戦いは、ロイドを倒したことで、一気に終息に向かっていった。
 賊のほとんどは捕らえられ、現場では、悪事の証拠となるものの押収が始まっている。
「クリス。この件について、後でお前にも多くの話を聞くことになるだろう。だが今は休め。医者に行くなら、誰か付き添わせよう」
 ヒューゴにそう言われたクリスは、医者に行くのはむしろあなたの方なのではと思ってしまう。どう見てもヒューゴの方が重傷だ。
 しかし先ほど戦闘に参加していたとはいえ、今のクリスの立場はあくまで一般人。しかも、誘拐監禁されていた、保護対象だ。警備隊員であるヒューゴとは、扱いが違うのも当然である。
「私は大したケガはないですし、医者は大丈夫です。ただ、少しだけあの人と二人で話をさせてくれませんか?」
 そう言ってクリスが視線を向けた先には、ミラベルの姿があった。
「話? だが彼女こそ、すぐにでも医者に連れていくべきだ」
 ミラベルは応急処置こそ受けているものの、賊の一人にナイフで切りつけられ、腕に傷を負っていた。だからこそヒューゴも、彼女が何者か気にはなるが、その素性を確かめるのは後回しにしていた。
 もちろん、そんなことはクリスもわかっている。わかっていて、それでもあえて頼んでいるのだ。
「お願いします。少しの時間でいいんです」
 クリスの懇願に、ヒューゴも迷ったのだろう。小さく唸ると、仕方ないといったようにため息をつく。
「本当に少しの間だ。それに、彼女が断れば即中止しろ」
「はい!」
 許可をもらい、足早にミラベルの元に向かう。
 この様子では、ヒューゴはまだ気づいていないのだろう。彼女が、自分を生んだ実の母親であることに。
 とはいえそれが明らかになるのも時間の問題だ。彼女の素性や、ロイド達が何の目的で拐ってきたのかを調べれば、いずれ真実を知ることになる。
 だからこそ、今のうちに話しておきたかった。ヒューゴがミラベルの正体を知る前に、どうしても聞いておきたいことがあった。
「ミラベルさん!」
「あなたは……」
 まずは、ミラベルについていた隊員達に、少し外してほしいと伝える。
 それから彼女に告げたのは、お礼と謝罪だった。
「さっきは、私のことを庇ってくれてありがとうございます。そのせいであなたにケガをさせてしまって、すみませんでした!」
 ミラベルのケガは、クリスを庇ってできたものだ。
 幸い急所は外れていたが、一つ間違っていたら、命を落としていたかもしれない。
「そんなこと? だったらもういいわ。私も、なんであんなことをしたかわからないから」
 せっかく助かったというのに、ミラベルの表情は、未だに影が刺したままだ。クリスの言葉にも録に答えず、早く話を切り上げようとしているのが見てとれる。
 ヒューゴに言われた通りにするならば、この時点でもう退散した方がいいのかもしれない。だがクリスには、まだ言いたいことが残っていた。
「ミラベルさん。かつてあなたは、どんな思いでヒューゴ様をアスターの家に預けたんですか?」
「──っ!」
 その瞬間、ミラベルの体がビクリと震えた。
「なんでわざわざそんなことを聞くのよ! 言ったでしょ、お金のために産んだ子だって。そんな子、手放したからって別になんとも思わないわよ」
 それは、以前に聞いたのとほとんど同じ答えだった。実の子をまるで物のように扱い、そこに一切の情などない。言葉だけを聞くと、そう思える。
 だが……
「本当にそうなんですか? ヒューゴ様を手放すことに、何の躊躇いも悲しみもなかったんですか?」
「だから、そうだって言ってるでしょ!」
 苛立ったような答えが返ってくる。何度も同じことを聞かれて、うんざりしているのかもしれない。
 だがクリスも、理由もなくこんなことを言ってるわけじゃなかった。
「でもあなたは、私を助けてくれた。もしかしたら自分が死ぬかもしれないのに、体を張って庇ってくれた」
 ミラベルにとってクリスは、たまたま一緒に捕まっただけの他人だ。なのに、自らの危険を顧みず、助けてくれた。そんな人が、例えどんな理由であれ、我が子を手放して本当に何とも思わないのだろうか。
「そんなのたまたまよ。それだけで変な期待をされても困るわ」
 ミラベルはなおも、クリスの言ったことを否定し続ける。だがクリスも、ここで引き下がったりはしなかった。
「それに、私見たんです。さっきの戦いで、ヒューゴ様がやられそうになった時、手当てを受けているあなたが、立ち上がろうとしたのを」
 ロイドとの一騎打ちの最中。剣を飛ばされ絶体絶命の状況に陥った時、それを見ていたクリスの視界の端には、ミラベルの姿があった。
 その時は、彼女の細かい様子なんて、気にする余裕はなかった。けれど、今なら思う。
「あれって、ヒューゴ様を助けたくて、駆けつけようとしていたんじゃないんですか?」
「何をばかなことを。勝手なこと言わないで」
 ミラベルの言う通り、これはクリスが勝手に考えたことだ。もしかしたら、とんだ見当違いかもしれない。
 なのにこんなにも食い下がるのは、クリス自身がそうあってほしいと願っているからだ。
「あなたとのこと、今もヒューゴ様の心に残っているんです。自分はお金のために売られたんだって事実を、ずっと抱え続けているんです」
 夜会で母親の話が出た時、ヒューゴが激しく動揺したのを思い出す。彼が尋常でなく女性が苦手になったのも、たぶん母親とのことが原因だと言っていた。
 幼い日の出来事は、今も彼の肩に重くのしかかっている。
「だけど、もしも真実が違うのなら、どうかそれを伝えてくれませんか?」
「やめて!」
 悲鳴にも似た叫びが、クリスの言葉を遮る。それを発したミラベルは小刻みに震え、これまでにないくらい青ざめた表情をしていた。ロイド達に捕まっていた時でさえ、こんな顔を見たことはなかった。
「お願い。あなたには本当のことを話す。けどあの子には、ヒューゴには何も言わないで……」
 そう呟くのを見て、クリスはより強く思う。やっぱり、真実はヒューゴが思っているのとは違うのではないか。
「ヒューゴ様をアスターの家に渡したこと、本当はどう思っているんですか?」
 もう一度、改めて問う。するとミラベルもとうとう観念したように、息をつく。
 そして少しずつ、ゆっくりと語りはじめる。