春らんまんの風が吹いていた。
その爽やかな空気は彼女らを包み込み、より一層輝いて見せている。授業を受けているときも、部活に力を入れているときも、そして何より何気ない教室の雑談であっても。みんな、キラキラしていた。
私はその様子を眺めていた。一番後ろの席で、頬に手をついて。
私の視界に映るクラスメイトたちは、次第に緊張の色が溶けているみたいだった。屈託のない笑顔を作って、皆楽しそうに話している。
その姿を羨ましそうに見つめるのが、私のいつもの休み時間だった。
私は、なんで楽しそうなんだろう......。
高校に入学して一か月くらい経ったのに、私はまだクラスに馴染めないでいた。
「リコって名前かわいいね」
こうやって呼びかけられることはあった。でもその度に私はどう返せば良いか分からなかった。
ついいろいろ考えてしまう。
なんて話しかければいいのかな、もしなにか聞かれたとしてもどう答えれば良いのかな。
それに、運動はできないしみんなみたいなお洒落は知らないし。
私、高瀬リコは――地味な子だ。
「なにやってるの、次は移動教室だよ」
ぼんやりとしていた私に、現実に引き戻す声が降りかかる。声の主は、こちらに視線を注ぎながら声をかけていた。でも、それは決して叱ったりしているわけではない。いつも事細かに心配してくれるのだ。
彼女――深見明日香は私にはじめて声をかけてくれたクラスメイトだ。
いつも朗らかな笑顔を絶やさないこの子は、"明日香ちゃん"などと呼ばれて親しまれている。ショートカットの髪にカチューシャという見た目は愛らしい印象だ。
明日香に腕を引っ張られるように教室を出た。
これから向かうのは隣の校舎にある教室で、地味に時間がかかってしまう。だからというわけではないけれど、よく明日香が会話を振ってくれる。
「ホント、この学校に来れてよかったなあ」
ね、そう思うでしょ。とこちらを上目づかいに見上げながら語り掛ける。
そうだねと返す私に、明日香は大きな笑顔を作って頷いた。
ここは、有名な私学の高校だ。都内でも県外でも問わず多くの生徒が集まるほどの人気を誇るという。学力も平均よりは高く、それでいて数多くある部活動も盛んだ。
「私、併願でこの学校を選んでたんだよ。でもやっぱりこっちにして良かったなって。だって、制服がかわいいからね」
そう言って、明日香はその場で軽くターンをしてみせた。
彼女の動きに合わせてふわりとセーラー服のリボンとスカートが揺れた。
女子生徒がこぞって可愛いという制服は、白い生地に赤いチェック柄の襟とプリーツスカート。おまけに袖口まで赤い。
まるでアイドルみたいなデザインはほかの高校を探しても、たぶんこの学校だけなんだろうなと思う。
「リコさんも制服でこの学校を選んだんじゃないの?」
「うーん、私は別にそうじゃないかなって」
自分の回答に、明日香は首をひねった。そして少し大きな声をだしておどろいた。
「え! ちがうの?」
そんなに反応するの? むしろ私が困ってしまった。思わず足を止めて、自分なりの考えを口にする。少し、視線を泳がせて。
「私はレベルが近いから選んだだけで......」
それを聞くなり、明日香は首を上下に振って会話を拾ってくれた。
「そっか、そうだよね! さすが中間テストで上位に入るだけのことあるよねー」
なんだか勝手に満足して、また歩き出した。
私も歩幅を合わせる。何気なく隣に歩く姿を見つめていた。
明日香はあまり口数は多くない生徒だけど、会話は不自由なくできている。それなのに、彼女から話し出すときは、だいたい私の席に来るときだ。
なんでなんだろう。友人なんだと思う、そうだったらいいなと思っている。
私は良く思うんだ、人生に意味なんてあるのだろうかって。
これから過ごす高校生活が嫌いなわけじゃないけれど、これといって期待もできなかった。ただクラスメイトと一緒に過ごすだけだから。
これが青春の花だと気づく由はなかった。まだつぼみのまま咲こうとしない。
それが今日この日、一気に開花する。
視界の向こうに、ある人物が見えたから。
とある一人の男子生徒。同級生と談笑しながら、反対側から歩いてくる。
見たことない人物だったから、たぶん別のクラスの人。それでも、私はきみのことを覚えている。
絶対にそうだ、――私の大切な人。
すれ違うときに、少し肩が触れる。
わずかな温かさを合図にするみたいに、振り返って見つめてしまう。そのまま明日香に呼び止められるまでずっと。
・・・
そこから時は経ち、私たちは高校二年生になった。
夏。天高くから降り注ぐ日差しは影を作り出している。とても色の濃いものをつい見つめる。私が手を動かすたびに合わせて動くものだから、滑稽なもののように見えてなんだか楽しい。
登校するだけなのに、もうすでに暑かった。
流れ出る汗をこらえて我慢している。校舎に入ったらまずは身だしなみを整えなきゃ。
普段のクラスメイトなら学校に行くだけでも面倒くさいと思うだろう。でも、私は絶対に行かなきゃいけないんだ。
だって、合わせる顔がないのだから。
「おはよう!」
私はさっぱりとした感じで、教室に入るなり声をかけた。近くにいた数人が振り返って答えてくれる。
そして、いつもの通り教室中を探す瞳はある一点でピントを合わせる。
今日もこの教室にきみがいる。
佐伯花くんは、いつも笑っている。私はいつだって、その笑顔を見たくてたまらない。
この光景をいつまで見つめていられるだろうか......。
ホームルームが終わって、授業の準備をしている。私の背中に担任の先生が声をかけてきた。
「高瀬さん。昼休みでいいから、職員室来てくれないかしら」
私は頷いて答えた。
「高瀬さん、どうしたの?」
「まさか悪いことしちゃった?」
周りにいた何人かの生徒は心配そうに尋ねてきたが、私は理由のひとつも説明できずに、お茶を濁すしかなかった。
担任の先生はいつもおしゃれだ。オフィスカジュアルな服装も小ぎれいに整頓されたデスクも、いつ見ても素晴らしい。こんな大人になりたいなってつくづく実感する。
そんな彼女の瞳が、私を掴んで離さなかった。
「高瀬さん、今が何月か分かるかしら?」
「はい、7月です」
じゃあ分かるわよね、と次の質問を投げかける。そう、いつだって先生は怒らないで諭すように語り掛ける。
「いいんです、私なんか。いつも地味だし良いところなんてないですし」
「高瀬さん......」
先生も少し口をつぐんだ。
「......だってあなた、もう転校しちゃうのよ。あなた自身がどう思っているかはさておき、親御さんには喜ばしい出来事じゃない。クラスメイトはみんな祝福するわ」
でもいいんです。重ねて答えると踵を返して職員室を出ていった。
だって、私はモブキャスト。
職員室の前で私のことを待っている姿があった。
明日香だ。彼女は微笑みながらお弁当箱を掲げてみせた。その片手には、私の分であるコンビニ袋まで持ってきてくれていた。
「先生にいろいろ言われた?」
「まあね。挨拶しなくていいのかって」
中庭のベンチに座るなり明日香が質問を投げかけた。何の話し合いをしていたか、ある程度はお見通しだろう。
そりゃそうだろうな。
私の転校が決まったのはつい先月のことだった。このことを打ち明けたのは明日香くらい。ほかに友人らしい子がいないというのもあったし、なんだか秘密を心の中にしまっておきたくて。
「まあまあ、今度はあたらしい出会いがあるってことだよ」
それだったら嬉しいな。淡い期待を抱きながら昼食を食べていった。そして、彼女は大切は一言を教えてくれる。
「やりたいこと、やらないとね」
校舎に戻ると幾分と暑さが和らいでいく。
やっぱり涼しいのがいいよね、と話しながら歩いていると、ある人物と鉢合わせた。
にっこりと微笑む明日香。
慌てて目をそらす私。
佐伯くんだった。彼は私たちに気づくと、手を上げて挨拶してくれた。いつもと変わらない笑顔が出迎えてくれる。
きみのことを見るたびに私は不思議な気持ちにおそわれる。
――私には、時間がない。
その爽やかな空気は彼女らを包み込み、より一層輝いて見せている。授業を受けているときも、部活に力を入れているときも、そして何より何気ない教室の雑談であっても。みんな、キラキラしていた。
私はその様子を眺めていた。一番後ろの席で、頬に手をついて。
私の視界に映るクラスメイトたちは、次第に緊張の色が溶けているみたいだった。屈託のない笑顔を作って、皆楽しそうに話している。
その姿を羨ましそうに見つめるのが、私のいつもの休み時間だった。
私は、なんで楽しそうなんだろう......。
高校に入学して一か月くらい経ったのに、私はまだクラスに馴染めないでいた。
「リコって名前かわいいね」
こうやって呼びかけられることはあった。でもその度に私はどう返せば良いか分からなかった。
ついいろいろ考えてしまう。
なんて話しかければいいのかな、もしなにか聞かれたとしてもどう答えれば良いのかな。
それに、運動はできないしみんなみたいなお洒落は知らないし。
私、高瀬リコは――地味な子だ。
「なにやってるの、次は移動教室だよ」
ぼんやりとしていた私に、現実に引き戻す声が降りかかる。声の主は、こちらに視線を注ぎながら声をかけていた。でも、それは決して叱ったりしているわけではない。いつも事細かに心配してくれるのだ。
彼女――深見明日香は私にはじめて声をかけてくれたクラスメイトだ。
いつも朗らかな笑顔を絶やさないこの子は、"明日香ちゃん"などと呼ばれて親しまれている。ショートカットの髪にカチューシャという見た目は愛らしい印象だ。
明日香に腕を引っ張られるように教室を出た。
これから向かうのは隣の校舎にある教室で、地味に時間がかかってしまう。だからというわけではないけれど、よく明日香が会話を振ってくれる。
「ホント、この学校に来れてよかったなあ」
ね、そう思うでしょ。とこちらを上目づかいに見上げながら語り掛ける。
そうだねと返す私に、明日香は大きな笑顔を作って頷いた。
ここは、有名な私学の高校だ。都内でも県外でも問わず多くの生徒が集まるほどの人気を誇るという。学力も平均よりは高く、それでいて数多くある部活動も盛んだ。
「私、併願でこの学校を選んでたんだよ。でもやっぱりこっちにして良かったなって。だって、制服がかわいいからね」
そう言って、明日香はその場で軽くターンをしてみせた。
彼女の動きに合わせてふわりとセーラー服のリボンとスカートが揺れた。
女子生徒がこぞって可愛いという制服は、白い生地に赤いチェック柄の襟とプリーツスカート。おまけに袖口まで赤い。
まるでアイドルみたいなデザインはほかの高校を探しても、たぶんこの学校だけなんだろうなと思う。
「リコさんも制服でこの学校を選んだんじゃないの?」
「うーん、私は別にそうじゃないかなって」
自分の回答に、明日香は首をひねった。そして少し大きな声をだしておどろいた。
「え! ちがうの?」
そんなに反応するの? むしろ私が困ってしまった。思わず足を止めて、自分なりの考えを口にする。少し、視線を泳がせて。
「私はレベルが近いから選んだだけで......」
それを聞くなり、明日香は首を上下に振って会話を拾ってくれた。
「そっか、そうだよね! さすが中間テストで上位に入るだけのことあるよねー」
なんだか勝手に満足して、また歩き出した。
私も歩幅を合わせる。何気なく隣に歩く姿を見つめていた。
明日香はあまり口数は多くない生徒だけど、会話は不自由なくできている。それなのに、彼女から話し出すときは、だいたい私の席に来るときだ。
なんでなんだろう。友人なんだと思う、そうだったらいいなと思っている。
私は良く思うんだ、人生に意味なんてあるのだろうかって。
これから過ごす高校生活が嫌いなわけじゃないけれど、これといって期待もできなかった。ただクラスメイトと一緒に過ごすだけだから。
これが青春の花だと気づく由はなかった。まだつぼみのまま咲こうとしない。
それが今日この日、一気に開花する。
視界の向こうに、ある人物が見えたから。
とある一人の男子生徒。同級生と談笑しながら、反対側から歩いてくる。
見たことない人物だったから、たぶん別のクラスの人。それでも、私はきみのことを覚えている。
絶対にそうだ、――私の大切な人。
すれ違うときに、少し肩が触れる。
わずかな温かさを合図にするみたいに、振り返って見つめてしまう。そのまま明日香に呼び止められるまでずっと。
・・・
そこから時は経ち、私たちは高校二年生になった。
夏。天高くから降り注ぐ日差しは影を作り出している。とても色の濃いものをつい見つめる。私が手を動かすたびに合わせて動くものだから、滑稽なもののように見えてなんだか楽しい。
登校するだけなのに、もうすでに暑かった。
流れ出る汗をこらえて我慢している。校舎に入ったらまずは身だしなみを整えなきゃ。
普段のクラスメイトなら学校に行くだけでも面倒くさいと思うだろう。でも、私は絶対に行かなきゃいけないんだ。
だって、合わせる顔がないのだから。
「おはよう!」
私はさっぱりとした感じで、教室に入るなり声をかけた。近くにいた数人が振り返って答えてくれる。
そして、いつもの通り教室中を探す瞳はある一点でピントを合わせる。
今日もこの教室にきみがいる。
佐伯花くんは、いつも笑っている。私はいつだって、その笑顔を見たくてたまらない。
この光景をいつまで見つめていられるだろうか......。
ホームルームが終わって、授業の準備をしている。私の背中に担任の先生が声をかけてきた。
「高瀬さん。昼休みでいいから、職員室来てくれないかしら」
私は頷いて答えた。
「高瀬さん、どうしたの?」
「まさか悪いことしちゃった?」
周りにいた何人かの生徒は心配そうに尋ねてきたが、私は理由のひとつも説明できずに、お茶を濁すしかなかった。
担任の先生はいつもおしゃれだ。オフィスカジュアルな服装も小ぎれいに整頓されたデスクも、いつ見ても素晴らしい。こんな大人になりたいなってつくづく実感する。
そんな彼女の瞳が、私を掴んで離さなかった。
「高瀬さん、今が何月か分かるかしら?」
「はい、7月です」
じゃあ分かるわよね、と次の質問を投げかける。そう、いつだって先生は怒らないで諭すように語り掛ける。
「いいんです、私なんか。いつも地味だし良いところなんてないですし」
「高瀬さん......」
先生も少し口をつぐんだ。
「......だってあなた、もう転校しちゃうのよ。あなた自身がどう思っているかはさておき、親御さんには喜ばしい出来事じゃない。クラスメイトはみんな祝福するわ」
でもいいんです。重ねて答えると踵を返して職員室を出ていった。
だって、私はモブキャスト。
職員室の前で私のことを待っている姿があった。
明日香だ。彼女は微笑みながらお弁当箱を掲げてみせた。その片手には、私の分であるコンビニ袋まで持ってきてくれていた。
「先生にいろいろ言われた?」
「まあね。挨拶しなくていいのかって」
中庭のベンチに座るなり明日香が質問を投げかけた。何の話し合いをしていたか、ある程度はお見通しだろう。
そりゃそうだろうな。
私の転校が決まったのはつい先月のことだった。このことを打ち明けたのは明日香くらい。ほかに友人らしい子がいないというのもあったし、なんだか秘密を心の中にしまっておきたくて。
「まあまあ、今度はあたらしい出会いがあるってことだよ」
それだったら嬉しいな。淡い期待を抱きながら昼食を食べていった。そして、彼女は大切は一言を教えてくれる。
「やりたいこと、やらないとね」
校舎に戻ると幾分と暑さが和らいでいく。
やっぱり涼しいのがいいよね、と話しながら歩いていると、ある人物と鉢合わせた。
にっこりと微笑む明日香。
慌てて目をそらす私。
佐伯くんだった。彼は私たちに気づくと、手を上げて挨拶してくれた。いつもと変わらない笑顔が出迎えてくれる。
きみのことを見るたびに私は不思議な気持ちにおそわれる。
――私には、時間がない。