あの出会いの時間に、絵の制作者が美術教師の鈴木だと明かされていたとして……?

「ぼーっと絵を見ているだけで良かったのに、絵を描いた人がそこに居ると何か感想言わないといけないのかな……って余計なこと考えちゃいそう」
『鑑賞者に必要以上に情報を与えると最初に抱いた感情が濁ってしまうおそれがある。作品を見た時に感じる純粋な感情の動きが一番大事なんだ』

 比奈の【トワイライト】への純粋な感情は、“理由はわからないが好き”であった。その感情の動きが鈴木の理論では芸術における最も大事なものらしい。

『作品に付随する制作者の事情は受け手には関係のない問題だ。ゴッホが療養中に描いた絵だろうがベートーヴェンが難聴になってから書いた曲だろうが、そんなものは受け手は知らなくていいし、制作者がどんな気持ちだったのかなんて読み取れなくていい。芸術鑑賞において大切なのはそれを見た自分がどう感じたのか』

 持論を展開する鈴木の横顔はやはり中性的で美しい。鳥の巣頭もふわふわとしていて触り心地が良さそうだ。

「先生、私……決めました。美術部に入りますっ!」

 比奈の唐突な宣言にも鈴木は動じない。『楽しみにしてる』と微笑を残して彼は隣の美術準備室に姿を消した。

 ああ、そうか……と、比奈は心の甘酸っぱさの正体を掴んだ。きっとこれが恋なんだ。
 きらきらとわくわくと、どきどきと、そわそわ。生じた甘い感情を意識してしまうと、途端に頬が熱くなる。

 もうすぐ十六歳。初めての恋の相手は、変わり者の美術教師だった。