目の前でコーヒーを飲む佐伯くんは何も言わない。ゆっくりと私が言うことを待ってくれている。わずかに揺れる湯気にピントを合わせながら、私は語りだした。
「......佐伯くんと私は、小学生の時に会ってたんだよ。おかげで私は生きているし、今ここでこうしてコーヒーを飲んでいるんだよ」
話の切り出しはこれで良いだろう。私たちはまるでドラマの中のふたり。プロローグには読者の興味を集めておかないと。
佐伯くんが思い出したかどうかわからないけれど、頷きながら聞いてくれる。
「小学校って、もちろん僕が通ってたところ?」
「もちろん。私が四年生のときに中原に引っ越す前の話だから。クラスはずっと違ってたから、ちゃんと会ってたのはあの日だけだったかもしれないね」
そうなんだねと、佐伯くんは相づちを打ってくれた。
やっぱり私が想う人は誠実だ。彼は私にとって感謝の存在。それだけを言いたいのに、なんだか上手く言葉にできない。
きみのそんなところを好きになったのかは私にもわからなかった。相手の素晴らしいところが説明できなくても、大切な人だと実感できるだけで素晴らしい。ああ、恋は盲目。
その気持ちに形があるわけじゃないから、ただふらふらとまっすぐに歩いて行けない。私たちの会話は逸れていってしまった。思い込みでも強く願えばいい。
「だから、ずっときみのことずっと好きだったんだよ」
あ! こう言ってしまったら、ナシにすることなんてできることはない。もう取り繕うことはできなかった。
「ね、ねえ佐伯くん......」
聞いてもいいかなあ。私はそう言ってうつむいてしまった。自分の顔が真っ赤なのは分かっている。それでも細々と口にすることができた。
「......だ、誰かと付き合ったりしてるのかなあ?」
えっ、と佐伯くんも声を上げた。よそ見をする彼の顔もみるみるうちに赤く染まっていく。
しばしの沈黙。
店内に流れるジャズのBGMがはっきりと聞こえる。それはまるでインターホンをずっと保留にしているみたいに、永遠と流れるのを感じてしまう。
もしかしたら佐伯くんはだれかと付き合っているのかもしれない。別に高校生だし、そういうことがあっても不思議ではないのだろう。
だから、私はもうここで終わりだと思っていた。自分が告げたいことだけを言って、静かに去っていくだけ。それが、私に残された道だと思っていたから。
「つ、付き合っている人はいるよ......」
佐伯くんがゆっくりと口を開く。やっぱりそうだろう。そして相手は誰なんだろう。私は無意識のうちに姿勢を正す。玉砕の言葉を聞く準備はできていた。
「夏休みに入る前、明日香に告白されたんだ」
その名前を聞いて驚くしかなかった。明日香め、よりによって佐伯くんに告白するなんて。私がずっと想いを寄せていた相手なのに、抜け駆けなんかして。
こんなことになるんだったら、明日香が告白したときに名前を聞いておけば良かったな。
でも、佐伯くんの表情はなんだか不思議そうだった。
「......どうしたの?」
つい私は合いの手を入れる。こういうときって、もっと大らかに嬉しそうに話すものだと思っていたんだけど。
「告白されるなんて思ってなかったから、どうすれば良いのかって考えちゃって」
「素敵なことじゃない。もっと喜んでみせてよ」
なにかあったの? 相談役になった私は視線を送って話を引き出そうとしてみる。私の気持ちなんて押し殺して。
「......正直、何をしてあげればいいんだろうって」
ああ、そういうこと。私は誰かと付き合ったことなんてないけれど、いざ付き合ってみると色々と考えるのだろう。
「もっと一緒に居てあげればいいじゃない。......あ、明日香は今帰省してたんだね。だったら、電話してあげるとか」
なぜかアドバイスを送る側に立っていた。なんだかんだ、どんな関係なのか聞いてみたくなってしまう。
「この前も電話で話したよ」
なんだ、じゃあ大丈夫じゃないか。
「でも、いつも電話してくるのは明日香からなんだよね」
「ああ、たしかに話すの好きだからね。あの子って」
明日香ってそういう子だから。こう重ねて告げる。いつの間にか、"明日香ちゃん"っていう呼び方をしていないことに、呼び捨てにしていたことに、気づかなかった。
「ちゃんと付き合ってるんだよね? 明日香と」
「えっ......」
佐伯くんはつい口ごもってしまった。なんだか、上手くいってるんだかいってないんだかよく分からない。なんだこのふたりは。
そんなことを考えてしまったら、私の頭の中にいるうさぎがまた大きく跳ねた。
付き合うならもっと仲良くすればいいのに。
もっと仲良くできる人と付き合えばいいのに。
付き合っていないなら、いっそ別れてしまえばいいのに。
私にこんな考えが芽生えるなんて思いもしなかった。それどころか、うさぎは自分でも考えもしないところに着地をするのだった。
明日香は私にとって親友だ。そんな君から、佐伯くんを奪ってしまおうなんて思いつきもしなかった。そうだとしても、今明日香は帰省しているし、あんまり電話もしていないようだし。
そもそも本気で付き合っているのかも私にとっては怪しく見えてしまう。
こんな僥倖が目の前に揃っているなんて思いもしなかった。とても素晴らしい手札が揃っている状況で場に出さないプレイヤーはいないだろう。
スカーレットは罪の色。――彼氏を奪うなんて、高校生の罪みたいなものだ。
私はずっときみを想っているのだから、もう構いはしなかった。
シンデレラになるのは、私なんだから。
「......だったら」
気が付いたら口から滑りだしていた。
「だったら、私がきみの彼女になりたい!!」
言ってしまった。つい大きな声で。佐伯くんはもちろん、カフェ中の視線が私の方に向いているのを感じる。
その場で皆固まっているようだった。
えーっと、えーっと......。さてどうしようか。私も硬直したまま動けない。
「......なーんてね」
ついごまかした。手を頭の後ろに置いていかにもアニメ調な動作をとっさにして。
「ごめん、ごめん......。冗談だよ」
私の告白が話の継ぎ目を失ってしまった。頃合いとみたのか、佐伯くんが伝票を手に立ち上がる。
このまましぶしぶとお暇するしかなかった。
・・・
駅へと向かう私たちは何も話さない。私は勢いのまま言ってしまってどうすればよいのか分からないし、佐伯くんだって急に言われて困惑しているだろう。
手もつかめないほどの距離を歩く私たちを夕日が照らし出す。形作られる影が、やっと手をつないでいるように見えた。
本当だったら、私たちもこうやって手をつなぐはずだったのに。
無言のまま、なんとなく裏路地を歩く。遠くから流れるサイレンが聞こえていた。
どうやって話を切り出せばよいか分からない私は、ずっと頭の中を整理していた。たった一日の小学生の出来事、中学校で再会を夢見ていたこと、高校で念願叶ったこと。
ゆっくりでも良いからちゃんと話して、そしたらまた改めて好きだよと伝えたい。
ここで、佐伯くんが口を開いた。
「ねえ、あれ」
彼が指さす方に目をやる。アパートの一室から上がるもの。黒い煙と赤い炎。
ああ、あれば火災だ。
つい私が足がすくむ。私の転機となったもの、私の家族を奪ったもの......。
人の命を奪う大きな紅い花が、目の前に広がっていた。
「......佐伯くんと私は、小学生の時に会ってたんだよ。おかげで私は生きているし、今ここでこうしてコーヒーを飲んでいるんだよ」
話の切り出しはこれで良いだろう。私たちはまるでドラマの中のふたり。プロローグには読者の興味を集めておかないと。
佐伯くんが思い出したかどうかわからないけれど、頷きながら聞いてくれる。
「小学校って、もちろん僕が通ってたところ?」
「もちろん。私が四年生のときに中原に引っ越す前の話だから。クラスはずっと違ってたから、ちゃんと会ってたのはあの日だけだったかもしれないね」
そうなんだねと、佐伯くんは相づちを打ってくれた。
やっぱり私が想う人は誠実だ。彼は私にとって感謝の存在。それだけを言いたいのに、なんだか上手く言葉にできない。
きみのそんなところを好きになったのかは私にもわからなかった。相手の素晴らしいところが説明できなくても、大切な人だと実感できるだけで素晴らしい。ああ、恋は盲目。
その気持ちに形があるわけじゃないから、ただふらふらとまっすぐに歩いて行けない。私たちの会話は逸れていってしまった。思い込みでも強く願えばいい。
「だから、ずっときみのことずっと好きだったんだよ」
あ! こう言ってしまったら、ナシにすることなんてできることはない。もう取り繕うことはできなかった。
「ね、ねえ佐伯くん......」
聞いてもいいかなあ。私はそう言ってうつむいてしまった。自分の顔が真っ赤なのは分かっている。それでも細々と口にすることができた。
「......だ、誰かと付き合ったりしてるのかなあ?」
えっ、と佐伯くんも声を上げた。よそ見をする彼の顔もみるみるうちに赤く染まっていく。
しばしの沈黙。
店内に流れるジャズのBGMがはっきりと聞こえる。それはまるでインターホンをずっと保留にしているみたいに、永遠と流れるのを感じてしまう。
もしかしたら佐伯くんはだれかと付き合っているのかもしれない。別に高校生だし、そういうことがあっても不思議ではないのだろう。
だから、私はもうここで終わりだと思っていた。自分が告げたいことだけを言って、静かに去っていくだけ。それが、私に残された道だと思っていたから。
「つ、付き合っている人はいるよ......」
佐伯くんがゆっくりと口を開く。やっぱりそうだろう。そして相手は誰なんだろう。私は無意識のうちに姿勢を正す。玉砕の言葉を聞く準備はできていた。
「夏休みに入る前、明日香に告白されたんだ」
その名前を聞いて驚くしかなかった。明日香め、よりによって佐伯くんに告白するなんて。私がずっと想いを寄せていた相手なのに、抜け駆けなんかして。
こんなことになるんだったら、明日香が告白したときに名前を聞いておけば良かったな。
でも、佐伯くんの表情はなんだか不思議そうだった。
「......どうしたの?」
つい私は合いの手を入れる。こういうときって、もっと大らかに嬉しそうに話すものだと思っていたんだけど。
「告白されるなんて思ってなかったから、どうすれば良いのかって考えちゃって」
「素敵なことじゃない。もっと喜んでみせてよ」
なにかあったの? 相談役になった私は視線を送って話を引き出そうとしてみる。私の気持ちなんて押し殺して。
「......正直、何をしてあげればいいんだろうって」
ああ、そういうこと。私は誰かと付き合ったことなんてないけれど、いざ付き合ってみると色々と考えるのだろう。
「もっと一緒に居てあげればいいじゃない。......あ、明日香は今帰省してたんだね。だったら、電話してあげるとか」
なぜかアドバイスを送る側に立っていた。なんだかんだ、どんな関係なのか聞いてみたくなってしまう。
「この前も電話で話したよ」
なんだ、じゃあ大丈夫じゃないか。
「でも、いつも電話してくるのは明日香からなんだよね」
「ああ、たしかに話すの好きだからね。あの子って」
明日香ってそういう子だから。こう重ねて告げる。いつの間にか、"明日香ちゃん"っていう呼び方をしていないことに、呼び捨てにしていたことに、気づかなかった。
「ちゃんと付き合ってるんだよね? 明日香と」
「えっ......」
佐伯くんはつい口ごもってしまった。なんだか、上手くいってるんだかいってないんだかよく分からない。なんだこのふたりは。
そんなことを考えてしまったら、私の頭の中にいるうさぎがまた大きく跳ねた。
付き合うならもっと仲良くすればいいのに。
もっと仲良くできる人と付き合えばいいのに。
付き合っていないなら、いっそ別れてしまえばいいのに。
私にこんな考えが芽生えるなんて思いもしなかった。それどころか、うさぎは自分でも考えもしないところに着地をするのだった。
明日香は私にとって親友だ。そんな君から、佐伯くんを奪ってしまおうなんて思いつきもしなかった。そうだとしても、今明日香は帰省しているし、あんまり電話もしていないようだし。
そもそも本気で付き合っているのかも私にとっては怪しく見えてしまう。
こんな僥倖が目の前に揃っているなんて思いもしなかった。とても素晴らしい手札が揃っている状況で場に出さないプレイヤーはいないだろう。
スカーレットは罪の色。――彼氏を奪うなんて、高校生の罪みたいなものだ。
私はずっときみを想っているのだから、もう構いはしなかった。
シンデレラになるのは、私なんだから。
「......だったら」
気が付いたら口から滑りだしていた。
「だったら、私がきみの彼女になりたい!!」
言ってしまった。つい大きな声で。佐伯くんはもちろん、カフェ中の視線が私の方に向いているのを感じる。
その場で皆固まっているようだった。
えーっと、えーっと......。さてどうしようか。私も硬直したまま動けない。
「......なーんてね」
ついごまかした。手を頭の後ろに置いていかにもアニメ調な動作をとっさにして。
「ごめん、ごめん......。冗談だよ」
私の告白が話の継ぎ目を失ってしまった。頃合いとみたのか、佐伯くんが伝票を手に立ち上がる。
このまましぶしぶとお暇するしかなかった。
・・・
駅へと向かう私たちは何も話さない。私は勢いのまま言ってしまってどうすればよいのか分からないし、佐伯くんだって急に言われて困惑しているだろう。
手もつかめないほどの距離を歩く私たちを夕日が照らし出す。形作られる影が、やっと手をつないでいるように見えた。
本当だったら、私たちもこうやって手をつなぐはずだったのに。
無言のまま、なんとなく裏路地を歩く。遠くから流れるサイレンが聞こえていた。
どうやって話を切り出せばよいか分からない私は、ずっと頭の中を整理していた。たった一日の小学生の出来事、中学校で再会を夢見ていたこと、高校で念願叶ったこと。
ゆっくりでも良いからちゃんと話して、そしたらまた改めて好きだよと伝えたい。
ここで、佐伯くんが口を開いた。
「ねえ、あれ」
彼が指さす方に目をやる。アパートの一室から上がるもの。黒い煙と赤い炎。
ああ、あれば火災だ。
つい私が足がすくむ。私の転機となったもの、私の家族を奪ったもの......。
人の命を奪う大きな紅い花が、目の前に広がっていた。