「なんでこんなに宿題があるのよー」
言ってしまった私は慌てて手で口を押える。静かな学校の図書館の中だというのに大きな声を出してしまった。佐伯くんも人差し指を顔の前に出して、静かに、と念を押す。
この部屋の中にはふたりしかないけれど、いちおう静かにしなければいけない。
奥の準備室に居る司書さんはこちらをちらりと見るだけで、注意はしなかった。
ゲームセンターに行った日から数日、佐伯くんに一緒に宿題をしようと呼び出された。
彼は英語の教科書とノートを開き、問題を解いていく。その様子を眺めつつ、私は数学のプリントを出した。
お互いにペンを走らせる音が響く。この部屋に広がっているのは心地よいリズム感。まるでゆったりとした船に乗っているよう。
気持ちいい音だなと思ってたら、つい身体も動いてしまう。ああ、朝ごはんのパン食べすぎちゃったなどと考えるのもつかの間、いつの間にか眠りの船を漕いでしまった。
――この本借りるの? 僕が読み終わるまで待っててね。
――うん、待ってるから。
私はきみがそのご本を読み終わるのを待っていた。テストで満点を取ったご褒美にしたかったから、ずっと待っていたんだ。
――はい、どうぞ。ずっと待たせてごめんね。
――ありがとう。そうだ、きみの名前は?
――佐伯だよ。
――そうなんだ、私はリコだよ。佐伯くん......。
「佐伯くん、ありがとう!」
私は慌てて飛び起きた。心配そうな顔で佐伯くんがこちらを見つめている。遠くから司書さんの視線も感じてしまった。
私も何が起きたのか分かっていなかった。全員がポツンとする中、無言の時間が通り過ぎていく。
「......高瀬、だいじょうぶ?」
恐る恐る尋ねる彼に、私の顔が赤く染まっていく。耳まで色が変わっているだろう、もう恥ずかしさでいっぱいになった気持ちが、自然と身体を動かしていく。
「か、顔洗ってくるー!!」
椅子を引きずる音も気にせず立ち上がると、小走りでお手洗いに向かっていった。
ハンカチで拭った顔を鏡に映す。
真っ赤な顔は落ち着いてくれたようだけど、心臓はまだ鼓動が鳴っているみたい。
一瞬だけど夢を見ていたようだ。
小さな小学生の出来事だ。どうやらあの日の会話を映し出していたのだろう。
そう、私はあの本を読みたくって、きみが読み終わるのをずっと待っていたんだ。おかげで私はここにいるようなもの。
......まるで召喚されたみたいだったな。
佐伯くんと図書館でふたりきり、そんな空間だったから。でも、なんだか幼い日のことを思い出してちょっと懐かしさを感じた。
短い時間だったけど嬉しかったよ。
自販機でミルクティーを買う。喉を通り抜ける甘さに、次第に緊張が和らいでいく。
それにしても、今日は恥ずかしいところを見せてしまった。パンが好きだからってついがっつきながら食べて、寝起きいちばんによく分からないことを口にして。
ああ、好きな人の前でこんなことしてちゃいけないのに。
ため息が出てしまう。
遠くから蝉時雨が聞こえてくる。窓からは姿は見えないけれど、一定のリズムで力強く鳴き続けている。自分はここにいるよ、って存在感を示すために。
セミたちよ、お相手を見つけるんだよ。私には遠い存在かもしれないけれど、いつか君たちには心ときめく存在が見つかるんだと思う。
すこしむせてしまった。
私が佐伯くんを好きなのは、たぶん私がひとりで感じているんだ。でも、このまま膨らんでいく気持ちは、いつか言わないといけないのかもしれない。
いや、待て。彼だって誰か好きな人がいるのかもしれない。
そしたら、私は別に告白するまでもないような気がしている。ああ、自分だけの気持ちよきらめいて。
でも、待てよ。
佐伯くんが私を誘った理由って、もしかして小さい頃の出来事に関することかもしれない。
勝手に妄想した私の気持ちはとどまるところを知らなかった。
そしたら、もう確かめにいくしかないだろう。
私は図書館に戻る。一歩ずつ確実に踏みしめるように。
そして、少し緊張の気持ちが戻りつつも、図書館の扉を開けた。
こちらを向く佐伯くんの顔にピントを合わせながら、私はしっかりと問うのだ。
「ねえ、私のことって覚えているのかな?」
佐伯くんは手を止めてしばらくこちらを見つめていた。不安そうに見上げて。
その瞳が、どうしたのと問いかける。
「ほら、佐伯くんさ。......小学校の頃とか覚えてないかな」
「小学生ってさ......。僕たちが出会ったのって、高校生になってからじゃん」
彼は不思議そうにこちらに尋ねてきた。その視線がこちらを掴んで離さない。
きみからしたらそうだろう。
私から言い出したのに、もう話を続けられる状況にはできなかった。
いつの間にか顔が真っ赤だ。さっき落ち着いたはずなのに、恥ずかしさの色がありありと浮かんでいる。
思い出せない自分が悪かったのだろうか、つい申し訳なく思ってしまう。
「ごめん、忘れてー!」
無意識のまま小走りに図書館を出て行ってしまった。
・・・
夕方になってしまったので、校舎を後にした。
今日はいろんな感情がジェットコースターのように駆け巡った日だった。
なかなかきみの方を見ることができない。
本当はもっと色んな話をして、思い出を増やしていきたいのに。小学生の頃の記憶が邪魔をする。
すると、佐伯くんが楽しみな一言を告げてくれるのだった。
「今度、お祭りに行かない?」
言ってしまった私は慌てて手で口を押える。静かな学校の図書館の中だというのに大きな声を出してしまった。佐伯くんも人差し指を顔の前に出して、静かに、と念を押す。
この部屋の中にはふたりしかないけれど、いちおう静かにしなければいけない。
奥の準備室に居る司書さんはこちらをちらりと見るだけで、注意はしなかった。
ゲームセンターに行った日から数日、佐伯くんに一緒に宿題をしようと呼び出された。
彼は英語の教科書とノートを開き、問題を解いていく。その様子を眺めつつ、私は数学のプリントを出した。
お互いにペンを走らせる音が響く。この部屋に広がっているのは心地よいリズム感。まるでゆったりとした船に乗っているよう。
気持ちいい音だなと思ってたら、つい身体も動いてしまう。ああ、朝ごはんのパン食べすぎちゃったなどと考えるのもつかの間、いつの間にか眠りの船を漕いでしまった。
――この本借りるの? 僕が読み終わるまで待っててね。
――うん、待ってるから。
私はきみがそのご本を読み終わるのを待っていた。テストで満点を取ったご褒美にしたかったから、ずっと待っていたんだ。
――はい、どうぞ。ずっと待たせてごめんね。
――ありがとう。そうだ、きみの名前は?
――佐伯だよ。
――そうなんだ、私はリコだよ。佐伯くん......。
「佐伯くん、ありがとう!」
私は慌てて飛び起きた。心配そうな顔で佐伯くんがこちらを見つめている。遠くから司書さんの視線も感じてしまった。
私も何が起きたのか分かっていなかった。全員がポツンとする中、無言の時間が通り過ぎていく。
「......高瀬、だいじょうぶ?」
恐る恐る尋ねる彼に、私の顔が赤く染まっていく。耳まで色が変わっているだろう、もう恥ずかしさでいっぱいになった気持ちが、自然と身体を動かしていく。
「か、顔洗ってくるー!!」
椅子を引きずる音も気にせず立ち上がると、小走りでお手洗いに向かっていった。
ハンカチで拭った顔を鏡に映す。
真っ赤な顔は落ち着いてくれたようだけど、心臓はまだ鼓動が鳴っているみたい。
一瞬だけど夢を見ていたようだ。
小さな小学生の出来事だ。どうやらあの日の会話を映し出していたのだろう。
そう、私はあの本を読みたくって、きみが読み終わるのをずっと待っていたんだ。おかげで私はここにいるようなもの。
......まるで召喚されたみたいだったな。
佐伯くんと図書館でふたりきり、そんな空間だったから。でも、なんだか幼い日のことを思い出してちょっと懐かしさを感じた。
短い時間だったけど嬉しかったよ。
自販機でミルクティーを買う。喉を通り抜ける甘さに、次第に緊張が和らいでいく。
それにしても、今日は恥ずかしいところを見せてしまった。パンが好きだからってついがっつきながら食べて、寝起きいちばんによく分からないことを口にして。
ああ、好きな人の前でこんなことしてちゃいけないのに。
ため息が出てしまう。
遠くから蝉時雨が聞こえてくる。窓からは姿は見えないけれど、一定のリズムで力強く鳴き続けている。自分はここにいるよ、って存在感を示すために。
セミたちよ、お相手を見つけるんだよ。私には遠い存在かもしれないけれど、いつか君たちには心ときめく存在が見つかるんだと思う。
すこしむせてしまった。
私が佐伯くんを好きなのは、たぶん私がひとりで感じているんだ。でも、このまま膨らんでいく気持ちは、いつか言わないといけないのかもしれない。
いや、待て。彼だって誰か好きな人がいるのかもしれない。
そしたら、私は別に告白するまでもないような気がしている。ああ、自分だけの気持ちよきらめいて。
でも、待てよ。
佐伯くんが私を誘った理由って、もしかして小さい頃の出来事に関することかもしれない。
勝手に妄想した私の気持ちはとどまるところを知らなかった。
そしたら、もう確かめにいくしかないだろう。
私は図書館に戻る。一歩ずつ確実に踏みしめるように。
そして、少し緊張の気持ちが戻りつつも、図書館の扉を開けた。
こちらを向く佐伯くんの顔にピントを合わせながら、私はしっかりと問うのだ。
「ねえ、私のことって覚えているのかな?」
佐伯くんは手を止めてしばらくこちらを見つめていた。不安そうに見上げて。
その瞳が、どうしたのと問いかける。
「ほら、佐伯くんさ。......小学校の頃とか覚えてないかな」
「小学生ってさ......。僕たちが出会ったのって、高校生になってからじゃん」
彼は不思議そうにこちらに尋ねてきた。その視線がこちらを掴んで離さない。
きみからしたらそうだろう。
私から言い出したのに、もう話を続けられる状況にはできなかった。
いつの間にか顔が真っ赤だ。さっき落ち着いたはずなのに、恥ずかしさの色がありありと浮かんでいる。
思い出せない自分が悪かったのだろうか、つい申し訳なく思ってしまう。
「ごめん、忘れてー!」
無意識のまま小走りに図書館を出て行ってしまった。
・・・
夕方になってしまったので、校舎を後にした。
今日はいろんな感情がジェットコースターのように駆け巡った日だった。
なかなかきみの方を見ることができない。
本当はもっと色んな話をして、思い出を増やしていきたいのに。小学生の頃の記憶が邪魔をする。
すると、佐伯くんが楽しみな一言を告げてくれるのだった。
「今度、お祭りに行かない?」