◇◇
「ルシア、領地に着いたよ」
寝ていたところ、父に起こされる。
馬車に揺られること二十日、移動の半分以上の日が雨天だった。そのせいで馬車の車輪が何度も泥に嵌まっては進行停止を繰り返し、予定より大幅に遅れて父の領地に到着――した?
馬車の小窓から外を覗(のぞ)くが、山と草原しか見えない。
「お父しゃま……街がありません」
「ははは、あの大きな木が見えるか?」
「はい」
「あの木を境に向こう側が私の領地だよ。はここから半日の場所にあるよ」
は、半日! 大丈夫……今日まで二十日頑張れた。半日くらいいける……はずだ。
父の領地に入った地点の大きな木の前で一時休憩をすることになった。
それにしても疲れた。
馬車から降り、フラフラと地面に尻をついた。馬車移動で相当疲労が溜まったようだ。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫……」
心配そうに私の顔を覗いたバネッサの顔色も悪い。
実はここに到着するまでに別の街もいくつか通過したけれど、東部を治める貴族はゴリゴリの第二王子派が多いため父は馬車を素通りさせた。父は何か嫌がらせされるのを避けたかったのだろう。途中、街から外れた村で食料などの補給をした。
父の書斎にある資料を勝手に盗み見して知ったけれど、現在、王都では第一王子と第二王子の間で王位継承権を争っているようだ。父は第一王子派ってことになっているのだと思う。中身までは確認していないけれど、第一王子からのお手紙が父に何通か届いていたのは見たことがある。父は口に出して自分を第一王子派とは言わないけれど。
それにしても馬車移動、想像以上につらすぎた。何度か本気で吐きそうになった。
バネッサが木陰に座りため息を吐く。
私はバネッサの膝の上で寝ることができたけれど、バネッサは終始同じ体勢でつらそうではあった。父は文官として他貴族の領地に赴くことがあったので、馬車の旅は慣れているのか平気そうで、たまに呑気に鼻歌を弾ませていた。
「バネッサ、大丈夫?」
「はい……大丈夫です」
全然大丈夫じゃなさそうだ。これはたぶん車酔いなのだと思う。移動中に頭痛がするのかバネッサが何度かこめかみを触っていたのも気になった。
そうだ、前世では私もよく頭痛の時にツボ押しをしていたんだっけ。
「バネッサ、手を見せて」
「え? 手をですか?」
「うん。気分が少し晴れるおまじないをするから」
バネッサに差し出された手の平を下に向ける。手と手首の境から肘に向けて指三本……子供だから指三本とちょっとの場所にある外関を左右ともマッサージしながら押す。
「どう?」
「少し首がすっきりしたような気がします」
次に耳の付け根の後ろにあるツボを押しているとバネッサがうたた寝をしてしまう。
「頭痛はどう?」
「だんだん……楽になってきました」
手は小さくなったけれど、マッサージは前世もよく同僚にやっていたので得意だ。もっとバネッサを気持ちよくしよう。
しばらく揉んだ後にバネッサに声を掛ける。
「バネッサ……」
反応はないので完全に寝落ちをしたようだ。せっかくなので寝かしておいてあげようと思う。
でも、その前にバネッサの猫耳を優しく撫でる。髪の色と同じ色の耳は触るとベルベットのよう柔らかさで癖になる。普段はなかなか触らせてくれないけれどちょっとくらいならいいよね。
「モフモフだぁ」
バネッサが寝息を立て始めたので、そっと離れる。
せめて今日は晴天なのが救いだ。木の反対側でパンを齧りながら休憩をしていた護衛の傭兵であるジェイクとロンの方へと向かう。彼らとはこの旅の間に結構仲よくなった。
ロンは赤毛交じりの茶色の髪にまだ幼さの残る屈託のない笑顔が印象的な二十代前半くらいの男性だ。やんちゃな言葉遣いとは裏腹に所作はとても綺麗だ。でも、ちょっと抜けている面がありジェイクによく注意をされている。
ジェイクは長い銀髪を一つ結びにした細マッチョの二十代後半の男性だ。外見は整っており、傭兵と言われてもピンとこない。
ロンが私に手を振りながら笑う。
「お! お嬢もパンを食べるか? ちょっと硬いがまだいけるぞ」
「ううん。大丈夫」
今は食欲がないので断る。
「ルシア嬢、それならこれはいかがでしょうか?」
ジェイクが包み紙に入った飴玉を差し出す。
「いいの?」
「はい」
「ありがとう」
早速、貰った飴を食べるとイチゴ味が口に広がる。これだけで、体調がずいぶんよくなったような気がする。
ジェイクが微笑みながら言う。
「元気が戻りましたね。もう一つ飴をあげますので、これは後で食べてくださいね」
「はーい」
返事をして受け取った飴をポケットに入れる。これはバネッサにあげよう。
ロンがあくびをしながら背伸びをする。
「しっかし予定より時間が掛かっているよなぁ」
「ロンは文句ばかりですね」
「だが、ジェイクもそう思うだろ? ここからの道は酷いものだ」
大木の先にある父の領地には道は一応ある。けれど、ロンの指摘通り、整備がされておらず暴走した草があちらこちらに生い茂っている。
馬車の進行方向に生えていた大量のぺんぺん草をちぎり、手の中でクルクルと回す。
「草、生えすぎ」
馬車の旅の間、父の新領地の資料を盗み見して得た情報によると、以前の領主は貴族の義務を捨て逃亡したらしい。今は次の領主に引き継がれるまでの間、国から派遣された代官が領を数年に亘り管理しているというが……。この荒れた道を見る限り、本当に管理をしているのか疑わしい。
父への引き継ぎの時に面倒なことにならないといいけれど……。
「ルシア、領地に着いたよ」
寝ていたところ、父に起こされる。
馬車に揺られること二十日、移動の半分以上の日が雨天だった。そのせいで馬車の車輪が何度も泥に嵌まっては進行停止を繰り返し、予定より大幅に遅れて父の領地に到着――した?
馬車の小窓から外を覗(のぞ)くが、山と草原しか見えない。
「お父しゃま……街がありません」
「ははは、あの大きな木が見えるか?」
「はい」
「あの木を境に向こう側が私の領地だよ。はここから半日の場所にあるよ」
は、半日! 大丈夫……今日まで二十日頑張れた。半日くらいいける……はずだ。
父の領地に入った地点の大きな木の前で一時休憩をすることになった。
それにしても疲れた。
馬車から降り、フラフラと地面に尻をついた。馬車移動で相当疲労が溜まったようだ。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫……」
心配そうに私の顔を覗いたバネッサの顔色も悪い。
実はここに到着するまでに別の街もいくつか通過したけれど、東部を治める貴族はゴリゴリの第二王子派が多いため父は馬車を素通りさせた。父は何か嫌がらせされるのを避けたかったのだろう。途中、街から外れた村で食料などの補給をした。
父の書斎にある資料を勝手に盗み見して知ったけれど、現在、王都では第一王子と第二王子の間で王位継承権を争っているようだ。父は第一王子派ってことになっているのだと思う。中身までは確認していないけれど、第一王子からのお手紙が父に何通か届いていたのは見たことがある。父は口に出して自分を第一王子派とは言わないけれど。
それにしても馬車移動、想像以上につらすぎた。何度か本気で吐きそうになった。
バネッサが木陰に座りため息を吐く。
私はバネッサの膝の上で寝ることができたけれど、バネッサは終始同じ体勢でつらそうではあった。父は文官として他貴族の領地に赴くことがあったので、馬車の旅は慣れているのか平気そうで、たまに呑気に鼻歌を弾ませていた。
「バネッサ、大丈夫?」
「はい……大丈夫です」
全然大丈夫じゃなさそうだ。これはたぶん車酔いなのだと思う。移動中に頭痛がするのかバネッサが何度かこめかみを触っていたのも気になった。
そうだ、前世では私もよく頭痛の時にツボ押しをしていたんだっけ。
「バネッサ、手を見せて」
「え? 手をですか?」
「うん。気分が少し晴れるおまじないをするから」
バネッサに差し出された手の平を下に向ける。手と手首の境から肘に向けて指三本……子供だから指三本とちょっとの場所にある外関を左右ともマッサージしながら押す。
「どう?」
「少し首がすっきりしたような気がします」
次に耳の付け根の後ろにあるツボを押しているとバネッサがうたた寝をしてしまう。
「頭痛はどう?」
「だんだん……楽になってきました」
手は小さくなったけれど、マッサージは前世もよく同僚にやっていたので得意だ。もっとバネッサを気持ちよくしよう。
しばらく揉んだ後にバネッサに声を掛ける。
「バネッサ……」
反応はないので完全に寝落ちをしたようだ。せっかくなので寝かしておいてあげようと思う。
でも、その前にバネッサの猫耳を優しく撫でる。髪の色と同じ色の耳は触るとベルベットのよう柔らかさで癖になる。普段はなかなか触らせてくれないけれどちょっとくらいならいいよね。
「モフモフだぁ」
バネッサが寝息を立て始めたので、そっと離れる。
せめて今日は晴天なのが救いだ。木の反対側でパンを齧りながら休憩をしていた護衛の傭兵であるジェイクとロンの方へと向かう。彼らとはこの旅の間に結構仲よくなった。
ロンは赤毛交じりの茶色の髪にまだ幼さの残る屈託のない笑顔が印象的な二十代前半くらいの男性だ。やんちゃな言葉遣いとは裏腹に所作はとても綺麗だ。でも、ちょっと抜けている面がありジェイクによく注意をされている。
ジェイクは長い銀髪を一つ結びにした細マッチョの二十代後半の男性だ。外見は整っており、傭兵と言われてもピンとこない。
ロンが私に手を振りながら笑う。
「お! お嬢もパンを食べるか? ちょっと硬いがまだいけるぞ」
「ううん。大丈夫」
今は食欲がないので断る。
「ルシア嬢、それならこれはいかがでしょうか?」
ジェイクが包み紙に入った飴玉を差し出す。
「いいの?」
「はい」
「ありがとう」
早速、貰った飴を食べるとイチゴ味が口に広がる。これだけで、体調がずいぶんよくなったような気がする。
ジェイクが微笑みながら言う。
「元気が戻りましたね。もう一つ飴をあげますので、これは後で食べてくださいね」
「はーい」
返事をして受け取った飴をポケットに入れる。これはバネッサにあげよう。
ロンがあくびをしながら背伸びをする。
「しっかし予定より時間が掛かっているよなぁ」
「ロンは文句ばかりですね」
「だが、ジェイクもそう思うだろ? ここからの道は酷いものだ」
大木の先にある父の領地には道は一応ある。けれど、ロンの指摘通り、整備がされておらず暴走した草があちらこちらに生い茂っている。
馬車の進行方向に生えていた大量のぺんぺん草をちぎり、手の中でクルクルと回す。
「草、生えすぎ」
馬車の旅の間、父の新領地の資料を盗み見して得た情報によると、以前の領主は貴族の義務を捨て逃亡したらしい。今は次の領主に引き継がれるまでの間、国から派遣された代官が領を数年に亘り管理しているというが……。この荒れた道を見る限り、本当に管理をしているのか疑わしい。
父への引き継ぎの時に面倒なことにならないといいけれど……。