あきちゃんは、幼稚園にまだ通っていない、幼い女の子です。
 お母さんと二人、アパートに暮らしています。
 いつも、汚れた服をきていて、出かける時はサイズの合わない、キツイ靴をはかされます。
 ですが、外に出かけることもあまりなく、いつも一人お留守番です。
 それでも、あきちゃんはお母さんが大好きです。


 あきちゃんはいつも泣いています。理由はわかりませんが、お母さによく叩かれています。
 ごめんなさい。ごめんなさいっと謝っても、お母さんは叩き続けます。
 お風呂で水をかけられたり、怖いと泣き叫んでも、押し入れに閉じ込められます。
 それでもお母さんを、嫌いにはなることはありませんでした。
 それは、唯一頼れる、母親だったからです。


 あきちゃんは、いつもお腹を空かせています。
 食事は一日に一回。パンやインスタントラーメンを食べています。
 それ以外はお水を飲み、空腹を紛らわしています。
 一度お腹が空きすぎて、冷蔵庫のものを食べた時、お母さんに怒られ叩かれました。
 それから、あきちゃんは我慢しています。
 それは、あ母さんに、愛されたいと感じていたからです。


 そんなある日のこと、あきちゃんが、いつものように留守番をしていると、何やらガラスを叩くような音がしました。
 どんどんどん。どんどんどん。

 誰かが呼んでいるような音がします。
 音は部屋の中。お母さんがお化粧をする鏡から聞こえているようです。
 あきちゃんは気になり、近づいて行きます。

 ゆっくり鏡を覗きこむと、中には同じ年齢ぐらいの少年がいました。

「こえに出して。こえに出して」

 少年はあきちゃんに向かい話しています。
 あきちゃんはそんな少年を見ても怖くありませんでした。
 何故なら、あきちゃんはお外で遊ぶことも知らず。友達もいなかったからです。
 
 むしろ話しかけられ、嬉しく思っています。
 あきちゃんは、嬉しさと恥ずかしさが混ざる気持ちで聞きました。

「あなたは、だーれ?」

「こえに出して。こえに出して」
 
 あきちゃんが声をかけても、少年は同じことを話します。
 その場を離れようと振り向くと、今度は女の子の声が聞こえます。

「あきちゃん。お腹空いてるでしょ? 叩かれた場所、痛いでしょ? こえに出して。こえに出して」

 あきちゃんは気になり、また鏡を覗き込みました。
 中には、あきちゃんより、少しおねいさんが声をかけています。

 あきちゃんは、先ほどの言葉。
 初めて聞かされる、優しい言葉に嬉しくなりました。

 あきちゃんは誘われるように、鏡に触れました。
 すると鏡は眩しいほどの光を放ち、中からはたくさんの腕が出てきて、あきちゃんのことを抱きしめます。

 その温もりはとても暖かく、あきちゃんは眩しいことよりも、その優しさに瞳を閉じていました。
 気が付くと、あきちゃんは鏡の世界にいます。
 
 そこは明るく、今までの部屋とは、別世界です。
 青空が広がり。青々をした芝生の上を、たくさんの子供達は走り回っています。
 楽しそうに笑顔で、あきちゃんを手招きしている子もいます。

 あきちゃんは嬉しくなり、走り出しました。
 薄汚れた服を脱ぎ捨て、おぼつかない走り方で、子供達に近づこうとします。
 キツイ靴を、踵を潰し履くことはありません。
 裸足で土や芝生を踏み締め、走り出します。
 
 ここは物音をたてても、ごはんをいっぱい食べても、おこられることも、たたかれることもないのだと、あきちゃんは思いました。
 あきちゃんは、初めて笑顔を知り幸せを感じました。
 
 それでも、あきちゃんはお母さんが大好きです。
 お母さんのことを思い出すと、あきちゃんは走る事を止め、立ち止まっていました。

 本当はお母さんと一緒に、芝生の上を走りたいと思いました。
 本当はお母さんに抱きしめてもらい、温もりを感じたいと思いました、
 本当はお母さんに優しい言葉を、かけてもらいたいと思いました。

 あきちゃんがその場から振り返ると、鏡の光は弱まり、現実の世界に戻っていました。
 鏡には子供達はいなく、あきちゃんだけを映し出しています。
 そこには頬がコケ、唇がカサカサになった、悲しそうな表情の少女がいます。

 鏡から聞こえた「こえに出して」とは、お母さんから「愛してる」っと聞きたいと思う、願望だったと気づきます。

 お母さんの帰りを待つ間、寂しさを紛らわすようにテレビを点けると、そこには、現実とは違う、幸せそうな家族の映像が流れていました。
 なんの悪気のない映像でしたが、あきちゃんはそれを、うらやましいと思い見ていました。