異世界ですよ、異世界。まさか、田舎のアラサーの死後に異世界が待っているなんて想像もできなかった。
 この世界には前世の日本のような自動車や電車などの技術は聞く限り存在していない。でも、代わりに魔道具という魔物や鉱山から採れる魔石というものを使用した電灯、通信器具などの便利品はある。それになんと言っても魔法があるのだ。
 種族地位に関係なく全員が三歳になると教会で行う祝福の儀にて魔法を授かる。その時に授かる魔法は主に一つらしい。
 父の魔法は風魔法、バネッサは炎魔法、それから他界した母は花魔法だったという。父の魔力は中級以上の魔力値があり、使える魔法は風を吹かせることらしいが実際に父が魔法を使用したところを今まで見たことがない。
 生前の母はよく魔法で庭の花を咲かせていたと父に聞いた。王都の家の庭には母が咲かせたという大きな薔薇(ばら)が今でも残っている。
 バネッサの魔力値は知らないけれど、手やポットを温める魔法しか見たことがないので父よりも魔力は少ないのかもしれない。
 バネッサは私が記憶を取り戻した一歳の時、グランデス子爵家のゴミを(あさ)っていたところを捕まったストリートチルドレンの一人だった。
 他の子は父が孤児院に入れたが、バネッサは当時十五歳くらいと推測され孤児院の年齢制限により保護を拒否された。
 再び路上に返されそうになったバネッサを私が父にお願いしてメイドに取り立ててもらった。だって、絶対モフモフの猫耳――ううん、バネッサは捕まった当初、他の子たちを(かば)い自分に罪をと嘆願していたのだ。そんな人が悪い人のわけないからどうにか助けてあげたかった。
 今回、親子で辺境に向かうことになった時、父は王都の屋敷にいた使用人の今後を考慮して多くの者に暇を出したけれど、バネッサは私たちについてきてくれた使用人の一人だ。
 今回の旅はバネッサ、家令のメイソン、それから護衛として雇った傭兵(ようへい)の二人で旅をしている。
 傭兵はジェイクとロンだと父に紹介され、二人とは出発前に軽く挨拶をした。私の想像していた傭兵よりも二人はずいぶんと礼儀正しくて小綺麗(こぎれい)だった。

「ルシアはブランケットに包まれていても可愛いな」

 目の前でデレデレと表情を崩しながら父が言う。亜麻色の艶のある髪、菫色の透き通った瞳は父のよい人柄に似合っている。父を凝視しているとさらに満面の笑みを向けられた。

「お父さま……」

 ニマニマする父を見ながら心の中でため息を吐く。
 この、人がよすぎることが唯一の欠点になるとは……。
 父は元は王都に住む領地を持たない子爵だったが、その平均より高い魔力値と頭のよさで王宮の文官の職に就いていた。
 しかし、頭のよさは決して全てにおいて順風という話ではない。勉強はできるけれどってやつだ。それに、父は人徳はあるものの政治面に関してはマイナスが付くほど疎かった……というより野心がないのだ。
 今回、私たち親子が辺境の地へと引っ越している理由も政治的に父が弱かったからだ。いや、一応領地を賜ったので昇進ではあるけれど……。
 私に前世の記憶があることは父も誰も知らない。父は私のことを才女と思っているようだけれど……。ただ単に中身がアラサーなだけだ。
 父は私から得た前世の知識をヒントに王都の都市開発を進めたことで第一王子からも一目置かれる存在になっていたという。
 そんな仕事が順風満帆の父が目障りな人間がいたようだ。結果的に昇進という名の左遷コースというわけだ。とにかく父を王都から遠ざけたい人たちの目論見は達成されてしまった。
 あくまでも三歳児の私が周りの使用人たちの会話の内容から推測した結論だけれど……。
 さらに顔が崩れる父にバネッサが注意する。

「旦那様、そんな顔でお嬢様をご覧になっていると怖がられますよ」
「でも、ルシアがこんなに可愛いから。バネッサもそう思わないかい?」
「……もちろん、お嬢様は可愛いです」

 二人ともありがとう。なんだか、心は温まったよ。でも、二人が私の両脇に来ると馬車のバランスが偏ってしまう。
 ほのぼのとした馬車の中の雰囲気になんだか辺境の地に左遷されているのを忘れそうになる。
 いまだに顔が近い父に尋ねる。

「急いで王都を出発したけれど、おじいちゃまたちにはお手紙は書いたのですか?」
「ああ、そうだね。一応、手紙は書いたよ……まだ届いてはいないだろうけれど」

 父が苦笑いしながら目を逸らす。
 父の生家は王都からは離れた北部にあるスヴェン伯爵家だ。伯爵と言っても大きな勢力を持っていないという。
 実際、私も父の実家の人間とは一度も会ったことがない。父との関係はよくも悪くもないという。スヴェン伯爵家は狩りや剣の技術で子育てをするらしく、次男で本の虫だった父のことは、子爵の地位を授けた後はほぼ放置のようだ。
 父が眉を下げながら言う。

「辺境ではルシアに負担をかけてしまうかもしれない。済まないな」
「お父さま、ルシアは田舎でも何も問題ありません」

 これは事実だ。前世は元々田舎出身であるし、特に王都に未練はない。
 現に三歳児の私は、屋敷から出ることが片手で数えるくらいしかなかったので懐かしむこともない。五歳になれば、交流会という子供たちの集まりが開催されるけど……今の私には屋敷の中の人以外の知り合いもいない。
 王都の屋敷は母との思い出があるので、父は管理人を置いてそのまま手元に残すことにしたと聞いた。なので、王都を訪れる際は滞在できる場所はあるということだ。でも、生活環境が変わることには違いない。辺境は色々と不便なことも多いだろうと思う。
 そんなことを考えていると段々と(まぶた)が重たくなってきた。
 ガタッと馬車が大きな音を立て揺れると、御者席にいるメイソンに父が声を掛ける。

「大丈夫か?」
「はい。ですが、ここからは今まで以上に揺れます。ご注意を」

 その直後、再び馬車が大きく揺れる。
 馬車、結構揺れるなぁ。
 王都を流れる運河、スーリア川を使えば辺境でも短縮した日程で移動できるらしいのだけれど、私たちが向かう東部の辺境はその川沿いではない場所に位置している。要するに人の行き交いが少ないド田舎である。
 辺境の地まで二週間、この揺れに耐えられるかな……。

「ねみゅい」

 もう目を開けているのもちゃんとしたお(しゃべ)りも無理だ。
「ルシア様、私の膝の上に頭を置いてください」
「うん……」

 バネッサにトントンと背中を優しく(たた)かれる。この眠さ……三歳の身体に(あらが)えない。馬車の揺れにそのまま身を任せ瞼を閉じた。