見上げるだけで首が痛くなる高層マンションのエントランスに入った沙羅を出迎えるのは愛想のいいコンシェルジュ。

『お帰りなさいませ。お嬢様』
「ただいま」

お嬢様呼びはここに住んで2年目になる今も慣れない。コンシェルジュにとってはマンションオーナーの娘は雇い主の娘も同然なのだからお嬢様と敬称して畏《かしこ》まるのは当たり前だ。

 お嬢様なんて柄ではない。こんなタワーマンションに住んでいても、何万円もする高級料理を食べるよりスーパーの特売で買った豚バラ肉たっぷりのカレーの方が好きだ。
堅苦しいフレンチよりもラーメンが好きだ。食べ物のことを考えていたら腹の虫が今にも唸りそうだった。

(今日火曜日なんだよね。野菜詰め放題の日なのに……。お父さんの話が終わったらスーパーに買い物行こう)

タワーマンション暮らしは慣れないが、学校でも家でも毎日ピアノが弾けて父が側にいればそれで幸せだった。これ以上は何も望まない。

 最上階の十九階でエレベーターを降りる。最上階のフロアだけは部屋がひとつしかない。このフロアの住人は沙羅とオーナーの父のみだ。