言いたげな様子でじっと見ていると、横に座っているキースが話し出した。
「よし、皆そろったな。こんな時間に訪ねてきて申し訳ない。実は、皆に話があってきたんだ。五日後に、クレメント家で遠征の帰還パーティーが行われる。そのパーティーに、リオンの叔母と、その娘が出席することになっているんだが、二人…いや、おそらくその叔母が、リリーのぬいぐるみに宝石を仕込んだのではないかと、我々は踏んでいるんだ。当日は何があるかわからない。だから、四人は部屋で待機してほしい」
「分かりました。そういう事情なら、当日は大人しくしています。ところでリオンさん、そのパーティーに来る娘さんというのは、縁談を持ち掛けられている従妹のことですか?」
「ああ、そうだ」
「そうなのか?」
「ああ」
エマの問いに答えるリオンと、縁談の話を知らなかったキースのやり取りを見ながら、二人に鋭い眼差しを向けるエマ。
「もしかして、今日騎士団の練習場で、リオンさんが女性に囲まれていたのは、何か理由があるんですか?」
「そうだ。リオンには、従妹にハニートラップを仕掛けるために、練習をしてもらっていたんだ。聞くところによると、その従妹はリオンに惚れていて、かなり押しが強い人物だそうだ。」
「練習…そういうことですか……それで、リオンさんもされるがままに、抵抗しなかったんですね」
「エマ…あまり、リオンを虐めないでくれるか。今日だって、無理やり連れていったんだ。いい加減、女性の扱いに慣れてもらわないと困るんだ」
「虐めてなんていないわ。ただ……良い感じだったのに、振り出しに戻ったから残念に思っただけよ。今が、二人にとって大事な時なのに……」
リオンは眉間に皺を寄せて俯き加減だ。
「君も幼いが、後継者教育を受けてるだろうから分かるよな。色恋も大事だが、後継者になる者にとって、大事な時機がある。今はクレメント家にとっても、国にとってもその時なんだ」
キースは、ルイーズの身内に助けを求めたようだ。
「僕は、幼いという年齢ではありません。それに、教育は受けていますから、跡継ぎにとって大事なことはもちろん学んでいます。
僕は……10歳なので、色恋には疎いかもしれません。でも、僕にとって家族はとても大切です。姉や妹を傷つける人は、絶対に許しません。父も同じ考えだと思います」
「リアムの言う通りだ………俺は、色仕掛けはやらない」
「お前、それが一番確実な方法なんだぞ。相手が結婚を狙っているならなおさらだ。お前が誘惑すれば、簡単に口を割るかもしれない」
「公爵令息様は、リオンさんが色仕掛けをできると思っているんですか?僕は無理だと思います。それから、リオンさんもできないのなら『やらない』ではなく、違う案を出してください」