恋の予感

無邪気に猿芝居を見入っている陽子の姿は、幼い子供そのものだった。猿の仕草や声色に合わせて、くすくすと笑い声を漏らし、目を輝かせている。そんな彼女の横顔を見ているうちに、私は自分の鼓動が次第に大きくなるのを感じた。陽子の笑顔は、何も知らず無防備で、時折私の心を簡単に揺さぶる。あの突発的な怒りや、私を突き放す子供じみた一面も、すべて忘れてしまいそうになる。目の前にいるのは、ただ素直で、楽しそうに笑う一人の女性だ。そして、その姿を見ているうちに、自分が陽子の存在を求めていることを、否応なく思い知らされるのだった。私はただ、そっと彼女の横顔に目をやり続ける。今までのいくつもの小さな諍いや、彼女の気まぐれな態度、すれ違いの日々が、なぜかすべて赦されていくような気がした。たった一人の人を、こんなにも一途に愛おしいと思う気持ちを、自分はまだ持っていたのだと気づく。猿芝居が終わり、拍手に湧く観客の中、陽子がふと私の方に視線を向ける。その瞬間、彼女と目が合った。無邪気な笑顔が少し恥じらいを帯び、彼女の頬がわずかに紅く染まるのが見えた。心臓が高鳴り、私は目を逸らすことも、言葉を発することもできないまま、ただその瞬間に溺れていった。ドライブの途中、私たちは何気なく土産物屋に立ち寄った。阿蘇の雄大な景色に包まれる中、陽子は目を輝かせ、並ぶ小さな土産を手に取っては楽しそうに眺めている。私は、そんな彼女の姿を少し離れた場所から眺めながら、心に静かな充足感を感じていた。こんなひとときが、なんともいえず心地よかった。やがて、ファーストフード店に入ると、陽子はメニューを指差しながら「これ、食べてみたい!」と弾んだ声をあげた。見ると、それは宇宙食のようなパッケージに包まれた、アイスのチョコフレークだった。陽子が嬉々として注文したそれを見て、思わず微笑んでしまう。彼女の興味が、まるで子供のように純粋で、どこか予想外のところにあるのが面白かった。対して、私はどうにもその宇宙食風のアイスを口にする気にはなれなかった。包装の近未来的なデザインや、なにやら非日常的なその見た目に、私の心が少し引いてしまうのがわかる。年齢のギャップというものだろうか、目の前に置かれたそれに、どうしても食欲が湧いてこないのだ。陽子はそんな私の様子を見て、笑いをこらえながら「え、これ食べたことないの?おいしいんだよ」と楽しげに言う。その無邪気さが、まるで目の前に小さな星がまたたくように、私の心に柔らかく響いてきた。陽子は、本当に純粋にこのデートを楽しんでいるようだった。アイスのチョコフレークを食べながら、目を輝かせて土産物を眺めたり、ふとした小さなことに笑い声をあげたり。その無邪気さが伝わってくるたびに、彼女にはただの楽しい一日であり、それ以上の意味を持たないのだろうと感じずにはいられなかった。それに比べて、私の心はどうだろう。些細な仕草や表情ひとつに、ソワソワと落ち着かず、胸の奥でドキドキとした鼓動が止まらない。陽子と過ごすひとときが愛おしく、そんな自分を認めてしまいそうで怖くもあった。だが、それでも彼女が笑っているだけで、私の中の何かが安らいでいくのを感じる。陽子にはこの気持ちが見えているのだろうか?いや、きっと彼女にとっては、特別な意味などないだろう。けれども、こうして隣にいて、ただ自然に笑顔を交わせるこの瞬間が、私には何よりも特別だった。車は無事に帰り着いた。陽子は軽やかにシートベルトを外し、私に向かって笑顔で「また行こう」と言った。その何気ない一言が、どこか胸の奥で温かな波紋を広げた。彼女にとっては、ただの一日の締めくくりのような言葉だったのだろう。けれども私には、それが次への小さな約束に思えてならなかった。その夜、眠る前に思い切ってLINEで彼女に聞いてみた。「本当に、また一緒に出かけてもいい?」送信ボタンを押すまで、指先が微かに震えていた。自分でも驚くほどに、何かに期待し、何かに不安を感じていることに気づいた。ふと心臓がドキドキと高鳴り、スクリーンに注がれる視線が熱を帯びる。しばらくして、彼女からの返信が届いた。画面に浮かぶ短い「ええ」の文字。たったそれだけの返事なのに、その言葉に私は救われたような、言葉では言い表せない喜びを覚えた。陽子が、確かに私との時間を楽しんでくれていたという、小さな確証だった。