震災が起きた日(あのひ)から4日後。

いくら地震の影響を受けたとはいえ、電話の回線くらいそろそろ復旧してもいいのでは……と、思わずにはいられなかった……。
それほどまでに地震が起きる前はいつでも手軽に連絡を取り合っていたことがどれだけ当たり前のこと思っていたのか……
どれだけ有り難いことなのかをしみじみと実感する……。
いまだに君とは連絡も取れないどころか、見つからない……。
そればかりか、避難所や道すがらすれ違う人達に聞いて回っても手がかりすら掴めずにいた……。
一体、どこへ……?
無事でいるのか……。
一向に進展しない状況に僕の心はますます焦りと不安が募ってゆく……。
どうか、無事でいて……。
幾度となく願い続けながら、連日、うっすらと辺りが明るくなり始めてから日暮れまでの限られた時間の中で君を探して歩き続け、僕の足はとうに限界を越えていた……。
足は鉛のように重く、だるいし、なんとなくだけど熱っぽいような気もした……。
意識をしていないと一歩が踏み出せない状態で時に激痛が走ることもあった……。
痛みに耐えながら、瓦礫やガラスの破片が散らばり、足元の悪い道をひたすらに歩いてゆくも……疲労感がある足は僅かな小石にさえ足を取られる始末で何度もバランスを崩し、転けそうになった……。
……ダメだ。
ちょっと、休もう……。
足元のおぼつかない状態に僕はこれ以上まともに歩けない……。
例え、歩けたとしても怪我をしてしまうだけだ……。
休憩する時間が勿体ないけれど……ここで無理をして歩き続けてことによって、運悪く転けてしまい、大怪我まで負ってしまって、まったく歩けなくなってしまってはたまらない……。少しでも早く君を見つけたいと焦る気持ちを無理やり宥めて、避難所で休憩を取ることに決めた。
立ち寄った避難所は広いグランドに校舎と体育館のある小学校。
人の出入りのない校舎の隅に座って重く、だるい足をマッサージしていると……
「はい、これ」
1人の恰幅の良い中年女性が僕に缶に入ったパンと飲料水を僕に差し出した。
「えっ……」
「貰ってないだろう?」
「あっ、いや……」
休憩をさせてもらいたいだけで食料はまだ僅かばかり残っているから、あえて貰いに行かなかった……と、僕が説明するよりも早く
「ほらっ、遠慮しないで! 食べないと元気でないよっ!」
柔らかな笑みを浮かべて、早く受け取るようにずいっ……と、さらに食料を僕の方へと差し出した……。
「ほらっ」
早く受け取りなさい……と、言わんばかりに食料を受け取るように僕の方へと食料を差し出して催促する……。
これは断れないな……。
下手をすれば僕が受け取るまでずっと食料を差し出し続けるだろう……と、思った僕はおずおずと手を差し出して受け取った。
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして」
僕が食料を受け取ると中年女性は満足げに笑い、僕の元から去って行くと思ったが……
「大丈夫かい?」
心配そうに眉を寄せて、僕のことを見つめていた。
えっ、何が……?
問われた言葉の意味をすぐには理解できなかった……。
きょとんと中年女性を見ると……頭の先からつま先までをじーーっと、見られているのに気がついた……。
あっ……。
これは僕の憶測だけど……僕の身なりがあまりにもひどいありさまだったから心配されたんだと思う……。
僕の身なりは震災直後、建物の下敷きになりながらもかろうじてできた隙間から建物外へと這い出た僕の服は薄汚れ、所々に小さな破れやほつれがあった。
格好に気を遣う余裕がなかった……。
むしろ、格好なんてどうでも良かった……。
そんなことよりも君のことが心配で、一刻も早く君の無事が知りたくて堪らなかった……。
ずっと、同じ格好で歩き回っていた。
ある避難所で運良く貰えたタオルを限られた水で洗っては使い回して、顔や服を着ていても身体(からだ)が拭ける範囲は拭いてはいたが、それでも震災が起きた日(あのひ)からお風呂にも入らず、着替えすらしていないのだから、そういう顔をされても仕方ない……と、思った。
「はい、大丈夫です!」
僕はこれ以上心配されないように……と、僕は声のトーン上げて、わざと明るく振る舞った。
そうすればすぐに話しは終わり、今度こそ、中年女性は僕の側から去ってゆくと思ったんだ。
それに僕の身勝手な都合で悪いけれど……今は必要最低限のコミュケーションを取り、君についてのことしか取りたくなった……。
その気力しかなかった、と言った方が正しいのかもしれない……。
自分ではあえて気にしないようにしていたけれど……少しずつ疲れが溜まり、疲弊する中で君の安否確認が取れない不安や苛立ちが心の余裕をなくしていっていたのだと思う……。
「無理すんじゃないよ!」
えっ……。
中年女性の言葉にびっくりする……。
無理すんじゃない……とは、どういう意味だろう……?
すごく疲れているように見えたのかな……?
実際、震災が起きた日(あのひ)からゆっくりと寝ていないし、日中はほぼ歩きっぱなし……と、いう生活を送っているから、疲労が顔に現れていても無理はないと思うけれど……。
そんなにもはっきりと言われるくらい、今の僕はヒドい顔をしているのだろうか……。
「くたびれた顔をして、身なりだって……相当苦労してるね。一体、何があったんだい?」
中年女性は躊躇うことなく、ストレートに自身が抱いた問いを僕に尋ねてきた。
僕はさっきも言ったように必要最低限のコミュケーションしか取りたくなかったから、詳しい事情を話す気はサラサラなかった。
無言で食べかけのパンとペットボトルをリュックサックにしまい込むと、すくっと立ち上がってその場を去ろうとした。
「待ちなよ」
言葉と共に腕を掴まれてしまった……。
やれやれ……。
これはなんとも厄介なお節介焼きの中年女性(ひと)に目をつけられ、捕まってしまった……。
そっとやそっとじゃ解放してもらえないな……。
と、思ってしまった……。
「言いたくないのなら言わなくていいさ」
その一言に……
なら、もう手を離してくれてもいいじゃないかと、心の中で悪態をつく……。
「まぁ、今はまだ……とてもじゃないけど口に……言葉に出して言える状態じゃないのかもしれないしね……。あんなにも酷い地震だったんだからさ……」
やや気だるげに振り向き、中年女性に目をやると……やや瞳をそらせがちに中年女性はボソッ……と、話を続けた……。
「ただね、あんたを見た時……とても辛そうに見えたから気になってね、声をかけたんだよ」
「……っ!!」
「みーんな、そういう顔をしてるんだけど…特にあんたの顔は群を抜いてる。酷いってもんじゃないね〜。今にも倒れてしまいそうなほどさ。見ていられないくらいに、ね……」
……そんなにも……?
指摘されるまで自覚がなかった……。
君の無事を祈り、一刻も早く安否確認することだけを考えていたから……。
「あまり無理すんじゃないよ、いいね」
中年女性は目を細めて微笑み、距離を詰めてポンポンと僕の頭を撫でた。
微かに感じた中年女性の体温(ぬくもり)に僕は何故だか分らないけれど……喉の奥が痛くなり、鼻がツーンした……。
あっ、ヤバい……。
ゆらっと視界が揺れた……。
……泣きそうだ……。 
涙が瞳から溢れないように……必死に堪える……。
「じゃ、くれぐれも無理はしないように」
そう、言って去っていこうとくるり……と、僕に背を向けた中年女性の背中に向かって僕は無意識に言葉を呟いていた……。
「……が、し……いる……」
僕の声はとても小さくて聞きづらかったにも関わらず、中年女性の耳には届いていて「えっ?」と、言葉を口にすると同時に僕の方へと振り向いた……。
僕は一呼吸置いてから、ゆっくりと口を動かして
「……大切な人を探しているんです」
と、言葉を紡いだ……。
僕の言葉を聞いた中年女性は「そうかい……」と、一言言うと、どこかへ行ってしまった……。
わざわざ僕のところまでやってきて、声をかけ、挙句の果てには腕を掴んで引き止めたくせに……何とも素っ気ない言動に僕は少しのショックを感じると共に腹が立ってしまった……。
僕は震災が起きた日(あのひ)からまともに人と話をしていない……。
親しい人が側にいなかったから……と、いうのもあるけれど……君のことで頭がいっぱいだったんだ。
思うように連絡が取れず、交通機関だってまともに使えない状態の中でただ1人……君の安否を確認するために歩き回り、尋ねるの繰り返し。
君に関する手がかりが何1つない中で、君を探し回っていた。
常に君の無事を祈り、君がどこにいるのか……考え続けていたから、避難所で他の人に話しかけたり、話しかけられたとしても君以外の話題はどうでもよかったから会話が続くことなく、終わってしまっていた……。
一方的とはいえ、中年女性からこんなにもたくさんの言葉を発せられるとは思ってなかった……。
なおかつ、その言葉は見ず知らずの僕を気遣い、心配する気持ちに溢れていて……僕は無意識の内にこの数日間に感じていた君の安否確認が取れないもどかしさや苛立ち等のやるせない気持ちを分かってほしい……。
僕の胸の内にある気持ちを共感してもらえるのでは……と、自分の都合の良いように……密かに期待を抱いてしまっていたのかもしれない……。
しかし……中年女性の態度は僕が思っているものとは違っていた……。
ショックもイライラもするなっ!
そんな感情に気持ちを支配させるなっ!!
僕が今やるべきことはそんなことじゃないっ!!
心の中で、己をを叱咤する……。
自分の気持ちよりも『君』だ。
君が無事なのか、君はどこにいるか、どうすれば君の安否を確認することができるのか……考えろ!!
と、無理やり思考を切り替え、避難所を後にしようと再び、歩き出した……。
その瞬間……。
「ちょっと!」
ついさっき、話をした中年女性が息をきらせながら、再び僕の前に現れた。
「持って行きなっ!」
「えっ……」
半ば強引に……僕が手にしてるリュックサックのチャックを開け、その中に何かを(・・・)、押し込んだ……。
「同じ物で、しかも……1つずつしか渡せなくて悪いのだけど……」
恐る恐るリュックサックの中を覗き込む……。
そこには……さっき僕がもらった缶に入ったパンとペットボトルの水が1つずつ入っていた。
「大切な人を見つける前にあんたが倒れちゃ意味ないだろ? それに……もし、大切な人が見つかった時に食べ物がないと……と、思ってね。これは勝手なあたしの思い。どうするかはあんたが決めな」
「でっ、でも……」
「いーからっ! つべこべ言わずに持っていきなっ!!」
中年女性はさっと、リュックサックのチャックを閉めて、僕に手渡した。
「ほらっ、さっさと行きなっ! 大切な人が見つかるように……」
僕を叱咤し、急かしながらも……中年女性の表情(かお)は柔らかな微笑みを浮かべていた。
「あっ、りがとう……ございます……」
僕は深々と頭を下げ、お礼を告げてからその場を後にした。
君がどこにいるのか……。
無事なのかすら……分からない状況に正直……心は疲弊し始めていた……。
そんな時に……こんな見ず知らずの薄汚い僕に親切にしてくれた中年女性の優しさが心に染み、
『頑張ろう。絶対に君を見つけてみせる。君はきっと……無事だっ!!』と、気力が(みなぎ)り、前向きになれたと共に……感謝の気持ちでいっぱいになったーー……。