クリス達が普段いるナナレンも、ここカーバニアも、同じアスター領ということで一括りにされがちだ。
 だがそれでも、場所が変われば人や文化もそれなりに変わってくる。食べ物の味付けもそうだ。
「あっ。これってナナレンとは味付けが違うんですね」
 街を歩きながら、クリスは出店で買ったばかりの料理を頬張っている。
 その格好はいかにも庶民的で、昨日まで着ていたドレスとは大違い。だがクリスにとっては、この方がよほど気楽だった。
 彼女が今食べているのは、肉や野菜を薄いパン生地で巻いたもので、特別珍しいものではない。しかし普段ナナレンで食べてるものと比べると、刺激が控えめだ。
「ナナレンは香辛料の流通も盛んだから、それで違いがでているんだろう。どちらかというとこっちの方が一般的だ」
 そう言うヒューゴも極めて簡素な身なりをして、とても貴族とは思えない。
 とはいえ、ここは領主館のある高級街からは離れた下町通り。
 こういう格好でいる方が自然だ。
 この二人。当初の予定では、今ごろナナレンへの帰路についているはずだった。だが朝食事をとっていた時、ヒューゴがこう言ってきた。
「夜会でつまらん思いをしただけで帰るのはもったいない。憂さ晴らしに街に行って息抜きしてこようと思うが、お前はどうする?」
 カーバニアの街など、次はいつ来れるかわからない。なによりヒューゴ抜きで屋敷に留まるのは、ひどく居心地が悪くなりそうだ。
 こうして、二人で街へと繰り出したのだが、まさかヒューゴがそんなことを言い出すとは意外だった。普段なら、予定を変えて遊びに行くなどとても考えられない。
 だが昨夜のことを考えると、気晴らしの一つもしたくなるのも当然かもしれない。
 今のヒューゴは、格好も食べているものも、極めて庶民的。だが本来なら、こちらの姿の方が自然だったのかもしれない。もしもアスター家に引き取られることなく母親の元で一緒に暮らしていたら、今ごろどうなっていただろう。
 昨夜の話を思い出し、ついそんなことを考えてしまう。
「気に入ったのなら、こっちも食うか」
「ふぇっ?」
 不意に、ヒューゴがそう言って左手にをつき出すと、さっき食べたのと同じ物を、さらに二つ持っていた。
「隊長、どれだけ買ったんですか?」
「俺の分とお前の分、二つだけだ。だが買う時に、サービスだと言われて渡された」
「いや、そんなサービスないですよ」
 どういうことかと買い物していた出店に目をやるが、その瞬間、なんとなく理由がわかった。
「総隊長。サービスしてくれたのって、あの女の人ですよね」
 出店には一人の女店員がいて、時折ヒューゴにチラチラと視線を送っていた。
 が、隣にいるクリスと目が合うと、とたんにつまらなさそうな顔をする。
「あの人、総隊長にアピールするためにやったんじゃないですか?」
 普段近くにいるからある程度慣れてはいるが、ヒューゴは息をのむほどの美形だ。少しでもお近づきになれたらと、女性の方から仕掛けてくるのも珍しくない。
「言うな。気づかぬふりをしろ。俺にとっては迷惑以外の何物でもない」
 どうやらヒューゴも、おおよその理由は察していたらしい。だがそこに一切の喜びはなかった。
「で、いるのかいらないのか?」
「いただきます」
 ヒューゴのためにサービスしてくれた店員には悪いが、まだまだ腹に余裕はある。ありがたくいただくことにした。
「それで、次はどこに行くんですか?」
 嫌な気分を発散させたいのなら、とことん付き合おう。そう思ったのだが、ヒューゴは歯切れ悪く言う。
「どうしたものかな。正直、あまり考えてない」
「えっ。それでここまで来たんですか?」
「仕方ないだろ。趣味も道楽も録に知らんのだから、食べるくらいしか思いつかん」
 確かに、ヒューゴが仕事以外の何かに熱をあげる姿など見たことがなかった。
「クリス。お前は、どこか行きたい場所はないか?」
「えっ? 私ですか?」
「ああ。そこに行く」
「えぇっ!?」
 予想外の言葉に、はたと困る。
 この街に来たのは初めてだが、ザッと見た時気になる場所はあるにはあった。だが、そこにヒューゴを連れていっていいものかわからない。
「私じゃなくて、総隊長が行きたい所に行くべきじゃないんですか?」
「だから、その行きたい場所がないんだよ。それよりは、お前の意見を参考にした方がいい」
「そうですか。なら行きますけど、本当にいいんですね。つまらないかもしれませんよ」
「くどい」
 こうして、なぜかクリスの行きたい場所へと向かうことになったのだった。