2024年10月になっている。

 ここは、横浜である。

 40代後半になっているユウイチは、もう、仕事がなくなって、10年以上が経過していた。

 しかし、今も、両親と暮らしながら、何とか生活をしている。

 そして、ユウイチは、会社の仕事がなくなって、家で鬱屈した毎日を暮らしていた。いや、オレは、こんなはずじゃなかったとか、「いや、もっと、上い行けたかも」と妄想しても、上手くいかず、そして、このまま「オレの人生は、終わるのだろうか」と悩んでいる。

 人生が終わりたくないと思う反面と「ああ、オレの人生、これで一巻の終わり」とも思い詰めていたのだと思う。

 しかし、だった。

 このまま、人生が終わって良いのか。

 そう言いながら、孤独で寂しい年寄りで終わるのか。

 そう悩んでいたのだと分かる。

 ある時、ユウイチは、家を出て、外を歩いていた。

 角川町をぶらぶらしていたら、「横浜市立角川市民センター」が、あった。ここには、週に何度か通っている。図書館もあるし、市民ホールもあるし、色んな市民交流を図っている講座やイベントもある。

 その時、ユウイチは、ふと目をやったら、「ハローウィンで、ゾンビの着ぐるみを着る人いませんか?」とあって、募集とあった。

 そもそも、ユウイチは、昔、10代の時、歌手になりたくて、軽音楽をしていたのだが、何だか、懐かしくなって、したくなった。

 要は目立ちたがり屋で、元々、芸能界に憧れていた。一度だけ、大学生の時、地域のイベントで、テレビ取材を受けた。音楽のイベントだった。ユウイチは、ボーカルで歌っていたのだが、アナウンサーが、「この男性、頑張って歌っています」と20秒だけ放映された。

 今でこそ、いきものがかりのボーカルの吉岡聖恵さんみたいになりたいなどと憧れたが、ユウイチの最後の望みだった。もう、彼女もいないし、仕事だって干された。そして、生きる望みだってないと思った。

 そして、ハローウィンのゾンビの着ぐるみを着るとメールで申し込んで、電話のやり取りも、スマホであった。

 そして、2024年10月27日の出来事だった。

 ユウイチは、もう、諦めていた。

 無職ニートになって、もう10年が経過している。そして、生きる希望なんてなかった。

 ユウイチは、自分のスマホに電話がかかってきた。

「もしもし、横村さんの電話でよろしいでしょうか」

「はい」

「こちら横浜市立角川市民センターの岡村ですけど」

「はい」

「実は、ですが」

「はい」

「当日、ケーブルテレビニコニコ横浜のテレビ取材がありまして」

「え」

「それで、顔出しの撮影良いでしょうか?」

「ええ、良いですけど」

 となった。

 いや、ユウイチは、びっくりしながらも、久しぶりに生きていて良かったと思った。

 こう見えて、ユウイチは、学校時代、放送委員会と運動会で応援団長をしていたのだから、と思った。

 しかし、本当にケーブルテレビニコニコは、「オレを、一杯映してくれるのだろうか?」と思った。

 そもそも、これって、「理想と現実」とか何とかではないかとも思った。

 そして、2024年10月29日。

 角川町市民センターへ向かった。

 そこは、おじいちゃんおばあちゃんが、いっぱいいた。

 または、子供もいた、2歳とか3歳の。

 市民センターの職員の岡村が出てきた。

 岡村と名乗った女性は、髪は長めで、束ねていた。

 身長は、160センチだったろうか。

 ユウイチは、その日、お菓子を持って、ゾンビの着ぐるみを着ていた。

 そして、子供やおじいちゃんおばあちゃんが、「トリックオアトリート!」と言って、ゾンビの着ぐるみを着ているユウイチは、お菓子をあげた。

 その時、ケーブルテレビニコニコのカメラマンは、ユウイチをきっちり取っていた。

 ユウイチは、久しぶりに、童心に帰っていた。

 そして、ユウイチは、カメラの前でインタビューを受けた。

「みんなのために、役に立てて良かった」と言った。

 帰り際、職員の岡村は、ユウイチに「これからも、角川町市民センターをよろしくお願いいたします」と言った。

 それから暫くして、2週間が経った時、ユウイチは、ケーブルテレビニコニコ横浜の映像に、ゾンビの着ぐるみを着たユウイチと少しだけのインタビューを受けているのを見て、嬉しいと思った。

 その後、ユウイチは、角川町市民センターのボランティアサークルに入会したようだった。岡村も、遠くから見守っていたようだった。<完>