エリーザベトは広々としたシェーンブルン宮殿の窓辺に佇み、曇り空をぼんやりと眺めていた。
宮廷の喧騒から逃れるように、飛び立つ鳥をつい目で追ってしまう。
「あの鳥のように、自由にどこへでも行けたなら……」
曇り空を舞う鳥は、灰色の世界の中でも、力強い生命力に溢れていた。
どこへでも自由に飛んでいけるその翼が、今のエリーザベトには羨ましくて堪らない。無意識のうちにその小さな鳥影が空の彼方へ消えていくのを見つめ続けていた。
ふと、胸の中にかすかな温もりが蘇る。あの愛らしい声、無邪気な笑顔、そして小さな手の感触……。
喉の奥が締めつけられるような痛みがこみ上げ、エリーザベトは涙を堪えながら、小さく呟いた。
「ゾフィーちゃん……」
初めての娘、ゾフィーが突然逝った日から、エリーザベトの心には消えない深い傷が残されていた。
小さく愛おしい命を失った悲しみは決して消えることなく、心の中に空虚な穴を広げ、孤独感を一層深めていった。
ハンガリーへの旅──それがすべての始まりだった。
姑の反対を押し切り、家族水入らずの旅行中、エリーザベトの娘たち、ゾフィーとギーゼラが発熱と下痢に見舞われた。
ゾフィーは回復することなく、そのまま儚く消えてしまった。
姑ゾフィーは、己の名を受け継いだ孫を死に追いやったのはエリーザベトだと、激怒し糾弾した。
その言葉は、まるで刃のように、エリーザベトから母としての自信を根こそぎ削いでいった。
娘の死に打ちひしがれるエリーザベトの背中に、女官たちの非難するような視線が、弓矢のように突き刺さる。
皇妃となってからは、一人きりになることなど許されない。いつも誰かに見張られ、厳しく品定めされる。
自由を愛するエリーザベトにとって、それは終身刑の虜囚のように思えた。
華やかなウィーン宮廷は、彼女にとって美しくも冷たい檻。
豪華な衣装、厳格な礼儀作法、そして終わることのない貴族たちとの社交。
エリーザベトの自由な魂は、雁字搦めに抑圧されていた。
若くして皇后となり、フランツ・ヨーゼフからの愛情を感じていたものの、夫は政務に追われ、二人が共に過ごせる時間はほとんどなかった。
姑ゾフィー大公妃と意見が対立すれば、フランツはいつも母親の肩をもつ。
夫はエリーザベトの天真爛漫な性格を愛しているはずなのに、ウィーン宮廷ではそつなくこなすことを求め、波風を立てないことが何より望まれている。
「皇妃陛下、バイエルン公女殿下からのお手紙でございます。」
侍女がエリーザベトに手紙を差し出した。
それは、懐かしい筆跡の手紙──ヘレーネ姉様からだった。見覚えのある文字に、エリーザベトの冷えた心が、一瞬だけ温かさを取り戻した。
幼い頃から、エリーザベトをいつも守ってくれた姉、ヘレーネ。
母親のヒステリックな怒鳴り声や、家庭教師の厳しい叱責からも、エリーザベトを巧みにかばってくれた。
フランツ・ヨーゼフがエリーザベトに一目惚れし性急に求婚したことで、ヘレーネの体面は潰されたにも関わらず、変わらぬ優しさで接し、彼女の心の支えとなり続けた。
エリーザベトは、3歳半年上のヘレーネと一緒に育った。姉妹の養育を担ったイギリス人家庭教師が教えた英語は、二人だけの秘密言語となっていた。
婚儀の際、ウィーン宮廷で姑のゾフィー大公妃や女官たちが理解できない秘密言語を使い、ヘレーネは緊張するエリーザベトを優しく支えてくれた。
エリーザベトは封を開け、便箋を取り出すと、懐かしい姉の筆跡に目を走らせた。
「お姉さま、まかせてちょうだい!」
エリーザベトは、便箋を胸に抱いた。
姉を助けるという新たな使命が、久しぶりに彼女に生きる力を与えていた。
宮廷の喧騒から逃れるように、飛び立つ鳥をつい目で追ってしまう。
「あの鳥のように、自由にどこへでも行けたなら……」
曇り空を舞う鳥は、灰色の世界の中でも、力強い生命力に溢れていた。
どこへでも自由に飛んでいけるその翼が、今のエリーザベトには羨ましくて堪らない。無意識のうちにその小さな鳥影が空の彼方へ消えていくのを見つめ続けていた。
ふと、胸の中にかすかな温もりが蘇る。あの愛らしい声、無邪気な笑顔、そして小さな手の感触……。
喉の奥が締めつけられるような痛みがこみ上げ、エリーザベトは涙を堪えながら、小さく呟いた。
「ゾフィーちゃん……」
初めての娘、ゾフィーが突然逝った日から、エリーザベトの心には消えない深い傷が残されていた。
小さく愛おしい命を失った悲しみは決して消えることなく、心の中に空虚な穴を広げ、孤独感を一層深めていった。
ハンガリーへの旅──それがすべての始まりだった。
姑の反対を押し切り、家族水入らずの旅行中、エリーザベトの娘たち、ゾフィーとギーゼラが発熱と下痢に見舞われた。
ゾフィーは回復することなく、そのまま儚く消えてしまった。
姑ゾフィーは、己の名を受け継いだ孫を死に追いやったのはエリーザベトだと、激怒し糾弾した。
その言葉は、まるで刃のように、エリーザベトから母としての自信を根こそぎ削いでいった。
娘の死に打ちひしがれるエリーザベトの背中に、女官たちの非難するような視線が、弓矢のように突き刺さる。
皇妃となってからは、一人きりになることなど許されない。いつも誰かに見張られ、厳しく品定めされる。
自由を愛するエリーザベトにとって、それは終身刑の虜囚のように思えた。
華やかなウィーン宮廷は、彼女にとって美しくも冷たい檻。
豪華な衣装、厳格な礼儀作法、そして終わることのない貴族たちとの社交。
エリーザベトの自由な魂は、雁字搦めに抑圧されていた。
若くして皇后となり、フランツ・ヨーゼフからの愛情を感じていたものの、夫は政務に追われ、二人が共に過ごせる時間はほとんどなかった。
姑ゾフィー大公妃と意見が対立すれば、フランツはいつも母親の肩をもつ。
夫はエリーザベトの天真爛漫な性格を愛しているはずなのに、ウィーン宮廷ではそつなくこなすことを求め、波風を立てないことが何より望まれている。
「皇妃陛下、バイエルン公女殿下からのお手紙でございます。」
侍女がエリーザベトに手紙を差し出した。
それは、懐かしい筆跡の手紙──ヘレーネ姉様からだった。見覚えのある文字に、エリーザベトの冷えた心が、一瞬だけ温かさを取り戻した。
幼い頃から、エリーザベトをいつも守ってくれた姉、ヘレーネ。
母親のヒステリックな怒鳴り声や、家庭教師の厳しい叱責からも、エリーザベトを巧みにかばってくれた。
フランツ・ヨーゼフがエリーザベトに一目惚れし性急に求婚したことで、ヘレーネの体面は潰されたにも関わらず、変わらぬ優しさで接し、彼女の心の支えとなり続けた。
エリーザベトは、3歳半年上のヘレーネと一緒に育った。姉妹の養育を担ったイギリス人家庭教師が教えた英語は、二人だけの秘密言語となっていた。
婚儀の際、ウィーン宮廷で姑のゾフィー大公妃や女官たちが理解できない秘密言語を使い、ヘレーネは緊張するエリーザベトを優しく支えてくれた。
エリーザベトは封を開け、便箋を取り出すと、懐かしい姉の筆跡に目を走らせた。
「お姉さま、まかせてちょうだい!」
エリーザベトは、便箋を胸に抱いた。
姉を助けるという新たな使命が、久しぶりに彼女に生きる力を与えていた。