夏休みまで二週間。
高校生になってはじめての夏休みに、わたしは浮かれていた。
何故なら一学期の終業式後に、楽しみにしているイベントがあるから。
中学は部活に一生懸命だったから、イベントよりも部活を優先していた。
それはそれで充実していたって思うけど、気がついたら周りは好きな人ができた、とか。彼氏ができた、とか。
顔を赤らめながら楽しそうに話すみんなが輝いていて。
わたしだって、高校ではもっと日常生活を楽しみたい!
そう思ったから、高校では部活に入らなかったんだ。
念願の生活は、放課後のカフェやカラオケ、ドラマの話や恋の話に盛り上がって、超楽しい。
……といっても、わたしには今もまだ彼氏も好きな人もいないんだけど。
いつかはできたらいいな。
そしたらもっともっと楽しいと思うのに。
わたしの通う学校は女子高だから、当然だけど学校内では出会いがない。
若い男の先生に盛り上がっている子たちもいるけれど、うちの学校の場合はもっと盛り上がる対象がいるんだ。
それは隣の敷地にある男子校。
手を伸ばす距離に男の子たちがいるんだもん。
お互い意識しないわけがないから、二校間で付き合っている率は高いと思う。
友達の樹里も、通学電車で一緒になって彼氏できたし。
いいなぁ。わたしにはまだそんな出会いないや。
そんなわたしが楽しみにしているイベントが、終業式後に行われる納涼祭。
うちの女子高のグラウンドを開放して、生徒会主催で縁日が用意されたり、キャンプファイヤーがあったりするんだって。
強制参加じゃないけれども、参加率はかなり高いって聞いてる。
だって、隣の男子校の生徒がやってくるんだもん。
しかも、浴衣で!
噂ではこのイベントで恋が始まる人も多いんだとか。
だったら、わたしにもそんな出会いがあるかもしれない。
そう思って、今からワクワクしているんだ。
そんなわたしの胸中を打ち破るように、近くで大きな雷の音がした。
「やだぁー。この時期はゲリラ雷雨が多いから」
ママがうんざりしたように嘆いたと同時に、ママのスマホが着信を知らせた。
「もしもし? あ、パパ、どうしたの?」
単身赴任中のパパは寂しがりやで、ほぼ毎日のようにママと通話している。
ママも嬉しそうに話しているから、本当に仲がいい。
まったく。いつまで経ってもラブラブなんだから。
長期休暇とかで帰ってくると、二人でデートに行っちゃったりとか、わたしの前でも堂々と「いってらっしゃい」のキスするんだもん。
恥ずかしいと思う一方で、羨ましいなって思う。
わたしもそういう人と巡り逢いたいなー。
それにしても土曜のお昼にかけてくるなんて珍しい。いつもなら夜かけてくるのに……。
「えぇっ⁉」
突如大きな声を出したかと思ったら、ママの顔がどんどんと青ざめていく。
なに? どうしたの?
ママは慌てながらもテーブルでその辺に置いてあった用紙の裏にメモを取る。
そこには、聞いたことがない病院名が書かれていた。
え? びょう、いん?
どういうこと?
パパ、どうかしたの?
聞きたいけれどママは青ざめながらも、震える両手でスマホを握りしめながら相槌を打っている。
早く、早く電話終わって。
祈るように待っていたら、やがてママの手がダラリと下がって、そのまま崩れ落ちた。
「ママッ!」
後ろに倒れるんじゃないかと思ったから抱き起すように支えると、ママがわたしの身体にしがみついて震えていた。
「パ、パパ……階段から落ちて怪我した、って……」
「えぇ⁉」
「ぜ、全治一ケ月って……い、命は大丈夫っ。で、でも……」
震えながら一生懸命説明してくれるママの背中を、ゆっくりと擦る。
びっくりして心配だけど、うろたえているママを見たら、不思議と気持ちが落ち着いてきた。
「ゆっくりで大丈夫。パパ、今は入院してるの?」
コクンと頷いて、ママはさっきのメモを見せてくれた。
「びょ、病院。行かなくちゃ」
「そうだね。すぐ行かなくちゃいけない? もし急ぎならママ、すぐに向かっていいよ。わたしが後で荷物送るから」
「…………え?」
そこでママは冷静になった。
あれ? わたし、なんか変なこと言ったかな?
「羽衣。どういうこと?」
「どういうって、急いでいるんでしょ? だったら荷物まとめる時間も惜しいじゃん」
「……って、羽衣はついてこないつもり?」
「だって、わたしまだ学校あるよ。夏休みまで二週間あるもん」
「学校よりパパじゃないの?」
「えー……」
そりゃあ、パパのことは心配だよ。
だけど学校二週間は、さすがに休みたくないよ。
それに終業式には、楽しみにしていた納涼祭があるんだもん。
「羽衣も一緒に行こう! パパも心配だけど、羽衣だって一人でなんて置いていけないわ」
「ママー、わたしももう高校生だよ。ちょっとくらい一人でも平気だって」
「ダメよ。近頃危ないんだから。女の子が一人でいるなんてもし知られたら、どんな目に遭うか……」
大げさだなぁ~。
そりゃあこの家に一人って、確かに夜は寂しいかもしれないけど、プチ独り暮らしって感じでそれはそれで楽しそう。
……なんてわたしは思っているのに、ママは納得していない。
「ママ、こうしている間に時間過ぎちゃうよ。早く行かないと新幹線間に合わないんじゃない?」
「そうだけどぉー……あ‼ そうだ!」
閃いたと言わんばかりに両手をパチンと叩き、すぐさまスマホを触りだす。
今度はなに? そう思いながらも、今は多分なにを言っても無駄だよね。
だってママはいつもこうなんだから。
閃きで動く直感派。思いついたらすぐ行動しちゃう。
いつもわたしは振り回されるんだ。
「もしもし? 琴ちゃん?」
どうやらお友達との通話らしい。
よくわかんないけど、こんな時にかけるんだから、大事な電話なんだよね。
だったらその間に、最低限の荷物をまとめてあげよう。
当日分の着替えは必要だよね。あとは……。
「羽衣、わかった。ママ一人で行ってくるね」
いつの間にか通話が終わっていて、ママはスッキリした顔をしている。
「……うん。気を付けて?」
あまりに変わり身が早すぎて、さすがにわたしも面食らっちゃうんだけど。
「羽衣は、琴ちゃんのお家に行ってね?」
「うん……う、んっ⁉」
唐突の指令に思わず叫んでしまう。
「ちょ、ママ? 琴ちゃんって、誰?」
「琴ちゃんはね、ママのお友達。っていうか、羽衣も知っているはずなのよ。ほら、小さい頃、隣同士で仲の良かったお家があったでしょ?」
小さい頃って……確か、今の家に引っ越してくる前だよね。
小学校に入学するタイミングで、今の家に引っ越してきたんだけど……。
「そんな昔のこと、憶えてないよぉ」
「そう? とにかくね、その時にお隣だった琴ちゃんとは、同じような時期にお互いお引越ししたのよね。それでも今も時々会う仲良しのお友達なの。事情話してお願いしたらOKって言ってくれたから、ママがパパのところにいる間、羽衣は琴ちゃんのお家でお世話になってね」
「はぁ⁉」
いくらママが直感派とはいえ、それはあまりにいきなりすぎない⁉
「ママ、わたしにとっては初めましてのお家なんだけど。そもそもいくらお友達だからってそんな急に」
「大丈夫よ。琴ちゃんっておおらかだし、ほら、同い年の子もいるしね」
そんな子、いたっけ?
遠い記憶を探ってみると、うっすらぼんやりと一人の子の姿を思い出した。
印象的なのは大きな瞳。茶色の髪がふわっとしていた、まるで天使のような子。
そう、確か……。
「マコちゃん、だっけ?」
「そうそう! ママも子供の頃以来直接は会っていないんだけどね。琴ちゃんから話は聞いてるわ。あの頃はかわいらしくて小さかったけど、随分大きくなったのよーって」
「へぇ……」
「琴ちゃんのおかげでママ、安心しちゃった。じゃあ行ってくるから。羽衣も荷造りしたらちゃんと鍵閉めて行くのよ」
動きはじめたら素早いママ。話しながらしっかりと荷造りを終えて、さっさと玄関を飛び出してしまった。
「本当に、もう……」
ママに振り回されるのは今に始まったことじゃないとはいえ、知らないお家にお世話になるのは緊張する。
気がつけば、テーブルの上にはママのメモが置いてあった。
琴ちゃんというのは、恵那琴子さんという名前らしい。
住所は、かろうじて同じ県内なんだね。
うちって下手に県内行くよりも隣の県に行ったほうが近いくらいの県境なんだけど。
恵那家は反対側の県境だった。
遠っ! 端から端に移動するじゃん!
これ……行かないってわけには、いかないよね。
相手側に連絡ついちゃってるんだし。
本当にもうっ、ママったら強引なんだからっ!
それでも、微かに思い出したマコちゃんのことが、気になりはじめている。
小さかったからほとんど憶えていないんだけど、よく二人で一緒に遊んでいたんだよね。
すっごいかわいかったっていう記憶はあるんだけど、写真とかなかったかな?
荷造りのつもりが、本棚の奥に仕舞ってあった古いアルバムを手にして、ペラペラと捲っていく。
赤ちゃんの頃の写真が過ぎてから、お目当ての写真がみつかった。
どこかの公園で遊んでいるのか、二人で芝生の上にしゃがんで花冠をつけていた。
そのマコちゃんの姿は、まさしく天使そのもの。
ほんっっとうに、かわいいんだけど!
子どもの頃でこんなかわいいんだから、今はどれだけの美人さんになっているんだろう?
このまま成長しているなら、モデルになっていてもおかしくないくらいだよね。
はじめてのお家にお邪魔する緊張感は変わらないものの、成長したマコちゃんに会いたいという好奇心は沸いてきた。
「よし、行ってみるかぁ」
外は照りつける太陽でうだるような気温。
慣れないキャリーケースを引きずりながら、マコちゃんのお家へと向かうことにした。
ママがメモを残した住所にたどり着きはしたものの、インターホンを押す指が震える。
だって、いきなりお世話になりますって、ハードル高いよ。
ここまでは勢いのようなもので来れたけどさ。
何度も深呼吸するけれど、数センチ先に指が伸びなくて、何度も腕をおろす。
もう……やっぱり帰っちゃダメかな?
「うちに何の用?」
突然背後から低音が響いて、思わず「ひゃあっ!」って声が出ちゃった。
振り返ると、わたしよりもはるかに身長の高い男の人が、不機嫌そうに立っている。
サラサラの黒髪に切れ長の目がキレイ……って、そうじゃない!
見とれている場合じゃない。
「あ、あのっ……」
「若いのに、勧誘? セールス? それとも宗教?」
唐突に並べられたワードに、頭がついていかない。
「は……?」
「一切お断りだから帰って。めーわく」
「え……?」
「これ以上そこにいるなら、ケーサツ呼ぶからな」
吐き捨てるように言って、その人は玄関の中へと入っていった。
え……? 今の、なに?
『勧誘? セールス? それとも宗教?』
言われた言葉を反芻する。
ちょっ、ちょっと待ってよ!
なんでわたしがそんな風におもわれているの?
しかも、あれ、誰?
わたし、ひょっとして家を間違えた?
ママのメモを確認して、スマホで住所検索しても間違いない。
表札も「恵那」になっているから、絶対に間違いない。
合ってるじゃん!
だんだんとむかっ腹が立ってきて、さっきまでためらっていたのが嘘みたいに、勢いよくインターホンを押した。
『はぁーい』
優しい女性の声が聞こえてきた。
この人がママのお友達の『琴子さん』なのかな?
カチャリと玄関の鍵が開いたと思われるのと同時に、大きな声が響いた。
「ちょっ、琴子さん! 開けんなって。アイツ、さっきからずっと立ってた怪しい奴だから」
「えー? 違うわよ、紫希くん。私は、あの子がくるの待っていたんだから」
「は……?」
なにやらもめていたらしい状態のまま、女性が強引に玄関のドアを開けたと見える。
飛びだそうとする女性を、さっきの男の人が目を吊り上げて必死に止めている。
「羽衣ちゃん、よね?」
白いエプロンをつけたかわいらしい人が、笑顔で聞いてくる。
「あ、はい。そうです」
返事をした途端に、駆け寄られて熱烈なハグされた。
「いらっしゃーいっ! 待ってたわよー! 遠いところお疲れさま。さ、入って入って」
そのまま背中をぐいぐいと押されて、玄関へと誘導される。
「あ、紫希くん。羽衣ちゃんの荷物、運び入れてあげて」
「は? なんで俺が……っていうか、誰だよコイツ」
「説明はあとでね。ほら、早く」
そう言われてため息をつきながら動いた彼は、すれ違いざま明らかに聞こえる舌打ちをした。
なに? あれ。感じわるっ!
にしても、誰なんだろう?
マコちゃんに男の子の兄弟なんていたっけ?
押されるままに案内されたリビングは日当たりがよくて、ソファには毛並みがいい白い猫ちゃんがいた。
「うわぁ、かわいい!」
「ふふっ。美人でしょ」
猫ちゃんにそっと手を伸ばしたら、匂いをかいで嫌がる様子をみせない。
そのまま顎の下を撫でると、ゴロゴロとすり寄ってくれた。
うわぁ、人懐っこい。かわいい。
「ソラも羽衣ちゃんに会えて嬉しいわね」
「ソラちゃんって言うんだぁ。よろしくね」
まるで言葉がわかるかのように、ソラちゃんがスリッと頬を寄せてくれた。
最初の緊張がどこへやら。ソラちゃんのかわいさですっかりとほぐれていく。
「琴子さん、説明してくれよ」
不機嫌な声に振り返れば、リビングの入口でさっきの彼が立っていた。
足元にはわたしのキャリーケースがあるから、言われた通り運び入れてくれたみたい。
琴子さんの言葉には素直に聞くのね。
「そうね。じゃあ紫希くん、座って。羽衣ちゃんも、ここに座ってくれるかしら?」
ダイニングテーブルに手招きをされたので、そのまま琴子さんが引いてくれた椅子に腰かける。
向かいに座った彼はまだ不機嫌なままで、わたしと目が合うとフンッと顔を背けてしまった。
「紫希くん、そんな顔しないの。羽衣ちゃんがビックリしちゃうわ」
「さっきから羽衣、羽衣って言われても、俺、知らねーもん。誰だよ、コイツ」
琴子さんはわたしの後ろに立ち、両肩に手を乗せた。
「この子は、安城羽衣ちゃん。私のお友達の娘さんで、真琴の幼なじみでもあるのよね」
「あ……そう、ですね」
マコちゃんのことは、正直さっき思い出したばっかりで『真琴』という名前にピンとこなくて、ぎこちなく返事しちゃった。
でも小さい頃遊んでたんだから、幼なじみには間違いないよね。
わたしの紹介を終えると琴子さんはパタパタと移動していき、彼の横に立った。
「こっちは紫希くん。年齢は羽衣ちゃんと同じよ」
「紫希、くん?」
この場にいるんだから、家族なんだろうと思いながらも、疑問が拭えない。
さっきも思ったんだけど、マコちゃんって、兄弟いたっけ?
しかも同い年ってことは、双子⁉
でも、わたしの朧げな記憶では、一人っ子だった気がするんだけど。
「琴子さん、多分説明が足りねー」
「あ……」
頭の中で色んな疑問がわいていたんだけど、それが顔に出ていたのかな?
そんなわたしに、気づいてくれたの?
不機嫌でわたしのことなんて興味なさそうだったのに。
助け船を出すかのように、琴子さんに言ってくれた。
思わず紫希くんの顔をまじまじと見てしまったら、また背けられてしまった。
「あ、そうね。説明不足でごめんなさい。私ね、一度離婚して再婚しているの。だから紫希くんは旦那さんの連れ子さん」
「あぁ……」
だから紫希くんは『お母さん』じゃなくて『琴子さん』って呼ぶんだ。
不思議に思っていたことがわかって、スッキリした。
「で、羽衣ちゃんのお父さんがね、単身赴任中に怪我しちゃったから、お母さんが看病に行っちゃったのよ。だからその間、羽衣ちゃんには家で生活してもらうことになったの」
「…………は?」
だよねぇ。簡単に納得できないよね。
わたしだってママから言われた時は驚いたもん。
戸惑う紫希くんをよそに、琴子さんはさらに続ける。
「部屋はね、真琴の部屋を使ってもらうわ。紫希くん、しばらく真琴と同じ部屋で過ごしてね」
「ちょ、ちょっと待て! なんで俺らが一緒にならなきゃいけねーんだよ」
「だぁって、昔馴染みって言ったって、真琴と羽衣ちゃんを一緒にするわけにはいかないじゃない。紫希くんだって羽衣ちゃんと一緒ってわけにはいかないでしょ?」
え? この人と⁉
いやいやいや、それは絶対にありえないでしょ。
はじめましての人と一緒なんて、それも男の人とっっ。
「あ、あの……マコちゃんさえよければ、わたしはマコちゃんと一緒でも」
紫希くん、どうあっても気に入らないみたいだし。
それなら、あの天使のようなマコちゃんだったら、一緒でもいいって言ってくれるかもしれない。
「……お前、何言ってんの?」
紫希くんが正面から睨んでくる。
もう、この人キレイな顔しているだけに、睨むと怖いよ。
「だって、紫希、くん、迷惑そうだし。マコちゃんは幼なじみだし、女の子同士ならいいかなって思ったんだけど」
わたしがそう提案すると、何故だか二人とも困ったような顔をした。
え……なんで?
ひょっとして、マコちゃんもわたしがくるの、迷惑だって思っているの?
リビングに妙な沈黙が走った後、階段を軽い足取りで降りてくる音が響いた。
「母さん、片付け終わったよ!」
現れたのは、耳にかかるくらいの柔らかそうな茶色い髪に、大きな瞳の男の子だった。
え? またまたこの人は、誰?
なんにしても恵那家ってビジュアル良物件しかいないんだけど、すごくない?
キレイなんだけど、紫希くんとは真逆で、どちらかというとかわいい感じ。
まるで天使みたいに……って、天使?
その彼は笑顔でリビングを見渡し、わたしに気がつくと、ふわっと優しく笑った。
「羽衣、だよね?」
紫希くんの低音とは違う、心地よく響く声で呼びかけられて、コクンと頷いた。
「やっぱり!」
ますます嬉しそうに笑った彼は、駆け寄ってきてギュッとわたしを抱きしめる。
「え? え?」
「久しぶりっ! 羽衣、ますますかわいくなったね!」
いやいや! 天使のように眩しいあなたにそんなこと言われても信じられませんが。
というか、というかよ?
ひょっとしてこの、天使のような男の子って……。
「マコ、ちゃん?」
「なに?」
あっさりと返事をする彼に、思わず口が金魚のようにパクパクとしてしまう。
確かにキレイで天使のようなまま成長してるけど。
予想以上にビジュアルよすぎるんですけど。
それでも。一番大事なところを、わたしは今、知ったんですけどっ!
「真琴。お前、女だと思われていたみたいだぞ」
言っていいのか迷っていたのに、紫希くんが容赦なく言ってしまった。
この人、わたしの気持ちを代弁しているかのよう。
そんなにわたしって考えていることが顔に出やすいの?
そんなこと、言われたことないけど。
いやいや、それよりマコちゃんが不躾に『女と思ってた』なんて言われて、怒ったりしないかな?
「お、怒ってない?」
そっとマコちゃんの様子を伺うと、きょとんとした顔をしていた。
「ん? なにを?」
「その、女の子だって勘違いしてたこと」
幼い頃しか知らなかったからとはいえ、再会していきなり言うことじゃないよね。
そう思ったから躊躇ったのに、紫希くんったら言っちゃうんだもん。
「気にしないで。羽衣と遊んでいたのって小さい頃だし、あの頃ってよく間違われてたみたいなんだよね。母さんも面白がってスカート履かせたりとかしてたみたいだし」
「えぇ⁉」
驚いて琴子さんを見れば、イタズラが見つかったみたいに微笑んだ。
「だって、真琴ったらすごく可愛かったんですもの。この先、女の子が生まれる保障がなかったし、実際、生まれなかったし。似合ううちに似合う格好はさせてもいいでしょ?」
「まぁ、結構友達の間でも評判いいからいいんだけどね」
確かにわたしもさっき見返したアルバム、めちゃくちゃかわいかったもんなぁ。
でもそれならわたしが女の子と間違えていてもしかたがない、よね?
「だからね、羽衣ちゃんと真琴が一緒の部屋ってわけにもいかないのよ」
「そう、ですね」
男の子とわかったからには、マコちゃんと一緒というわけにはいかない。
こうなると紫希くんが迷惑がっても、最初の提案にのってもらうしかないんだけど……。
「なに? 羽衣、ボクと一緒の部屋が良かったの?」
いきなり顔を覗き込むように尋ねられて、思わず心臓がバクバクする。
み、見慣れていないから、そのビジュアルは眩しすぎますっ。
その大きな瞳で見つめないでーっ。
「そ、それは……」
「羽衣がいいんなら、ボクはそれでもいいんだけどね」
クイッと顎を持ち上げられて、さらに距離が近づく。
て、天使の眼差しがっ。ドキドキして目が離せないんですけどっ!
「なわけねーだろ」
「あいたっ!」
突然離れたマコちゃんは、頭を痛そうに擦っていた。
そのマコちゃんが見上げる先には、紫希くんが立っていた。
「真琴が部屋を掃除してるってそういうことだったのか。俺だけ知らなかったのは気に入らねーけど、事情はわかった。一時的なもんなんだろう?」
「えぇ。多分一か月くらいになると思うわ」
「わかった。真琴、あんまり俺の部屋の物いじるなよ」
それだけ言って、紫希くんはリビングから出て行ってしまった。
「だい、じょうぶでしょうか?」
やけにあっさりと了解してくれたけど。
どうやら紫希くんだけなにも事情を知らされていなかったみたいだし。
最初に変な勘違いされたのはムカつくし、ヤな奴って思ったけど、今思い出すと、琴子さんのこと心配してたもんね。
義理の親子でも仲いいし、大切にしてるんだ。
「大丈夫よ。紫希くん、ぶっきらぼうに見えていい子なのよ。ね? 真琴」
「そうだね、照れ屋で不器用だよね」
二人で顔を見合わせて笑う様子はよく似ていて、あぁ、親子だなぁって思う。
じゃあ紫希くんと琴子さんが母娘に見えないかといえば、そうでもない。
それは多分、琴子さんのコミュニケーション力なんだろうな。
わたしにもいきなりハグだったし。
そういえばマコちゃんも、いきなりハグだった。
この親子、言動がよく似てるわ。
若干、この二人に振り回されていそうな紫希くんが気の毒のように思えた。
なんだかママに振り回されているわたしに似てそう。
「とにかく、自分の家だと思ってくつろいでね、羽衣ちゃん」
ふんわりと笑う琴子さんに、わたしも笑い返した。
「はい、よろしくお願いします」
さすがに自宅のように、というのは無理だけど。
優しい空気のこの家は、最初の緊張が嘘みたいに、穏やかな気持ちでいられそうな予感がした。
高校生になってはじめての夏休みに、わたしは浮かれていた。
何故なら一学期の終業式後に、楽しみにしているイベントがあるから。
中学は部活に一生懸命だったから、イベントよりも部活を優先していた。
それはそれで充実していたって思うけど、気がついたら周りは好きな人ができた、とか。彼氏ができた、とか。
顔を赤らめながら楽しそうに話すみんなが輝いていて。
わたしだって、高校ではもっと日常生活を楽しみたい!
そう思ったから、高校では部活に入らなかったんだ。
念願の生活は、放課後のカフェやカラオケ、ドラマの話や恋の話に盛り上がって、超楽しい。
……といっても、わたしには今もまだ彼氏も好きな人もいないんだけど。
いつかはできたらいいな。
そしたらもっともっと楽しいと思うのに。
わたしの通う学校は女子高だから、当然だけど学校内では出会いがない。
若い男の先生に盛り上がっている子たちもいるけれど、うちの学校の場合はもっと盛り上がる対象がいるんだ。
それは隣の敷地にある男子校。
手を伸ばす距離に男の子たちがいるんだもん。
お互い意識しないわけがないから、二校間で付き合っている率は高いと思う。
友達の樹里も、通学電車で一緒になって彼氏できたし。
いいなぁ。わたしにはまだそんな出会いないや。
そんなわたしが楽しみにしているイベントが、終業式後に行われる納涼祭。
うちの女子高のグラウンドを開放して、生徒会主催で縁日が用意されたり、キャンプファイヤーがあったりするんだって。
強制参加じゃないけれども、参加率はかなり高いって聞いてる。
だって、隣の男子校の生徒がやってくるんだもん。
しかも、浴衣で!
噂ではこのイベントで恋が始まる人も多いんだとか。
だったら、わたしにもそんな出会いがあるかもしれない。
そう思って、今からワクワクしているんだ。
そんなわたしの胸中を打ち破るように、近くで大きな雷の音がした。
「やだぁー。この時期はゲリラ雷雨が多いから」
ママがうんざりしたように嘆いたと同時に、ママのスマホが着信を知らせた。
「もしもし? あ、パパ、どうしたの?」
単身赴任中のパパは寂しがりやで、ほぼ毎日のようにママと通話している。
ママも嬉しそうに話しているから、本当に仲がいい。
まったく。いつまで経ってもラブラブなんだから。
長期休暇とかで帰ってくると、二人でデートに行っちゃったりとか、わたしの前でも堂々と「いってらっしゃい」のキスするんだもん。
恥ずかしいと思う一方で、羨ましいなって思う。
わたしもそういう人と巡り逢いたいなー。
それにしても土曜のお昼にかけてくるなんて珍しい。いつもなら夜かけてくるのに……。
「えぇっ⁉」
突如大きな声を出したかと思ったら、ママの顔がどんどんと青ざめていく。
なに? どうしたの?
ママは慌てながらもテーブルでその辺に置いてあった用紙の裏にメモを取る。
そこには、聞いたことがない病院名が書かれていた。
え? びょう、いん?
どういうこと?
パパ、どうかしたの?
聞きたいけれどママは青ざめながらも、震える両手でスマホを握りしめながら相槌を打っている。
早く、早く電話終わって。
祈るように待っていたら、やがてママの手がダラリと下がって、そのまま崩れ落ちた。
「ママッ!」
後ろに倒れるんじゃないかと思ったから抱き起すように支えると、ママがわたしの身体にしがみついて震えていた。
「パ、パパ……階段から落ちて怪我した、って……」
「えぇ⁉」
「ぜ、全治一ケ月って……い、命は大丈夫っ。で、でも……」
震えながら一生懸命説明してくれるママの背中を、ゆっくりと擦る。
びっくりして心配だけど、うろたえているママを見たら、不思議と気持ちが落ち着いてきた。
「ゆっくりで大丈夫。パパ、今は入院してるの?」
コクンと頷いて、ママはさっきのメモを見せてくれた。
「びょ、病院。行かなくちゃ」
「そうだね。すぐ行かなくちゃいけない? もし急ぎならママ、すぐに向かっていいよ。わたしが後で荷物送るから」
「…………え?」
そこでママは冷静になった。
あれ? わたし、なんか変なこと言ったかな?
「羽衣。どういうこと?」
「どういうって、急いでいるんでしょ? だったら荷物まとめる時間も惜しいじゃん」
「……って、羽衣はついてこないつもり?」
「だって、わたしまだ学校あるよ。夏休みまで二週間あるもん」
「学校よりパパじゃないの?」
「えー……」
そりゃあ、パパのことは心配だよ。
だけど学校二週間は、さすがに休みたくないよ。
それに終業式には、楽しみにしていた納涼祭があるんだもん。
「羽衣も一緒に行こう! パパも心配だけど、羽衣だって一人でなんて置いていけないわ」
「ママー、わたしももう高校生だよ。ちょっとくらい一人でも平気だって」
「ダメよ。近頃危ないんだから。女の子が一人でいるなんてもし知られたら、どんな目に遭うか……」
大げさだなぁ~。
そりゃあこの家に一人って、確かに夜は寂しいかもしれないけど、プチ独り暮らしって感じでそれはそれで楽しそう。
……なんてわたしは思っているのに、ママは納得していない。
「ママ、こうしている間に時間過ぎちゃうよ。早く行かないと新幹線間に合わないんじゃない?」
「そうだけどぉー……あ‼ そうだ!」
閃いたと言わんばかりに両手をパチンと叩き、すぐさまスマホを触りだす。
今度はなに? そう思いながらも、今は多分なにを言っても無駄だよね。
だってママはいつもこうなんだから。
閃きで動く直感派。思いついたらすぐ行動しちゃう。
いつもわたしは振り回されるんだ。
「もしもし? 琴ちゃん?」
どうやらお友達との通話らしい。
よくわかんないけど、こんな時にかけるんだから、大事な電話なんだよね。
だったらその間に、最低限の荷物をまとめてあげよう。
当日分の着替えは必要だよね。あとは……。
「羽衣、わかった。ママ一人で行ってくるね」
いつの間にか通話が終わっていて、ママはスッキリした顔をしている。
「……うん。気を付けて?」
あまりに変わり身が早すぎて、さすがにわたしも面食らっちゃうんだけど。
「羽衣は、琴ちゃんのお家に行ってね?」
「うん……う、んっ⁉」
唐突の指令に思わず叫んでしまう。
「ちょ、ママ? 琴ちゃんって、誰?」
「琴ちゃんはね、ママのお友達。っていうか、羽衣も知っているはずなのよ。ほら、小さい頃、隣同士で仲の良かったお家があったでしょ?」
小さい頃って……確か、今の家に引っ越してくる前だよね。
小学校に入学するタイミングで、今の家に引っ越してきたんだけど……。
「そんな昔のこと、憶えてないよぉ」
「そう? とにかくね、その時にお隣だった琴ちゃんとは、同じような時期にお互いお引越ししたのよね。それでも今も時々会う仲良しのお友達なの。事情話してお願いしたらOKって言ってくれたから、ママがパパのところにいる間、羽衣は琴ちゃんのお家でお世話になってね」
「はぁ⁉」
いくらママが直感派とはいえ、それはあまりにいきなりすぎない⁉
「ママ、わたしにとっては初めましてのお家なんだけど。そもそもいくらお友達だからってそんな急に」
「大丈夫よ。琴ちゃんっておおらかだし、ほら、同い年の子もいるしね」
そんな子、いたっけ?
遠い記憶を探ってみると、うっすらぼんやりと一人の子の姿を思い出した。
印象的なのは大きな瞳。茶色の髪がふわっとしていた、まるで天使のような子。
そう、確か……。
「マコちゃん、だっけ?」
「そうそう! ママも子供の頃以来直接は会っていないんだけどね。琴ちゃんから話は聞いてるわ。あの頃はかわいらしくて小さかったけど、随分大きくなったのよーって」
「へぇ……」
「琴ちゃんのおかげでママ、安心しちゃった。じゃあ行ってくるから。羽衣も荷造りしたらちゃんと鍵閉めて行くのよ」
動きはじめたら素早いママ。話しながらしっかりと荷造りを終えて、さっさと玄関を飛び出してしまった。
「本当に、もう……」
ママに振り回されるのは今に始まったことじゃないとはいえ、知らないお家にお世話になるのは緊張する。
気がつけば、テーブルの上にはママのメモが置いてあった。
琴ちゃんというのは、恵那琴子さんという名前らしい。
住所は、かろうじて同じ県内なんだね。
うちって下手に県内行くよりも隣の県に行ったほうが近いくらいの県境なんだけど。
恵那家は反対側の県境だった。
遠っ! 端から端に移動するじゃん!
これ……行かないってわけには、いかないよね。
相手側に連絡ついちゃってるんだし。
本当にもうっ、ママったら強引なんだからっ!
それでも、微かに思い出したマコちゃんのことが、気になりはじめている。
小さかったからほとんど憶えていないんだけど、よく二人で一緒に遊んでいたんだよね。
すっごいかわいかったっていう記憶はあるんだけど、写真とかなかったかな?
荷造りのつもりが、本棚の奥に仕舞ってあった古いアルバムを手にして、ペラペラと捲っていく。
赤ちゃんの頃の写真が過ぎてから、お目当ての写真がみつかった。
どこかの公園で遊んでいるのか、二人で芝生の上にしゃがんで花冠をつけていた。
そのマコちゃんの姿は、まさしく天使そのもの。
ほんっっとうに、かわいいんだけど!
子どもの頃でこんなかわいいんだから、今はどれだけの美人さんになっているんだろう?
このまま成長しているなら、モデルになっていてもおかしくないくらいだよね。
はじめてのお家にお邪魔する緊張感は変わらないものの、成長したマコちゃんに会いたいという好奇心は沸いてきた。
「よし、行ってみるかぁ」
外は照りつける太陽でうだるような気温。
慣れないキャリーケースを引きずりながら、マコちゃんのお家へと向かうことにした。
ママがメモを残した住所にたどり着きはしたものの、インターホンを押す指が震える。
だって、いきなりお世話になりますって、ハードル高いよ。
ここまでは勢いのようなもので来れたけどさ。
何度も深呼吸するけれど、数センチ先に指が伸びなくて、何度も腕をおろす。
もう……やっぱり帰っちゃダメかな?
「うちに何の用?」
突然背後から低音が響いて、思わず「ひゃあっ!」って声が出ちゃった。
振り返ると、わたしよりもはるかに身長の高い男の人が、不機嫌そうに立っている。
サラサラの黒髪に切れ長の目がキレイ……って、そうじゃない!
見とれている場合じゃない。
「あ、あのっ……」
「若いのに、勧誘? セールス? それとも宗教?」
唐突に並べられたワードに、頭がついていかない。
「は……?」
「一切お断りだから帰って。めーわく」
「え……?」
「これ以上そこにいるなら、ケーサツ呼ぶからな」
吐き捨てるように言って、その人は玄関の中へと入っていった。
え……? 今の、なに?
『勧誘? セールス? それとも宗教?』
言われた言葉を反芻する。
ちょっ、ちょっと待ってよ!
なんでわたしがそんな風におもわれているの?
しかも、あれ、誰?
わたし、ひょっとして家を間違えた?
ママのメモを確認して、スマホで住所検索しても間違いない。
表札も「恵那」になっているから、絶対に間違いない。
合ってるじゃん!
だんだんとむかっ腹が立ってきて、さっきまでためらっていたのが嘘みたいに、勢いよくインターホンを押した。
『はぁーい』
優しい女性の声が聞こえてきた。
この人がママのお友達の『琴子さん』なのかな?
カチャリと玄関の鍵が開いたと思われるのと同時に、大きな声が響いた。
「ちょっ、琴子さん! 開けんなって。アイツ、さっきからずっと立ってた怪しい奴だから」
「えー? 違うわよ、紫希くん。私は、あの子がくるの待っていたんだから」
「は……?」
なにやらもめていたらしい状態のまま、女性が強引に玄関のドアを開けたと見える。
飛びだそうとする女性を、さっきの男の人が目を吊り上げて必死に止めている。
「羽衣ちゃん、よね?」
白いエプロンをつけたかわいらしい人が、笑顔で聞いてくる。
「あ、はい。そうです」
返事をした途端に、駆け寄られて熱烈なハグされた。
「いらっしゃーいっ! 待ってたわよー! 遠いところお疲れさま。さ、入って入って」
そのまま背中をぐいぐいと押されて、玄関へと誘導される。
「あ、紫希くん。羽衣ちゃんの荷物、運び入れてあげて」
「は? なんで俺が……っていうか、誰だよコイツ」
「説明はあとでね。ほら、早く」
そう言われてため息をつきながら動いた彼は、すれ違いざま明らかに聞こえる舌打ちをした。
なに? あれ。感じわるっ!
にしても、誰なんだろう?
マコちゃんに男の子の兄弟なんていたっけ?
押されるままに案内されたリビングは日当たりがよくて、ソファには毛並みがいい白い猫ちゃんがいた。
「うわぁ、かわいい!」
「ふふっ。美人でしょ」
猫ちゃんにそっと手を伸ばしたら、匂いをかいで嫌がる様子をみせない。
そのまま顎の下を撫でると、ゴロゴロとすり寄ってくれた。
うわぁ、人懐っこい。かわいい。
「ソラも羽衣ちゃんに会えて嬉しいわね」
「ソラちゃんって言うんだぁ。よろしくね」
まるで言葉がわかるかのように、ソラちゃんがスリッと頬を寄せてくれた。
最初の緊張がどこへやら。ソラちゃんのかわいさですっかりとほぐれていく。
「琴子さん、説明してくれよ」
不機嫌な声に振り返れば、リビングの入口でさっきの彼が立っていた。
足元にはわたしのキャリーケースがあるから、言われた通り運び入れてくれたみたい。
琴子さんの言葉には素直に聞くのね。
「そうね。じゃあ紫希くん、座って。羽衣ちゃんも、ここに座ってくれるかしら?」
ダイニングテーブルに手招きをされたので、そのまま琴子さんが引いてくれた椅子に腰かける。
向かいに座った彼はまだ不機嫌なままで、わたしと目が合うとフンッと顔を背けてしまった。
「紫希くん、そんな顔しないの。羽衣ちゃんがビックリしちゃうわ」
「さっきから羽衣、羽衣って言われても、俺、知らねーもん。誰だよ、コイツ」
琴子さんはわたしの後ろに立ち、両肩に手を乗せた。
「この子は、安城羽衣ちゃん。私のお友達の娘さんで、真琴の幼なじみでもあるのよね」
「あ……そう、ですね」
マコちゃんのことは、正直さっき思い出したばっかりで『真琴』という名前にピンとこなくて、ぎこちなく返事しちゃった。
でも小さい頃遊んでたんだから、幼なじみには間違いないよね。
わたしの紹介を終えると琴子さんはパタパタと移動していき、彼の横に立った。
「こっちは紫希くん。年齢は羽衣ちゃんと同じよ」
「紫希、くん?」
この場にいるんだから、家族なんだろうと思いながらも、疑問が拭えない。
さっきも思ったんだけど、マコちゃんって、兄弟いたっけ?
しかも同い年ってことは、双子⁉
でも、わたしの朧げな記憶では、一人っ子だった気がするんだけど。
「琴子さん、多分説明が足りねー」
「あ……」
頭の中で色んな疑問がわいていたんだけど、それが顔に出ていたのかな?
そんなわたしに、気づいてくれたの?
不機嫌でわたしのことなんて興味なさそうだったのに。
助け船を出すかのように、琴子さんに言ってくれた。
思わず紫希くんの顔をまじまじと見てしまったら、また背けられてしまった。
「あ、そうね。説明不足でごめんなさい。私ね、一度離婚して再婚しているの。だから紫希くんは旦那さんの連れ子さん」
「あぁ……」
だから紫希くんは『お母さん』じゃなくて『琴子さん』って呼ぶんだ。
不思議に思っていたことがわかって、スッキリした。
「で、羽衣ちゃんのお父さんがね、単身赴任中に怪我しちゃったから、お母さんが看病に行っちゃったのよ。だからその間、羽衣ちゃんには家で生活してもらうことになったの」
「…………は?」
だよねぇ。簡単に納得できないよね。
わたしだってママから言われた時は驚いたもん。
戸惑う紫希くんをよそに、琴子さんはさらに続ける。
「部屋はね、真琴の部屋を使ってもらうわ。紫希くん、しばらく真琴と同じ部屋で過ごしてね」
「ちょ、ちょっと待て! なんで俺らが一緒にならなきゃいけねーんだよ」
「だぁって、昔馴染みって言ったって、真琴と羽衣ちゃんを一緒にするわけにはいかないじゃない。紫希くんだって羽衣ちゃんと一緒ってわけにはいかないでしょ?」
え? この人と⁉
いやいやいや、それは絶対にありえないでしょ。
はじめましての人と一緒なんて、それも男の人とっっ。
「あ、あの……マコちゃんさえよければ、わたしはマコちゃんと一緒でも」
紫希くん、どうあっても気に入らないみたいだし。
それなら、あの天使のようなマコちゃんだったら、一緒でもいいって言ってくれるかもしれない。
「……お前、何言ってんの?」
紫希くんが正面から睨んでくる。
もう、この人キレイな顔しているだけに、睨むと怖いよ。
「だって、紫希、くん、迷惑そうだし。マコちゃんは幼なじみだし、女の子同士ならいいかなって思ったんだけど」
わたしがそう提案すると、何故だか二人とも困ったような顔をした。
え……なんで?
ひょっとして、マコちゃんもわたしがくるの、迷惑だって思っているの?
リビングに妙な沈黙が走った後、階段を軽い足取りで降りてくる音が響いた。
「母さん、片付け終わったよ!」
現れたのは、耳にかかるくらいの柔らかそうな茶色い髪に、大きな瞳の男の子だった。
え? またまたこの人は、誰?
なんにしても恵那家ってビジュアル良物件しかいないんだけど、すごくない?
キレイなんだけど、紫希くんとは真逆で、どちらかというとかわいい感じ。
まるで天使みたいに……って、天使?
その彼は笑顔でリビングを見渡し、わたしに気がつくと、ふわっと優しく笑った。
「羽衣、だよね?」
紫希くんの低音とは違う、心地よく響く声で呼びかけられて、コクンと頷いた。
「やっぱり!」
ますます嬉しそうに笑った彼は、駆け寄ってきてギュッとわたしを抱きしめる。
「え? え?」
「久しぶりっ! 羽衣、ますますかわいくなったね!」
いやいや! 天使のように眩しいあなたにそんなこと言われても信じられませんが。
というか、というかよ?
ひょっとしてこの、天使のような男の子って……。
「マコ、ちゃん?」
「なに?」
あっさりと返事をする彼に、思わず口が金魚のようにパクパクとしてしまう。
確かにキレイで天使のようなまま成長してるけど。
予想以上にビジュアルよすぎるんですけど。
それでも。一番大事なところを、わたしは今、知ったんですけどっ!
「真琴。お前、女だと思われていたみたいだぞ」
言っていいのか迷っていたのに、紫希くんが容赦なく言ってしまった。
この人、わたしの気持ちを代弁しているかのよう。
そんなにわたしって考えていることが顔に出やすいの?
そんなこと、言われたことないけど。
いやいや、それよりマコちゃんが不躾に『女と思ってた』なんて言われて、怒ったりしないかな?
「お、怒ってない?」
そっとマコちゃんの様子を伺うと、きょとんとした顔をしていた。
「ん? なにを?」
「その、女の子だって勘違いしてたこと」
幼い頃しか知らなかったからとはいえ、再会していきなり言うことじゃないよね。
そう思ったから躊躇ったのに、紫希くんったら言っちゃうんだもん。
「気にしないで。羽衣と遊んでいたのって小さい頃だし、あの頃ってよく間違われてたみたいなんだよね。母さんも面白がってスカート履かせたりとかしてたみたいだし」
「えぇ⁉」
驚いて琴子さんを見れば、イタズラが見つかったみたいに微笑んだ。
「だって、真琴ったらすごく可愛かったんですもの。この先、女の子が生まれる保障がなかったし、実際、生まれなかったし。似合ううちに似合う格好はさせてもいいでしょ?」
「まぁ、結構友達の間でも評判いいからいいんだけどね」
確かにわたしもさっき見返したアルバム、めちゃくちゃかわいかったもんなぁ。
でもそれならわたしが女の子と間違えていてもしかたがない、よね?
「だからね、羽衣ちゃんと真琴が一緒の部屋ってわけにもいかないのよ」
「そう、ですね」
男の子とわかったからには、マコちゃんと一緒というわけにはいかない。
こうなると紫希くんが迷惑がっても、最初の提案にのってもらうしかないんだけど……。
「なに? 羽衣、ボクと一緒の部屋が良かったの?」
いきなり顔を覗き込むように尋ねられて、思わず心臓がバクバクする。
み、見慣れていないから、そのビジュアルは眩しすぎますっ。
その大きな瞳で見つめないでーっ。
「そ、それは……」
「羽衣がいいんなら、ボクはそれでもいいんだけどね」
クイッと顎を持ち上げられて、さらに距離が近づく。
て、天使の眼差しがっ。ドキドキして目が離せないんですけどっ!
「なわけねーだろ」
「あいたっ!」
突然離れたマコちゃんは、頭を痛そうに擦っていた。
そのマコちゃんが見上げる先には、紫希くんが立っていた。
「真琴が部屋を掃除してるってそういうことだったのか。俺だけ知らなかったのは気に入らねーけど、事情はわかった。一時的なもんなんだろう?」
「えぇ。多分一か月くらいになると思うわ」
「わかった。真琴、あんまり俺の部屋の物いじるなよ」
それだけ言って、紫希くんはリビングから出て行ってしまった。
「だい、じょうぶでしょうか?」
やけにあっさりと了解してくれたけど。
どうやら紫希くんだけなにも事情を知らされていなかったみたいだし。
最初に変な勘違いされたのはムカつくし、ヤな奴って思ったけど、今思い出すと、琴子さんのこと心配してたもんね。
義理の親子でも仲いいし、大切にしてるんだ。
「大丈夫よ。紫希くん、ぶっきらぼうに見えていい子なのよ。ね? 真琴」
「そうだね、照れ屋で不器用だよね」
二人で顔を見合わせて笑う様子はよく似ていて、あぁ、親子だなぁって思う。
じゃあ紫希くんと琴子さんが母娘に見えないかといえば、そうでもない。
それは多分、琴子さんのコミュニケーション力なんだろうな。
わたしにもいきなりハグだったし。
そういえばマコちゃんも、いきなりハグだった。
この親子、言動がよく似てるわ。
若干、この二人に振り回されていそうな紫希くんが気の毒のように思えた。
なんだかママに振り回されているわたしに似てそう。
「とにかく、自分の家だと思ってくつろいでね、羽衣ちゃん」
ふんわりと笑う琴子さんに、わたしも笑い返した。
「はい、よろしくお願いします」
さすがに自宅のように、というのは無理だけど。
優しい空気のこの家は、最初の緊張が嘘みたいに、穏やかな気持ちでいられそうな予感がした。