さやかは幼い頃から、異性にも同性にもいじめられやすい子どもだった。
 栄養状態が悪いかのような貧弱な体格、内気な性格、それに加えて特徴的なのは目だと言われた。青いように色素が薄く、いつも怯えているように揺れている目は、いじめっ子たちに魔的な欲求を持たせたようだった。
 いじめがあったからなのか、元々そういう体質だったからか、さやかは大人になっても小学生ほどの体格のままで、病気も拾いやすかった。
 義兄はそんなさやかを籠に入れるように守ってくれていたが……籠には時々、風が入ることもある。
「お嬢様、御手を」
 義兄の不在のとき、さやかの朝夕の診察を任されている部下がいる。
 その部下は義兄と長い付き合いで、さやかも幼い日からよく慣れ親しんでいた。義兄より一回り年上で、怜悧なまなざしと落ち着いた言葉遣いで、さやかを安心させた。時に荒い仕事もある義兄の家業には一見無縁そうな、物静かな男性だ。
「脈は正常ですね。胸の音も聞かせてください」
 医師免許も持つ彼は、義兄の代わりにさやかの手を取ったり聴診器を胸に当てたりもする。
 さやかと向き合う彼は、いつも通り淡々とさやかの診察をこなす。
 でもさやかは最近、彼の診察に違和感を抱くことがある。
 たとえば脈を取るときにきゅっと、少し強く手首を握っていくとき。聴診器を当てるときにかりっと、胸の上に微かに爪を立てるとき。
 彼はさやかの両頬を手で包んで、自分の方を向かせる。
「目を見せて。……いけません、閉じないで」
 彼と向き合うのが怖くなったのは、いつからだっただろう。
 自分に触れる彼に、その目つきに、さやかは野蛮なものを感じるようになった。強い者は、弱い者を凌駕する感情を抱かずにはいられないのかもしれなかった。
 震えているさやかに気づいているだろうに、彼は涙がにじんでもさやかの頬を包んだまま動かない。
 彼はさやかの耳に口を寄せて、何事かささやいた。
 さやかは熱と寒気が同時に訪れて、その場でうずくまっていた。



 さやかが失禁してしまった日は、義兄は用事を切り上げて早く帰って来る。
「大丈夫だよ、さっちゃん。ほら、もう怖くない」
 夜、温めるようにさやかを腕に包んで、義兄はベッドに横になる。
 さやかは失態をさらしてしまった恥ずかしさと、義兄を帰らせてしまった申し訳なさで、少し知恵熱が出ていた。言い訳なんて思いつかなくて、震えながら義兄にしがみつくしかできない。
 義兄の部下がささやいた言葉は、怖い言葉だった気がする。……愛の言葉でもあった気がする。
 どちらでも変わらなかった。さやかにとって籠の外から入って来るものは、失禁するくらいにさやかを怯えさせる。
 けれど今日もまた義兄が帰って来てくれて、さやかを包んでくれる。今はそれだけで、熱も寒気もがまんできた。
「さっちゃんの体、今日は熱いね。全部忘れて、深く眠ろう?」
「……うん」
 さやかはうなずいて、部下にささやかれた言葉を心で握りつぶした。
 それが弱いさやかにできる、精一杯の義兄への愛のしるしだった。
 義兄はさやかの背中を撫でて、いつまでも心配そうにみつめていた。
 そこは籠の中、未完成な二人の世界。
 けれど二人で眠れば、そこで今日も一日が終わる。