ヒューゴが前に出てきたことで、これまでとは状況が変わったのだろう。先程まで笑ってた者達も、一様に黙りこむ。
「この騒ぎは彼女が起こしたものと思っているのなら、誤解も甚だしい。彼女は、相手に落ち度があったのでそれを正そうとした。何も間違ったことはしていない」
ヒューゴはクリスを庇い、そして相手が、つまりロイドこそが悪いのだと、ハッキリと告げる。
それにより、また場の空気が震えた。
「ヒューゴ様。失礼ですが、その娘を甘やかしすぎてはおりませぬか?」
最初にやって来た男が、またも口を挟んでくる。
「どんな事情があるにせよ、このような場で騒ぎを起こすなど以ての外です。しかもどこぞの田舎娘が、あなたと同じアスター家の人間に対してですぞ。立場も何もわかってはいない。それを庇おうとするのなら、あなたにも悪評が立つのではありませんかな」
それは、クリスも危惧していたこと。
だからこそ、頭を下げて事を収めようとしていたのだ。
もう庇わなくていい。そう言おうとしたが、それより先にヒューゴが言う。
「立場か。ならば、今こうして俺に異義を唱えている君は、立場を弁えていると言えるのか。どこぞの田舎娘でもあるまいし、不慣れなどという言い訳はできぬぞ」
「なんと!」
とたんに男が目を剥いた。まさか自分がこんな風に責められるとは思っていなかったのだろう。
「お待ちください。いかにヒューゴ殿と言えど、意見を申せばそれだけで不敬などと仰るのではないでしょうな。いくらなんでもそれは横暴ですぞ!」
「ああ、その通りだ。正しい事を言うのに、地位や立場は関係ない。君もクリスも、それは変わらない。違うか?」
「それは……」
見事に揚げ足をとられ、男は悔しそうに、顔を歪める。
さらにヒューゴは、そもそもの元凶であるロイドを見据えた。
「そうなると、あとはそれぞれの言い分の是非ではあるが、こうなった経緯の全てを話して、ここで議論でも始めようか? だがな──」
「えっ?」
そこで突如、ヒューゴはぐっと手を伸ばし、クリスをその身に抱き寄せる。
クリスは目を白黒させるが、そんなものは全く意に介さず、ヒューゴはロイドに向かって言い放つ。
「大切な者を侮辱されたのだ。これ以上続けるなら、徹底的にやり合うことになるぞ!」
「──っ」
ロイドは、決してさっきの男のように取り乱したりはしなかった。しかしその心中は穏やかではないだろう。
彼とてヒューゴが多少の反論をするくらいは予想していただろうが、ここまで徹底的に戦う姿勢を見せるとは思ってなかったようだ。
そんなことをしたら、ヒューゴ自身の立場も、さらに悪くなりかねないのだから。
「わかっているのか。ここで揉め事を起こせば、お前の名にも傷がつくぞ」
「ああ。だが、それはお前も同じだ。お前には、そうまでしてやり合う覚悟はあるか?」
覚悟などありはしなかった。
事と次第によっては、ここにいる全員から嘲笑されかねない。にも拘らず、平然とそれを言い放つヒューゴの方が異常だ。
しかし簡単に引き下がっても、それはそれで格好がつかないのだろう。黙ったまま、ヒューゴを睨み返している。
だがその時、二人の間に、突如新たな声が割って入ってきた。
「なにやら、騒がしいことになっているようだな」
その場にいる全員が、声のした方を向く。そしてその姿を見た瞬間、一様に息を飲む。
唯一の例外はクリスくらいだ。
(このお爺さん、誰?)
現れたのは、髪の色がすっかり白くなった一人の老人だった。とはいえ、弱々しい様子は一切ない。それどころか目は鋭く光り、見る者を萎縮させるような、威圧的な雰囲気を放っている。
どちらかというとこのような夜会よりも、少し前までクリスもいた警備隊にでもいる方が似合ってそうだ。
「辺境伯。いらっしゃったのですか」
誰かがそう呼びかけたところで、クリスもようやく気づく。
この人物は、ランス=アスター辺境伯。ヒューゴの祖父であり、今まで姿を現さなかったアスター家の現当主だ。
「無粋な年寄り故、少し顔を出すくらいで退散しようと思っていたのだが、どうにも騒がしいことになっているようだ。今後アスター家を背負っていくであろう二人が、場もわきまえずに言い争いとは」
ヒューゴもロイドも、揃って押し黙る。二人とも親類とはいえ、立場は上の相手。そうでなくても、異民族との戦いを何度もくぐり抜け、勝利を収めてきた英雄だ。さすがに当時の力はないだろうが、迫力は十分だった。
「今ならまだ戯れとして目を瞑ることもできるが、どうする?」
ヒューゴもロイドもすぐには答えず、少しの間沈黙が流れる。
最初にそれを破ったのは、ロイドの方だった。
「いえ…………至らぬことをしてしまい、申し訳ありません」
元々彼にとっては、引くに引けなくなっていただけ。これ以上争いを続けることに利はなかった。
そして、ヒューゴもそれに続く。
「申し訳ございません」
辺境伯に向かって、頭を下げるヒューゴ。同時に、これまでクリスをつかんでいた手が離れる。
(これで、終わったの?)
果たしてこの決着が良いものだったかはわからない。だが少なくとも、これ以上揉め事が続くことはなさそうだ。
「クリス。慣れないことをさせてすまなかったな。少しの間隅で休んでろ」
「は、はい」
ようやくこの場から退散できる。そう思ったとたん、どっと疲れが襲ってきた。
会場の隅にある椅子に腰掛けながら、一連の出来事を振り返る。
この僅かな間に、ずいぶんと疲れる思いをした。
ロイドという男の言動は、今思い出しても腹が立つ。
だがそれ以上に思い出されるのは、自分を庇い、抱き寄せてくれたヒューゴの姿だった。
「この騒ぎは彼女が起こしたものと思っているのなら、誤解も甚だしい。彼女は、相手に落ち度があったのでそれを正そうとした。何も間違ったことはしていない」
ヒューゴはクリスを庇い、そして相手が、つまりロイドこそが悪いのだと、ハッキリと告げる。
それにより、また場の空気が震えた。
「ヒューゴ様。失礼ですが、その娘を甘やかしすぎてはおりませぬか?」
最初にやって来た男が、またも口を挟んでくる。
「どんな事情があるにせよ、このような場で騒ぎを起こすなど以ての外です。しかもどこぞの田舎娘が、あなたと同じアスター家の人間に対してですぞ。立場も何もわかってはいない。それを庇おうとするのなら、あなたにも悪評が立つのではありませんかな」
それは、クリスも危惧していたこと。
だからこそ、頭を下げて事を収めようとしていたのだ。
もう庇わなくていい。そう言おうとしたが、それより先にヒューゴが言う。
「立場か。ならば、今こうして俺に異義を唱えている君は、立場を弁えていると言えるのか。どこぞの田舎娘でもあるまいし、不慣れなどという言い訳はできぬぞ」
「なんと!」
とたんに男が目を剥いた。まさか自分がこんな風に責められるとは思っていなかったのだろう。
「お待ちください。いかにヒューゴ殿と言えど、意見を申せばそれだけで不敬などと仰るのではないでしょうな。いくらなんでもそれは横暴ですぞ!」
「ああ、その通りだ。正しい事を言うのに、地位や立場は関係ない。君もクリスも、それは変わらない。違うか?」
「それは……」
見事に揚げ足をとられ、男は悔しそうに、顔を歪める。
さらにヒューゴは、そもそもの元凶であるロイドを見据えた。
「そうなると、あとはそれぞれの言い分の是非ではあるが、こうなった経緯の全てを話して、ここで議論でも始めようか? だがな──」
「えっ?」
そこで突如、ヒューゴはぐっと手を伸ばし、クリスをその身に抱き寄せる。
クリスは目を白黒させるが、そんなものは全く意に介さず、ヒューゴはロイドに向かって言い放つ。
「大切な者を侮辱されたのだ。これ以上続けるなら、徹底的にやり合うことになるぞ!」
「──っ」
ロイドは、決してさっきの男のように取り乱したりはしなかった。しかしその心中は穏やかではないだろう。
彼とてヒューゴが多少の反論をするくらいは予想していただろうが、ここまで徹底的に戦う姿勢を見せるとは思ってなかったようだ。
そんなことをしたら、ヒューゴ自身の立場も、さらに悪くなりかねないのだから。
「わかっているのか。ここで揉め事を起こせば、お前の名にも傷がつくぞ」
「ああ。だが、それはお前も同じだ。お前には、そうまでしてやり合う覚悟はあるか?」
覚悟などありはしなかった。
事と次第によっては、ここにいる全員から嘲笑されかねない。にも拘らず、平然とそれを言い放つヒューゴの方が異常だ。
しかし簡単に引き下がっても、それはそれで格好がつかないのだろう。黙ったまま、ヒューゴを睨み返している。
だがその時、二人の間に、突如新たな声が割って入ってきた。
「なにやら、騒がしいことになっているようだな」
その場にいる全員が、声のした方を向く。そしてその姿を見た瞬間、一様に息を飲む。
唯一の例外はクリスくらいだ。
(このお爺さん、誰?)
現れたのは、髪の色がすっかり白くなった一人の老人だった。とはいえ、弱々しい様子は一切ない。それどころか目は鋭く光り、見る者を萎縮させるような、威圧的な雰囲気を放っている。
どちらかというとこのような夜会よりも、少し前までクリスもいた警備隊にでもいる方が似合ってそうだ。
「辺境伯。いらっしゃったのですか」
誰かがそう呼びかけたところで、クリスもようやく気づく。
この人物は、ランス=アスター辺境伯。ヒューゴの祖父であり、今まで姿を現さなかったアスター家の現当主だ。
「無粋な年寄り故、少し顔を出すくらいで退散しようと思っていたのだが、どうにも騒がしいことになっているようだ。今後アスター家を背負っていくであろう二人が、場もわきまえずに言い争いとは」
ヒューゴもロイドも、揃って押し黙る。二人とも親類とはいえ、立場は上の相手。そうでなくても、異民族との戦いを何度もくぐり抜け、勝利を収めてきた英雄だ。さすがに当時の力はないだろうが、迫力は十分だった。
「今ならまだ戯れとして目を瞑ることもできるが、どうする?」
ヒューゴもロイドもすぐには答えず、少しの間沈黙が流れる。
最初にそれを破ったのは、ロイドの方だった。
「いえ…………至らぬことをしてしまい、申し訳ありません」
元々彼にとっては、引くに引けなくなっていただけ。これ以上争いを続けることに利はなかった。
そして、ヒューゴもそれに続く。
「申し訳ございません」
辺境伯に向かって、頭を下げるヒューゴ。同時に、これまでクリスをつかんでいた手が離れる。
(これで、終わったの?)
果たしてこの決着が良いものだったかはわからない。だが少なくとも、これ以上揉め事が続くことはなさそうだ。
「クリス。慣れないことをさせてすまなかったな。少しの間隅で休んでろ」
「は、はい」
ようやくこの場から退散できる。そう思ったとたん、どっと疲れが襲ってきた。
会場の隅にある椅子に腰掛けながら、一連の出来事を振り返る。
この僅かな間に、ずいぶんと疲れる思いをした。
ロイドという男の言動は、今思い出しても腹が立つ。
だがそれ以上に思い出されるのは、自分を庇い、抱き寄せてくれたヒューゴの姿だった。