「なにまた散らかしているのよー!」
 背中から声をかけられた。叔母さんが心配するのは案の定、だと思う。でもきちんと片付けるから安心してほしい。
 私はまた姿見の前で洋服を合わせてとっかえひっかえしている。
 こないだのレモン色のキャミソールでも良いのだけど、せっかくだから別のやつにしてみたい。ただのカットソーはラフすぎて嫌だし、かといってパンツルックスは今日という雰囲気じゃないし。
 どれがいちばん可愛く見えるだろう。私の中の乙女心が脳裏をくすぐる。
 だって、今日はお祭りに行く日。
 
 佐伯くんが提案してきたときには本当に驚いた。
 彼は冗談は言っていないようだったから、少しもためらうことなく首を縦に振ったんだ。
「いや、高瀬が迷惑じゃなかったらさ」
「そんなことないよ、絶対に行こうよ」
 約束を取り付けるときはこれくらいの会話しかしなかった。彼からは少し恥ずかしそうな雰囲気がしていた。
 家に帰ってからは、もうテンションが高い日が続いていた。手帳に丸印なんてつけて、ベッドに潜る前にはあと何日かなんて数えていた。
 まるで遠足を楽しみにする小学生。もしくはあといくつ寝るとお正月っていう状態。
 ......ついに待ち望んでいる日がやってきたんだ。
 
 出掛けるのはお昼を過ぎてからなのに、私はいつもより早い時間に飛び起きてしまい、こうしてファッションショーを繰り広げている。
 さすがにまだ出かけるには時間がある。ショーを中断して、とりあえず休憩しようか。
 居間にいると、またしても背中から声をかけられた。
「ずいぶんと機嫌よさそうだなあ」
 今度は兄だった。廊下からこちらを向いて、面白いもの見たさという顔をしていた。
 私はひとりで背筋が伸びる。恐る恐る兄と顔を合わせた。もしかして、今無意識に出ていた鼻歌を聞いちゃった......? 怖くて顔を合わせられない。
「お前、今日出かけるんだって?」
「そうよ。クラスメイトと」
 お茶を一口飲んで平然を装って返す。この答えはあながち間違っていないのだが......。
 兄の視線はまだこちらから離れない。すると、あたりの様子をうかがって私に小声で語り掛けてきた。
「......誰も聞いてないから正直に言っていいぞ。出かけるの、男子だろ?」
 ええっ、なんでわかるの。そしたら、お前?が顔に出るんだよなんて茶化された。
 まさか二人でいるシーンだからって仕返しされたのだろうか。
 兄には彼女がいる。私はふたりきりのときにそれと無く尋ねてみたりしたけれど、いずれもはぐらかされるだけだった。いつか会わせてほしいのに。
「せっかくだから、下の名前で呼んでみなよ」
 だって男子と出かけられるんだから、と言いながら戻っていく兄の後ろ姿を見ながら硬直する。
 それじゃあ、それじゃあ......。
 私のウブな頭脳がこれから何をするのか、やっと理解した。男の子とふたりで出かけるなんてデートじゃん! しかも、私たちはこのお出かけを何回も続けてしまっていた。
 しぶしぶと部屋に戻る。
 ほんと、何を着て行こう。おかしいほど真面目に悩んでいた。

 ・・・

 少し夕日の差す時間帯。
 駅前のロータリーにはすでに佐伯くんが到着していた。またしても私は小走りで向かっていき、きみの前に立った。
「佐伯くん、今日は誘ってくれてありがとう。きみはいつも早く着いているんだね」
「そんなことはないよ。なんとなくさ、女の子を待たせるなんて悪いじゃない」
 たしかにそうだ。きみはまるで紳士のよう。
 その誠実な雰囲気を目の当たりにすると、私も嬉しくなる。笑顔を作ったのはいいけれど、少しずつ緊張してしまう。
 心が震えたままどうしようもなかった。上手く会話できるだろうか、視線をそらさないでいられるだろうか。
 まるで怖いもの見たさに近いような感覚で、私はやってみたいことを打ち明けた。
「も、もしよければ佐伯くんのこと......、名前で、花くんって呼んでもいいかな」
 だって、これから過ごすことは。......デートなんだから。
 佐伯くんは少し悩んでいるみたいだったけど、すぐさま返事をしてくれた。
「いいよ。ちょっと恥ずかしいけど」
「ありがとう、佐伯く......。いや、花くん!」
 こうして私たちのお祭りは始まっていった。

 神社の境内は祭囃子が流れ、さまざまな明かりで彩られていた。
 夜空の下で映える光景はまるで別世界。きらびやかな世界に目を輝かせて私は足を踏み入れた。
 何処を見てもいい香りが漂っているし美味しそうだし。私の瞳はいろんなところに飛んで跳ねてを繰り返してた。
「高瀬、ちょっと待ってよ。ほら、お参りしないと」
 つい急ぎ足になっていた私に慌てた様子の佐伯くんが声をかける。
 あ、いけない。これでは花より団子だ。

 とりあえず、一周回ってみようか。
 そう佐伯くんが提案してくれる。なんだかその意見に従っておく方が賢明な気がした。いくらなんでも食い意地が張って恥ずかしいところを見せるわけにはいかないんだから。
 佐伯くんに合わせて私も歩き出した。
 しかしながら、人ごみが多くて上手く前に進めない。色んな人の背中が佐伯くんのことを隠してしまいそうだ。
「花く......」
 私は慌てて声をかける。でもしっかりと呼びかけることができなかった。
 その場に尻餅をつく。こともあろうことか、脇から入り込んできた男性にぶつかってしまったのだ。
 慌てて立ち上がると、もう彼の姿は見えなかった。
 ああ、やってしまった。この人の量では探すのも大変だろう。これが子どもなら慌てて泣き出してしまいそう。
 それでも私は流れをかき分けるように進んでいく。どれくらい進めばいいんだろう、そう考えたのもつかの間、私の右腕が掴まれた。
 何が起きたのかわからずそちらの方を向く。これはナンパよりひどいことかもしれないと、思わず睨みつける。
「......高瀬、だいじょうぶ?」
 佐伯くんだった。
 ああ、やってしまった。変に緊張した身体は固まったまま、鋭い眼差しが溶けていく。
「気を付けてなくてごめん。すぐに見つけられて良かったよ」
 彼は人の流れのないところへ私を連れていく。
 それにしても電話くれたら良かったのに、その言葉がとどめを刺した。私の恥ずかしさはとどまることを知らなかった。
 露店で売っているりんご飴のよう。顔が真っ赤になった私は両手で顔を隠す。
 それでも、佐伯くんの手はまだつながったまま。慌てた彼もやっとその手を離して、顔を横に向けた。もしかして彼も緊張しているのかもしれない。
 人の居ないところに、不思議なふたりが立ち尽くしていた。