永遠には続かないから楽しみたい夏休み。
 きっと多くの学生がそう望んでいることだ。私もそのうちのひとりになるはずだった。去年は何をしたっけなと考えつつ、手を動かさないと。
 叔母さんから逐一片付けるように言われている。基本的にいい人だけど、こういうとき小言が多い。世話焼きなんだなと感じている。
 この前ファッションショーした服たちをまたタンスから出した。
 私、こんなに洋服持ってたっけと考えるのもつかの間、もう片づけてしまおうと決める。
 よそ行きの服は全部詰め込んで、少しの部屋着だけにしてしまおう。もうどこにも出かけて行かないだろうから。
 一気に段ボール箱に閉まっていく。心の中で仕舞いまーす、なんて号令をかけて。
 そしたら、次は本だ。
 とはいえ教科書は出しておかないと宿題のときに困ってしまう。持っているのは漫画と少しのファッション誌たちだ。だからすぐに片づけられるだろう。
 次の段ボール箱を持ってこないと、私は意気揚々と立ち上がった。本たちの中に私の手を止めてしまう存在が潜んでいることを、まったく忘れてしまっていた。
「......あ」
 本棚の奥から出てきたのは小さな文庫本だった。私が何回も読んだ児童書。まだ捨てずにとってあったんだっけ。

 ・・・

 小さな森に住む女の子がいた。彼女は心優しい性格でおしとやか。いつも森の中へ出かけては自然や小動物を愛でるのが楽しみで、それでいてこの生活には少し物足りなかった。
 彼女は森から出たことがないのだ。街にお仕事に行くお姉ちゃんのことを羨ましく思っていた。
 いつの日か、お忍びで行こうと決意する。緊張するけれど、心の扉を開けてみよう。まるで、誰かがわたしのことを呼んでいるんだと錯覚しながら、意気揚々と歩いて行く。
 はじめて見る街はきらめいていた。知らない建物に知らない人たち。空はどこまでも遠くてまるで表情が違っているみたい。
 女の子はあちこちに瞳を泳がせて街中を歩いていった。
 あのテーブル席にいるおじさんは紙とにらめっこして何を読んでいるのだろう。エプロンを付けたご婦人は二人組で笑い合っている。手に持っている袋には何が入っているのだろう。
「あ!」
 女の子の目に飛び込んできたものは露店で売られているリンゴだった。これなら森の中で見たことがある。そっか、農家のおじさんが街に卸すって言っていたのを思い出す。
 その気づきが女の子の臆病な心を呼び出してしまった。周りを見回してみても、建物と人ばかり。木々はまったくもって見つけることができなかった。
 街は怖いところなんだ。
 やっぱり森に帰りたいなと思っても、女の子はここがどこだか分からない。どの方角へ行けば帰れるかなんて、はなから考えていなかったのだ。
 涙を浮かべながらとりあえず目の前に向かって駆け出して行った。そしてぶつかったのは、街の王子様だったのだ......。

 ・・・

 いつしか私は片付けを止めて読みふけってしまった。
 森に住む女の子は王子様と出会って、はじめての一目ぼれ。それからふたりは両想いになって結婚する、私の大好きなハッピーエンドのストーリーだ。
 実は王子様も女の子にべた惚れで、その甘い雰囲気が私は好きだった。恋っていいなあと思うとともに、想ってくれる存在がいることにときめきを感じていた。
 
 私はずっと恋なんて無縁だった。
 小学生の頃に私は大きな転機を迎えることになった。でも、すべてを失った自分は何も考えたくなかったし、周りの子たちも気を遣ってくれたのか、あまり話しかけてくれなかった。
 幼いながらに、大事な人ができても死んでしまったら嫌だと思うようになった。
 それなのに、佐伯くんのことが気になってしょうがなかった。
 高校で再会するなんて思っていなくて、神様は私のことを見捨ててなんていないと思うようになった。だから、感謝の気持ちをきちんと伝えよう、私の願いを叶えよう。
 きみへの気持ちが大きくなって、本当は今すぐにでも会いに行きたい。メッセージを送りたいけれど、なんだかそれは緊張ではばかられてしまう。ちゃんと、きみの顔が見たくてたまらなかった。
 実は明日香ちゃんに、佐伯くんとケンカしたと相談しようと思っていた。でもその誠実な考えはなぜかすぐにしぼんでしまう。
 次会う約束をしているのは三日後なのに、もう待ちきれなかった。

 ・・・

 小さなカフェで出迎えてくれた佐伯くんは、いつもと同じ雰囲気をしていた。いつものようにシャツを着て、まるで私たちの関係がまた続いているんだろうと安堵するとともに、ちょっとした不安にもおそわれる。
 ここは僕のおごりにするからと彼は言い出すものだから、私はまた心が窮屈になってしまう。ちゃんと謝るだけなのに、うまく言えるだろうか不安で仕方がなかった。
 それでも、運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲んで、一気に告げていく。
「......この間は。お祭りのときは本当にごめんなさい!」
 勢いよく頭を下げた。そのままテーブルの一面だけを見つめる。
「高瀬さ、落ち着いて。顔を上げてよ」
 私の頭上から言葉が降りかかる。私がおそるおそる顔を上げるまでの時間はわずかなものだったかもしれない。でも、自分にしてみたらとても長いもののように感じた。
 その口調はいつも通りのきみだった。私の目の前に映る姿は特に首を傾げるわけでもなく、怒っているわけでもなく。それこそ季節を彩るような爽やかな花のようだった。
 ......あれ? 怒らないの?
「あれくらいで怒らないよ。ちょっと気持ちのすれ違いはあったかもしれないじゃない。それに、高瀬がずっと考えてることがあるんでしょう?」
 それに、ちゃんとたこ焼きを食べたから。きみがこう言うものだから、つい吹き出しそうになってしまう。ちょっとなにそれ、まるで私が花より団子派だと言っているみたい。でも、そう言われてもとくに不満はなかった。
 たぶん、あまりしゃべったことがない生徒だったらカチンとくるだろう。そういうことがないのは相手が佐伯くんだからだ。
 きみの意見は私を肯定してくれる。きみの声は私の気持ちを落ち着かせてくれる。一緒に居ると、つい温かい海を漂っているよう。
「ちゃんと謝ってくれたから、もう終わりにしようよ。その代わり......」
 ここで佐伯くんはコーヒーを一口飲んだ。夏なのにホットを飲むなんて大人だ。そんな瞳が私の方をしっかりと向いたのが分かった。
「......ちゃんと話してほしい。小さい頃にあったっていう出来事も、君がどう思っているかも」
 その言葉が私の心に触れた。
 佐伯くんはきちんと話を聞いてくれる。その理解がどういうわけか私の中で大きく跳ねた。飛び跳ねるといえばうさぎの仕草だ。頭の中に棲むうさぎは後ろ足を大きく蹴りだして巣穴に帰っていく。頭の奥底に入ってしまうと、しばらく出てこない。やがてひょこっと顔を出すと、耳を大きく立てて、あちらこちらを不安そうにのぞき込んでいた。
 話を聞いてくれることになって関係性は一歩進んだようなものだ。でも、一歩だけだ。
 私は小さい頃の出来後を一通り話をすればよいだけなのに、つい拡大解釈をしてしまう。どこまでも話を聞いてくれるんだなって思ってしまう。
 感謝の気持ちは、夏の恋の魔法に、変わってしまった。