当主の妻として何ができるか。そう聞いたレノンではあったが、どんな答えが返って来ようと反対するつもりでいた。
しかし実際は、呆気にとられたまま、再度尋ねることしかできなかった。
「失礼。聞き違いでなければ、今武術と言っていたような気がするのですが、間違いないですか?」
「は……はい。その通りです」
貴族の事情などさっぱりわからないクリスだが、この反応が良好でないことくらいはわかる。
それにここで武術を持ち出すのがおかしいといというのも、何となくはわかっていた。
しかし悲しいことに、人より優れていると自負できるものがこれしかなかったのだ。
それからレノンは、睨むようにヒューゴを見る。
「ヒューゴさん。あなた、仕事のしすぎで疲れているのではありませんか。女の身でありながら武術などとははしたない。アスター家を世間の笑い者にでもするつもりですか!」
ひどい言われよう。
やはり、自分が恋人のふりをするなど無理があったのでは。
そう思ったクリスだったが、こんな状況にも関わらず、ヒューゴは涼しい顔で一笑する。
「何を言うかと思えば。武術に秀でる、素晴らしいことではありませんか」
「なっ──!?」
なんと、クリス自身でさえ失敗としか思えなかった武術を、ヒューゴは迷うことなく肯定した。
「しばらく大きな戦は起きていませんが、辺境であるアスター領は、常に隣国との争いの場。中でもこのナナレンは、その最前線とも言えるでしょう。私はその治安を任されている身として、誰よりも勇猛なる戦士でなければなりません。ならば、その伴侶が武術を嗜むのも当然でしょう」
「な、なにを?──いくら武術を習ったからといって、実際にこの娘が戦いに出るわけではないでしょう!」
実際クリスは、昨日まで盗賊団相手に戦いに出ていたのだが、さすがにそれを言うわけにはいかない。
そう思っている間にも、ヒューゴはさらに続ける。
「戦いには出ずとも、苦労や痛みを理解してくれる者が側にいてくれるのは、それだけで心強いものです。何より彼女には、身を鍛えることで培った心の強さがある。例え私にもしものことがあったとしても、決して心折れることなくアスター家を支えてくれることでしょう。私が妻として求めているのは、そういう人です」
(ヒューゴ総隊長……)
この言葉は、偽の恋人に説得力を持たせるための、ひいては自分が見合いや結婚を避けるための方便だ。そうとわかっていても、こうまで言われると、なんだか胸が熱くなる。
その後もヒューゴは、クリスがいかに素晴らしい女性か、長々と語り続けた。
「──ですから叔母上、クリスならきっと良き妻になってくれるでしょう。これでもまだ、何か不満がおありですか?」
爽やかな笑顔を浮かべるヒューゴ。恐らく、何を言われても反論する自信があるのだろう。
レノンもそれをわかっているようで、ここでこれ以上反対することはできなかった。
「いいでしょう。ヒューゴさんがそこまで言うのなら、一度本家にいる当主殿に紹介すること、それに、社交の場に顔を出すくらいは認めましょう。ちょうど一か月後、本家で夜会が行われます。そこに彼女と二人で出席なさい。逃げることは許しませんよ」
これは、一応認めてくれたということでいいのだろうか。そう思ったクリスだが、それにしては、刺のある態度は一切変わらない。
それになんだか話を聞いていると、一ヶ月後に、本家とやらに行くことになっている。
「わかりました。二人で必ず伺いましょう」
ヒューゴの返事に、レノンもようやく、多少満足したような笑みを浮かべる。
それから、話はもう終わったと言わんばかりに、驚くほど早々と帰り支度を始めた。
「わたくし、他にも用事があるので、失礼させていただきますわ。それではヒューゴさん、それにクリスさんも、一ヶ月後に会えるのを楽しみにしています」
そうしてレノンは、ヒューゴの屋敷を後にする。
その途端、クリスは全身から力が抜けたように、へなへなとその場に座り込んだ。
「ずいぶん疲れたようだな」
「そりゃ疲れますよ。いつ偽の恋人ってバレるか、ずっとヒヤヒヤしてましたよ」
嘘をつき続けるというのは、思った以上に心臓に悪い。
するとヒューゴも、疲れたようにため息をつく。
「俺だって大変だったぞ。特に、お前が武術が得意と言い出した時だ。まさか、恋人の紹介で強さをほめることになるとは思わなかった」
「うぅ……あれ、そんなにダメでしたか?」
「武術が悪いとは思わん。だが警備隊の入隊試験じゃあるまいし、あそこで強さを誇る奴はそういないだろう。吹き出すのに苦労したぞ」
「す、すみません……」
嫁入りの挨拶に、武術はあまり役には立たない。今後、本当にいい人を見つけて、その家族に挨拶しに行く機会があったら参考にしようとクリスは思った。
しかし実際は、呆気にとられたまま、再度尋ねることしかできなかった。
「失礼。聞き違いでなければ、今武術と言っていたような気がするのですが、間違いないですか?」
「は……はい。その通りです」
貴族の事情などさっぱりわからないクリスだが、この反応が良好でないことくらいはわかる。
それにここで武術を持ち出すのがおかしいといというのも、何となくはわかっていた。
しかし悲しいことに、人より優れていると自負できるものがこれしかなかったのだ。
それからレノンは、睨むようにヒューゴを見る。
「ヒューゴさん。あなた、仕事のしすぎで疲れているのではありませんか。女の身でありながら武術などとははしたない。アスター家を世間の笑い者にでもするつもりですか!」
ひどい言われよう。
やはり、自分が恋人のふりをするなど無理があったのでは。
そう思ったクリスだったが、こんな状況にも関わらず、ヒューゴは涼しい顔で一笑する。
「何を言うかと思えば。武術に秀でる、素晴らしいことではありませんか」
「なっ──!?」
なんと、クリス自身でさえ失敗としか思えなかった武術を、ヒューゴは迷うことなく肯定した。
「しばらく大きな戦は起きていませんが、辺境であるアスター領は、常に隣国との争いの場。中でもこのナナレンは、その最前線とも言えるでしょう。私はその治安を任されている身として、誰よりも勇猛なる戦士でなければなりません。ならば、その伴侶が武術を嗜むのも当然でしょう」
「な、なにを?──いくら武術を習ったからといって、実際にこの娘が戦いに出るわけではないでしょう!」
実際クリスは、昨日まで盗賊団相手に戦いに出ていたのだが、さすがにそれを言うわけにはいかない。
そう思っている間にも、ヒューゴはさらに続ける。
「戦いには出ずとも、苦労や痛みを理解してくれる者が側にいてくれるのは、それだけで心強いものです。何より彼女には、身を鍛えることで培った心の強さがある。例え私にもしものことがあったとしても、決して心折れることなくアスター家を支えてくれることでしょう。私が妻として求めているのは、そういう人です」
(ヒューゴ総隊長……)
この言葉は、偽の恋人に説得力を持たせるための、ひいては自分が見合いや結婚を避けるための方便だ。そうとわかっていても、こうまで言われると、なんだか胸が熱くなる。
その後もヒューゴは、クリスがいかに素晴らしい女性か、長々と語り続けた。
「──ですから叔母上、クリスならきっと良き妻になってくれるでしょう。これでもまだ、何か不満がおありですか?」
爽やかな笑顔を浮かべるヒューゴ。恐らく、何を言われても反論する自信があるのだろう。
レノンもそれをわかっているようで、ここでこれ以上反対することはできなかった。
「いいでしょう。ヒューゴさんがそこまで言うのなら、一度本家にいる当主殿に紹介すること、それに、社交の場に顔を出すくらいは認めましょう。ちょうど一か月後、本家で夜会が行われます。そこに彼女と二人で出席なさい。逃げることは許しませんよ」
これは、一応認めてくれたということでいいのだろうか。そう思ったクリスだが、それにしては、刺のある態度は一切変わらない。
それになんだか話を聞いていると、一ヶ月後に、本家とやらに行くことになっている。
「わかりました。二人で必ず伺いましょう」
ヒューゴの返事に、レノンもようやく、多少満足したような笑みを浮かべる。
それから、話はもう終わったと言わんばかりに、驚くほど早々と帰り支度を始めた。
「わたくし、他にも用事があるので、失礼させていただきますわ。それではヒューゴさん、それにクリスさんも、一ヶ月後に会えるのを楽しみにしています」
そうしてレノンは、ヒューゴの屋敷を後にする。
その途端、クリスは全身から力が抜けたように、へなへなとその場に座り込んだ。
「ずいぶん疲れたようだな」
「そりゃ疲れますよ。いつ偽の恋人ってバレるか、ずっとヒヤヒヤしてましたよ」
嘘をつき続けるというのは、思った以上に心臓に悪い。
するとヒューゴも、疲れたようにため息をつく。
「俺だって大変だったぞ。特に、お前が武術が得意と言い出した時だ。まさか、恋人の紹介で強さをほめることになるとは思わなかった」
「うぅ……あれ、そんなにダメでしたか?」
「武術が悪いとは思わん。だが警備隊の入隊試験じゃあるまいし、あそこで強さを誇る奴はそういないだろう。吹き出すのに苦労したぞ」
「す、すみません……」
嫁入りの挨拶に、武術はあまり役には立たない。今後、本当にいい人を見つけて、その家族に挨拶しに行く機会があったら参考にしようとクリスは思った。