「まぁ!まだあの女は神殿にいるのね。卑しい奴隷の出身が神聖な神殿を我が物顔で歩き回らないで欲しいわ」

「あの子、聖女のくせに夜な夜な遊び回って朝帰りしてるらしいわよ」

「男って女なら誰でもいいのね。あんなガリガリのネズミみたいな女、私なら触りたくもないわ!」

「ちょっと!卑しい匂いが移るから近寄らないで!」

 聖女とは世界の裏から湧き出る穢れを祓う力を持つ存在で、聖女ごとに祓う能力は異なり、貴賤関係なく力を授かるので誰が聖女になるのかは誰にも分からない。
 私は十歳のときに穢れを退ける聖なる結界の力を発現させ、最底辺である奴隷から一気に聖女へと祀りあげられた。しかし、生まれながらの卑しさは変えられなくて、私は神殿内でも嫌われ者だった。無視や陰口は日常で、物を隠されたり虫を投げられたり、日々の食事は残飯で悪い日には食事が抜きになった。
 その迫害は私が歳を重ね、聖女として人目につけばつくほど酷くなっていき、十六歳になった今は王都中から嫌われている。
 
 私はそんな日々を…………物凄く喜んでいる!

 いやだって、ゴミを見るような目は路地裏では日常茶飯事だったし。生まれたときから雇い主に罵詈雑言を浴びせられ、自分のものは一つもなくて、檻の中で虫やネズミと一緒に冷たい床に毛布もなくそのまま眠って、泥水を啜って生きてきた。それに比べたら神殿での生活は天国かと思う。

 それに実は、私の持つ聖なる結界の力は他者から嫌われれば嫌われるほど結界を強固にするというもので、今の状況はまさに能力にピッタリの最高の環境なのである!
 王都中から嫌われている私の結界の規模は、今や国全体に及び、その結界の核となる私は誰に殴られようが蹴られようが、階段から落ちようが馬車に轢かれようが、びくともしない鋼の肉体となっている。

 こんな最強な身体を手に入れてしまったら、もう元の軟弱な身体には戻りたくない。そのために私はわざと自分の悪い噂が立つように振る舞い、毎日夜遊び(行く当てがないので山登りで朝日を見て帰る)や散財(特に駆け出しの画家の絵画を買うのが好きだ)をして悪名を広げている。その甲斐あって、最近では私を聖女から除名するための運動が行われているらしい。

 身体が傷つかないなら、私の名誉がいくら傷つけられようと構わない。これ以上嫌われようが、そんなことで傷つく繊細な心なんてとうの昔に擦り切れた。それより、物理的に痛いことや苦しいことのほうが私は嫌だ。奴隷時代の鞭打ちの古傷は、今でもたまに痛む。


 そして今日、私は王都の教会で一番偉い司教様に呼び出された。ついに私を追放する準備が整ったのだろう。私はスキップしそうになるのを必死に抑えて応接室へと向かった。

コンコン

「どうぞ」

「失礼します……!」

応接室に入るとそこには司教様だけではなく、この国の王太子様まで座っていた。

「ふん!卑しい出の癖にこの俺を待たせるとはな」

「いや〜申し訳ないですぅ〜〜〜」

 ごらんの通り、この国の王太子様は大変偉そうで、私のことも大変嫌っている。常日頃であれば、顔も合わせたくないくらい面倒くさい存在であるが、今回は私も愛想よく返事する。
 だって私をドブネズミ以上に嫌う彼がわざわざ私を呼び出すなんて、私に王都からの追放を命じる意外に考えられない。

さぁ!どんとこい!!!

 鼻息荒く言葉を待つ私に、王太子はいつもの生意気そうなしたり顔で言いのける。

「お前にはエスタナ辺境伯との縁談を用意してやった」

「へぁ?」

 あれー?
 想像と全然違う話に、私は思わず間抜けな声を出してしまった。結婚って何???

「お前ももう16歳になった。その力を後世に残すため子を成して貰わなならんが、生憎お前と結婚して卑しい血を混ぜてもいいと言う貴族は王都にいなくてな。そこで、丁度28にもなるのに未婚の貴族がいたことを思い出した。国を守るための辺境の長がいつまでも子が居なくては有事に関わる。なに、醜いお前にぴったりの醜い男だ」

 王太子様は意地の悪い笑顔を浮かべながら、ペラペラと事情を自ら解説してくれた。つまり、辺境伯様も私と同じ嫌われ者で嫁いでくれる人がいないから嫌われ者同士でくっつけてしまおう、ということらしい。

「はぁ、はい、分かりました。その辺境伯様の元に嫁ぎます」

 正直誰かと結婚する自分、なんて想像がつかないが、いずれは誰かと結婚はすることになるのだし、嫌がったって仕方ない。私はその申し出を素直に受け入れた。そもそも王命だから断れなかったみたいだけれど。

「辺境伯様か……。奴隷の地位からしてみれば、とんでもない玉の輿だよね。どんな人かは知らないけれど、度を超した変態じゃないといいなぁ」

 28歳となれば、普通なら子供の2人、3人にはいてもおかしくない。それなのに未だ独身なんて、よっぽどの事故物件なのだろう。“醜い男”と王太子は言っていたけれど、それは外見の話なのか内面の話なのか……。

「ま、お互い様よね」

 何せ私は、聖女のくせに欲望のまま振る舞い王都から(実質)追放される身。嫁ぎ先に指名された辺境伯様もその屋敷に使える使用人たちも、性悪女が嫁いでくるのはとても迷惑に思っているに違いない。

「うん。それはそれでよし!」

 私がこの最強の護りが失われないのなら、なんでもいい。どこに行ったって、私は図太く生き抜いて見せる!

 そうして私はその日のうちに神殿から追い出され、辺境行きの馬車へと乗せられ5日かけて辺境へと輿入れしたのだった。



「遠い王都からようこそおいでくださいました、聖女様」

 邸宅に着くと、玄関前で使用人総出で迎えられた。
 しかし、使用人たちから向けられるのは歓迎の眼差しではなく、招かれざる客を迎える敵意に満ちた眼差しだ。

 しめしめ!この様子なら、ここでも存分に嫌われることが出来そうで安心ね!

 私は内心そうほくそ笑んだが、思惑を悟られないように、聖女として鍛え上げられた営業スマイルを浮かべて挨拶を交わす。

「私はサリー、苗字はありません。よろしくお願いします」

 残念ながら私は貴族の挨拶を知らないので、ただペコリと頭を下げた。こうすると、大体の貴族は「礼儀知らずだ」と嫌な顔をしてくれる。
 現に後ろにいた侍女たちには不評だったみたいだ。

「…………」

 ……ところで、先頭で私にあれこれ説明してくれている執事の横にいる、あざのある顔半分を金木犀のような鮮やかな橙の長い前髪で隠す、私の背丈の倍はある筋骨隆々な巨漢。彼が私の旦那様であるカリュケ・エスタナ辺境伯様だと思うのだけれど、なぜ彼は何も言わず私を睨み威圧しているのだろう。彼も勝手に縁談を組まれて不愉快なのだろうか。

 しかし、このまま無視をしてしまうと後が気まずいし、自分の中にモヤモヤが残る。私は先手必勝、自分から彼に声をかけた。

「あの、貴方が私の旦那様ですよね。よろしくお願いします」

「…………よろしく」

 私が手を差し出すと旦那様はびくりと身体を震わせ、オズオズとその手を握った。こちらを威圧しているのかと思ったが、どうやら緊張していただけみたいだ。
 こんなに強そうなのに、自分の体格の半分しかない小さい女に一体何を緊張するというのだろう。だって、この手なんて私の顔と同じくらい大きくて、殴られたらとても痛そうだ(私には効かないけれど)。
 その様が不思議で下からじっと見上げると、鋭い目が不安そうに揺れてすぐに顔が逸らされた。

「(臆病な人)」

 私は旦那様への第一印象に、そう思った。身体に似合わない繊細な心の持ち主。それなのに嫌われ者なんて、可哀想に。

 これが、私と旦那様の初対面だった。



 それから私は豪華すぎる部屋へと案内されて、疲れていたからかふかふかで広いベッドで早々に眠りについたのであった。

 ……そう、寝てしまったのである!初夜だったのに!!!
 それはもうぐっすり寝ていたので、旦那様が来てくださったかどうかも分からない。起きたときシーツは冷たく私1人しかいなかったので多分一緒に寝なかったのだと思うけれど。

 私は慌てて着替えてダイニングへ向かう。初夜は失敗してしまったので、何とか旦那様との朝食には間に合いたい。

バンッ!

「おはようございます!!!」

「………………」

 私がダイニングに飛び込むと、旦那様は丁度朝食を食べ終わっていた。

「あわわ、間に合いませんでしたか!?すみません朝食だけでもと思ったんですが」

「……気にするな。見回りに行ってくる」

「ならば玄関まで、」

バタン

 追いかけようとしたけれど、扉は無情にも閉じられてしまう。
 私の経験則からいってこれは……嫌われている!間違いない!だって目も合わないし、明らかに避けられている。

「(よかった、これなら私はここでも最強の身体を維持できそう)」

 そのことに安心した私は気分良く、入口からすぐの席に用意してもらった、新鮮で歯応え抜群の料理たちをお腹いっぱい食べた。

「ところで、女主人の仕事って何をすればいいのかしら」

 食欲を満たせて満足して、私はふっと疑問を抱いた。
 路地と神殿で生きてきた私は、満足な教育を受けていないため、貴族の作法・女主人の役目どころか一般家庭の妻の役割もよく分からない。路地なら兎に角稼ぐために盗みをしたり身体を売ったりするが、貴族がまさかそんなことをする訳がない。となると、旦那様のお世話をすればいいのだろうか。

「すみません、旦那様はいつお帰りになりますか?」

「旦那様は多忙な方なので、お手を煩わせるようなことはなさらないでください」

 悩んでもどうせ分からないからと、いつもくっついてくるメイドに聞いてみることにしたわけだが、取り付く島もなく釘を刺されてしまった。余計なことしないで部屋に居ろってことですね、分かりました。

 ――――――

 そうするとは言ってないがな!!!

 私は朝食後すぐに王都から持って来た山登り用の荷物を背負うと、着いてくるメイドを撒いて、こっそり屋敷の裏にある山へと踏み入った。
 普通は地元のガイドもなく単身で見知らぬ山へと入るのは滑落や遭難など命の危険があるので絶対にしてはいけないことだけれど、私に野営の知識と不死身ともいえる防御力があるからこんな無謀なことが出来るのだ。

 え?何で山に登っているか?…………楽しいから?

「これは貴重な薬草ね」

「この魔獣の角もいい素材になるわ」

 初めての土地の探索は非常に楽しい。それに、よく人が出入りするのか正規の道には分かりやすく目印が付けてあり、土もしっかりと踏み固められて歩きやすい。私は歩きながら紙に山の中の地図を書いていき、時々脱線しながら山の頂上を目指す。
 そして、日暮れを迎える頃に私は頂上へと辿り着いた。

「ついた!夕日が綺麗だなぁ」

 頂上からは領地がよく見える。辺境伯の屋敷とその周りに集まる家、そこから疎に建つ農家たち。
 これが、これから私が住むことになる場所。
 私はここに住む人たちが健やかに過ごせるように祈った。



ガサガサ

 この地でも朝帰り聖女の評判を守るために頂上にあった野営地で野営の準備をしていると、茂みから草を掻き分ける音が聞こえてきた。

「(魔獣かしら?)」

 魔獣であれば市民に害をもたらさないように(防御力に物を言わせて一方的に攻撃して)祓わなければならない。

 私は短剣を構え、音のする茂みを睨みつけた。

ガサッ!

ヌッ…………

「!貴方は…………」

 警戒する私をよそに茂みから出てきたのは、見覚えのある私の背丈の倍はある筋骨隆々な巨漢。

 つまり私の旦那様だった。

「旦那様?」

「!?」

 旦那様は私を認識すると、ここにいることにとても驚いているようで目を白黒させた。だが私も、旦那様にこんなところで会ってしまったことに大変驚いている。

「旦那様がどうしてこちらに?」

「俺は、見回りに。君は……?」

「私ですか?私は…………散歩です」

「散歩……?」

 本当は評判を下げるためにフラフラ歩き回っていただけだが、そんなことを素直に言えるわけもなく、私は思わず適当な苦しい言い訳をしてしまった。あまりに苦しすぎる言い訳に、旦那様は“絶対嘘だ”という目でじっと見てくる。わ、私も流石に無理があるなとは思うけど、他にいい感じの言い訳が思いつかないんだもん!

「え〜〜〜と、とにかく!私はここに用があるので今日は帰りません。さよなら、旦那様」

 少々強引だが私はそう話を切り上げ、王都から持ってきた野営用の毛布を羽織る。ふわふわで手触りが良くて、お気に入りの一品だ。

 もう暗くなってきてしまったので土地勘のない私は屋敷に帰ることは出来ない。けれど、山での野営は慣れっこなのでそれに関しては不安はない。旦那様は見回りと言っていたし、このままここでお別れだ。強そうだし土地勘もあるので心配しなくても一人で帰れるだろう。

「…………」

 しかし、旦那様は黙って私の向かいへと腰を下ろす。

「旦那様?帰らないんですか?」

「妻を山に置いて帰ったりしない」

 うーんまぁ、それはそうかも?
 私としては旦那様が帰ってくれないと計画失敗なのだけれど、旦那様としては、いくら気に入らない存在だからといっても世間体や良心があるのだろう。人の評判が気になるのは私にも分かるので、仕方ないかと納得する。

「はぁ、そうですか。でも野営するための道具はあるんですか?」

 私は私一人の分の道具しかないから旦那様に貸せるものはない。
 旦那様は私の言葉に首を振ったが、自信満々の様子で火に枝を焚べた。

「火さえあれば何とかなる」

「そうですか。風邪ひかない様にしてくださいね」

 筋肉があると毛布もいらないなんて便利なんだなぁと思いながら、私はそのまま眠りについた。



フンッ……フンッ…………

「ん……?」

 朝、私は荒い息遣いで目が覚めた。何事かと思い音の発生源を見ると、旦那様が凄いスピードで腕立て伏せをしていた。

「ふぁ…随分早起きなんですね、旦那様」

「!……すまない、起こしたか」

「いつものこのくらいに起きるので大丈夫です」

 私に気づくと旦那様は腕立てを辞めて、乱雑に手で汗を拭った。随分と前からトレーニングをしていた様で、旦那様は全身汗だくだ。
 見兼ねた私は持っていたハンカチを差し出す。

「これを使ってください」

「汚れてしまうから、気にしないでくれ」

 おっと、野獣な見た目に反して意外に紳士的。けれど私にはそんな気遣いは無用だ。

「どちらかと言えば旦那様が汚れるのを気にするくらいボロボロなので気にしないでください」

「そ、そうか……綺麗にして返す」

「一枚しかないので、大切に扱ってください」

「あぁ……」

 旦那様は汗を拭いたハンカチを大切にポケットへとしまった。
 太陽はまだ上っていないけれど、辺りは既に明るくなり始めていて山を降りるにはもう十分な明るさだ。

「では、そろそろ帰ってください」

 私がそう催促すると、旦那様は首を傾げる。

「……?」

「もう明るいですし私もそろそろ帰りたいので、帰ってください」

「?一緒に帰ればいいだろう」

「一緒に帰ったら仲良しみたいじゃないですか!」

 早く帰りたくて捲し立てるようにそう言い募ると、旦那様は困惑した様に目を彷徨わせあざのある頬を撫でた。

「俺と仲良しだと、困るのか」

「困りますよ!私が女主人として扱われたら大変です!」

「???」

 もし旦那様と仲良しだと勘違いされ、私が女主人として認められて万が一にも慕われてしまったら、防御力が下がるかもしれないし、何より領地の管理を任されるかもしれない。私は文字も読めないからそんなことになったら困る。
 しかし、私の言っている意味が理解できないのか旦那様は首を傾げ続ける。

「うむ……よく分からないが、麓までは一緒に来てくれ。君が屋敷に行ったのを見届けて、また巡回してから帰るから」

「う〜ん。それならまぁ、いいですよ」

 私としては朝帰りしているのがメイドに見つかればそれでいい。一緒に帰らなければ問題ないかと旦那様の案で妥協することにした。
 早くいきましょう、と私は旦那様の手を引く。旦那様の手は大きくて、がっしりしていて、温かかった。
 


 初夜の次の日に既に朝帰りをした話はすぐにメイドたちに広がり、城下に広まり始めていた。屋敷でメイドとすれ違うとヒソヒソと陰口を言うのが聞こえてくる。順調に悪評が轟いていて私は満足だ。
 私はこの調子で実績を積もうとせっせと山に通っていたけれど、

「またパトロールですか?」

「……あぁ」

 何故だか毎回、山頂で旦那様と出くわす。今ではすっかり顔馴染みで、旦那様に至っては野営用の道具まで持ってくるようになった。

「……」

「……」

 いつもなら山頂について野営の準備を終えると鍛錬を始める旦那様だが、今日は何もせず丸太に腰をかけ、チラチラと私に視線をやりながら手を遊ばせている。私に何か用なのだろうか。

「あの、何か御用ですか?」

「!あ、いや、その……この前は、ハンカチありがとう」

 旦那様は顔を赤くしながらボソボソとそう言うと、新品と同じくらい綺麗になった私のハンカチと紙袋を渡してきた。

「?何ですか、この袋」

「ハンカチの礼だ」

「なるほど、わざわざありがとうございます」

 ボロボロのハンカチを貸しただけで、綺麗にして貰った上にお礼まで貰えるなんて、得した気分だ。ビリビリと袋を破って開けると、中身は真っ白なハンカチだった。とても手触りがいい。

「こんないいもの貰っていいんですか?」

「……あぁ」

 嬉しい、これで洗濯している最中に代わりのハンカチを使える。でも真っ白で、使うのが勿体ないなぁ。

「汚さない様に大切にします」

「汚しても構わない。うちの使用人は優秀だから綺麗にしてくれる」

 確かにボロボロのハンカチが白く、ほつれていた端が綺麗に繕われている。そうか、伯爵夫人になるとメイドさんたちがこんなことまでしてくれるのか。

「はへ〜伯爵夫人って凄いですね」

「………」

 喜ぶ私と対照的に旦那様は不味いものを食べたかの様な顔で、またもじもじと手を遊ばせる。

「む、今度は何ですか?」

「い、いや、その……君は、聞いていた話とは随分印象が違うなと思って」

「聞いてた話って、夜遊びとか散財ですか?」

「あぁ」

「こんなところまで噂が広まってるんですか?嬉しいです!」

 なるほど、王都だけでなく辺境まで広まった悪評のお陰でこんなに強くなっていたのか。ならもし辺境の向こう、隣国まで私の悪評が届けば一体どれ程強くなれるのだろう。
 私はその日が楽しみになって、つい口から「へへ」と気の緩んだ声を漏らしてしまった。
 そんな私に、旦那様は憐れむような目を向けた。

「………君はなぜ、嫌われて喜ぶんだ?」

「へ?」

 旦那様の言葉に私は目を丸くし、しかし一瞬で状況を察した。成程、もしかして他の人には私が他人に嫌われて喜ぶ変態に見えるのか。それはそれでも別に構わないけれど、これから生涯を共にする相手にそんな勘違いをされて変なプレイを強要されては堪らないので、私は自分の能力の説明をした。彼なら気が弱そうだし、バラしたところで評価に影響しないだろうと踏んだからだ。

「私の聖女の力は結界で、私が嫌われるほど強くなるんです。王都では私は夜遊び散財する聖女として大変嫌われていて、でもお陰で結界の核である私はカッチカチなんですよ?例え屈強な旦那様でも私に傷をつけることは出来ません」

「夜遊びって……もしかして山登りのことか?」

「はい!健康的で時間がかかるから暇しないし、朝日も見られるので効率的です!あとは勝手に面白がった人たちが『聖女を抱いた、淫売だった』って尾鰭を付けまくってくれたので私が何かすることもなくあっという間に悪徳聖女の出来上がりです」

「……散財は?」

「私は絵画を買うのが好きなんですが、私が気に入って買った作品は他の人には不評でして。無駄遣いって言われちゃって、お陰で散財の称号も手に入れました」

 旦那様は一通り説明を聞いて、ため息を吐いた。

「……君の力は理解した。そしてその力の為に自らが嫌われることをよしとしていることも。だが、屋敷でまでそのような振る舞いをしなくてもいい。それでは心も休まらないだろう」

「嫌です!」

「何故……?」

「そんなことして私が弱くなったりしたらどうするんですか!これから一緒に生活する上で変なプレイをされたくないので、仕方なく旦那様には事情を明かしましたが、屋敷の中では旦那様も私をぞんざいに扱ってください」

「そんなこと……」

 旦那様の眉が、困ったようにきゅっと寄せられる。まるで迷子になった小さい子供のようだ。旦那様はきっと、心の優しい人なのだろう。突然悪名高い聖女との婚姻を押し付けられたのに、彼は親切にしてくれる。けれど私もこればっかりは譲れない。

「お願いします!」

 必死に頭を下げる私に根負けして頷いた。

「では出来るだけ話しかけないようにする、それ以上は無理だ。だが……山の中では今まで通り君と話したい」

「ありがとうございます!人がいない場所なら、まぁいいでしょう」

 そうして、私と旦那様の夜の山での密会が始まった。
 旦那様は寡黙で厳つくて陰気な表情をよく浮かべているけれど、私が感じていた通り悪い人ではなく、寧ろ細かい気配りをよくする人だった。

「旦那様こんばんわ〜今日の晩ご飯は何ですか〜?」

「今日は鹿肉だな」

「鹿肉!私、鹿を食べるのは初めてです!」

「そうか。たくさん食べるといい」

「はい!」

 旦那様は来るたびにいいお肉や果物を持ってきてくれた。
 最初は何故こんなことをするのかと警戒をしていたが、目の前で美味しそうな匂いをさせながら焼かれる肉をみて一瞬で吹き飛んだ。
 その日から旦那様の持ってくる食事は私の毎晩の楽しみとなり、すっかり餌付けされてしまったが、貰えるものは何でももらっておくに限る。



 そうしていくつかの季節が過ぎ、そのぶん交流も重ね、私たちは随分と親しくなった。けれど屋敷ではそっけなくしているお陰で、使用人たちもそのことに気がつくことなく、順調に私を嫌っている。

「あ、旦那さま。花が咲いてますよ」

「あぁ、そうだな」

「私が嫁いできて、もう半年くらいになりますね」

「ここには、慣れたか?」

「はい!ご飯も美味しいですし、屋根があるし、毎日湯浴み出来るし」

「そうか…………」

 本当に、私の人生で経験したことがない幸福な日々。

 だから不安になってくる。
 いつかこの幸せが終わってしまうかもしれないことが、怖い。

 だから、嫌われていないと。
 例え捨てられても変わらず一人で生きていけるように。

ガザガサッ!

「おっと。春だから動物たちが活発だね」

 茂みから飛び出てきた鹿が、子鹿を連れて去っていく。長い冬眠から覚めて、元気いっぱいといった様子で実に楽しそうだ。

「そうだな。愛らしいが、子連れの動物は獰猛だから気をつけてくれ」

「はーい」

ガサガサッ

 言っている側から隣の茂みが揺れ、中から茶色い動物が飛び出してくる。

「わっ!これは、

……クマ?」

 現れたのは、貴族令嬢が持っているテディベアと呼ばれるぬいぐるみにそっくりな生き物。

「わ〜〜〜本当にぬいぐるみみたい」

「気をつけろ。子グマがいるということはどこかで母クマが見ているはずだ」

 そう言って、旦那様はキョロキョロとあたりを警戒する。けれど私は、王都の山にはクマなんて出なかったので、思わずマジマジと子クマ観察してしまう。

 しかし、途端に背筋にゾワゾワと悪寒が走り、私はパッと顔を上げた。
 そして、見た。

「っ、旦那様!」


 旦那様の後ろから、母クマらしきクマがすごいスピードで爪を振り上げながら突っ込んでくるのを。


――――――グォォォォォォ!


「っ!君は後ろに…………!」

 旦那様も気づいている。けれど、旦那様よりもクマの方が体格がずっとずっと大きい。流石の旦那様でも、攻撃を喰らえば大きなダメージを受けるに違いない。
 だから私は慌てて旦那と熊の間に割り込み、その爪を身体で受け止めた。

「危ない!」

「なっ……!?」

ガッッッ

ドォォォォォォン!

 なんとか旦那様を守ることには成功したが、そのお陰で私は真正面から拳を受け止めてしまい、受け身を取ることも出来ずに茂みへと吹き飛ばされてしまった。
 だが、当然無傷だ。

「ぐぬぬ」

「サリー!?くそっ、邪魔だ!!!」

――――――グアァァァァァァ!

 空気をビリビリと揺らす旦那様の怒号と熊の咆哮が聞こえた。旦那様が簡単に負けるとは思わないが、一人で戦うのは大変だろうと慌てて体勢を立て直すが、その時には既に勝負は着いていた。

「うぉぉぉぉぉぉ!!!」

ザン……

――――――ォォォ……

 旦那様の勝利だ。流石、辺境伯当主。その巨体ともりもりの筋肉は飾りじゃない。

「はぁ…………っ、サリー!サリー……!」

ガサガサッ

「(…………っと。ぼーとしてる場合じゃなかった)」

 加勢の必要がなくなり、ついのんびりしてしまった私の耳に、旦那様が私を探す声が聞こえた。身体を起こしたものの、まだ彼には私の姿は見えていないようだ。

「はいはい、今起きますよ〜」

ガサッ

「!?」

「はぁ〜ドロドロだ。旦那様はお怪我ありませんか?」

 私を探すその声が今にも泣き出しそうで、よいしょとなるべく急いで茂みから出ていくと、彼は目玉を取りこぼしそうな程驚いていた。

「サリー、け、怪我は……?」

「別にありませんよ。あぁ、服は裂けちゃいましたが」

「っ!良かった……良かった………」

 私が死んだとでも思っていたのか、顔を見るなり旦那様は泣きそうな顔で私をご自慢の筋肉で包み込み、ゆっくり締め上げていく。

ギュッ

「く、苦しい!」

 いくら最強の防御力といえど、窒息系には弱い。私はペチペチと攻撃力のないパンチで自己主張をした。

「苦しいので離してください!」

「す、すまない。安心して……」

 抗議の末、無事解放されたわけだが、旦那さまは私の身体を舐め回すように点検する。そして傷一つないことを確認すると、ようやくホッと安堵の息を漏らした。

「……死んだかと思った」

「まさか。あんな攻撃で死ぬようなやわな身体はしてません!」

「そうか…………」

 私はドンと胸を張って答える。それを見て旦那様は、今度は眉をぎゅっと寄せて、悲しそうな顔で私の手を握る。

「君の身体は、本当に頑丈なんだな。けれど、もう二度と、こんなことはしないで欲しい」

「?でも、私が盾にならなかったら旦那様が死んでましたよ?」

 旦那様の言葉に、私は首をかしげた。礼を言われるのは分かるが、何故ダメ出しされるのか理解できない。

「そうだな。確かに君のお陰で助かった。けれどもし、力が発動していなかったら?もしその力が発動しなくて、君が私の代わりに死んでしまった?そうなれば、私はまともでいられる自信がない」

「もしもなんてありません。私の防御力は絶対です」

「君にとってはそうなんだろう。でも、私は君のことが心配なんだ」

 旦那様の“心配”という言葉に、私は思わず動揺してしまう。だってそれって…………。

「それって、私のことが好きみたいじゃないですか」

 どうでもいいと思う人を心配する人なんていない。つまり心配するということは、それだけその人に心を許していることを意味する。確かに私たちは親しくなったが、それはあくまで信頼や友情の類のはずだ。
 だからどうか、“そういう意味ではない”と言って欲しい。
 しかし……、

「そうだとしたら?」

 あろうことか旦那様は、好きであることを認めてしまった。
 私は血の気が引く絶望感に、堪らず顔を覆う。

「そ、そんなの困ります!」

「何が困るんだ?」

「えっ!?えっと、だって、その…………そうだ!私は旦那様のこと嫌いだからです!具体的には、えっと、朝から晩まで剣を振り回してご飯の時間を忘れるところ?とか、殴られたら痛そう?なところとか!近くにいるとムキムキがうつりそう?なところです!」

 思いがけず旦那様に理由を問われた私は、咄嗟に旦那様が嫌いだと告げ、思いつく限りの悪口で旦那様を罵倒した。いくら気弱で律儀な旦那様でも、散々悪く言われれば流石に私のことが嫌いになるだろう、そう思って。

「そうか。けれど俺は、お前の豪胆なところも、真っ直ぐな眼差しも、擦れているように見えて実は鈍感なところも、全部好きになってしまった」

「嫌だ、辞めてください!私、私……!」

「君は強いから俺の力なんて必要ないかもしれないが、君を守りたいと思ったんだ」

「いらない、いらない!愛なんて、そんなの一時的な感情に過ぎない!私が欲しいのはそんなまやかしじゃなくて、確かに私を守ってくれる盾です!!!」

 旦那様の顔が悲しげに歪む。違う、彼を傷つけたいわけじゃない。旦那様は嫌いじゃない。むしろ貴族でありながら下賤の身である私にとても良くしてくれて、感謝している。
 嫌われたいと思っているのは私だ。だって私には力が必要だ。何にも侵されない、絶対に私を守ってくれる、一人でも生きていけるだけの力が。

「もう、もう…………痛いの嫌なんです」

 生きるということは、痛いことだ。私のような最下層を生きる人間は、いつだって泥の中を這いつくばるように、苦しくて痛いことを我慢して生きるための努力をしなければならない。そのために、そのために私は…………。

「あぁ。だから私が守る」

「…………!」

「俺が、君の盾になる」

「そんなの…………」

「この剣に、そして神に誓おう」

「そんな、言葉は…………」

「分かってる。君が欲しいのはそんな安い言葉ではないだろう。だからこれからこの言葉を証明していく」

 そう言って旦那様は、私の手を握る。無骨で大きい、温かい手だ。

「それに、あれだ。盾は多いに越したことはないだろう?」

 眉を下げて笑う笑顔は、何とも不器用で頼りない。それでも、彼の優しさはこれでもかと伝わってくる。

「…………いっぱいいっぱい、優しくしてくれないといやです」

「あぁ。勿論」

「悪いことも辞めません」

「君が悪いことをするなら、俺はそれに付き合うよ」

「フフ。旦那様には悪いこと似合わないですよ」

 そうだ。誰か一人に好かれたところで、私の結界は揺らがない。それなら少しだけ、彼のことを受け入れてしまっても、バチは当たらないだろう。



 そうして、私は旦那様を受け入れた。
 それからの日々は本当に楽しくて、穏やかで、優しい日々だった。旦那様は本当に私を大切に守ってくれて、痛いことも苦しいこともなく、結界に力に縋ることもいつしか忘れていった。
 気がつけば私が悪女だという噂も聞こえなくなり、私は侯爵夫人として認められていたが、それも気にならなかった。

 だって、旦那様が私を守ってくれるから。
 今では旦那様の傍が、私にとって世界で一番安心できる場所なのだ。





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