ロイド=アスターは、クリスにとってできることなら会いたくない相手である。
 なのにまさか、こんなにも早く会うことになるとは、全く考えもしなかった。
「ホムラが裏で流通している疑いがあるだと? 何をバカな!」
 ごろつき達をカーバニアの警備隊に引き渡した後、ヒューゴ達はそのまま、総隊長室にいるロイドの所に赴き、事の次第を伝えた。
 しかしロイドは、とても真面目に取り合っているとは言い難かった。
「ホムラの摘発例など、この数年ありはしない。ごろつき一人の妄言など信用できるか」
 夜会では、一応表面上は紳士的に振る舞っていたロイドだが、ここでは人目がないこともあってか、ずいぶんと尊大な態度をとっている。
「だが、現に苗木がここにある。それだけじゃない」
 ヒューゴはホムラの苗木を見せた後、小さな袋を一つ取り出した。これもまた、あの男から押収したものだ。
 その袋には、白い粉が入っていた。
「そいつが言うには、こいつは精製済みのホムラだそうだ。もしも本物なら、男の言っていたことにも真実味が出てくる。妄言と決めつけるのは、それからでも遅くはないぞ」
「なんだと?」
「もちろん、ただの杞憂で終わるかもしれん。だが疑わしきことがあれば徹底的に調べる。それが、俺達の警備隊の役目だ」
「くっ……」
 個人的な好悪はともかく、二人とも街の治安を守る警備隊。それも、各都市の総隊長という立場だ。
 その役目と言われては、ロイドもさすがに耳を傾けざるを得なかった。
「そこまで言うのなら調べよう。だが本当にホムラが国内に入って来ているのなら、国境を守るお前の責任にもなりかねんぞ」
「ああそうだ。だからこそ、余計に放っておくわけにはいかん。ついては、近年この街で押収された麻薬や密輸品の捜査に関する資料を全て確認したい」
「全てだと? たかがごろつき一人の証言で、そこまでやるつもりか」
 それぞれ管轄が違うとはいえ、捜査資料は申請すれば他の地区の警備隊員でも見ることはできる。しかしヒューゴの要求したもの全てとなると、かなりの量になるだろう。
 ロイドは僅かに逡巡するが、やがて静かに頷いた。
「いいだろう。だが全ての資料を揃えるとなると時間がかかる。後日送り届ける故、今はナナレンに帰るのだな」
「ああ。こっちもこっちで、密輸ルートがないか徹底的に調べておく」
「徹底的にか。これで何もなければ、いよいよ無駄な苦労になるな」
 最後のは皮肉のつもりで言ったのだろうが、ヒューゴはいちいちそれに食ってかかったりはしなかった。
「無駄になるなら、その方がいい」
 そもそも、ここでロイドと悶着をおこしている暇はない。先ほど言っていたように、密輸の可能性があるのなら、すぐにナナレンに戻り調査しなくてはならない。
 しかしそんな思いとは裏腹に、ヒューゴとクリスがカーバニアの街を出るまでには、それからさらに時間を有した。

「まさか、ここまで時間がかかるとはな」
 馬車の中で、ヒューゴが苛立った様子で言う。
 ロイドと分かれ、警備隊の駐屯所を出た後、すぐにナナレンに戻ろうとした。
 しかし今の二人は、アスターの本家に招かれている身だ。正式な出立の際にはちゃんとした挨拶が必要で、それには何かと時間や手間がかかる。
 おかげですっかり遅くなってしまった。
 ヒューゴにしてみれば、そもそも来たくもなかった上に急ぎの事態が発生したのだから、苛立つのも仕方ないかもしれない。
「この調子だと、ナナレンにつくのは暗くなってからでしょうか。帰りついたら、とりあえず真っ先に着替えたいです」
 ヒューゴもクリスも、さっき街に出た時に着ていた庶民的な服から、再び高価なものへと着替えている。クリスもこういった格好には慣れつつあるが、それでも丈の長いスカートというのはどうも落ちつかない。
「お前にも苦労をかけたな。だが夜会も終わったことだし、当分はこんなことをする必要もないだろう」
「そうなんですか?」
 ということは、ヒューゴとの偽の恋人関係も、ひとまずここで終わりだろう。
 そう思うと、なぜか少しだけ、寂しさを感じた。
(変なの。大変だって、なんどもヒーヒー言ってたのに)
 淑女教育も、大勢の人の前で恋人のふりをするのも、警備隊の訓練以上にきつかった。
 それが終わるというのは喜ばしいはずなのにと、自分の気持ちに戸惑いを感じずにはいられない。
「どうかしたか?」
「い、いえ。それより、しばらく恋人役をやらなくていいなら、この服やドレスは後でお返ししますね」
 今回の一件でヒューゴからは何着も服を与えられたが、どれも高級品だ。いつまでも持っているのも悪いと思ってそう言ったのだが、ヒューゴは首を横に振った。
「いらん。元々、お前にやるために買ったものだ。まあ、お前もいらないと言うなら、処分しておくぞ」
「しょ、処分なんてとんでもない! これ、すごく高価なものじなないですか!」
 冗談ではない。クリスにしてみれば、大金をドブに捨てるようなものだ。
「そう思うならとっておけ。俺が持っていてもなんにもならんし、似合うやつが持っていた方がいいだろう」
「えっ……?」
 サラリと出てきた、似合うという言葉。だがそれは、クリスにとって衝撃的なものだった。
 服やドレスが似合うなど、ヒューゴの口から出てきたことは、一度もなかった。
「そ、それって、私にこの服やドレスが似合うってことですか?」
「きゃっ、客観的な観点での話だ。お前に合うよう、服屋に特注で作らせた代物だ。似合わないわけがないだろう」
 わずかに頬を赤く染め、慌てたように言うヒューゴ。
 顔が赤くなっているのは、クリスも同じだ。なんの情緒もない言い方ではあるが、それでも、ヒューゴにこんなことを言われたかと思うと、なんだか気恥ずかしい。
 それにどこか嬉しくて、カッと顔が熱くなる。
 それからしばらくの間、お互い恥ずかしそうに目を逸らし、無言の時が流れる。
 しかしそんな静寂は、突如として破られた。
 辺りがすっかり暗くなり、馬車がナナレンに近い山道へと差し掛かった時だった。
 突然、馬車を引いている馬が鳴き声を挙げ、屋形が大きく揺れた。
「何があった?」
 ヒューゴが屋形の戸を開け、馬を引く御者に聞く。だが、馬車の前方へと目を向けた瞬間、すぐに外へと飛び出した。
「気をつけろ。賊だ!」
「えっ──」
 クリスも同じように、屋形から出て外の様子を確認する。
 するとどうだろう。馬車の前には数人の男達が立ち塞がり、その行く手を阻んでいる。そしてその手にはそれぞれ剣やナイフといった武器が握られていた。