一学期が終わったという解放感と、これからはじまるイベントのワクワク感で、学校の中がいつも以上に色めきだっていた。
「順番に着付けしていくので、こちらに並んでくださーいっ!」
納涼祭の参加者には、茶道部と箏曲部が総出で着付けをしてくれている。
その様子はまさに殺気立っていて、着付けの手際よさに感動する一方、やってもやっても終わらない行列に血走っている。
も、申し訳ない。
そう思いながら、わたしも着付けの列に並ぶ。
だって折角なら浴衣着たいじゃない。
はじめてのイベントだもん。
浴衣は一か月前に樹里と買いに行った。
生成り地に紫色の撫子の模様が散りばめられた柄がかわいくて。
この浴衣を着て納涼祭に参加するのを楽しみにしていたんだ。
「羽衣……紫希様も、来るのよね?」
後ろに並んでいる樹里が耳元で尋ねてくる。
「うん、多分……」
朝、紫希くんに聞いてみたけどはぐらかされた。
紫希くんとは、あれから付き合っている、と思っていたのだけれども、何故だか今までよりそっけなくなった。
電車の中では相変わらず守ってくれるんだけれど、手を繋ぐこともないし、それ以上の接触なんて当然なし。
よく考えたら、あの時、『好き』って言われてないの。
え? キスしたよね?
あれってなんだったの?
なんとも思ってなかったら、しないよね?
『誰にもとられたくない』ってそういう意味だよね?
あまりに紫希くんがそっけないから、だんだんと不安になってしまう。
そして気がついたの。わたしも『好き』って言ってなかったって。
だからこの納涼祭でちゃんと伝える! って決めたの。
まぁ、気合い入れたところで、紫希くんが来てくれなければ無意味なんだけどね。
「真琴様も来てくれるのかしら」
「樹里、彼氏いるじゃん。さっきから紫希くんとか、マコ……真琴くんとか言ってるの知ったら妬くんじゃない?」
危ない危ない。
マコちゃんと幼なじみなんて知られたら、これまた集中攻撃よ。
せっかく落ち着いていたのに、わざわざ自分で墓穴掘るところだった。
「それは別よーっ。普段遠巻きに見ていた彼らが、この敷地内に来るのよ。きっとあちこちが聖地化するわね」
すごっ……。
でもあながち否定できないかも。
紫希くんはわたしと登下校が続いていることもあって、だいぶ女子に取り囲まれることが減った。
だけどマコちゃんは、どんどん増えているような気がする。
しかもサービス精神が旺盛なのか、手を振ったり微笑んだりするもんだから、さらに加速していて。
うちの校舎から手を振ってたら振り返されたって涙している子がいたよ。
完全にアイドル化してる。
マコちゃんは、あれから自然に接してくれる。
『好きだったよ』
その気持ちには応えられなかったけど、伝えてくれたことが嬉しかった。
そして今、普通に接してくれるのが嬉しい。
あの笑顔に、わたしも救われているんだ。
「はい、終わりですー」
最後にくるりと全体を確認してくれて、あっという間に着付けが終わった。
すごい! 早い!
姿見で全体をチェックして、イイ感じ。
「羽衣、こっちこっち」
隣で着付けしてもらっていた樹里も終わっていた。
濃紺に鮮やかな大輪の花が、樹里によく似合う。
一緒に買いに行った時に思ったんだよね。
おそろもいいけど、わたしたちに似合う浴衣を選べてよかったねって。
樹里に引っ張られるように連れてこられたのは、二階の渡り廊下手前にある隠れ小部屋だった。
学校の遊び心らしく、うちの学校には数か所あるんだけれども、二階のここは木の幹の中にある部屋というコンセプト。
屈まないと入れないくらい小さな入口を入ると、切り株のテーブルと椅子が二つある、かわいらしい部屋なんだ。
お昼休みとかは人気の場所で、いつも誰かが使っているんだけど、今日はここ使っている人はいないみたい。
「どうしたの? 樹里」
「ふふーんっ」
嬉しそうに鞄から取り出したのは、メイク道具にかんざしにブラシ……。
「羽衣、普段ありのままだもんね。こんな時くらい、めいっぱいかわいくならなくちゃ」
鼻歌交じりにわたしの髪を梳かし始める。
「あ、ありがとう」
「どういたしましてー。なんたって紫希様を射止めた羽衣だからね。周りになにもいわせないくらい、とびっきりかわいくしてあげる!」
「樹里だって、最初はすごい剣幕で問い詰めてきたじゃない」
今ではもうだれもそんなことしないけど、あの日の出来事は軽くトラウマにはなっている。
女子って集団になるとあんなに怖いんだって。
「あれはーっ、しょうがなくない? だって紫希様だよ。それまで女の子の気配まったくなかったのに、急に手を繋いで登校してくるんだもん。それが紫希様に興味を示していなかった羽衣とだよ? 気になるに決まってるじゃん」
「ははっ……」
そうだよね。わたしだってあの日はビックリしたんだもん。
紫希くんは、あの時、わたしのことどう思っていたんだろう?
ただの思い付きだったのかな? それとも、少しは意識してくれていたのかな?
「でもさ、羽衣はいい子だし。そもそも紫希様のことを恋愛として好きだったわけじゃないしね。アイドルの熱愛に一過性のショックを受けたようなものだったんだよ。まぁ、これはそのお詫びもあるかな」
置き鏡越しに樹里は茶目っ気たっぷりに笑った。
憎めないなぁ、樹里も。
茶道部の子の着付けも手際よかったけど、樹里もすごい。
あっという間にかわいいアップにして、かんざしで飾り付けてくれた。
「さて、あとはメイクね」
頬を撫でられる指がくすぐったくて、思わず笑っちゃいそうになる。
「ほら、うごかない!」
「は、はいっ!」
いつもはふざけることが多い樹里の、真剣な顔をはじめてみたかも。
そしてテーブルに並べられたメイク道具は、何種類もある。
「樹里って、メイク好きなんだね」
「んー? そうだね。だってさ、メイクの仕方次第でいろんなかわいさが見つかるんだよ。楽しいじゃん」
確かに、この色とりどりのメイク道具を見ていたら、わたしもワクワクしてきた。
「……よし、できた!」
見てごらんと鏡を渡されて覗いてみると、そこにはいつもの自分とは違う顔をしたわたしがいた。
「樹里……すごいね」
「でしょー? それに羽衣は素材がいいからね。きっと紫希様もビックリするわよ」
「きてくれたら、ね」
「くるわよー、だって納涼祭よ? こーんなかわいくなった羽衣、ほっといたら誰かにとられちゃうって」
そう思ってくれたらいいんだけどね。
想いが通じ合ったと思っていたのに、最近の紫希くんを見ていると不安になる。
でも、魔法がかけられたみたいにいつもと違う自分になったら、少し勇気がわいてきた。
「もし、こなくても。わたしから会いに行けばいいんだ」
このまま恵那家まで浴衣で帰って、紫希くんに会いに行けばいい。
そして伝えるんだ。自分の気持ちを。
「そうだ、そうだ! いっちゃえっ」
同居していることは知らないはずなんだけど、樹里が応援してくれる。
「ありがとう、樹里。かわいくしてくれたことで、パワーもらえたよ」
「うんうん。とりあえず教室からでもグラウンド見回して紫希様探してごらん。目立つんだから、いればすぐわかるよ」
「樹里は? 一緒に行かないの?」
「あたしだってかわいくなりたいのよ。彼氏に見せるために。これからは自分の為にメイクすんの」
そっか。自分よりわたしを優先してくれたんだ。
「ありがとう、樹里」
「いいから行っておいで。お互いハッピーな夜になるといいね」
手を振った樹里に見送られて、教室へとやってきた。
わたしたちの教室は二階だから、グラウンドを見渡すにはちょうどいい。
中央にセッティングされたキャンプファイヤーは、間もなく訪れる夕闇を今か今かと待っている。
グラウンドの外周りには、生徒会や有志が用意してくれた縁日が盛り上がっていた。
そんな中、隅の一角でやたらと人だかりができていた。
たくさんの女子に囲まれて中心にいたのは──マコちゃんだった。
白地にストライプの浴衣が良く似合う。
男子校の方にも着付けする人たちがいるのかな?
それとも家に帰って琴子さんにやってもらったのかな?
普段は遠巻きに見ている子たちも、ここぞとばかりにマコちゃんと距離を詰めていた。
あれだけの人数に囲まれたら大変だろうに、それでもマコちゃんは笑顔を絶やさない。
大人だなぁ。紫希くんだったら絶対に不機嫌になっていそう。
そう思っていたら、マコちゃんがこっちを見た。
──え? 気づいた?
思わず手を振りかけて……やめた。
だって、またややこしいことになっちゃうもん。
マコちゃんもそんなわたしの気持ちを汲み取ってくれたのか、笑顔を一瞬向けただけで、それ以降わたしの方を見ることはなかった。
マコちゃんが来てるなら、紫希くんだって来ているかもしれない。
そう期待したけれど、どれだけ探しても、紫希くんの姿を見つけることはできなかった。
こなかった、のかな。
こういうイベント、嫌いなのかな。
気がつけばキャンプファイヤーの火が空に向かってのびている。
特設ステージが設けられていて、そちらで演奏が始まった。
あれだけ楽しみにしていたイベントなのに、紫希くんがいないってだけで、色褪せてしまう。
帰ろうかな……。
外で楽しそうな声が響けば響くほど、淋しさがつのってくる。
こんなこともあるかもって覚悟もしていたのに、どこかで期待してたんだ。紫希くんがきてくれるのを。
諦めきれなくて、やがて夜が訪れても、わたしはここから離れられなかった。
気が付けば音楽もしっとりとしてきて、どことなく祭りの終わりを感じさせたところで、我に返った。
外の明るさとは対比に、照明もつけていない教室も廊下も真っ暗だった。
いつまでもこうしていてもしかたないもんね。
そう思った時に、廊下の方でパタパタとスリッパのような音が聞こえた。
先生、かな?
納涼祭とはいえ、教室の出入りは何時まで大丈夫なんだろう?
ひょっとして見つかったら、怒られちゃったりするのかな。
思わずしゃがんで隠れたんだけど、足音はどんどんと近づいてくる。
嘘……これ、見つかるやつじゃん。
怒られるより先に謝った方がいいかな?
それでも、どうか通り過ぎてくれますようにと、祈る気持ちで膝を抱えた。
「──羽衣っ」
「え……?」
呼ばれたのは、聞きたかった声。
入口にいたのは、会いたくてずっと待っていた人。
もう諦めていたのに……。
来てくれないって、思っていたのに。
「遅くなって、悪い」
静かな教室の中、切れ切れに息をもらす紫希くんの低音が響く。
「本当、だよ。もう、こないと思った」
薄暗い中、一歩、一歩、教室の中へと足を進める紫希くんが、袴姿だということに、ようやく気がついた。
「部活、だったの?」
「今日、予選会だったんだ」
「え?」
それって、大会ってことだよね?
「朝、羽衣に伝えるか迷ったんだけど、予選会終わってから駆けつければ間にあうって思ったんだ。なのに時間押すし、電車は遅延するし……」
話しながらも少しずつわたしの方へと足を進めていた紫希くんは、とうとう目の前までやってきた。
よくみれば、少し着崩れているし、額には汗をいっぱいかいている。
話している息遣いも荒くて、呼吸が整っていない。
「また、急いで来てくれたんだ」
あの時と同じ。駆けつけてくれたんだ。
「羽衣が言っただろう? 犠牲にするなって。羽衣にも、周りの誰にも文句を言わせないため、今までで一番頑張ってきた。だから遅くなった」
「どういうこと?」
「優勝。ちゃんと勝ってから、こっちに来た」
優勝? 軽く言うけれど、大会で勝ち上がってきたってことだよね?
「すごい……すごいね! 紫希くん。おめでとう!」
「まぁな。時間ないから表彰式はすっぽかしてきたけど」
「え……?」
なんてことないというような表情してるけど、それっていいの?
「やば、くない?」
「うーん……まあ、それで優勝が取り消されたとしても、別に構わないさ」
「そんなっ!」
もったいないよ。せっかく頑張って優勝したのに。
予選会ってことは、その先に本選があるんでしょう?
取り消されたら、その本選に出る資格もなくなっちゃうんじゃないの?
「うそだよ」
いたずらっ気のある笑みを浮かべて、わたしの髪をそっと撫でる。
「うそ?」
「そう。なんせ俺は『体調不良』だから表彰式に出ないで帰ってきたってわけ」
「具合、悪いの?」
「あぁ」
あんまりそうは見えないけれど……。
教室の中は外からの光だけが頼りの薄暗さで、顔色まではわからない。
息がきれていたのは、具合が悪いからなの?
熱とか、あったりするの?
確かめるために手のひらで額の熱さを確かめようとしたら、その手首を掴まれた。
「俺の具合が悪い理由、わかるか?」
ち、近い。近いよ!
あまりの近さに思わずうつむいた。
「わ、わかんないよ」
決して強すぎるわけじゃないけれど、振りほどくことはできない力。
若干、声色に不機嫌が混ざっている気がするのは、気のせい?
「これ」
紫希くんが器用に片手でスマホを操作して、俯いたわたしに画面を見せてくれる。
そこには、この教室から外を眺めているわたしの姿が映っていた。
「な、なに? これ」
かなり遠いアングルだけど、間違いなくわたしだ。
視線が合ってないということは、知らないところで撮られたってこと?
「ご丁寧に、忠告付きだ」
『紫希ー。かわいいだろう? もたもたしてると、羽衣は誰かのものになっちゃうかもねー』
マコちゃんのアイコンで送られているメッセージは、明らかに紫希くんを挑発していた。
マコちゃん、いつの間に写真なんて撮ってたの……。
「しかもお前、どれだけ連絡しても出ないし」
「え!?」
スマホはちゃんと巾着に入れて持っているはずなのに。
慌てて確認してみると、充電が切れていた。
「ご、ごめん」
まさかこんなことになっているとは思わなかった。
そういえば昨日の夜は納涼祭が待ち遠しいのと、ちゃんと告白できるかでソワソワして色んなこと調べているうちに寝落ちしちゃったんだ。
「たどり着くまで、気が気じゃなかったんだけどな」
ふぅーっと息をはいた紫希くんが、ホッとしたような表情をしているように見えるのは、わたしの自惚れかな?
だって、ここまで急いで来てくれたんだもん。
こんなに心配してくれたんだもん。
その気持ちが、うれしくなっちゃう。
「急いで来てくれて、ありがとう。でも、なんで大会だって教えてくれなかったの?」
朝聞いた時には、はぐらかすだけで何も言ってくれなかった。
大会だってわかっていたら、わたしだって納得したのに。
「そんなの……大口叩いておいて、万が一結果が出なかったら、恥ずかしいだろう?」
珍しい。紫希くんが照れてる。
「紫希くんでも、そんな風に思うこと、あるんだ」
いつも自信たっぷりだし、実際なんでもこなしちゃう人なのに。
「弓道は心の乱れがそのまま出るからな」
「……乱れるようなこと、あったの?」
「張本人がなにを言うか」
張本人って、わたし?
朝、なにかやらかしたっけ?
「わかってねーな、その顔は」
「わかんないよ」
確かに納涼祭については何回か聞いたけど、それ以外ではここ最近、紫希くんとはあまり話していないもん。
どちらかといえば、紫希くんがわたしのこと避けてたんじゃない。
「え……?」
気がついたら、紫希くんの腕の中にいた。
いつもの強引さじゃなくて、包み込むような優しさで。
「あ、わり。汗臭いか」
わたしの戸惑う声に思い当たったのがそこらしく、すぐに引き離された。
「汗臭くなんか、ないよ」
だって、それは一生懸命、わたしのもとにきてくれた証なんだもん。
だから平気なんだって、今度はわたしからそっと飛び込んだ。
予想していなかったみたいで、紫希くんは一瞬身体が硬直したけれど、やがてわたしの髪の毛をそっと撫でてくれた。
道着の向こうに響く、紫希くんの鼓動が緊張を訴えている。
一緒だ、わたしと。
わたしの音も届いてしまっているだろうか? 伝わってしまっているだろうか?
「好き、だよ」
伝えようと、ずっと温めていた言葉。
どんなところが、とか。
どれくらい、とか。
飾る言葉もたくさんあるかもしれないけれど。
そんなの全部とっぱらって。
わたしが紫希くんに伝えたいのは、たった二文字。
「好き。紫希くんが、好き」
瞬間、それまで優しく撫でてくれていた手が背中にまわされて、激しく抱きしめられた。
身体が震えるくらい、強く、激しく。
「俺も、好きだ。誰にも渡さない。誰にも負けない。羽衣が、好きだ」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの中からこみあげてくるものが止まらなかった。
その言葉を、ずっと聞きたかった。
想いが通じ合ったと思った後、そっけなくされて不安になったのは、言葉が聞けなかったから。
そして、わたしも言葉にできなかったから。
言葉にするって、こんなに大切なことなんだ。
伝えるって、愛おしいことなんだ。
「もう一回、言ってくれる?」
紫希くんの胸の中、頬に手のひらで触れると、感触を確かめるようにすり寄せてくる。
「何回だって、言ってやる」
きらりと光る切れ長の目が、獲物を狙うようにわたしの心を捕らえた。
「好きだ。羽衣が、好きだ」
言葉を紡ぎながらも、手首に、首筋に、頬に、瞼に。
熱い温もりを落としていく。
「わたしも、紫希くんが、好き」
視線が絡まり、どちらから引き寄せられたのかなんてわからない。
月明りがさしこむ教室で、あの日の海で寄せて返した波のように、お互いの想いをぶつけ合った。
「順番に着付けしていくので、こちらに並んでくださーいっ!」
納涼祭の参加者には、茶道部と箏曲部が総出で着付けをしてくれている。
その様子はまさに殺気立っていて、着付けの手際よさに感動する一方、やってもやっても終わらない行列に血走っている。
も、申し訳ない。
そう思いながら、わたしも着付けの列に並ぶ。
だって折角なら浴衣着たいじゃない。
はじめてのイベントだもん。
浴衣は一か月前に樹里と買いに行った。
生成り地に紫色の撫子の模様が散りばめられた柄がかわいくて。
この浴衣を着て納涼祭に参加するのを楽しみにしていたんだ。
「羽衣……紫希様も、来るのよね?」
後ろに並んでいる樹里が耳元で尋ねてくる。
「うん、多分……」
朝、紫希くんに聞いてみたけどはぐらかされた。
紫希くんとは、あれから付き合っている、と思っていたのだけれども、何故だか今までよりそっけなくなった。
電車の中では相変わらず守ってくれるんだけれど、手を繋ぐこともないし、それ以上の接触なんて当然なし。
よく考えたら、あの時、『好き』って言われてないの。
え? キスしたよね?
あれってなんだったの?
なんとも思ってなかったら、しないよね?
『誰にもとられたくない』ってそういう意味だよね?
あまりに紫希くんがそっけないから、だんだんと不安になってしまう。
そして気がついたの。わたしも『好き』って言ってなかったって。
だからこの納涼祭でちゃんと伝える! って決めたの。
まぁ、気合い入れたところで、紫希くんが来てくれなければ無意味なんだけどね。
「真琴様も来てくれるのかしら」
「樹里、彼氏いるじゃん。さっきから紫希くんとか、マコ……真琴くんとか言ってるの知ったら妬くんじゃない?」
危ない危ない。
マコちゃんと幼なじみなんて知られたら、これまた集中攻撃よ。
せっかく落ち着いていたのに、わざわざ自分で墓穴掘るところだった。
「それは別よーっ。普段遠巻きに見ていた彼らが、この敷地内に来るのよ。きっとあちこちが聖地化するわね」
すごっ……。
でもあながち否定できないかも。
紫希くんはわたしと登下校が続いていることもあって、だいぶ女子に取り囲まれることが減った。
だけどマコちゃんは、どんどん増えているような気がする。
しかもサービス精神が旺盛なのか、手を振ったり微笑んだりするもんだから、さらに加速していて。
うちの校舎から手を振ってたら振り返されたって涙している子がいたよ。
完全にアイドル化してる。
マコちゃんは、あれから自然に接してくれる。
『好きだったよ』
その気持ちには応えられなかったけど、伝えてくれたことが嬉しかった。
そして今、普通に接してくれるのが嬉しい。
あの笑顔に、わたしも救われているんだ。
「はい、終わりですー」
最後にくるりと全体を確認してくれて、あっという間に着付けが終わった。
すごい! 早い!
姿見で全体をチェックして、イイ感じ。
「羽衣、こっちこっち」
隣で着付けしてもらっていた樹里も終わっていた。
濃紺に鮮やかな大輪の花が、樹里によく似合う。
一緒に買いに行った時に思ったんだよね。
おそろもいいけど、わたしたちに似合う浴衣を選べてよかったねって。
樹里に引っ張られるように連れてこられたのは、二階の渡り廊下手前にある隠れ小部屋だった。
学校の遊び心らしく、うちの学校には数か所あるんだけれども、二階のここは木の幹の中にある部屋というコンセプト。
屈まないと入れないくらい小さな入口を入ると、切り株のテーブルと椅子が二つある、かわいらしい部屋なんだ。
お昼休みとかは人気の場所で、いつも誰かが使っているんだけど、今日はここ使っている人はいないみたい。
「どうしたの? 樹里」
「ふふーんっ」
嬉しそうに鞄から取り出したのは、メイク道具にかんざしにブラシ……。
「羽衣、普段ありのままだもんね。こんな時くらい、めいっぱいかわいくならなくちゃ」
鼻歌交じりにわたしの髪を梳かし始める。
「あ、ありがとう」
「どういたしましてー。なんたって紫希様を射止めた羽衣だからね。周りになにもいわせないくらい、とびっきりかわいくしてあげる!」
「樹里だって、最初はすごい剣幕で問い詰めてきたじゃない」
今ではもうだれもそんなことしないけど、あの日の出来事は軽くトラウマにはなっている。
女子って集団になるとあんなに怖いんだって。
「あれはーっ、しょうがなくない? だって紫希様だよ。それまで女の子の気配まったくなかったのに、急に手を繋いで登校してくるんだもん。それが紫希様に興味を示していなかった羽衣とだよ? 気になるに決まってるじゃん」
「ははっ……」
そうだよね。わたしだってあの日はビックリしたんだもん。
紫希くんは、あの時、わたしのことどう思っていたんだろう?
ただの思い付きだったのかな? それとも、少しは意識してくれていたのかな?
「でもさ、羽衣はいい子だし。そもそも紫希様のことを恋愛として好きだったわけじゃないしね。アイドルの熱愛に一過性のショックを受けたようなものだったんだよ。まぁ、これはそのお詫びもあるかな」
置き鏡越しに樹里は茶目っ気たっぷりに笑った。
憎めないなぁ、樹里も。
茶道部の子の着付けも手際よかったけど、樹里もすごい。
あっという間にかわいいアップにして、かんざしで飾り付けてくれた。
「さて、あとはメイクね」
頬を撫でられる指がくすぐったくて、思わず笑っちゃいそうになる。
「ほら、うごかない!」
「は、はいっ!」
いつもはふざけることが多い樹里の、真剣な顔をはじめてみたかも。
そしてテーブルに並べられたメイク道具は、何種類もある。
「樹里って、メイク好きなんだね」
「んー? そうだね。だってさ、メイクの仕方次第でいろんなかわいさが見つかるんだよ。楽しいじゃん」
確かに、この色とりどりのメイク道具を見ていたら、わたしもワクワクしてきた。
「……よし、できた!」
見てごらんと鏡を渡されて覗いてみると、そこにはいつもの自分とは違う顔をしたわたしがいた。
「樹里……すごいね」
「でしょー? それに羽衣は素材がいいからね。きっと紫希様もビックリするわよ」
「きてくれたら、ね」
「くるわよー、だって納涼祭よ? こーんなかわいくなった羽衣、ほっといたら誰かにとられちゃうって」
そう思ってくれたらいいんだけどね。
想いが通じ合ったと思っていたのに、最近の紫希くんを見ていると不安になる。
でも、魔法がかけられたみたいにいつもと違う自分になったら、少し勇気がわいてきた。
「もし、こなくても。わたしから会いに行けばいいんだ」
このまま恵那家まで浴衣で帰って、紫希くんに会いに行けばいい。
そして伝えるんだ。自分の気持ちを。
「そうだ、そうだ! いっちゃえっ」
同居していることは知らないはずなんだけど、樹里が応援してくれる。
「ありがとう、樹里。かわいくしてくれたことで、パワーもらえたよ」
「うんうん。とりあえず教室からでもグラウンド見回して紫希様探してごらん。目立つんだから、いればすぐわかるよ」
「樹里は? 一緒に行かないの?」
「あたしだってかわいくなりたいのよ。彼氏に見せるために。これからは自分の為にメイクすんの」
そっか。自分よりわたしを優先してくれたんだ。
「ありがとう、樹里」
「いいから行っておいで。お互いハッピーな夜になるといいね」
手を振った樹里に見送られて、教室へとやってきた。
わたしたちの教室は二階だから、グラウンドを見渡すにはちょうどいい。
中央にセッティングされたキャンプファイヤーは、間もなく訪れる夕闇を今か今かと待っている。
グラウンドの外周りには、生徒会や有志が用意してくれた縁日が盛り上がっていた。
そんな中、隅の一角でやたらと人だかりができていた。
たくさんの女子に囲まれて中心にいたのは──マコちゃんだった。
白地にストライプの浴衣が良く似合う。
男子校の方にも着付けする人たちがいるのかな?
それとも家に帰って琴子さんにやってもらったのかな?
普段は遠巻きに見ている子たちも、ここぞとばかりにマコちゃんと距離を詰めていた。
あれだけの人数に囲まれたら大変だろうに、それでもマコちゃんは笑顔を絶やさない。
大人だなぁ。紫希くんだったら絶対に不機嫌になっていそう。
そう思っていたら、マコちゃんがこっちを見た。
──え? 気づいた?
思わず手を振りかけて……やめた。
だって、またややこしいことになっちゃうもん。
マコちゃんもそんなわたしの気持ちを汲み取ってくれたのか、笑顔を一瞬向けただけで、それ以降わたしの方を見ることはなかった。
マコちゃんが来てるなら、紫希くんだって来ているかもしれない。
そう期待したけれど、どれだけ探しても、紫希くんの姿を見つけることはできなかった。
こなかった、のかな。
こういうイベント、嫌いなのかな。
気がつけばキャンプファイヤーの火が空に向かってのびている。
特設ステージが設けられていて、そちらで演奏が始まった。
あれだけ楽しみにしていたイベントなのに、紫希くんがいないってだけで、色褪せてしまう。
帰ろうかな……。
外で楽しそうな声が響けば響くほど、淋しさがつのってくる。
こんなこともあるかもって覚悟もしていたのに、どこかで期待してたんだ。紫希くんがきてくれるのを。
諦めきれなくて、やがて夜が訪れても、わたしはここから離れられなかった。
気が付けば音楽もしっとりとしてきて、どことなく祭りの終わりを感じさせたところで、我に返った。
外の明るさとは対比に、照明もつけていない教室も廊下も真っ暗だった。
いつまでもこうしていてもしかたないもんね。
そう思った時に、廊下の方でパタパタとスリッパのような音が聞こえた。
先生、かな?
納涼祭とはいえ、教室の出入りは何時まで大丈夫なんだろう?
ひょっとして見つかったら、怒られちゃったりするのかな。
思わずしゃがんで隠れたんだけど、足音はどんどんと近づいてくる。
嘘……これ、見つかるやつじゃん。
怒られるより先に謝った方がいいかな?
それでも、どうか通り過ぎてくれますようにと、祈る気持ちで膝を抱えた。
「──羽衣っ」
「え……?」
呼ばれたのは、聞きたかった声。
入口にいたのは、会いたくてずっと待っていた人。
もう諦めていたのに……。
来てくれないって、思っていたのに。
「遅くなって、悪い」
静かな教室の中、切れ切れに息をもらす紫希くんの低音が響く。
「本当、だよ。もう、こないと思った」
薄暗い中、一歩、一歩、教室の中へと足を進める紫希くんが、袴姿だということに、ようやく気がついた。
「部活、だったの?」
「今日、予選会だったんだ」
「え?」
それって、大会ってことだよね?
「朝、羽衣に伝えるか迷ったんだけど、予選会終わってから駆けつければ間にあうって思ったんだ。なのに時間押すし、電車は遅延するし……」
話しながらも少しずつわたしの方へと足を進めていた紫希くんは、とうとう目の前までやってきた。
よくみれば、少し着崩れているし、額には汗をいっぱいかいている。
話している息遣いも荒くて、呼吸が整っていない。
「また、急いで来てくれたんだ」
あの時と同じ。駆けつけてくれたんだ。
「羽衣が言っただろう? 犠牲にするなって。羽衣にも、周りの誰にも文句を言わせないため、今までで一番頑張ってきた。だから遅くなった」
「どういうこと?」
「優勝。ちゃんと勝ってから、こっちに来た」
優勝? 軽く言うけれど、大会で勝ち上がってきたってことだよね?
「すごい……すごいね! 紫希くん。おめでとう!」
「まぁな。時間ないから表彰式はすっぽかしてきたけど」
「え……?」
なんてことないというような表情してるけど、それっていいの?
「やば、くない?」
「うーん……まあ、それで優勝が取り消されたとしても、別に構わないさ」
「そんなっ!」
もったいないよ。せっかく頑張って優勝したのに。
予選会ってことは、その先に本選があるんでしょう?
取り消されたら、その本選に出る資格もなくなっちゃうんじゃないの?
「うそだよ」
いたずらっ気のある笑みを浮かべて、わたしの髪をそっと撫でる。
「うそ?」
「そう。なんせ俺は『体調不良』だから表彰式に出ないで帰ってきたってわけ」
「具合、悪いの?」
「あぁ」
あんまりそうは見えないけれど……。
教室の中は外からの光だけが頼りの薄暗さで、顔色まではわからない。
息がきれていたのは、具合が悪いからなの?
熱とか、あったりするの?
確かめるために手のひらで額の熱さを確かめようとしたら、その手首を掴まれた。
「俺の具合が悪い理由、わかるか?」
ち、近い。近いよ!
あまりの近さに思わずうつむいた。
「わ、わかんないよ」
決して強すぎるわけじゃないけれど、振りほどくことはできない力。
若干、声色に不機嫌が混ざっている気がするのは、気のせい?
「これ」
紫希くんが器用に片手でスマホを操作して、俯いたわたしに画面を見せてくれる。
そこには、この教室から外を眺めているわたしの姿が映っていた。
「な、なに? これ」
かなり遠いアングルだけど、間違いなくわたしだ。
視線が合ってないということは、知らないところで撮られたってこと?
「ご丁寧に、忠告付きだ」
『紫希ー。かわいいだろう? もたもたしてると、羽衣は誰かのものになっちゃうかもねー』
マコちゃんのアイコンで送られているメッセージは、明らかに紫希くんを挑発していた。
マコちゃん、いつの間に写真なんて撮ってたの……。
「しかもお前、どれだけ連絡しても出ないし」
「え!?」
スマホはちゃんと巾着に入れて持っているはずなのに。
慌てて確認してみると、充電が切れていた。
「ご、ごめん」
まさかこんなことになっているとは思わなかった。
そういえば昨日の夜は納涼祭が待ち遠しいのと、ちゃんと告白できるかでソワソワして色んなこと調べているうちに寝落ちしちゃったんだ。
「たどり着くまで、気が気じゃなかったんだけどな」
ふぅーっと息をはいた紫希くんが、ホッとしたような表情をしているように見えるのは、わたしの自惚れかな?
だって、ここまで急いで来てくれたんだもん。
こんなに心配してくれたんだもん。
その気持ちが、うれしくなっちゃう。
「急いで来てくれて、ありがとう。でも、なんで大会だって教えてくれなかったの?」
朝聞いた時には、はぐらかすだけで何も言ってくれなかった。
大会だってわかっていたら、わたしだって納得したのに。
「そんなの……大口叩いておいて、万が一結果が出なかったら、恥ずかしいだろう?」
珍しい。紫希くんが照れてる。
「紫希くんでも、そんな風に思うこと、あるんだ」
いつも自信たっぷりだし、実際なんでもこなしちゃう人なのに。
「弓道は心の乱れがそのまま出るからな」
「……乱れるようなこと、あったの?」
「張本人がなにを言うか」
張本人って、わたし?
朝、なにかやらかしたっけ?
「わかってねーな、その顔は」
「わかんないよ」
確かに納涼祭については何回か聞いたけど、それ以外ではここ最近、紫希くんとはあまり話していないもん。
どちらかといえば、紫希くんがわたしのこと避けてたんじゃない。
「え……?」
気がついたら、紫希くんの腕の中にいた。
いつもの強引さじゃなくて、包み込むような優しさで。
「あ、わり。汗臭いか」
わたしの戸惑う声に思い当たったのがそこらしく、すぐに引き離された。
「汗臭くなんか、ないよ」
だって、それは一生懸命、わたしのもとにきてくれた証なんだもん。
だから平気なんだって、今度はわたしからそっと飛び込んだ。
予想していなかったみたいで、紫希くんは一瞬身体が硬直したけれど、やがてわたしの髪の毛をそっと撫でてくれた。
道着の向こうに響く、紫希くんの鼓動が緊張を訴えている。
一緒だ、わたしと。
わたしの音も届いてしまっているだろうか? 伝わってしまっているだろうか?
「好き、だよ」
伝えようと、ずっと温めていた言葉。
どんなところが、とか。
どれくらい、とか。
飾る言葉もたくさんあるかもしれないけれど。
そんなの全部とっぱらって。
わたしが紫希くんに伝えたいのは、たった二文字。
「好き。紫希くんが、好き」
瞬間、それまで優しく撫でてくれていた手が背中にまわされて、激しく抱きしめられた。
身体が震えるくらい、強く、激しく。
「俺も、好きだ。誰にも渡さない。誰にも負けない。羽衣が、好きだ」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの中からこみあげてくるものが止まらなかった。
その言葉を、ずっと聞きたかった。
想いが通じ合ったと思った後、そっけなくされて不安になったのは、言葉が聞けなかったから。
そして、わたしも言葉にできなかったから。
言葉にするって、こんなに大切なことなんだ。
伝えるって、愛おしいことなんだ。
「もう一回、言ってくれる?」
紫希くんの胸の中、頬に手のひらで触れると、感触を確かめるようにすり寄せてくる。
「何回だって、言ってやる」
きらりと光る切れ長の目が、獲物を狙うようにわたしの心を捕らえた。
「好きだ。羽衣が、好きだ」
言葉を紡ぎながらも、手首に、首筋に、頬に、瞼に。
熱い温もりを落としていく。
「わたしも、紫希くんが、好き」
視線が絡まり、どちらから引き寄せられたのかなんてわからない。
月明りがさしこむ教室で、あの日の海で寄せて返した波のように、お互いの想いをぶつけ合った。