こんなにしっかりと火事の現場を見てしまったのは何時ぶりだろう。目の前に広がる炎まじまじと見てしまって、つい動けなくなってしまう。
......やだ、嫌だ。
「死んじゃったら嫌だ」
ついうわ言を口にしてしまう。私のお母さんもお父さんもあの灼熱の中に居たんだと思うと、私は怖くてたまらなかった。だから、今見えているアパートにも住人が取り残されていたら......。見ず知らずの人であっても、死んでしまうのは嫌だ。
「高瀬、大丈夫?」
そっと佐伯くんが私の肩を揺らす。
私は佐伯くんのことを気に留めなかった。じっと目の前に映る炎に目をやる。どうか無事でありますように、その念を送り続けよう。
そこに飛び込んできた声が、私の集中を切り裂いた。
「中に、子供がいるの!!」
はあ!? と声の方を向く。傍らには買い物袋をぶら下げている母親が居て、うろたえてしまっていた。おそらくコンロに鍋か何かを置いて買い物に行ったところに、子供が誤って火をつけてしまったのだろう。
そんなマンガみたいな展開、実際にあるなんて思いもしなかった。
さっき聞こえていたサイレンはここに向かっている消防車だなと理解するとともに、私はもう迷いはしなかった。
「高瀬、危ないって」
「大丈夫だよ、こういうときは小柄な子の方が上手く動けるんだ」
佐伯くんも私がすることを理解した様子だ。私だって上手くいく保証のひとつもなかった。それでも、一度決めた決意は揺るがない。アパートを睨みながら、私はポニーテールを作った。
「私は生きているんだ」
そうひとりつぶやいた私は、一心不乱に駆け出していった。
・・・
火事のあった部屋はアパートの二階だ。ひとつずつ段を飛ばしながら階段を登っていく。こういう時、陸上部に入っていて良かったなと思う。
あの部屋だ。扉の隙間から黒い煙がもくもくと漏れている。母親から借りた鍵をドアノブに挿す時点で、もう熱さを感じてしまう。
ああ、急がないといけないな。そう考えながらドアを開けて中に飛び込んでいった。
私の視界を煙が覆う。家の中のどこに子供がいるんだろうと探すのもつかの間、足元にはなにも注意が及ばなかった。
「うわあ!!」
玄関のたたきで何かにつまづいた。大きな声を上げて、床に顔からダイブするように倒れこんでしまった。
慌てて鼻の頭を手で押さえながら、その姿を見て安堵する。
なんと、探していた子供は玄関のところで泣きじゃくっていたのだ。
「ほら、お嬢ちゃん助けに来たよ」
私は少女の両肩に手を置いて、しっかりをお目目を覗き込むようにして語り掛けた。前に何かの授業で、子供と話すときは相手と同じ視線になった方がいいと聞いたことがあったからだ。
私の念が通じたのか、少女も大きく頷いてくれた。
そのまま手を引いて家を後にする。
母親のところに戻っていくと、たくさん感謝された。あいにく私にも女の子にも怪我の一つもなく、女の子はちょっとした検査を受けるだけで済みそうだ。
「生きているってことは、素晴らしいんだよ」
私は女の子にそう告げると、彼女は病院に運ばれていった。
当の私はそんなカッコよくはできなかった。
何があったかというと、救急隊員に注意されてしまった。なんの装備もなく火事の中に飛び込んでしまったこと、慌ててドアを開けると"バックドラフト"という現象が起き一気に部屋に炎が広がってしまうこと。
がむしゃらに行動しないで、と言われて佐伯くん共々頭を下げた。それでも、感謝状を贈呈できるかもと言われて少しほっとした。
なにはともあれ、私はミッションをクリアした。
心の中に勲章のひとつを掲げて、さあ帰ろうかと歩き出す......ことはできなかった。
「佐伯くん、助けてえ」
その声がもう限度だと告げるかのごとく、その場にぺたんとしゃがみ込む。なんと、こともあろうか腰が抜けて立てなくなってしまったのだ。
・・・
もう夜を迎えてしまっていた。
駅まであと少しだというのに、私をおんぶする佐伯くんの足取りはゆっくり。自分のこと重いから恥ずかしいって思ったりするのはたった一瞬で、少しずつ私の気持ちは落ち着いていった。
そう思えるのは頬を撫でる夜風の仕業に、直接触れる佐伯くんの温かみのおかげだろう。
ずっとこんな時間が続けばいいなあ。その思いが、私の口を震わせる。今までにないくらい、ゆっくりと、優しい口調になって。
「ねえ、佐伯くん。聞いてくれるかな......。ずっと言いたかった、私の思い出話」
「うん、いいよ」
こちらを見ないまま、佐伯くんは返事をしてくれた。会話のリボンを結んでくれる、その出来事がこれまた嬉しかった。
「私ね、小学生の頃、あんな風に火事に遭ったんだよ。帰ってきたら家が燃えててさ」
「高瀬も、家族も無事だったの?」
「ううん。白昼堂々とした強盗らしくって、お母さんもお父さんも襲われて。お父さん会社の役員だったから。で、私がひとり無事だったのは放課後、きみと話して帰りが遅くなったからだよ」
......放課後で本を借りる借りない、って覚えてない?
――この本借りるの? 僕が読み終わるまで待っててね。
――うん、待ってるから。
私はきみがそのご本を読み終わるのを待っていた。テストで満点を取ったご褒美にしたかったから、ずっと待っていたんだ。
――はい、どうぞ。ずっと待たせてごめんね。
――ありがとう。そうだ、きみの名前は?
――佐伯だよ。
――そうなんだ、私はリコだよ。佐伯くん......。
私が説明すると、佐伯くんはやっと思い出してくれた。
「そっか、リコって高瀬のことだったんだね」
「そうなんだよ。けっきょく、叔母さんに引き取られることになって、"高瀬"っていう苗字になっちゃったけどさ」
私がくすくすと笑うと、佐伯くんも微笑んでくれたのが電灯に照らされる。
「別に私が今の高校を選んだのは、まあちょっとした理由があったけど。そこできみと再会するなんて思いもしなかったんだよ」
廊下ですれ違っただけ、それでも佐伯くんと再会する嬉しさを抱きしめることができた。
「だから、私その日からずっと願ってたんだ。来年は同じクラスになれますようにって。たくさん神社に行って神頼みしてさあ。ある日はお小遣いなくなっちゃったもん」
「なにそれ。お賽銭に使っちゃう人なんて初めて聞いたよ」
それからも私たちは色んな話を広げていった。
・・・
いつの間にかエンディングを迎えてしまった。もう駅についてしまったのだ。
駅舎の前で佐伯くんは私を降ろす。ここで、最初に浮かんだ質問をするのは、やっぱり女の子らしいところだ。
「ね、ねえ......。重くなかった?」
一瞬真顔になった佐伯くんは吹き出すように笑い出した。
「そんなことないって! なんの心配しているのさ」
すぐに快速電車がやってくるというので、私はそちらに乗った方がいいと提案してくれた。私もその意見に乗っておくことにする。
「電車ではちゃんと座ってるんだよ」
「うん、あとは大丈夫だと思うから」
それから私たちは手を振って別れた。
「高瀬、ゆっくり休んでね!」
「それじゃあおやすみなさい、花くん!」
ついまたしても下の名前で呼んでしまった。
私たちは別れていった。ふたりの心が通じ合っていたら嬉しいな、その願いを抱きしめて。
......やだ、嫌だ。
「死んじゃったら嫌だ」
ついうわ言を口にしてしまう。私のお母さんもお父さんもあの灼熱の中に居たんだと思うと、私は怖くてたまらなかった。だから、今見えているアパートにも住人が取り残されていたら......。見ず知らずの人であっても、死んでしまうのは嫌だ。
「高瀬、大丈夫?」
そっと佐伯くんが私の肩を揺らす。
私は佐伯くんのことを気に留めなかった。じっと目の前に映る炎に目をやる。どうか無事でありますように、その念を送り続けよう。
そこに飛び込んできた声が、私の集中を切り裂いた。
「中に、子供がいるの!!」
はあ!? と声の方を向く。傍らには買い物袋をぶら下げている母親が居て、うろたえてしまっていた。おそらくコンロに鍋か何かを置いて買い物に行ったところに、子供が誤って火をつけてしまったのだろう。
そんなマンガみたいな展開、実際にあるなんて思いもしなかった。
さっき聞こえていたサイレンはここに向かっている消防車だなと理解するとともに、私はもう迷いはしなかった。
「高瀬、危ないって」
「大丈夫だよ、こういうときは小柄な子の方が上手く動けるんだ」
佐伯くんも私がすることを理解した様子だ。私だって上手くいく保証のひとつもなかった。それでも、一度決めた決意は揺るがない。アパートを睨みながら、私はポニーテールを作った。
「私は生きているんだ」
そうひとりつぶやいた私は、一心不乱に駆け出していった。
・・・
火事のあった部屋はアパートの二階だ。ひとつずつ段を飛ばしながら階段を登っていく。こういう時、陸上部に入っていて良かったなと思う。
あの部屋だ。扉の隙間から黒い煙がもくもくと漏れている。母親から借りた鍵をドアノブに挿す時点で、もう熱さを感じてしまう。
ああ、急がないといけないな。そう考えながらドアを開けて中に飛び込んでいった。
私の視界を煙が覆う。家の中のどこに子供がいるんだろうと探すのもつかの間、足元にはなにも注意が及ばなかった。
「うわあ!!」
玄関のたたきで何かにつまづいた。大きな声を上げて、床に顔からダイブするように倒れこんでしまった。
慌てて鼻の頭を手で押さえながら、その姿を見て安堵する。
なんと、探していた子供は玄関のところで泣きじゃくっていたのだ。
「ほら、お嬢ちゃん助けに来たよ」
私は少女の両肩に手を置いて、しっかりをお目目を覗き込むようにして語り掛けた。前に何かの授業で、子供と話すときは相手と同じ視線になった方がいいと聞いたことがあったからだ。
私の念が通じたのか、少女も大きく頷いてくれた。
そのまま手を引いて家を後にする。
母親のところに戻っていくと、たくさん感謝された。あいにく私にも女の子にも怪我の一つもなく、女の子はちょっとした検査を受けるだけで済みそうだ。
「生きているってことは、素晴らしいんだよ」
私は女の子にそう告げると、彼女は病院に運ばれていった。
当の私はそんなカッコよくはできなかった。
何があったかというと、救急隊員に注意されてしまった。なんの装備もなく火事の中に飛び込んでしまったこと、慌ててドアを開けると"バックドラフト"という現象が起き一気に部屋に炎が広がってしまうこと。
がむしゃらに行動しないで、と言われて佐伯くん共々頭を下げた。それでも、感謝状を贈呈できるかもと言われて少しほっとした。
なにはともあれ、私はミッションをクリアした。
心の中に勲章のひとつを掲げて、さあ帰ろうかと歩き出す......ことはできなかった。
「佐伯くん、助けてえ」
その声がもう限度だと告げるかのごとく、その場にぺたんとしゃがみ込む。なんと、こともあろうか腰が抜けて立てなくなってしまったのだ。
・・・
もう夜を迎えてしまっていた。
駅まであと少しだというのに、私をおんぶする佐伯くんの足取りはゆっくり。自分のこと重いから恥ずかしいって思ったりするのはたった一瞬で、少しずつ私の気持ちは落ち着いていった。
そう思えるのは頬を撫でる夜風の仕業に、直接触れる佐伯くんの温かみのおかげだろう。
ずっとこんな時間が続けばいいなあ。その思いが、私の口を震わせる。今までにないくらい、ゆっくりと、優しい口調になって。
「ねえ、佐伯くん。聞いてくれるかな......。ずっと言いたかった、私の思い出話」
「うん、いいよ」
こちらを見ないまま、佐伯くんは返事をしてくれた。会話のリボンを結んでくれる、その出来事がこれまた嬉しかった。
「私ね、小学生の頃、あんな風に火事に遭ったんだよ。帰ってきたら家が燃えててさ」
「高瀬も、家族も無事だったの?」
「ううん。白昼堂々とした強盗らしくって、お母さんもお父さんも襲われて。お父さん会社の役員だったから。で、私がひとり無事だったのは放課後、きみと話して帰りが遅くなったからだよ」
......放課後で本を借りる借りない、って覚えてない?
――この本借りるの? 僕が読み終わるまで待っててね。
――うん、待ってるから。
私はきみがそのご本を読み終わるのを待っていた。テストで満点を取ったご褒美にしたかったから、ずっと待っていたんだ。
――はい、どうぞ。ずっと待たせてごめんね。
――ありがとう。そうだ、きみの名前は?
――佐伯だよ。
――そうなんだ、私はリコだよ。佐伯くん......。
私が説明すると、佐伯くんはやっと思い出してくれた。
「そっか、リコって高瀬のことだったんだね」
「そうなんだよ。けっきょく、叔母さんに引き取られることになって、"高瀬"っていう苗字になっちゃったけどさ」
私がくすくすと笑うと、佐伯くんも微笑んでくれたのが電灯に照らされる。
「別に私が今の高校を選んだのは、まあちょっとした理由があったけど。そこできみと再会するなんて思いもしなかったんだよ」
廊下ですれ違っただけ、それでも佐伯くんと再会する嬉しさを抱きしめることができた。
「だから、私その日からずっと願ってたんだ。来年は同じクラスになれますようにって。たくさん神社に行って神頼みしてさあ。ある日はお小遣いなくなっちゃったもん」
「なにそれ。お賽銭に使っちゃう人なんて初めて聞いたよ」
それからも私たちは色んな話を広げていった。
・・・
いつの間にかエンディングを迎えてしまった。もう駅についてしまったのだ。
駅舎の前で佐伯くんは私を降ろす。ここで、最初に浮かんだ質問をするのは、やっぱり女の子らしいところだ。
「ね、ねえ......。重くなかった?」
一瞬真顔になった佐伯くんは吹き出すように笑い出した。
「そんなことないって! なんの心配しているのさ」
すぐに快速電車がやってくるというので、私はそちらに乗った方がいいと提案してくれた。私もその意見に乗っておくことにする。
「電車ではちゃんと座ってるんだよ」
「うん、あとは大丈夫だと思うから」
それから私たちは手を振って別れた。
「高瀬、ゆっくり休んでね!」
「それじゃあおやすみなさい、花くん!」
ついまたしても下の名前で呼んでしまった。
私たちは別れていった。ふたりの心が通じ合っていたら嬉しいな、その願いを抱きしめて。