赤い花には、とある言い伝えがある。

「あ、この花キレイだな」
 帰宅している私は、ふと足元に咲いている花に目を止めた。背負っている赤いランドセルみたいな花の色が可愛く見えたんだ。
 だから、押し花にでもしようと思ってつい手を取ってみたくなった。
 ......でも、今日のところはいいかな。明日も明後日も咲いていることだし、それよりもテストで満点を取ったことを伝えたいんだから。
 私はここでしばしの別れを告げた。
 
 その花の名前はーー彼岸花。
 
 ヒガンバナ科ヒガンバナ属に類する、秋を代表する花のひとつだ。
 古来から俳句や文学の対象として親しまれてきた。
 開花の時期になると、絵画のような華やかさを持つ花を咲かせる。まるで画用紙の一面に散りばめるよう。
 あの鮮やかな色合いはどこかで見たことがあった。
 ああ、そうだ。この間工作の授業で習った気がする、赤い絵の具に黄色を少し差して鮮やかな色を作り出したことがあったんだ。
 
 緋色。またの名を、"スカーレット"。
 
 その光景を美しいと思う人もいるだろう。
 でも、彼岸花には決して手に触れてはいけない。
 有毒植物だから。雅な景色の中に潜む牙が襲い掛かるから。
 その赤い姿が、私の視界を覆いつくすなんて思いもしなかった。
 もし、このとき持って帰っていたらどうなっただろうか......。

 ・・・

 私は慌ててベッドから飛び起きた。
 エアコンをつけて寝ているはずなのに、なんだか身体が熱い。おまけにたくさんの汗をかいていた。
 胸に手を添えてみる。静かな空間に動悸が音を立てて収まらなかった。
 ああ、またこの夢を見てしまった......。
 私の目の前に映るのはいつぶりだっただろうか。ふとした時に訪れて、後ろから襲いかかるよう。
 この夢の続きは決まっている。私が手にした彼岸花から炎が広がって、あたり一面を焼き尽くすんだ。
 これが、誰にも言えない心の傷。
 カーテンの向こう側からうっすら朝日が差し込んでくる。
 まだ目覚まし時計が鳴るにはだいぶ早かった。それでもまた寝たいとは思わない。仕方なくベッドから立ち上がると、少しの水を飲むことにした。

 ・・・

 朝。
 手に取った洋服を身体の前に合わせては首を傾げる。そのまま足元に置いた。
 この一連の流れを永遠と繰り返している。次に取った一着を合わせてみても、なんだか似合わないかもと思ってしまう。なんだか可愛くない。また足元に置いた。でも、無意識のうちに頬り投げる動作になってしまった。
 いつの間にか足元は衣類の山だ。
「そんなに広げてどうするのよー」
 廊下から呼びかけられて、私は振り返った。
「ちゃんと片付けるわよ」
「しっかり畳むのよ。それにしても、ちょっと学校行くだけなのにそんなに迷うかしらねえ」
 叔母さんには関係ないでしょ、私は小言を言いながら去る彼女を睨んで無言の抗議をした。
 でも、ホントに何を着ていこうか。私をいちばん可愛く見せるものはどれだろう。
 ひとりでファッションショーをしているみたい。出かける時間いっぱいまで続いてしまった。
 
 学校に行くのはあながち嘘じゃない。
 終業式の日、帰宅する電車の中で私は佐伯くんに告げた。ずっと話したいことがあるって。そしたら彼は改めて聞く機会を作ってくれた。今度駅前で会おうって言ってくれた。
 その流れでいつ会うか予定を決めてくれて連絡先を交換したんだ。もうそれだけで心の中で小躍りしている。これでメッセージし放題じゃん。
 いやいや、落ち着け私。その日まで、ちゃんと話せるようになっていないと。
 何度も頭の中で文章を作って、言いたいことを整理してみた。上手くできるだろうか。
「行ってきます!」
 家の扉を開けて外に飛び出した。すでに太陽は天高くから私を照らす。
 今日こそ佐伯くんに言うんだ。私は登る朝日に誓いを立てた。

 ・・・

 駅の改札を抜けると、もうロータリーのところには佐伯くんがいた。
 彼は私のことに気づくと手を上げて呼びかけてくれた。
 ああ、早く行ってあげないと。一秒でも早くあの笑顔を見たい私は、小走りで走って行く。そんな私を黄色の彩りが照らし出した。
 アゲハ蝶だ。
 ちょうど私の胸のあたりを飛んでいて、暑い中でも健気な姿がかわいい。
 ひらひらと舞うアゲハ蝶は、とても嬉しいことに私の周りを一回転する。まるで私の衣装を見て喜んでいるみたい。
 いちばん可愛いかもって選んだ、爽やかなレモン色のキャミソールと白いシャツ。
 制服の丈からはまったく異なる、とても短い水色のスカート。
 これで同じ視線になれるんじゃないかと思う、底のあるサンダル。
 アゲハ蝶のように私は変身してみせた。
 
 実は内心ドキドキしているんだ、きみはどう思ってくれるだろう。
 
 私は佐伯くんの前に立って、とびきりの笑顔を作った。すると、彼も微笑み返してくれた。名前の通り、季節に咲いている花みたいだ。
「高瀬、おはよう」
「おはよう、佐伯くん!」
 彼はこちらに向けたまま視線を離さなかった。その頬にうっすら朱色が差しているみたい。
 まさか私のことが可愛いって思ってくれるんじゃないかと思うと、こちらも緊張してしまう。
 佐伯くんは慌てて視線をそらした。
「ああ、ごめん。高瀬の私服姿ってはじめて見るからね」
 そういえばそうだ。明日香と出かけることはあったけど、彼女と出かけるときはカットソーだけだったりする。それに柄のある洋服は好きじゃないし。
 ......つい私の口は噤んでしまった。次第に私の頬にも赤味が広がっていく。私よ、どうしてしまったんだ。
 こういう時、何を言えばいいんだろう。"この洋服、今日の為に選んだんだよ"なんて朝思っていたことを素直に言えればどんなにかっこいいか。
 やっと開いた私の口は、よく分からないことをつぶやいてしまった。
「......佐伯くん、ホント背伸びたよね。見違えるみたい」
「え、最近はほとんど伸びてないよ。伸び始めたの、ずっと前だし......」
 ほら、小学生の頃とはぜんぜん違うし......。私の口はここまで滑り出して、はっとした。よく考えろ、私。これじゃ私が小学生の頃のきみを知っているみたいじゃないか。彼からしたら、私のことを知らないかもしれないんだから。
 "高瀬リコ"は佐伯くんとは会ってないのだから。
「それで、どこに行こうか。カフェでも入る?」
「そうだねえ。......その前に行きたいところがあるんだ」
 話を切り出してくれた佐伯くんに、私はにこりと返した。

 私たちの脇を、学校の制服を着た生徒たちが通り過ぎていく。
 今日ふたりで会うのは私が話したいことがあるからなんだけど、傍からみたらこれはどう思われるだろう。その言葉はなぜか頭の中に生まれなかった。