何もかもが未知の体験の初恋は難しい。しかも相手は年上の教師。
 迂闊に友達に恋の相談もできない相手だと、比奈も理解はしているつもりだった。

 世間的に教師と生徒の恋愛はタブー視されている。フィクションではそんな漫画もドラマもいくらでもあって大衆から好まれるテーマではあるし、実際に教え子と結婚した教師や先生と交際していた生徒の話も存在する。
 それでもきっと、教師と生徒の恋愛は実らなかった悲恋の方が圧倒的に多いだろう。

 夏休みを目前にしても恋人の有無すら鈴木に聞き出せない。「先生彼女いるの?」なんて、気軽に聞けるような距離感でもない。

 鈴木は確かに生徒に対してフランクな態度だが、それは彼が生徒と同じ目線に立って話をしてくれるからである。
 彼は生徒と必要以上に親しくなりすぎないように、きちんと一線を引いて接していた。

 どうしたって埋まらない教師と生徒の溝に項垂れつつ、比奈は所定の席に着席する。部長の彩未が点呼を取り、部員全員が揃っていることを確認すると鈴木が話を始めた。

『作業を始める前に、夏休みの話をするぞー』

 配られたプリントは夏休みの活動スケジュール。先ほど織部の言ったとおり、八月の欄に個展の見学と記載されている。

『俺の作品も二点出してある。ああ、広崎。今回も伊澤《いざわ》さんは参加してるぞ』
「やった! 今年も伊澤巨匠の絵を拝めるなんて……幸せぇ!」

 絵の世界に足を踏み入れたばかりの比奈は伊澤巨匠と言われてもさっぱりだった。伊澤巨匠とは、人物画の分野で有名な画家だと隣席の二年生が教えてくれた。

(個展の見学は私服OKかぁ。もしかして先生の私服も見られる?)

 個展の見学は八月七日。
 高校生活初めての夏休み、初めての絵画個展、初めての恋。
 初めてづくしの夏が始まろうとしていた。