学園の調薬室で乾燥させた薬草を風魔法で刻んでいたら、突然扉が蹴破られた。驚いて振り向く私に、
「アイリーン・メディケルト公爵令嬢! お前との婚約を破棄する」
婚約者であるエリック殿下が婚約破棄を告げてきた。
「それは本当でしょうか……?」
王家に懇願されて結んだ婚約なので、破棄してもらえるとしたら願ってもないことだけど。
「ふんっ! 今更しおらしく振る舞っても無駄だ。お前がマチルダに変な薬を使って、嫌がらせしていることは分かっている。マチルダに対しての嫌がらせ行為を認めて、直ちに謝罪をしろ!」
「エリックさまぁ〜マチルダとっても怖かったんですぅ」
甘ったるい声がする方に視線を向ければ、エリック殿下の腕にしなだれかかるマチルダ様がいた。
マチルダ様は、最近男爵家に引き取られ、学園に転入してきた男爵令嬢。鮮やかなピンク色の髪と瞳はとても可愛らしいけど、婚約者のいる高位貴族の男性に次々と声を掛けているせいで他の令嬢からは反感を買っている。
眼鏡を直してもう一度マチルダ様を見ても、学年の違うマチルダ様に会ったことはない。
「エリック殿下、婚約破棄は受け入れます。ですが、会ったこともない方に嫌がらせはしませんから、謝罪できません」
「なんだとっ! 素直に非を認めれば、お前との婚約破棄も考え直して側室にしてやったのに。やはり、その歪んだ性格は悪役令嬢と呼ぶのに相応しいな!」
ここサルーテ国は、一夫一妻制である。陛下に世継ぎができない場合のみ側室を認めたこともあるが、王子で未婚のエリック殿下は側室を持てない。
「わたしとの婚約が破棄されると、お前も公爵家も困るだろうからな! 優しい俺は最後のチャンスを与えてやる。マチルダに謝れば許してやるぞ!」
「そうですよぉ〜謝ってくれれば、虐めてきたことも怖い薬を飲ませようとしたことも許してあげます」
政略結婚の意図がわからないエリック殿下を見ていると、サルーテ国の行く末が心配になる。私たちの間に恋愛感情はないのだから、結婚してからマチルダ様を妾にすればよかったのに。
でも、もう遅い。賽は投げられたのだから──
「謝罪は致しません。エリック殿下、この婚約破棄につきましてはメディケルト公爵家を通じて連絡させていただきます」
「まったく可愛げのない女だな! その野暮ったい眼鏡も、辛気臭い黒髪も、怪しげな薬ばかり作っているのも、すべて俺の隣に立つのに相応しくない。お前なんて国外追放だ!」
国外追放する権限がないことも知らないエリック殿下に呆れ果て、立ち去る。エリック殿下とマチルダ様が後ろで騒いでいるのを無視して公爵家の馬車に乗り込んだ。
「私、これから自由なのね……」
走り出した馬車に本音が落ちる。
エリック殿下と婚約させられ叶わない夢だと諦めていたから、ずっと気持ちに蓋をしておこうと思っていた。
私、魔法薬師になってもいいの?
ううん、違う。私は魔法薬師になりたい……!
メディケルト公爵家は魔法薬師の家系で、お父様もお兄様も薬草の聖地と呼ばれるクラウト王国に留学している。
ドラゴンが創ったクラウト王国は、ドラゴンの加護により豊かな大地に恵まれる薬草大国。クラウト王国でしか育たない薬草がいくつもあり、精霊や獣人が住む自由でおおらかな風土だという。さらに世界中の薬草が集まるマーケットもあって憧れていた。
私の心はクラウト王国に飛んでいたので、メディケルト公爵家に戻ると直ぐに執務室に向かう。
「お父様、お母様。……先ほど、エリック殿下に婚約の破棄を告げられました」
エリック殿下からの言葉をそのまま伝える。お父様の顔がみるみる紅潮していき、お母様の扇子がみしりと音を立てた。
「なんだと……っ! 王家が懇願するから我が家は仕方なく婚約したというのに、あの小僧、アイリーンを蔑ろにするなど許せん……っ!」
「なんですって! アイリーンちゃんの自由を奪っておきながら傷つけるなんて絶対に許せないわ……!」
怒られるかもしれないと思っていたら、エリック殿下と王家に対して私より怒ってくれている。私は、両親の優しさに触れて胸が熱くなった。
「エリック殿下に未練などはひとつもありません。それよりも、メディケルト公爵家の者としてクラウト王国に留学したいと思っております」
エリック殿下に想いはないことを忘れずに伝えてから、留学したいことを告げると両親はにっこり笑う。
「アイリーンの好きなようにすればいい。こちらの後始末は全て任せておきなさい」
「そうね、アイリーンちゃんがこちらにいて婚約破棄をなかったことにされたら困るもの。クラウト王国には手続きしておくから安心していってらっしゃいね」
両親からの心強い後押しもあり、クラウト王国の王立アカデミーに留学が決まった。
◇
今日からクラウト王国の王立アカデミーで魔法薬師の勉強がはじまる。新しい制服に袖を通し眼鏡をかけた私は、浮き立つ気持ちでアカデミーの門をくぐった。
「まあ、素晴らしいわ……っ」
華やかに咲きほこるロンダンの花に息を呑む。ドラゴンの胆のうという意味を持つロンダンは、クラウト王国のみに咲く銀色と青色のバイカラー咲きの薬草である。
美しすぎるロンダンに見惚れていたら、足音がして振り向いた。
「まさか隣国にいたとはな。どうりで探しても見つからないはずだ……」
「あの、どうかしましたか……?」
学園の制服を着た長身の青年に怖いくらいに見つめられていたので、思わず声をかける。
「いや、なんでもないよ。君は、今日からやってきた留学生だろう? よかったらアカデミーの校舎を案内しよう──俺は、レオナード・クラウトだ」
クラウト王族の象徴である銀髪に青色の瞳。私は、王太子であるレオナード様に淑女の礼を取る。
「サルーテ国のアイリーン・メディケルトと申します。本日より王立アカデミーで学ばせていただきます」
「ああ。困ったことがあれば、俺になんでも相談してくれ」
大きな手を差し出されて握手を交わすと、レオナード殿下が柔らかく微笑んだ。
畏れ多くもレオナード殿下にアカデミーを案内してもらうことになり、温室に到着した。
「わあ、ドラゴーネ草にロンドラーク! 本物を初めて見たわ……っ!」
書物で知っている薬草が目の前にあることに感動してしまう。薬草に駆け寄り観察をはじめる。
「あなたに気に入ってもらえて、とても嬉しい」
「っ! で、殿下……申し訳ありません」
珍しい薬草に夢中になって、誰に案内されていたのか忘れていた。
「駄目だな」
レオナード殿下は言葉を切ると、私の顔を不安になるくらい凝視する。魔法薬師になる夢を叶えようと留学してきたのに、サルーテ国に戻されたら困ってしまう。
「殿下ではなくレオナードと呼んでほしい。あなたには名前で呼ばれたいんだ」
「えっ……と、それは……」
私が公爵令嬢と言っても、大国のクラウト王国の王太子とはあまりに立場が違いすぎる。
「どうしても駄目だろうか……?」
あからさまにしょんぼりする姿に、罪悪感が芽生える。このまま固辞を続ける方が失礼なのかもしれないと悩んでしまう。
「あの、では、レオナード様……?」
私が名前で呼ぶと、レオナード様が嬉しそうに目を細めた。
◇
アカデミーでは魔法薬の講義や実習、それからクラウト王国の歴史と文化を学ぶ。中でも、クラウト王族がドラゴンに変化できることにとても驚いた。
育てた薬草から魔法薬を生成する手順を黒板から書き写しながら、目を細める。次からはもっと前に座ろうと決めて、眼鏡を外し目頭を軽く揉む。眼鏡を掛け直し、魔法薬の素材である薬草や道具に向き合った。
「よし……っ!」
乳鉢ですりつぶした数種類の薬草を混ぜ合わせ、熱魔法と氷魔法で温めるのと冷やすのを繰り返して粉にする。秤で計量し風魔法を使い圧縮させ錠剤にすれば魔法薬の完成となる。
すべての魔法薬を薬瓶に詰め終わり一息つくと、隣に座るレオナード様に声をかけられた。
「アイリーンできた?」
「はいっ! バッチリです!」
上手くできた魔法薬が嬉しくて笑顔で見せると、レオナード様の手が伸びてきて私の頭にぽんっと置かれた。
「「…………っ!?」」
私の肩が大きく跳ねて目を丸くすると、レオナード様も目を見開いて手を引っ込める。すぐに手が離れたのでホッとして視線を向ければ、片手で顔を覆ったレオナード様と目が合った。
「ああ──…ごめん。アイリーンがあまりにも嬉しそうに笑うから、可愛くて、つい手が伸びてしまった……ごめん」
「…………へ? えっと、あの、だ、だ、大丈夫です……っ!」
レオナード様の言葉にじわじわと顔に熱が集まり火照る。どうしていいか分からず動揺していると、わざとらしく咳払いをしたレオナード様が口をひらいた。
「アイリーン、そうだ、もしかして眼鏡の度数が合ってない?」
「えっ? っ、あっ! そ、そうなんです……っ! アカデミーにある魔法薬の本が面白くて、つい夜更けまで読んでいるので……視力が落ちたのかもしれませんっ!」
レオナード様の気まずい空気を変えようとしてくれる優しさに全力で甘え、こくこくと頭を縦に振る。
「度数が合っていないのは困るよな。俺のお勧めの眼鏡店に連れていってあげるよ」
「えっ……? あの、お店を教えてもらえるだけでも……? レオナード様はお忙しいでしょうし……っ」
なぜか話が違う方向に変わっていて、目を瞬かせた。
「いや、大丈夫だよ。俺も自分用にひとつ作りたいと思っていたからね。ちょうど薬草マーケットもあるし、案内してあげるよ」
「薬草マーケットの案内……?」
「うん。世界一と呼ばれるクラウト王国自慢の薬草マーケットの定番から穴場まで、俺なら自信を持って案内できるよ」
ずっと行きたかった憧れの薬草マーケットに気持ちが大きく揺れ動く。でも、王太子のレオナード様と出掛けるのはハードルが高すぎて悩んでしまう。
「アイリーンは、他では見られない珍しい薬草見たくない?」
「見たいですっ!」
私の頭の中から迷いがあっさり消え去る。
「それじゃあ、決まりね。一緒に薬草マーケットに出かけよう」
レオナード様の言葉に、私は期待に胸を弾ませて大きくうなずいた。
◇
薬草マーケット当日。楽しみすぎて早めに待ち合わせ場所に到着すると、既にレオナード様が待っていた。レオナード様も薬草マーケットを心待ちにしていたと思うと嬉しくなる。
「アイリーンは、薬草マーケットで見たい店はある?」
「あの、気になるお店をまとめてきました! その他にレオナード様のおすすめ店を全部見たいです……っ!」
付箋だらけの薬草マーケットのガイドブックをレオナード様に見せると、可笑しそうにガイドブックをめくり確認していく。
「よしっ、アイリーンの見たいところも全部見て回ろう」
「本当ですか? 嬉しいです……っ! 今日はよろしくお願いします」
レオナード様に案内されて歩き始めると熱気に圧倒される。路面店も所狭しと並んでいて案内がなかったら、あっという間に迷子になりそうだった。
「アイリーン、歩いてて気になる店があれば教えてね」
「はいっ! ありがとうございます……っ」
寄せ植えした薬草鉢が彩りよく並ぶ店、乾燥させた薬草が天井いっぱいに吊られている店もあって、とにかく目移りしてしまう。薬草の種や粉末、化粧品にスパイス、世界中の薬草が集まり多種多様な薬草が売られているので心が浮き立つ。
「レオナード様、このネジはなんですか……?」
木の枝にボルトネジが刺さったものが並ぶ店で足を止める。
「ああ、これはね薬草鳥を呼ぶための薬草笛だよ。空にいる薬草鳥に薬草の生えてる場所を聞いたり、危険がないかを確認するんだ」
レオナード様が店主にことわりボトルネジを回すと、キュッキュッと鳥の鳴き声そっくりな音が出てびっくりした。
「わあ、本物の鳥の鳴き声みたいですね。綺麗な音……っ」
「そうか、アイリーンには言葉じゃなくて音に聞こえるんだね。今の音は、薬草の案内を頼んだんだ」
「鳥の言葉がわかるなんて凄い……っ!」
ドラゴンの血を引くレオナード様は動物の言葉がわかると聞いて羨ましくなる。
「簡単な言葉ならアイリーンもわかるようになるよ。教えてあげようか?」
「えっ、いいんですか? あっ、でも……レオナード様はお忙しいでしょうから……」
魅力的な提案に気持ちが傾くけれど、王太子で生徒会もやっているレオナード様はとても忙しい。
「薬草鳥の案内がないと採取できない薬草があるよ?」
「え、ええっ?! あ、あの、やっぱりレオナード様の空いてる時間に教えてもらえますか……?」
「もちろん、よろこんで。言葉がわかるようになったら一緒に採取にいこうね」
私のためらいが頭の中から飛び去り、私とレオナード様は美しい音色の薬草笛をひとつずつ買った。
うきうきと手の中にある薬草笛をキュッキュッと鳴らしていたら、突然グイッと腕を引かれる。
「──危ない!」
「…………っ?!?!」
えええ〜〜レオナード様の腕の中に抱きしめられている?! なんだか甘い匂いがするし、密着したシャツ越しに体温を感じてしまう。
「アイリーン、人が多いからよそ見をしているとぶつかるよ」
ばくばくと心臓が鼓動を打って身体が茹だり、慌ててレオナード様から離れた。
「す、す、すみません! 助けてくださって、あ、ありがとうございます……っ!」
薬草笛を鞄にしまうと、レオナード様が手を差し出している。
「危ないから手を繋ごう」
「えっ……?」
あまりにびっくりしてレオナード様を見つめれば、優しい青い瞳のまなざし見つめられている。この先は人も多く迷子になりそうだけど、王太子のレオナード様と手を繋ぐなんて畏れ多いにも程がある。
「ええっと……あの……」
「迷子になったら、とっておきの薬草見れなくなるけど?」
「ええっ?! あっ、あの、手を繋いでもらいたいです!」
「ふふっ、了解。ほら、手を貸して」
手を伸ばしてレオナード様の手のひらに重ねると、指と指を絡めるように繋がれた。驚いたけれど、迷子になったら困ると思ってキュッと握りかえす。
「アイリーン、この次は眼鏡屋に行こう! そのあとに、とっておきの店に連れていくよ」
「お願いしますっ!」
とても幸せそうな笑顔で告げられたから眼鏡屋への期待が膨らんで、大きくうなずいた。
薬草マーケットのわき道を進むとこじんまりした煉瓦造りの店が見え、ガラス張りの窓から店内を覗くと眼鏡が並んでいる。
「いらっしゃいませ」
店内へ入ると眼鏡を掛けたエルフと可愛らしい精霊たちに出迎えられた。
「眼鏡を頼む」
レオナード様の言葉で、棚に並べられた眼鏡の中から精霊が眼鏡を選んで持ってくる。きらきら輝く小さな精霊が眼鏡を選ぶ様子も、眼鏡を抱えて持ってくる姿も見ていると幸せな気持ちになる。
「ここの眼鏡は、特殊な精霊ガラスをエルフが加工しているから薄くて軽い上に、度数も自動で合うんだ。アイリーンも頼んでみるといいよ」
レオナード様の提案に大きくうなずく。こんな可愛らしい精霊に眼鏡を選んでもらえるなら、ぜひお願いしたい。
「精霊さん、私にも眼鏡を選んでもらえるかしら?」
私の言葉で精霊たちが眼鏡の棚に向かい、シルバーフレームの眼鏡を渡される。掛けてみると本当にレンズも薄くて軽いし、度数もぴたりと合っている。
「わあ、凄いです……! 今まで掛けていた眼鏡と全然違います」
「アイリーン、よく似合ってる」
「ありがとうございます。レオナード様もお似合いです」
黒フレームの眼鏡をかけたレオナード様は、元々の美丈夫に知的さが加わってまぶしい。
「本当? 嬉しいな。俺、黒が一番好きなんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、好きだ。アイリーンの黒髪も黒い瞳もすごくきれいだと思ってる」
「…………え?」
レオナード様に相槌を打っていたら、私の黒目黒髪を褒められて驚いた。ずっとエリック殿下から地味だと言われ続けていたので、予想外の言葉に間の抜けた声が漏れる。
「あの、レオナード様、ありがとうございます……」
レオナード様の言葉が枯れていた心のどこかにゆっくり染みていき、胸の奥があたたかくなった。
目の前をひらひらと妖精が横切り、エルフがにこやかに近づいてくる。
「お客様、眼鏡チェーンもいかがですか?」
「あっ、ぜひ、お願いします!」
棚に乗っている眼鏡チェーンに目を向けた。シンプルな革から、お洒落な装飾の付いているものまで多岐に渡る。精霊たちにどんな物を選んでもらえるか気になり、エルフの言葉に前のめりで頼んでしまった。
「ふふっ、アイリーンにこの店を気に入ってもらえてよかったよ」
「っ! ああ、あの、レオナード様より先にお願いしてしまってすみません……っ! 精霊さんに会ったのも初めてで、嬉しくて、その、つい……」
「気にしないで。かわいいアイリーンが見れて嬉しいから」
「っ、か、揶揄わないでください……っ!」
子どもみたいな振る舞いをしたことが恥ずかしくなって、顔に熱が集まる。くすくす笑うレオナード様をじとりと見ると、なぜか嬉しそうに笑うから困ってしまった。
「ほら、アイリーン、精霊たちが選んでくれたみたいだよ?」
レオナード様の言葉で精霊たちが眼鏡チェーンを手のひらに乗せてくれる。シルバーチェーンに小さなサファイアが等間隔にあしらわれた繊細なデザイン。派手ではないけれど女性らしくてアカデミーの制服にも似合いそうで頬が緩んだ。
「眼鏡も買ったことだし、とっておきの薬草を見に行こう」
「はい! 楽しみにしてます」
新しい眼鏡を二人で掛けて薬草マーケット散策を再開する。
とっておきだと見せてもらったのは、薬草鳥の薬草だった。魔法鉢に、宝石のように輝く若草色の薬草がたった一本だけ生えている。本当に美しいものを見ると言葉も出ないのだと初めて知り、レオナード様と時間を忘れて見つめていた。
◇
薬草マーケットから一週間。薬草鳥の薬草の虜になった私は、放課後になるとレオナード様から薬草鳥の言葉を教わっていた。レオナード様が薬草笛のボトルネジを回すと、キュッと鳥の鳴き声が響く。
「アイリーン、なんて言ったかわかる?」
「今のは、おはようです!」
「うん、正解。短期間でずいぶん分かるようになったね」
「レオナード様の魔道具のおかげです」
初日にあまりに分からなくて落ち込んでいたら、薬草鳥の声と解説してくれる魔道具を渡された。毎日欠かさず聞いているので、最近は簡単な挨拶や危険を知らせる言葉がわかるようになってきた気がする。
薬草鳥の薬草は、生えている時は宝石のように輝いているけれど、採取するとただの薬草になってしまう。薬草マーケットではたった一本だったけれど、原生地には一面に生えていると聞いて身体が震えるほど興奮した。光り輝く薬草をもう一度見たくて、自分の足で見に行くことを目標にしている。
「アイリーン、次は案内をお願いするのを鳴らす練習をしよう」
「はい……っ!」
薬草笛はボトルネジを回した摩擦で出る音なのだけど、訓練すると思った通りに音を出せるらしい。レオナード様が薬草笛のボトルネジをひねるとキュキュキュッと鳴った。
「こうですか……?」
私もレオナード様の真似をしてボトルネジを回してみる。
「ふふっ、今のはあっちに行こうだな」
「うーん、難しいです。もっと高めなのかなあ?」
何回か回してみたけれど、お腹すいたとか、遊ぼうになってしまう。
「うう、すごく難しい……」
「いくらでも付き合うから、ゆっくり覚えたらいいよ」
「そんな……っ! 毎日こうして薬草鳥の言葉を教えてもらうのも申し訳なくて……できるだけ早く覚えるようにしますから!」
「そんなこと気にしなくていいのに」
レオナード様は柔らかく目を細め、微笑んだ。あまりに私ばかりがもらいすぎているのが落ち着かない。お返しを考えても、王太子のレオナード様の喜ぶものなんて思い浮かばなくて直接聞くことにした。
「あの、今度なにかお礼をしたいのですが、なにか希望はありますか?」
「なんでもいいのかな?」
レオナード様の言葉にうなずくと、何かを思いついたようにレオナード様が微笑んだ。
「じゃあ、俺とデートしてほしい」
「ええっ?!」
予想外な言葉に、驚いて声を上げてしまう。
「薬草マーケットの時に、前を通った薬草カフェを覚えてる?」
「っ! 覚えてます……っ!」
とても可愛らしい内装のカフェは、メニューも薬草尽くしで私も気になったので覚えている。こくこく、と首を縦に振るとレオナード様がにこりと笑う。
「一人だと入りにくいから、よかったらアイリーンに付き合ってもらえないかな?」
「そういうことならもちろん! 私も気になっていたので行ってみたいです」
「そうなんだ? 俺たち気が合うね」
まっすぐに見つめられると何だか落ち着かない気持ちになってしまい、手もとの薬草笛をキュッキュッと鳴らす。
「あっ、あの、今の音──っ!」
案内をお願いする鳴き声が出た気がして、レオナード様にパッと顔を向ける。
「──好きだよ」
「え、えっ……すき……?」
優しいまなざしを向けられて、ふわふわただよう甘い雰囲気に心臓がどきどきしてきた。永遠に続くような気がした沈黙の中でレオナード様が口をひらく。
「うん、そう。今の音は、好きって鳴き声だよ」
「あ、あああ、な、な、なきごえ……! そ、そうですよね、ははは、ほんとうにむずかしいですね」
勘違いが恥ずかしくて耳が熱くなる。
「ふふっ、難しいね。でも、あともう一押しかな」
「レオナード様、ごめんなさい。今、なんて言いましたか?」
「なんでもない」
言葉が聞き取れなくて尋ねたけれど、レオナード様は首を傾げて綺麗に微笑む。
「薬草カフェのあとに薬草採取に必要な道具一式も、一緒に買おう。ドワーフの鍛冶屋にドラゴンの鱗を持って行って採取ナイフを作ってもらうのはマストかな。あとはマントとブーツ、採取用カバンをお揃いで買ってもいいけど、ああ、でもアイリーンに俺の装備を選んでもらうのもいいな。アイリーン、選んでくれる?」
レオナード様が目を輝かせて嬉しそうに語るのが、なんだか可愛いと思ってしまう。
「もちろんです! レオナード様とデートするの楽しみです」
「──っ!」
気づけば浮かれてレオナード様の言葉を真似をしていた。驚いて口元を片手で覆ったレオナード様と目が合うと、自身のとんでもない発言に気づいて羞恥に襲われる。穴があったら入りたいし、幻の時魔法で時間を戻したい。
顔から火が吹き出ている私に、レオナード様が近づく。
「アイリーン、今度のデート、楽しみにしててね?」
甘やかな声で耳打ちされて、心臓が大きく跳ねる。
「っ! あ、あの、……お手柔らかにお願いします」
どうしたらいいのか分からず迷った末に出てきた言葉と一緒に頭を下げた。
◇
レオナード様と薬草カフェに行ってから半年。今では薬草鳥の言葉もかなり分かるようになった。ドワーフの鍛冶屋で頼んでいた採取ナイフも出来上がり、今度の連休にレオナード様と薬草採取に行く約束をしている。
「今日もレオナード様は休み……」
ロンダンの蕾を見つめて、ため息をこぼす。
王太子の公務で忙しいレオナード様は、最近アカデミーを休むことが多い。仕方ないと思うのに、気づくと眼鏡チェーンのサファイアを指先で撫でてしまう。
「寂しい……」
アカデミーで出会ってからいつも傍にいてくれていた。婚約破棄のことを忘れるくらい魔法薬に夢中になれたのは、レオナード様の優しさがあったから。
青色と銀色を選んでしまうのも、鏡の前で長い時間身だしなみを整えるのも、会えないと寂しいと思うのも──気付いてしまえば、この気持ちに名前をつけることはあまりにも簡単で。
トクン、と鼓動が跳ねる胸に手を当てる。
私は、レオナード様のことが好き──…
「アイリーン」
名前を呼ばれて振り向き、驚いた。
「エリック殿下……なぜここに……?」
なぜ他国であるクラウト王国のアカデミーにエリック殿下がいるのか不思議で疑問がこぼれる。
「なっ、お前、本当にアイリーンなのか……っ?!」
エリック殿下が気持ち悪いくらい私をじろじろ見てから、下卑た笑みを浮かべた。
「ふうん、なるほど。わたしに振られ反省したようだな。見た目を磨いて、わたしに振り向いてもらえるように頑張ってたってわけか。可愛いところもあるじゃないか」
意味が分からないことを並び立て、ねっとりした視線を向けられるのが不快でたまらない。
「喜べ! お前を迎えに来てやったんだ。婚約破棄は撤回してやろう」
「…………はい?」
一方的に婚約破棄をしておいて、今度は勝手に撤回するという発言が信じられない。
「嬉しいだろう? お前と婚約解消してマチルダと婚約をしたまではよかったが、王子妃教育が進まない。このままではマチルダと結婚できなくて困る」
エリック殿下の言葉を醒めた思いで聞く。
「このままでは駄目だとマチルダと考えた。お前を正妃にして政務を全て任せ、マチルダを愛妾にすれば丸く収まると思ったが……今のお前ならマチルダと一緒に愛してやろう──アイリーン、すぐにサルーテ国に戻って手続きだ」
信じられないくらい失礼な提案を得意げに披露するエリック殿下に、怒りで身体が震える。
「お断りします」
「すぐに戻るぞ…………は? 今、なんと言った?」
「お断りします、と。私と殿下の婚約は既に破棄されております。私はクラウト王国でこれからも魔法薬を学びたいのです」
まっすぐにエリック殿下を見据えた。もうエリック殿下と私の繋がりは切れているし、縁を結びなおすなんて絶対にしたくない。
「はあああ? 魔法薬なんかよりわたしと結婚するほうがいいに決まってるだろう! これ以上怒らせるな、さっさと帰るぞ」
「殿下が婚約破棄を決めたのです。王族が一度口にしたことを簡単に撤回すべきではありません」
「……本当に融通の効かない女だな! わたしの言うことを大人しく聞けばいいんだっ!」
目を怒りでギラギラさせたエリック殿下が腕を掴もうと動くのを見て、咄嗟に避けた。
「なっ、お前……っ!!」
「っ!」
エリック殿下の顔がこれでもかと紅潮し、腕が高く上がる。目をつむって叩かれる衝撃を待つ。
「俺の大切な番に、乱暴はやめてもらおうか」
「なんだ貴様は──! 離せ、わたしを誰だと思っている。外交問題にしてもいいんだぞっ!」
驚いて目をあけると、レオナード様がエリック殿下の背後から腕を掴んでいた。それから、暴れるエリック殿下の腕を勢いよく離して、私を庇うようにレオナード様が隣に立った。
「っ、レオナード様、……あ、ありがとうございます」
レオナード様の姿を見たら緊張の糸が切れて身体がかたかた震えていく。
「遅くなってすまない。アイリーン、もう大丈夫だから安心して」
優しく体を抱き寄せられて、背中をそっと撫でられる。
「……レオナード? まさか王太子の……?」
「ああ、俺はレオナード・クラウト──ここ、クラウト王国の王太子で間違いない。サルーテ国は、クラウト王国に不満があると聞こえたが?」
エリック殿下の顔が青ざめていく。先ほどのエリック殿下の発言は、サルーテ国と比べものにならない大国のクラウト王国に喧嘩を売ったのと同じ。
「と、と、とんでもない……っ! わ、わたしはアイリーンと少し行き違いがあったので、迎えに来ただけです。アイリーンは今は綺麗に化けてますが、元々は瓶底眼鏡で冴えなくて、頭でっかちで可愛げのない女なんです。レオナード殿下の番なんて間違えてるかと……? もっと美人で胸のある相応しい方がいるはずです! そ、そんなわけで、このアイリーンは、わたしがすぐに連れて帰りますので……」
早口で捲し立てるエリック殿下と連鎖するように、まわりの温度が急激に冷えていく。
レオナード様の身体がまぶしく光りはじめる。
「黙れ」
光が収まると、レオナード様のいた場所に銀色のドラゴンが現れた。
クラウト王族がドラゴンになるのは知っていても、いざ本物を目の前にすると驚いて声も出ない。ドラゴンは大きな爪でエリック殿下の首根っこを掴むと、顔まで高く持ち上げて睨みつける。
「今後、アイリーンを名前で呼ぶことも、侮辱することも絶対に許さない。もし今度アイリーンに近づいたら──お前もサルーテ国も覚悟しておくんだな」
「……ひぃぃぃ」
大きな口をあけて牙を見せるドラゴンにエリック殿下が悲鳴をあげる。青ざめたエリック殿下を地面に放り投げると「助けてえぇ〜〜」と走り去って行った。
「これで二度とアイリーンの前に現れないだろう」
レオナード様に色々聞きたいはずなのに、美しい銀色のドラゴンにただ見惚れてしまう。
「……ドラゴンの姿は怖いか?」
「レオナード様なのに怖いわけありません……っ!」
大きく首を横に振るとドラゴンが柔らかく微笑む。姿が違うのに表情がレオナード様らしくて、胸がきゅうと掴まれた。
「助けてくださってありがとうございました。あ、あの……それで、先ほど……その、私のことを、……番と言いましたか……?」
ドラゴンの身体が輝いてレオナード様の姿に戻ると、私を甘く見つめる。
「アイリーンが好きだ。初めて会ったときからずっと好きでたまらない──アイリーンは、俺の運命の番だ」
「運命の番……?」
「人族でいう運命の赤い糸だな。ただ、俺たちドラゴンは匂いで運命の番がすぐにわかるが、人族はわからないのだろう?」
レオナード様の言葉にうなずく。
「番の分からない人族を強引に攫う悲劇が過去に起こり、俺たちは人族について学んだ。一緒に出掛けたり、話し合ったり、少しずつ分かりあうのだと──だから番とは告げずに、アイリーンに俺を知ってもらいたかったんだ」
「そう、だったんですね……」
レオナード様が愛おしいものを見るように目を細めると、心臓が甘く高鳴った。
「ああ。アイリーンの魔法薬に真剣に取り組む姿も、俺の言葉に恥じらって頬を染める姿も、しっかりしてるのに抜けてるところも可愛くて好きだ。アイリーンにいつも触れていたいし、その美しい瞳にはいつも俺を映していてほしい──」
甘やかなまなざしに見つめられ、続く言葉を期待するみたいに身体が熱くなっていく。
「ドラゴンは、運命の番と呼ばれるたったひとりを一生愛し抜く。アイリーン、好きだ。どうか俺と結婚してほしい」
レオナード様の言葉に心がどうしようもなく甘くなる。銀色の髪が揺れて、大きな手のひらが私の頬をやさしく包む。甘い熱にゆらめく青色の瞳に見つめられると、私の好きがあふれて止まらなくなるのが分かった。
「私もレオナード様が好きです……」
破顔したレオナード様が、私のおでこに甘いキスの音を鳴らした。
それから、番と子どもしか乗せないというドラゴンの背に乗り、メディケルト公爵領におり立つ。腰を抜かしたお父様には申し訳なかったけれど、両家から祝福されて私たちの婚約はすぐに結ばれた。
◇
──荘厳な鐘の音がクラウト王国に響き渡る。
「レオナード・クラウトは、アイリーンをドラゴンの翼ですべての憂いから覆い避け、爪と牙ですべてから守り、一生慈しみ愛することをドラゴンの血にかけて誓う」
繊細なウェディングベールをレオナード様が上げると、私とレオナード様を遮るものはなにもない。甘やかな青い瞳に見つめられ、まぶたを閉じる。誓いの言葉を封じ込め、永遠のものにするという誓いのキスが優しく唇に落とされた。
大司祭が私たちの結婚成立を宣言して、夫婦になった。
今宵は、夜通し結婚のお祝いが続く。クラウト王国には、結婚した二人が新たな人生をともに歩んでいく象徴としてファーストダンスをお披露目する習慣がある。星が瞬きはじめた頃、二人で王宮のバルコニーに姿を現すと歓声が上がった。
「アイリーン、ファーストダンスを踊ってほしい」
「はい……っ、もちろんです」
レオナード様が跪き、手の甲にキスを落としたのを合図に、優美な演奏がはじまる。美しいレースが印象的な銀色のドレスは、動いて風をはらむと羽衣のように魅力的な流れをつくっていく。レオナード様と見つめあって微笑み、くるりと回されて踊る。ダンスがこんなに楽しかったなんて知らなくて頬が緩めば、腰に回された腕にぐいっと引き寄せられた。
「アイリーン、俺たちのファーストダンスをクラウト王国中に届けに行こう」
甘く耳元で囁かれてうなずく。黒のタキシードを着たレオナード様が光り輝き、銀色のドラゴンに変わると私を背中に乗せて飛び立つ。
繊細な刺繍を刺したドレスの裾が風でふわりと揺れて、星空を進む。銀色の鱗が月明かりを反射して、光の粒をクラウト王国中に降り注ぐと大きな歓声で出迎えられた。レオナード様と一緒にクラウト王国を巡ったあとに、下されたのは若草色が煌めく薬草原。
「わあ……っ!」
満点の星が瞬き、月明かりが薬草鳥の薬草を照らす。風に合わせて光が揺れ、宝石のような葉が擦れると澄んだ音色が広がる。息を呑むほど美しい光景に、ただただ目を奪われてしまう。
「アイリーン、受け取ってほしい」
人間の姿に戻ったレオナード様が手に持っていた小箱を開くと、淡く光るシルバーの指輪が入っていた。
「……とても綺麗ですね」
「この指輪は、ドラゴンの逆鱗で作ったものなんだ」
「っ……!」
ドラゴンの逆鱗は一枚しかなく、とても大切なものだと聞いていた。レオナード様の気持ちが嬉しくて、愛おしくて、頬を涙が伝う。
「レオナード様、愛しています……」
「俺も、アイリーンを愛してる。結婚できて嬉しい」
レオナード様の親指が私の涙を拭い、左手の薬指に逆鱗の指輪がはめられる。あまりに嬉しくて、レオナード様にキスを贈ると、顔を赤く染めたレオナード様に強く抱きしめられた。
「アイリーン」
レオナード様の青い瞳を見上げる。深く唇を塞がれて、至近距離で目の奥を覗き込まれた。
「今宵は覚悟してね、俺の愛しい番」
瞳を細めて、甘やかな声でささやかれる。私は、大好きなレオナード様の言葉に、とびきりの笑顔でうなずいた。
◇
魔法薬師の知識を活かしてブレンドした身体にいい魔法薬茶を淹れてもらう。ふわりと立ち上る爽やかな香りを堪能しながら口にする。
私宛ての手紙の中に、サルーテ国からの招待状を見つけて開封する。第二王子が立太子する案内にため息をついた。
「久しぶりに里帰りもしたかったけど、この日程では無理ね……」
サルーテ国にレオナード様と一緒に向かった日、ドラゴンが追いかけてきたと勘違いしたエリック殿下は錯乱状態になったという。私は、エリック殿下が番に対する執着をサルーテ国に戻って勉強していたことに驚いたのだけれど。
報復されると思い込んだエリック殿下は、サルーテ国王陛下に今までの詳細を報告。全てを聞いたサルーテ国王陛下は、クラウト王国との関係悪化を恐れた。エリック殿下の王位継承権を剥奪して北の塔に幽閉。そして、元凶になったマチルダ様は、厳格な修道院に入ったものの脱走して、娼館に身を落としたと聞いている。
「アイリーン、すまない。手紙が紛れてしまったようだ」
大きな手に招待状が引き抜かれた。レオナード様が心配そうに私の瞳を見つめてくるので、安心させたくてにっこり笑う。毎日注がれる深い愛情でエリック殿下との過去を思い出すことはないのに、レオナード様は私が過去に傷つくことを何よりも心配している。
「ふふっ、レオナード様、ありがとうございます」
レオナード様が屈み、私の額にレオナード様の額をあてた。
「アイリーンは強くて、美しいな──流石、俺の運命の番」
嬉しそうなレオナード様に、唇を重ねられる。呼吸を整える間もなくなるくらい深くなるキスに、私はあわててレオナード様の胸をたたく。火照った頬を押さえながら、王宮の庭が見頃だと教えてもらったことを伝えた。
「レオナード様、綺麗です……っ!」
「アイリーン、絶対に走ってはだめだよ」
銀と青色のロンダンの花が満開に咲いている美しい光景に、二人で微笑みあう。最近は今まで以上に過保護すぎるレオナード様に抱き寄せられると、大きな手が伸びてきた。
レオナード様が、私の膨らんできたお腹をやさしく撫でる。
「来年は、三人で一緒に見れますね」
幸せな気持ちでレオナード様を見上げると、最愛の夫から甘やかなキスが落ちてきた。
Fin.